一日目 その二
一方その頃。
「よし!これで終わり!」
狐は満足げに笑うと大きくのびをする。盗ってきた金目のものは人目に付かないよう金に換え、そっと配ってきた。あのしつこい男も追ってきていない。今日も盗みは大成功である。
「帰るか。」
狐がねぐらとしているのは町外れの山の上にある古寺である。訪れる人もほとんどおらず、存在すらほとんど知られていないであろうこの古寺は、狐たちにとって絶好の隠れ家なのであった。
今日は酒宴だ!
盗みが成功すると、決まって祝宴をあげるのが彼女たちの決まりだ。酒や酒の肴はかつて施しを与えられたことによって窮地を達した者たちからのお礼の品々。世間的には存在の知られていない古寺ではあるが、施しを真に待っている者たちの中ではここが狐たちのねぐらであることは有名で、狐たちのおかげで成功を収めた暁には、お供えものとして古寺の社に御神酒などを備える、それが暗黙の了解となっていた。ちなみに、そのことが奉行所に漏れることはない。世間で貧者たちの声をまともに聞いてくれる人などいないからである。
「今日は倒れるまで飲むぞ!」
狐は期待を胸に社まで続く長い長い石段を駆け上がっていく。確かとってあった酒がたくさんあったはずだ。その味を想像するだけで、無類の酒好きである狐の心が躍るのには十分すぎるほどであった。
階段を上りきると、古瘦けた社が現れる。人を寄せ付けないようなその見た目とは裏腹に、木戸の隙間からは中の光と騒ぎ声が漏れている。どうやら、狐の帰りを待たず、酒宴が始まっていたらしい。そうと決まれば、狐は走って木戸に手をかけ、一気に開け放つ。
「たっだいま!」
「狐さん!お帰りなさい。」
「遅かったじゃねえか。」
狐の姿を見るやいなや、仲間たちから感嘆の声が上がる。それを聞いて、やっと狐の緊張の糸が切れた。狐が丁寧に狐面を外すと、面の下にまとめてあった長く青い髪が宙を舞う。不自然に裾を短く切ってある忍び装束に、一房だけ編まれた髪、そして不気味な狐面から醸し出される大人びた印象とは正反対の、幼い子供のような満面の笑顔を浮かべる少女、それが獣組現頭首・狐の本性である。
「さ、さ、狐さん、どうぞ。まずはこれを。」
仲間が差し出した酒を狐は一気に飲みきる。酒を見たら飲まずにはいられないほどに酒好きな彼女はまだ十七歳。お上が定めた法には立派に違反しているが、盗賊団のリーダーがそんなことを気にするはずもなかった。
「おいちょっとどけ。通れないだろうが。」
「すっみませ~ん!」
飲んだくれてすでに潰れてしまっている仲間たちを器用に避けて、狐は社の奥でまとまって飲んでいる一段の輪の間に座った。
「先に始めているとは、薄情だなお前らも。」
「お前が遅いのが悪いんだろ?こっちだって少しは待ってやったんだぜ。」
「そうですよ。」
「努力はしたんだけどねえ。」
「やっぱり、待ってた方がいいって、あれほど僕が言ったのに。狐さん、ごめんなさい。」
三者三様の反応を見せる彼らは、この獣組の幹部たちである。
「謝罪の印に、この杯いっぱいに酒を注げ!」
そう言って狐は顔の大きさほどにおおきい杯を取り出し差し出す。幹部たちが笑いながら酒を注いでやると、狐はそれを一気にあおった。
「ぷはっ。」
「相変わらず、いい飲みっぷりだなあ。」
「見たか!これがお前らの頭首の実力だ!」
狐の宣言によって宴はさらに盛り上がりを増していく。
元々、この狐組を作ったのは先代の狐であった。彼は自分について多くを語ることはなかったが、狐たちが聞いたところによると、盗賊になる前は、江戸でも名高い忍びだったらしい。変わり身の術を得意とし、誰も彼の素顔を知らないほどに、あるときは武士に、またあるときは女、子供、老人に化けていたことから『狐』という二つ名が付いたそうだ。しかし、彼はある日突然、忍びをやめた。地位や名声をすべて捨てて姿を消した彼をの釜の忍びたちや幕府が総出で探したが手がかりすらもつかめなかったという。彼に言わせれば、忍びをやめたのは汚い社会の一端を担いたくなかったからだそうだ。その思いを胸に、彼は盗賊団を立ち上げた。汚い金を奪って、本当に必要な人々の元へ送り届ける。そのために集めた仲間たちも、多くが貧民出身や親なし、売られて浮浪していた者たちだったというわけだ。彼は集めた者たちに忍法と盗みの技術を伝え、職とすみかを与えた。先代亡き後も狐の名を引き継いだ少女を筆頭にその思いはみゃくみゃくと引き継がれてきたのであった。
「お前が手こずるのめずらしいな。何かあったのか。」
