十一日目 その一
「副長、手紙です。」
今日も今日とて小間使いのように働いている隊長の声がする。曇天で憂鬱な天気には似合わず、勢いに満ちあふれた声だ。四季は重い体を起こし障子を開けた。
「手紙?」
「朧さんの奥さんからです。急ぎのようですが、一体……。」
四季は封筒に書かれた朧の時を見て、一瞬心臓が止まったように感じた。手紙の内容は見ずともわかっていた。来るならそうだろうとは覚悟していた。しかし、来ないはずだと心のどこかで信じてしまっていたようだった。
「ありがとよ。」
四季は現実からにげる気はない。四季も、そして朧も覚悟していたことだ。起きてしまった過去を受け入れない、だなんてことが許される訳もないのだ。
とはいえ、四季は手紙を一時的に机の上に置き、隊長の首尾を聞くことを優先することにした。
「それで、てめえのほうはどうだったんだよ。」
四季はあきれた風を装っていった。
「そのことを話すのにここに来たんです!」
隊長は前のめりぎみにそう言うと、昨日見聞きしたことの一部始終を四季に話した。
「副長、これはどういうことなんですか?」
「どういうことって言われても。何が聞きてえのかわかんねえ。」
「なぜ死神は将軍暗殺を企て、それに影暗一門を誘ったんですか?朧さんに邪魔された将軍暗殺の仕事を、長い年月を経て、影暗一門という大きな後ろ盾を持って達成でもしているにでしょうか?それとも、あの攘夷浪士が言っていることは嘘だったのでしょうか?」
隊長は呼吸も入れず矢継ぎ早にそういった。
「大外れだ、全部。死神は依頼主であっても殺すような化け物だぞ。そこまでの忠誠心はまずねえだろうな。依頼人はどうせ殺しちまうんだから金は先に貰っているだろうし、任務を達成しようとわざわざ長い年月をかける必要もないだろう。要するに、死神が依頼主のために将軍暗殺を企てているとは考えにくい。それに、浪士の方が嘘をついたっていうぜんもないだろうな。嘘をつく理由もねえし。そう考えると、死神が一門を言葉巧みに誘ったっていうのは事実なんだろうよ。」
だるそうに四季は言った。
「では、死神はどうしてそんなことを。そんなことをして、どんな利益があると言うんですか?」
「目立つ。」
四季はあっさりそう言った。
「わざと一門を抱き込み、規模を大きくした。わざと浪士を雇って、探りを入れられやすくした。わざと、こちらの目につくようにした。」
「でも、そんなことをすれば不利になるだけじゃないですか。」
「てめえは脳味噌がねえのか?少しは頭を働かせてみろって。今回の将軍暗殺計画も行ってしまえばただの餌ってことだ。俺達、いや、多分俺をおびき出すための。」
隊長は驚きのあまり声が出なかった。
「思い返してみれば。俺が死神に興味を持ったのはなぜだ。俺が一門に目をつけたのはなぜだ。先生の時も同じだったらしいぜ。将軍暗殺を企てているって手紙が来て、死神の存在が明らかになる。先生は死神に呼ばれていたみてえだったって言っていたが、それは今回も当てはまるだろ。一門や死神について調べれば調べるほど死神に面白いぐらいにつかづけて、まるで誘われているみてえだ。」
「つまり、今回の件と前回の件。裏で糸を引いているのは同じ人物ってことですね。」
「それだけじゃねえだろ。さすがのてめえでも誰が裏で糸引いてんのか、いや、誰が死神なのかなんてすぐにわかるだろうが。」
四季に馬鹿にされずとも、そんなことは明確だった。
「陽炎。」
「そういうことだ。」
四季は顔色一つ変えず言う。
「あっちもよくわかってるよな。さすがに、俺のうまい誘い方をご存じなようだ。こんな大層なもてなしをされて、俺が売られたけんかを買わねえわけねえのに。」
「でもなぜ副長なんです。副長と死神は関係がないはずだ。まさか、朧さんの愛弟子だから。」
「ちげえ。ただの気まぐれだろ、きっと。」
四季の口調は強かった。明らかに嘘をついて何かを隠そうとしていることは明確だったが、四季は自分のこととなると詮索を嫌がって口を閉ざしてしまうのを隊長もよく知っている。これ以上の深入りは場を改めようと、
「局長を呼んできます。」
といって足早にその場を後にした。
