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かげろう日記  作者: 文張
32/42

十三日目

 あと少し。あと少しだ。あと少しで

「どこだー、陽炎の息子。」

人が来た。少年は一瞬にして自分の体が凍り付いたのがわかった。だが、自分はまた捕まる訳にはいかないのだ。妹と父とあの家に帰らなくては行けないのだから。少年は自分の背後で倒れている三つ葉葵の紋をつけた羽織を羽織った男達と、目の前で開け放たれている牢の扉を交互に見た。この好機を逃すわけにはいかないのだ。血塗れ建を扉の方に伸ばすと、勢いよく牢の外にでる。どこにいるのかも曖昧にしか把握できていないあの声の主の方に刀を向けた。何があっても手放すことのなかった父親の刀を、緊張を握りつぶすかのように強く強く握りしめる。

「お、いた。」

声がした。近い。少年がそう思ったときには、すでに彼の体が牢の中に戻った後だった。大きな衝突音とともに全身に鋭い痛みが走る。すでに血ぬれていた床は滑りやすく、うまく体に力が入らない少年では起き上がるのは不可能だった。圧倒的な実力差がそこにはあった。しかし、それでも諦めることが出来ない少年はせめてもの抵抗に後からゆっくりと牢に入ってきたその男のことをにらみつけた。

「親が化け物なら、子も化け物なのは当然か。」

男はのんきにそうつぶやくと、後ろ手で牢の扉を閉める。せっかくやっとにげられたのに。少年は怒りのあまり床を殴りつけた。何度も、何度も殴り、痛む拳をもろともせず刀を支えにまた立ち上がろうとする。

「くそっ。」

言うことを聞かない体が惨めで仕方がなかった。圧倒的に力の差のある敵を前にどうしてもすくんでしまう自分が殺してやりたいほどに憎かった。

「ほう。俺との実力差を理解したのか、さすがとしか言い様がないな。お前、本当に五歳か?」

男は感心するように少年の顔をのぞき込んだ。少年はつばでもかけてやろうとしたが、見事に男に避けられる。

「それに、よくもやってくれたな。どっかの誰かさんのせいでうちはただでさえ人手不足だってのに、うちの隊士をよくも殺してくれたなあ。こりゃあ、こいつら分の働きをしてくれる新人を入れねえといけないな。」

言われてやっと少年は気がついた。先ほど自分が斬った大人と、目の前の男が着ている羽織はおなじものだった。だが、気がついたところでそんなことどうでもよかった。

「きれいな斬り筋といい、執念の強さといい、俺の見立てはあってたか。今日までに何人殺した?遊郭で十七で、こいつらを含めるとざっと二十か?いや、それ以上か?お前はやっぱりこちら側だな。」

「何を訳のわからないことを言っているんだ。それになぜ父上の名を知っている。」

「今からやり合おうって相手の弱みを知らなくてどうするんだ。それに、その刀。」

男が指を指したのは、四季が握りしめている刀だ。市中で大量に人を殺し、下手人として捕縛されても、彼は大切なこの刀を手部なすことはなかった。近づく者は刀で斬ってきた。手がつけられない危険因子だからこそ、少年は処刑されることもなく独房に入れられていたのであった。

「その刀は陽炎のだ。俺はやり合ったことがあるから知ってる。」

「だったら知っているか。父上が今どこにいるか。」

「知ってるぜ。教えてやる。」

その言葉に、少年は息をのんだ。たとえこの手を汚してでも必死に生きてきた会があった

報われたような気がしたからだ。しかし、どうせこんなおいしい話には裏があることも、』この賢すぎる少年は理解していた。

「ただでは教えてくれないんだろ。てめえの目的はなんだ。金か?俺か?」

母譲りのこの顔は今までもかなり有効に使えた。今回も同じだ、と彼は無理矢理信じ込もうとしたが、目の前にいる男は今まで出会ってきたどの狸や狐とも違うように見えた。

「おいおい、五歳が言うことじゃあ益々ないぞ。まあ、その質問に答えるなら、お前、かな。」

男はにやりと笑って見せる。

「初めまして。俺は見廻り組局長朧騎兵だ。今日からは俺のことを先生と呼べ、クソが決め。」

「は?見廻り組?先生?何言ったんだてめえ。俺はんなもんしらねえ。今すぐてめえを殺して、俺は家に帰るんだ。妹と、父上と、また一緒に。」

朧はため息をつくと、少年の前にしゃがみ込んだ。

「てめえ、ではない。先生だ。」

言うと少年の顔をつかんでぐっと引き寄せる。

「いいか、お前は今日から『虚幻四季』だ。見回り組の最少年隊士で、局長から直々に志津夫を受ける期待の新人。裏切られればやっかいだから、と将軍の監視下に置かれた鬼人。それがお前の今日からの肩書きだ。」