訊いたのは狐の正面に座っている大男。名は熊。名とは体を示す者であって、彼は体が大きく組の中でも一番の怪力である。
「手こずってなどいないわ!ただちょっとな、幕府の犬にキャンキャン吠え回されて。追ってきたから、からかってやってただけだ。そうだ、これ、ありがとな。」
狐は熊から借りていた木刀を熊に返す。
「おうっ。いいてことよ。つーか、おまえがこれを貸せって行ってきたときには驚いたぜ。お前、方の扱い方はおろか、木刀の握り方だってわからねえだろうに。」
「そこはまあ、あっちの構えをいい感じにまねてだな。」
「ちゃんと出来たのかよ。」
「もちろんだ。変わり身の達人である狐様を見くびるなよ。」
「それもそうだな。」
熊はぶんっと木刀を一振り降ると、腰に差して仕舞った
「まあ私、普段は素手だし、基本的に武器は持たない派なんだけどな」
狐は隣に座る青年を抱きしめる。
「ふくろうがな、持っていった方がいいって言ってくれたら。」
言われたふくろうは恥ずかしそうに鼻をこすった。
「こいつがな、どうしても持って行った方がいいて言うから、一応持って行ったら、それがすごいんだよ。今日に限ってあの幕府の犬野郎が私に追いついてきやがって。木刀があったおかげで、いい時間稼ぎになったんだ。」
狐はふくろうの頭をぐしぐしなでる。
「ふくろうの言うことは何でも当たるな。未来でも見えているんじゃないのか?」
「そんなことはないです。僕はただ皆さんのお役に立ちたくて。」
「うりうり、けなげな奴め。」
「やめっ、やめてください!」
抱きついてくる狐から恥ずかしそうに逃げようとしているこの青年こそ、獣組の参謀であった。ふくろうは狐と同い年でありながら、類い稀なる頭脳を持ち、狐を含め、仲間の誰もから尊敬されている、実は組一の古参である。小柄で控え目な性格だが、狐の大切な右腕なのであった。
「それにしたって、お前の俊足に追いつける奴が、よくもまだ幕府の中にいたものだな。」
「熊、知らないんすか?そんなことが出来る奴、江戸にはたった一人しかいないっすよ。」
「やもりの言うとおり。江戸でも有名ですよ。」
口々に答えたのはやもりといもりである。やもりは潜入、いもりは情報収集の達人だった。双子の彼らの仕事は主に隠密行動。狐が盗みを働く場を整えるのも、この兄弟の役目だ。
「で、誰なんだ、そいつは。」
やもりが答えようとしたそのとき、先に答えたのは狐だった。
「将軍お抱えの見廻り隊副長、虚幻四季だ。」
「そうっす。今や江戸一、いや、日本一の剣聖だって話題っすよ。」
「そうそう。しかも、どこかの誰かと同じで十七歳。見回り隊の最少年隊士で実力者ってだけじゃない。おまけに、かなりの二枚目らしいよ。」
「そりゃあすげえや。どこかの誰かは刃物が怖くて、刀はおろか、包丁すら握れないというのに。」
「もう!」
狐は我慢できずに叫ぶ。ふくろうも顔をしかめていた。
「私は怖くなんかないぞ!それに、私は刀が使えないんじゃなくて、使わないんだ!」
「そうですよ。狐さんが定めた掟、不殺の掟を徹底していらっしゃるだけです!」
「お前は相変わらずの、狐好きだな。」
「そ、そんなことは!ぼ、僕は狐さんを慕っているのであって。」
ふくろうは顔を真っ赤にしている。
「ふくろうさんも難儀だね。」
いもりは狐に抱きしめられたままのふくろうを見て言う。
「難儀とはなんだ。私がふくろうを困らせているとでもいうのか!」
「困らせてはいないよ。ただねえ、年頃の男にはねえ。」
「狐さんはこういうのには疎いっすから。ふくろうさんはご自分に厳しいからいいっすけど他の奴にはやっちゃだめっすよ。」
「どういうことだ?」
狐は説明を求める様にふくろうを見る。ふくろうは耳まで赤くして顔を見せないようにうつむくと小さな声で答えた。
「僕は、狐さんの為に身も心も捧げると遙か昔に決めましたから。」
社内がどっと湧き上がる。
「何が何だかわからんが、やっぱりふくろう、、お前は私の大切な仲間だ!」
場の雰囲気にのまれ上機嫌になった狐は、立ち上がると叫ぶ。
「皆の者!」
仲間たちの視線が狐に集まる。
「今夜の成功は、みんなのおかげだ!おかげで今日も多くの人が救われたはずだ!」
歓声が上がる。
「一仕事終わったばかりで悪いんだが、さらに多くの者を助かるために、早速次の仕事に取りかかろうではないか。」
狐は大きく手を広げて見せる。
「次の獲物は、悪名高き、影暗一門だ!心して、盗みを働くぞ!」
「おー!」
心を一つに、歓声が沸き上がった。