隊長がいなくなったことを確認して、四季は机の上に置いた手紙を見た。中を開き、静かにその内容を目で追っていく。ただ静かに現実を受け入るだけの機械的な作業。そう何度も繰り返し言い聞かせて手紙を読み切ると、大切に懐にしまった。
「てめえもわかってたんじゃねえのか、狐。」
四季は自分以外誰もいないはずの部屋の中でそう話した。
「なんの、手紙だったんだ。」
震える声とともに四季の背後に現れたのは狐だった。
「てめえは、あいつが死神だって、気づいていたんじゃねえの。」
四季は狐の質問には答えない。
「さっきの話は、本当なのか。あいつが、本当に。」
「ああそうだ。あいつの狙いは俺だ。俺が嘘をついたことなんてあったか?」
「戯れ言をぬかすな!」
狐は静かに怒っているようだった。
「あいつは、朧は、死神に襲われたとき陽炎が来てくれたといっていたではないか。」
「だが、陽炎が顕われると同時に死神は消えちまったとも言っていた。死神と陽炎は同時刻には出現してはいない。」
「でも、それでも。」
「てめえはきづいてただろ、早い段階で。明らかに死神しか知り得ないような情報をどこかから仕入れているって言うあいつの言葉を聞いて、てめえは気がついていた。でも、にげた。てめえ、逃げ足だけは早えからな。二元のなんてお手の物だろ。」
狐は何も言えず唇をかんだ。心に土足で踏み込んでくるような四季の言い分に、何も反論することが出来なかった。
「それともてめえ、まさかあいつが本当に善人だとでも思ったか?まさか、仲間だなんて思ってなかっただろうな。」
狐は目を見開いた。一度うつむいて落ち着かせるように息を吐くと四季の前方に回って、視線を合わせるように座り込んだ。
「そうだな、思ってしまっていたのかも知れない。」
「へえ。」
四季は鼻で笑うと冷たい視線を狐に向けた。
「人を疑うことからにげてきたてめえが言いそうなことだ。師匠から教えて貰わなかったのか?本当に守りたいものを守るためには、仲間っつーもんを選ばねえといけねえって。」
「仲間を、選ぶだと?」
「本当に誰を信じるべきかを見極めろっていってんだ。」
「貴様急に何を。」
「急も何もねえだろ。俺はてめえのことを案じてやってんだぜ。その調子じゃあ、この俺も仲間だっててめえは見ちまっているようだから。その調子では身を滅ぼすぞって。」
パチンっと音が響いた。狐は痛む右手を、四季は痛む頬をさする。
「仲間を知らない貴様にだけは言われたくない。」
狐は低くうなるような声で言った。
「ああ、そうだ。私は貴様もいつの間にか仲間のように思ってしまったようだ。だから、私は聞いているんだ!あいつが本当に死神で、貴様を狙っているのかって。もしもそうなら、私は貴様達を。」
「助けたい?笑わせんな。」
四季は狐の言葉を遮って言った。
「俺はてめえの言う様な『仲間』なんてわかんねえ。俺にとってはみんな道具にしか過ぎないんだ。てめえも、あいつも、先生だって。最初に言っただろ、忘れたか?」
狐は胸に言い様がないほどの怒りを感じた。呼吸が荒くなって、心臓の声がうるさい。
「だいたい人ってそんなもんなんじゃねえの。他人の幸せを願うのも、他人の不幸を願うのも、何でも自分な為だ。他人がいなきゃ自分のことはなんもわかんねえし、どんなことも出来ねえ。他人なんてのは、利用するための道具にしか過ぎねえんだよ。」
狐は何も言わない。
「陽炎だって同じだろ。あいつの狙いはこの俺だ。なのに、影暗や浪士や将軍や、てめえを使って俺をおびき出しただろうが。」
四季は狐の顔に触れると軽く顎をつかんで持ち上げた。
「いいか。俺やあいつはそういう人間なんだぜ。てめえの仲間を人質にしててめえという餌を得るような。てめえはいま、俺たちにいいように利用されているにすぎないんだ。」
狐はやっと口を開いた。喉が閉まり、かすれるような声しか出なかった。
「そんなこと、わかっている。」
「嘘だな。てめえはなにも」
「貴様、さっき師匠も道具だと言ったな。」
言われると、ああなんだそういうことか、といわんばかりに四季は目を動かした。
「先生は、あの日の夜、亡くなったそうだ。それが、さっきてめえが知りたがった手紙の内容。」
「は……。」
「一撃、首をスパッとはねられちまったそうだ。」
狐の頭にまず浮かんだのは、あの日にあった子供達の顔だった。あの子達は大丈夫だろうか。悲しんでいるだろうな。