「んなもんに興味ねえ。さっさとこの手を話しやがれ。」

「お前はこれから幕府の犬として暮らすんだよ。俺はお前をもう少し広い牢の中に解放してやるって言ってんだ。お前には父親の二の舞にはなってほしくないんだ。」

「てめえが父上の何を知ってるって言うんだよ!」

少年は叫んだ。しかしすぐに言葉がでなくなった。朧がほんの少し悲しい目をしたからだ。聡い少年はそれだけで最悪の事態を予測できてしまっていた。

「お前が四季として生きるなら教えてやる。まあ、俺を殺せるようになるまでの辛抱だと思え。俺を殺せるようになれば、お前が自由の身になれるようにしてやる。」

「なんにせよ、俺が今ここでてめえを殺せば俺は自由なんだ。」

「そうやって家に帰るつもりか?無駄なのに。」

朧はそう言い放った。

「無駄、だと。」

おそらくは何もかも知っているだあろう朧の不穏な言葉に四季は思わず唇を震わせた。

「父親にはあとで会わせてやる。だが、お前の探している妹はもういねえよ。」

「は……。」

四季は一瞬にして頭が真っ白になったのを感じた。苦痛を伴う仮説が頭の中を駆け巡ってしょうがなかった。

「てめえの妹はもうこの世にいねえんだ。死んだわけじゃねえ。だが、名前を変えて別人としての人生を歩み始めている。」

そう聞いてまず思い浮かんだのは、遊郭のこと。遊郭に売られたのか?だが、遊郭ははじめにくまなく探したはずではないか。確実に、あんな所にはいなかったはずなのに。次に思い浮かんだのは、どこかの屋敷に奉公に出されているのかもしれないと言うこと。今までだってそれなりに探してきたが抜けがあるとすればここかもしれない。いずれにせよ、妹がまだ来ているのであれば、兄として助けにいかなくてはならなかった。

「安心しろ。あっちは多分、お前のこれよりもずっと丁重に、大切にされているはずだから。」

「誰にだ!妹はどこにいるんだ!」

「とにかく、さあ、お前は決めるんだ。俺の元で生きるか、それともここで犬死にするか。死んだら大切な妹にも会えないし、守ることなんてもってのほかだがな。」

「教えろ!誰に、誰があいつを連れて行ったんだ。誰が、あいつを俺の元から連れて行ったんだ。」

「さあ答えろ。」

朧は殺気で四季を圧倒した。それだけで、少年はこれ以上反論しても意味がないのだと絶望した。

「わかったよ……。」

四季の目から涙がこぼれ落ちた。

「ごめんなさい。母様。ごめんなさい、父上。ごめんなさい。春夏。まだ一緒に家には戻れねえみてえだ。」

四季の頭に妹の満面の笑みが浮かんだ。

「もう少し、待っていてくれ。」

父親の刀に涙が落ちた。

「強く、なりたい。」

「そうこなくっちゃな。」

朧は満足そうにそう言った。

「なんで……なんで、なんで!なんで俺が、妹を見捨てて、知らねえ奴に尻尾振んなきゃ行けねえんだ……。」

「軽口はもうおしまいだ。てめえには殺した隊士の分、いや、それ以上に働いて貰う。お前を隊士として作り直すからな。」

四季は力なく、

「好きにしろ。」

とただつぶやいた。

「お前は仲間なんて作らなくていい。その時が来たら、どこへなりとも行けばいいんだから、あらゆる足かせは無視しろ。盲目に刀を握って生きていればいいんだ。」

四季はうなだれた。朧はため息を再びつくと、刀を持ったままの四季の動きを封じるように見えないところでしばりあげた。引かれた縄に従って、四季は朧についていく。

「まずはその髪を染めねえと名。水の月と同じ青い髪を持つ幼い殺人鬼、お前はちと有名になりすぎた。」

四季はもうそんなことどうでもよかった。自分はもう自分ではないのだ。あおの体がどうなろうとどうでもよかった。

「わかった。」

「そしたら、新しい制服でも着て、お前の父親に会いに行くか。陽炎の、亡骸に。」

「父親じゃない、そいつは。」

四季はぽつりと言った。

「俺は虚幻四季だ。見回り組の、隊士だ。」

朧は何も言わない。何も言わない代わりに静かに四季の縄を引いた。


 四季は一門の屋敷の前にいた。すっかり細くなった月はほとんど地上を照らさない。暗がりの中、刀を肩に乗せて仁王立ちする四季の姿は悔しくも狐がかつて想像した姿の通りなのであった。

「お前は!」

「きょ、虚幻……。」

言い終わる前に、門番の体はきれいに真っ二つになる。

「虚幻四季、参上だ。」

四季は行く道を塞ぐ邪魔な物体を粗雑に蹴飛ばし、なんの躊躇もなく門を開け中に入った。

「あーあ、めんどくせえ。」

「おい!くせ者だ!」

「見廻り組だ!」

「かかれー!」

「くせ者って……てめえらの方がよっぽどくせ者だが。ギャーギャーギャーギャーうるせえな。」

四季は片手で敵を斬っていく。彼の進んだ道には死体の山ができあがっていった。

「おいおい、ここには図体がでけえだけの雑魚しかいねえのか?面白くねえな。」

屋敷の中には女中や下働きもおらず、武装した男達のみだった。

「そんなに死神が怖えならはじめから死神と手なんて組まなきゃいいのに。」

四季はぼやきながらも視界に入る的を皆木濾紙にしていく。肉を斬る触感になれた頃には辺り一面が血の海とかしてた。

「まあ、こんなもんか。」

気がつくと屋敷の一番奥まで来ていた葉だった。今まで斬った奴の顔はほとんど覚えていないが、その中に成金らしき見た目の男はいなかったように感じるので恐らくはこの奥に家主は隠れているのだろう。

「そんなことどうでもいいけど。」

四季の頭に今あるのは後に控える死神との戦いのことのみだ。今しているのはいわばその前の会場整備といったところだろう。だからここの家主がどんな奴なのかなんて四季にとってはどうでもいいことでしかなかった。だからこそ、彼はやはり罠だとわかっていても躊躇せずに部屋の中に入る。迎えたのは予想通りの小太りな好々爺。青い髪も血に染まり、すっかり赤くなっている四季を見ると好々爺はおののくような態度をとったが、すぐに作り笑いを浮かべると、四季に座って休むように促す。

「じゃあ遠慮なく。」

四季が座った場所は部屋の真ん中。前後左右は勿論、屋根裏や軒下にも的が潜んでいるようで、幼稚な殺気がダダ漏れしていた。四季はうんざりしつつも、時間つぶしにと少しだけ茶番に付き合ってやる。

「そちらさんがよくないことをいろいろ考えてるって噂を聞いたもんで家宅捜索させて貰ってます。」

「そんな。私たちは何も悪巧みなんてしていませんよ。捜索して貰うのはかまいませんが何も見つからないと思いますけどね。今日はお一人なんですか?」

「はい。狸の巣窟を暴くには一人で十分なのでね。」

四季の言葉を聞き。好々爺の視線が明らかに鋭くなる。

「まあまあ、少し話でもしませんか。酒でも交わせば少しは誤解も解けるかもしれない。」

そう言って好々爺は脇に置いてあった主便から器に酒を注いで四季に渡す。

「さあさあ。」

明らかに毒入りだろう。それか、眠らせて殺す作戦か。なんにせよ、こんなちんけな作戦に指揮が引っかかる訳もないのだが、彼女ならどうだろう。

 あいつなら、もう飲んじまってるんだろうな。

 四季はそん姿を想像してくすりと笑った。そして改めて、一人で来てよかったと案じた。

「何がおかしい!」

好々爺は突然顔を真っ赤にして怒り出した。死神や四季への恐怖なのか、精神はすでに参って仕舞っているようだ。だからといって哀れむこともないが、からかいがいがないと四季は茶番に付き合うのもそろそろやめにすることにした。