しかし、四季を見ると、彼は無表情なままだった。そこに悲しみなんてものはあるようには見えなかった。
「貴様、どうしてそんな普通でいられるんだ。」
「どうしてって言われてもな、わかっていたことだし。」
「何を、言っているんだ。」
狐の体が小さく震えた。四季は狐からやさしく手を放すと、今度は手刀をつくって狐の首に添えた。
「てめえは知らねえと思うが、人の首を斬るってのは至難の業なんだ。首の構造とか知ってねえとでねえし、コツをつかむには数はねるしかない。まして相手は先生だぜ。下手人は相当な手練れだろうし、出来る奴は限られてくるだろうな。」
四季は手刀をさらに強く狐の首に押し当てた。
「先生があそこにいるのを知っているのは先生と、俺と、てめえだけだ。だから、先生を殺すためには俺たちの後をつけてあそこに行く必要があった。そのためには俺たちが先生のところに行くことを知っていなきゃなんねえんだ。だから、俺は怪しい奴にだけ行き先を伝えておいた。この作戦は先生と俺で考えたんだ。」
一拍おき四季が言う。
「俺が言ったのは、うちの局長と隊長。あと、鳴神と、陽炎。このうち、うちの二人には鎌をかけたがそういう感じはなかった。ここにいたのが目撃されているし、いない時間は俺のお使いをこなしていたみてえだからな。鳴神さんについても店を開けてたみてえだし、やっぱり出来たのはただ一人しかいねえんじゃねえの。あいつがどこで何をしてたのかは相変わらずわかんねえままだし。先生は言っていた。俺を使えって。俺を殺せば犯人は浮き彫りになるだろうって。元から躊躇も後ろめたさも感じなかったし、先生として当然のことをしたんだと俺は思うけれど、先生のお陰で、俺は確信が持てたんだから礼をいわねえとな。つっても死体に何言ったって無駄なんだけど。」
四季は言い終わるとため息をついた。狐の目からは大粒の涙がこぼれていた。本人も自覚していないのだろう。無防備に流れ落ちる涙は四季の部屋の畳に大きなシミを作っていく。
「ガキか。」
四季は手ぬぐいで狐の涙を拭ってやった。
「貴様はこれも優しさでないというのだろうな。これは単に、私を利用する為の布石に過ぎないと。」
「そう思って貰ってかまわねえぜ。」
そうか、と狐は一度は答えたがすぐにもう一度口を開いた。ほんの少しの躊躇を取り払えば、重いが堰を切ったようにあふれ出た。
「貴様は!」
狐はかすれた声で叫んだ。
「貴様は、本当に陽炎と、死神と変わらないのか?」
「何言ってんだ。」
「私に、貴様みたいな人殺しとは相容れない、絶交だ、金輪際私の前に現れるな、この鬼畜め、そんな風に言ってほしかったのか?罵倒でもしてほしかったか?残念だが、貴様の要望には応えられないな。ざまあみろ。」
狐は小さく肩を揺らした。
「だからいっただろ、俺は。」
「貴様はどうして悪役になろうとするんだ。どうして、どうして急に私を遠ざけるんだ。」
狐は四季の言葉を遮って叫ぶ。四季は目を丸くして驚いているようだった。
「仲間を、師匠を、道具のように使って、それで自分のことが嫌いにはならないのか?さも自分それが普通なのだという風に振る舞って、つらくはないのか?人をしんじることができず疑ってばかりの自分のことを疑ったりはしないのか?貴様はそれで毎日楽しいのか?自分を保っていられるのか?大切な誰かを守れるのか?」
狐は泣きながら四季の顔を引き寄せた。
「今私の前にいる貴様は、本当の貴様なのか?」
四季は何も言わなかった。しかし、狐の顔を拭っていた手を止めると、静かに立ち上がって障子を開けた。
「頭を冷やせ。幸い、雨も降ってきたぜ。」
狐の体はうごかなかった。四季の背中がまるでか弱い少年のそれのようにしか見えなかった。
「貴様、私は馬鹿だ。馬鹿だから、今貴様が隠している本当の貴様を見たところでそれを何かに利用できるわけでもないし、貴様の考える以上のことは出来ない。だから、私に這嘘をつかなくていいではないか。悲しければ泣けばいい。つらければ、誰かにすがっていいんだ。今まではここで生きていくのに虚勢を張らなければいけなかったかもしれないが、けど今は」
「俺を籠絡して弱みでも握ろうって魂胆ですかい?」
「ちがっ、違う。私はただ。」
「俺がかわいそうか?俺を哀れむのか?そうやって自分の傷を癒やそうとしてんのか?」