「すまねえ、すまねえ。別に、てめえがあまりにも自業自得で狂ってやがることを笑ったわけじゃねえから。」

「なんだと!」

好々爺の興奮が最上点に達したところで、一気に敵が飛び出してきた。四季は待っていたと言わんばかりに、くるりと体を一回転させて一瞬で部屋を朱に染める。

「こんなんで終わりか?」

四季が好々爺の方に視線を戻すと、彼はすっかり青ざめて腰をぬかし、震えていた。

「おいおい、大丈夫か?これでも飲んで少し落ち着いたらどうだ。」

四季は先ほどの酒を好々爺の頭の上から注いでやった。好々爺はパニックに陥り苦しみ出す。

「あいにく俺はまだ未成年でね。酒を飲む趣味も、まして毒入りの酒を楽しむ趣味はねえんだ。」

「しょ、証拠はあるのか?!うちがあんたらの世話になるようなことをしたって言う。」

好々爺は叫んだ。

「くせえ台詞を吐くな。証拠?んなねえよ。それを探しに来たってさっきいったろ。それに、俺の一番の目的は別にそれじゃねえし。」

好々爺は、何かをいった。しかし、その声が四季に届くことはなかった。四季は一瞬のうちに好々爺を一刀両断すると、やっと刀を仕舞った。

「こんなに暴れれば魂を横取りされた死神は駆けつけてくるだろうからな。」

四季はめんどくさそうに、足下に転がる物体にそう言った。

 どうやら、好々爺が最後の生き残りだったようで、気づけば屋敷の中で生きているのは四季だけになっていたようだ。死神がくるまでの時間つぶしにと、四季は一門と死神の関係を示すような証拠を探し始める。引き出しという引き出しを開け、部屋という部屋を探し、畳もどかして、屋根裏も見た。しかし、見つかるのは市中でおこなっていた悪企みの証拠ばかり。ここまで徹底的に探して見つからないとなると、疑うべきは前提の方のようだ。

「なるほどな。」

嘘を、つかれていたらしい。

 四季はつい笑いをこぼした。滑稽にもほどがある。どうして自分は気がつかなかったんだろう。ふくろうは気がついていたのだろうか。

「要するに逆だったってことか。」

つまり、将軍の暗殺を一門が依頼したのではなく、将軍が一門の抹殺を依頼した。それも、そのことが公にならないような形で。

「まあ、持ちかけたのは死神の方だろうな。」

再び顕われた死神はすでに将軍と接触していた。実際に接触したのは陽炎の方かもしれないが、そんなことはどうでもいい。とにかく、将軍に持ちかけた。あなたを殺さない代わりに依頼をくれ、と。一門の悪事は幕府も黙認している面も多かったから、癒着をしていたのは確かだ。その明らかな与太話を信じた将軍は死神に蜥蜴の尻尾切りを頼んだのだ。ここにいた奴らはみんな馬鹿ばかりだった。正式に護衛のために一門に雇われた者もいた。死神に雇われた者もいた。たとえ自分たちの境遇が矛盾しても誰もそれを口には出さない。彼らが最も大切にしていたのは金だろうから。それが成立してしまう馬鹿どもだったから。死神もよくやったものだ。よくもだましてくれた。陽炎もまるで死神に加担するような嘘をついたのは一門に注意を向けさせることで、死神が任務を遂行するときに自分たちに止めさせるため。常に監視を向けておけば暴走は防げると考えたのだろう。その作戦は人殺しの虚幻四季によって無念にも失敗に終わったが。

 死神といい、陽炎といい、虚幻四季といい、とことんいけすかないやつらだ。

「最悪な気分だ。」

悪魔にでも魅入られてしまいそうなほどに。いや、この場合、自分を迎えに来るのは死神なのだが。

 そんな気分に浸っていたところで、死神はまだ現れなかった。まあいい。時間はたっぷりある。

 四季は一門の屋敷を襲撃する前に、適当に歩いていたごろつきを殺しておいた。何人かの首をはねておいてので、今頃は騒ぎも大きくなっているだろう。奉行所の目はそっちに向けられるに決まっている。十分に死神とやり合える準備は整っていた。

 死神の本当の目的に気がついたところで今日の四季の仕事になんの影響があるわけでもないので、彼はただ死神の到来を待った。のんきにぶらぶらと屋敷の中を死体を蹴りながら歩き回る。

 ふと、一枚の鏡を見つけた。鏡に映った自分の姿を見て思わず足を止める。

 映っていたのは、うつろな目をした血みどろの青年だ。しかしその姿に、同じくうつろな目をして、同じく地緑になっている少年の姿が重なった。

 ああ、またか。

 狐と最後にあった日からずっと続いている幻覚。おそらくは毒のせいだ。だが、この毒は自分の本来の姿を、本来の未熟さを、本来の醜さを見せつけてきた。人殺し、それはまごうことなき自分の本性なのだろう。疑いようもなく、自分は化け物なのだろう。それも、親譲りの。

「こりゃあひどいね。」

若い男の声がした。声の出所を探って庭に出るもそこに死神の姿はない。

「てめえの仕事を奪ってやっただけだ。」

四季は姿を現さない死神に向かって叫んだ。

「楽しみにしてたのに、とられちゃった。いじわるだなあ。」

死神は明らかにふざけているようだ。

「待った?」

「待ちくたびれた。」

「おいおい、そこは待ってないよって言うのが決まりでしょ?」

「きもちわりい。変におどけんな。」

「ひどいなあ。せっかく会いに来てあげたのに。」

「嘘つけ。てめえはただ血のにおいに誘われてやってきただけだろ。野山の獣とおんなじで。」

「いやいや。僕は君に会いに来たんだよ。ぬすこの顔を最後に見てかなきゃって思ってね。」

「息子だと?」

四季は皮肉をこめた笑いを浮かべた。

「笑わせんな。俺はてめえの息子じゃねえよ。俺は虚幻四季だ。」

「なんで?一緒じゃん、君も僕も。僕らは化け物でしょ?」

「どんな道理だよ。」

四季は取り合わず笑い飛ばしてみせた。

「でもさあ、僕だって父親失格だと思っているよ。君たちには申し訳ないことをしたとおもっている。」

「てめえは、んなこと思わねえだろ。嘘つくなよ。そう思ってんのは陽炎の方だ。そんなこと思われたって、こっちとしては迷惑極まりねえが。」

「君も親に対してずいぶんとひどいことを言うねえ。僕も陽炎も同一人物なんだけど。」

死神の笑い声がこだまする。

「陽炎の説明がどうせ雑だったんでしょ?僕と陽炎はふたりで一人なんだよ。あいつが光、僕が影。影は光がなくちゃ成立しないし、光は影がなければ存在があやふやになってしまう。それがつまり、僕たちの関係さ。」

言い終わると、とさっと軽い音がどこから貸した。死神も庭に降りてきたらしい。どうやら戯れはここまでということらしかった。

「さあ、僕も未練を晴らして貰おうかな。」

明らかな殺気。四季は刀に手をかけた。

「ちなみにどんな未練なんですかい?」

「それはね」

死神の楽しそうな声が、

「自分の子供と殺し合うことだよ。」

四季の耳元でした。

「うっ……。」

四季の腹を冷たい刃が貫いた。身をよじりたくなるような痛みが全身を駆け巡り、四季は口から大量の血を吐く。荒い息遣いで体に鞭をうち耐えている隙に、死神はその刃をより深くまで差し込んだ。死神の体温を感じない冷たいからだが四季の体にぴったりとつき、