「違うと言っているだろ。私はただ、私は。」
狐は少し言葉を詰まらせた。
「私はただ、貴様のことが心配なんだ。そうやって一人で全部背負い込もうとして、今にも潰れそうな貴様が、心配なんだ。」
「正義の味方らしい、偽善ぶった言葉だな。」
「そう、聞こえるのか?」
「ああ。泣き落としは俺には通用しないぜ。こっちは将軍を守るための刀としてしか育てられていないんでね。」
「そんなはずない。あの師匠は貴様に、大切な物を守るために刀を振れと教えたんじゃないのか。貴様はその人のための刀として育てられたんだろ?」
四季は背後に座っている狐を視界の端で見た。
「そうだな。そうだった。」
狐がその言葉に胸をなで下ろしたのもつかの間、四季は力ずくで狐の腕を持ち上げた。
「痛いっ。放せっ!」
「そいつのために振るう俺の刀としては、てめえはもう必要なくなったんだった。死神の正体もわかったし、てめえはもうお役目ごめんだな、お疲れさん。」
「は?」
四季は唐突に言うと狐を雨の中に放り出す。
「俺をつなぎ止めておくっつうてめえの役割はもういらねえだろ。用済みとしてあいつに処分されねえように気をつけるんだな。」
「ああ、わかった、貴様の部下が帰って来るから私を逃がそうとしてるんだな。なら問題はない。さっきだってばれなかっただろ。」
「じゃあな、狐。次会った時には、神妙にお縄にでもついて貰う。」
「おいっ。」
狐の静止もむなしく、四季はぴしゃりと障子を閉じた。狐の気配が消えたことを確認して、ずるずると障子にもたれかかるようにして座り込む。
「本当の、俺か。」
自分は、『虚幻四季』だ。そういう名前の、見回り組の副長なのだ。
虚幻四季は、醜い人間だ。
虚幻四季は、ひどい人間だ。
虚幻四季は、卑怯な人間だ。
虚幻四季は、惨めな人間だ。
虚幻四季は、愚かな人間だ。
虚幻四季はーー。
「人間、じゃねえのかも。」
ただの化け物なのかもしれない。それとも本当に、心を持たない刀なのかもしれない。
「まあ、なんにせよ、虚幻四季は、俺が一番嫌いな奴の名だ。」
すべてを失った哀れな子供が、たった一つ手に入れた物。それがこの名前だ。この名前を好きになったことなんて一度もなかった。だが単純に便利だったのだ。どこまでも落ちていくような暗闇の深淵にある過去と身を締め付けるような呪いの苦しみが絡みついた本当の名前を捨てるには。
それだけだ。
愚かな虚幻四季は再びすべてを失った、それだけだ。前回は、知らないうちにすべてを失った。弱かったからだ。今回は、意図してすべてを失った。弱いからだ。やっと巡り会えた、会いたかった、守りたかった、ずっとずっと一緒に楽しい平和な毎日が送りたかった、喉から手が出るほどにほしくて夢にまで見て憧れて絶望した、その光を今、失った。
前回は、泣いた。
今回は、泣くことすら出来なかった。
四季が懐から取り出したのは、きれいなかんざしだった。
「ごめんな。」
四季はつぶやくと、再び膝を抱えるようにし頭を埋めた。
「今更謝ったところで、過去も何も変えられないんだ。」
もういっそ笑いものにするしか救いようがないようだ。あの頃の自分に、あの頃の陽炎に届くぐらい笑ってやるのだ。
大切な人も守れない正義の味方。
なんて滑稽で、虚幻四季にお似合いな響きだろうか。
「四季、すまない、遅くなった。開けてくれ。」
聞こえたのは局長の声だった。四季は唇に弧を描くと何事主なかったかのように立って障子を開けた。
「四季、お前には別に手紙で知らせたらしいが、朧さんが、その。」
「死んだ、でしょ。知ってます。俺が殺したようなもんなんで。」
四季の思いがけない言葉に局長は眉をひそめた。
「何を言っている。朧さんが亡くなったのはお前が朧さんのところから帰った後のことで。」
「でも、俺が先生のとこに死神をおびき寄せたんですよ。そのやり方だったら、効率よく死神があぶり出せると思ったんで。」
四季は言うと局長の脇をすり抜けるようにして部屋を出た。
「おい、四季。」
「さあ、役者がそろったんです。これでやっと。死神と最終対決といきやしょう。後もう少し、俺の作戦に乗ってくださいね。」
師の死を悼むなんて時間の無駄だ。
虚幻四季は、そういう人間なのだから。