挑発するように顔の横で笑って見せた。

「ふざけんなっ。」

四季は力ずくで死神を蹴り飛ばし、刀から体をぬいた。傷を押さえながら刀をぬき、死神と向かい合う。

「こんなんでおとなしくくたばるわけねえだろ。いいぜ。てめえの未練とやらにとことん付き合ってやる。」

「そうこなくっちゃ。」

死神も慣れた手つきで血をはらうと、刀を構えた。

「さあ、いつでもおいで。」

言い終わる前に、四季は刀を振り下ろした。死神は軽く避けたが、四季はすかさずその動きを追った。

「おっ。これは僕が昔使ってた刀だね。鍛え直したんだ。妹に兄の雄姿を見せてあげたいね。」

「こんなもんあいつに見られたら嫌われちまう。兄にとって妹に嫌われるっつうのはかなり傷つくことなんだぜ。」

「もう十分嫌われていると思うけど。」

「誰のせいだと思ってんだよ。」

二人の刀が重なった。力がかかった刀同士がギリギリと音を立てる。

「反抗期の子供ってのは難しいね。でも、こんなに成長したんだって感慨深くも思うよ。」

「うっせー、じじい!」

「おお!親子の会話っぽいね!」

死神は隙をみて四季を再び斬りつけた。すんでのところで避けたものの、刀は四季をかすめる。

「子をなんの躊躇もなく斬る親なんてどうかしてるぜ。」

四季も負けじと斬りかかる。

「おっとっと。」

死神はギリギリで避ける。

「危ない危ない。昔より体力があるの忘れてたよ。」

死神は四季を飛び越えて後ろから切り込んだ。四季はその動きに対応出来ず、まんまと斬られる。それでも四季は倒れなかった。そこにあるのはただの執念だ。四季のなみなみならない決意を見ると楽しそうに笑って四季を蹴りつける。四季の体は大きく横にタバサあれ、障子戸を破って屋内に入った。

「あれ?かくれんぼかい?息子とかくれんぼ、一家やってみたかったんだよねえ。」

死神は四季に遅れて屋内に入った。屋内は先ほど四季が作った血の海のせいで、どこに四季がいるのか、どの血が四季のものなのか、どの死体が四季のものなのか、わからなくなっている。その状況は死神の心を躍らせるには十分だった。

「さて、そこかな。」

死神は落ちている死体を一つ一つ確かめていく。しかしそこに見慣れた青い髪はない。

「なるほどね。」

奥の部屋に続くふすまが不自然に開いていた。死神は勢いよくふすまを開け放つ。次の部屋も。次の部屋も。その次の部屋も。

「へえ。こういう仕組みになってたっけこの家って。」

死神はわざと自分の居場所を知らせる為に大声で言った。

 一番近くのふすまを開けると、中には一つの死体があった。勿論四季のものではない。死神が殺すはずだった人間のものだ。

「ここにいるんだね。」

いくら上手に気配を消していても、死神にとって四季の殺気を感じることは簡単なことだった。

「ねえ、君ってさあ、昔より弱くなってない?にげてばかりだし、楽しませるのはうまくなったみたいだけどさ。」

 その時だった。

「にげてなんかねえよ。」

四季の声が、

「てめえと同じさ。」

死神の耳元で響いた。

 死神は満足そうに笑うと、すかさず刀を持ち直し背後にいる四季に突き刺す。刀を伝って生暖かい液体が腕に落ちる。四季の弱々しい心臓の鼓動が直接手から伝わってきた。次第にその鼓動が弱くなるにつれ、見る間に体の力が抜けていっていた。もう抵抗は出来まいと死神が刀を四季の体からぬいて鞘に仕舞おうとしたその時だった。

「弱くなったのはてめえのほうなんじゃねえですかい?」

四季の刀が死神の心臓を貫いた、はずだった。

「さすがは僕の子。僕が刀を教えた甲斐がある。だけど、こんなことをしても無駄だよ。君を殺せたとき、僕が油断する、そう思ったかもしれないけどさ、君が僕に負けることは予想のうちだから、別に油断も何もないわけだ。」

死神の刀が四季の型を切り裂いていた。それはまるでかつての朧にしたのと同じように。死神を切り裂く感触の代わりに感じたのは、うめき声しか出ないほどの痛みである。なんとか視界を上がると、死神の笑った顔が映った。明らかに四季を見下すようなその態度に、息子を殺しかけておいて公開も見せないその姿に、四季は怒りとともに、安堵した。

 これなら躊躇なくーー。

「引き分けだな。」

四季は動かないうでとは反対の手で刀を握って死神の首元に向けた。

「まったく。これだから子供は。」

死神も四季の首に刀を向ける。

「で、何か言い残すことでもあるのかい?」

死神はいつものごとく笑いながらそう言った。

「ねえよ。んなもん。」

四季は精一杯いつものように悪魔の笑みを作って言った。

「してえことはした。言いてえことは言った。てめえこそ、未練たらたらなんじゃねえの。俺に言い残してえことはなんだ。言ってみろ。」

「う~ん。」

死神はわざとらしく首をひねって見せた。

「打ち合えて楽しかった、かな。でも正直言って斬り足りない。思っていたよりも君が相手をしてくれなかったからね。」

「ああそうかい。それは悪かったな。」

四季は言い終わるとゆっくりまぶたをとじた。まぶたの裏には先ほどよりも一層鮮明に浮かび上がる幼き日の自分の姿。

「先生、俺はまだガキだったみてえだ。」

死神の刃が四季の体に触れた。四季は静かに意識を手放したのであった。

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