九日目 その三
「ああ、暇だ!」
狐はわざと大きな声で言った。だが、稽古中の四季と朧にはみぶきもされず、不満だと言わんばかりに大きなため息をつく。縄はほどいてもらったが、狐はそれに参加する気もない。彼女に刀を振るう趣味はないし、それに……。
「師匠……。」
間違っていることはよくわかっている。だが、四季と朧を見ていると、在りし日の自分と先代狐のことを重ね併せてしまうのだ。師匠はずっと近くで見守ってくれると思っていた。まだまだ教えてほしいこともあった。まだまだ一緒にふざけたかった。まだまだ……。まだまだ一緒に……。大好きで大好きで仕方がなかった師匠と、もっとずっと一緒にいたかった。
「いや、いや、だめだ、だめだ。」
狐は自分の頬を両手でたたいた。
「泣くな、狐!あいつらに笑われてしまうぞ!」
師匠は私を信じてあちらにいったんだ。もっと一緒にいたかった。そんなことを言っている私を師匠は信じてなんてくれない。そんな弱音は吐くまいとあの日に決めたではないか。
気持ちを切り替えるんだ。
今考えるべきは、死神と、陽炎のことだ。
朧の話を聞いてから、なにかがもやもやと心に引っかかっている。正直に言って、わからないことだらけだった。過去に死神のことを手紙に書いたのは誰か。なぜ昔は出来た死神の捜査が今はできないのか。なぜ今誰一人死神の犠牲者が出ていないのか。そもそもなぜ死神は十二年の歳月を経て急に動き出したのか。それはまるで、陽炎が私たちの前に現れたのに合わせたように。
狐の言葉を思い出す。死神は本当に一門にかくまわれているのだろうか。過去と現在が嫌にでも重なって見える。朧はあの日、死神に呼ばれたようだったと言ったが、自分たちもそうなのではないか。死神が私たちに手をこまねいているのではないか?
「死神に関わっている全員が嘘をついている、か。」
狐は朧の言葉を反芻するようにつぶやいた。
「嘘、か……。」
朧はどんな嘘をついているんだ。それに、四季は。私は……?
「死神なんて、いなきゃいいのに。」
死神なんて、消えちゃえばいいのに。
陽炎のことも、気にかかる。彼が今まで見せてきた奇怪な行動はともかく、まさか師匠と面識があるとは思わなかった。陽炎のことなど聞いたこともなかったが、師匠と影おるに面識があるのと、自分が陽炎に見覚えがあったこととは何か関係があるのだろうか。記憶を取り戻す鍵に、あの男がなり得るのだろうか。師匠が自分に陽炎について言わなかったのにはきっと何か訳があるのだ。それが師匠が私についていた嘘、なのだとすると、これ以上の深入りは危険な気がしていた。今あるこの日常がたった一つのその真実によって崩れてしまう気がしてならなかった。
四季のことだって、気がかりでしょうがない。あの陽炎が四季の親だと?そんなこと、一度も言ってこなかったではないか。
狐は庭の方に向き直ってあぐらをかき、頬杖をついて四季のことを見た。一心不乱に朧と打ち合っていた四季だが、狐の気配に気がつくとつけていた目隠しを外して視線を狐に向けた。
「なんだ。仲間に入れてほしいのか。拒否したのは、そっちだろ。」
「そんな悪趣味な遊びに参加したい奴なんて、この世にいる訳がなかろう。」
四季は今、目隠しをした状態で朧と真剣勝負をしていた。彼ら曰く、暗闇での集中に有効で、一番手っ取り早く刀の技術を向上できるやり方らしいが、狐から見ると変態同士の戯れにしか見えなかった。
「こっちはいつでも歓迎だぜ。てめえは動く的として使いやすいし。」
「私が応援でもしておいてやるから、せいぜい励むんだな。」
「そりゃあ、お優しいこって。」
「本心ではチャンバラごっこをしている子供な貴様をあざ笑っているんだがな。」
「へいへい。そうですか。」
四季は至っていつも通りに見えた。
四季が見廻り組に入ったのはまだ幼かった頃だのことだ。故に親の記憶もおぼろげになり、陽炎と再会しても親だという確信が持てなかったのかもしれない。だが、名前を聞けばさすがに気がつくだろう。そうであれば、変に隠さないで言ってほしかった。彼は自分と違って、親の記憶があるのだから。
「四季、よそみするな。」
「へーい。」
四季と朧はまた打ち合い始める。狐はそろそろ見飽きたと立ち上がると、近くの木に飛び移った。止まることなく、次の木へとどんどんとに映っていく。戦闘狂どもはいちど始まったら、当分はやり合うだろうから遠出をしても問題はないだろう。そう考えた狐は、道場の裏にある山を無心で登っていく。
頂上に着いた頃にはすでに、真上にあった太陽が少し傾き始めていた。穂の光を全身に浴びながら、狐は山の麓を見下ろす。
「不思議だな。」
場所はまったく違うというのに、生い茂る木々や山を抜ける風の匂いや音が、古寺のことを思い出させた。
「みんなは今頃、どうしているのだろうか。」
やもりといもりには四季に連れて行かれる姿を目撃されている。当然、そのことはふくろうにも伝わっていて、狐が四季と朧の元を訪れていることを見抜いているのかもしれない。追ってこない所を見ると、きちんと意をくんでくれているようで、狐は安心していられた。江戸に帰った時、もしも、いや、疑う余地もないが、狐がいなくても獣組が続いて行くことが出来るという確信が持てたら、狐はあることを決心しようと思っていた。無理矢理ではあったが、四季にこの旅に連れ出されたときに腹をくくったのだ。決心しなければいけない時はきっと近いのだと。先代の狐が狐に獣組を託してこの世を去ったように。自分もきっと、仲間に獣組を託して、この狐の名を捨てなければいけない時がもうすぐそばまで迫っていることを。
「わー!」
ふと聞こえてきたのは、子供達が戯れている声だった。道場がある側とは反対側の方から子供の気配を感じた。なんとなく気になって声のする方へ行ってみると、山の中腹あたりにあった野原で子供達がじゃれ合っている。その手には木刀が握られていた。
ああ、そうか。この子供達は本気なのだ。本気で、あんなもので人を殺せると、殺すと思っているんだ。
嫌気がさす。子供達の剣さばきがあまりにも幼稚だからでも、甘いからでもない。あれほど幼くても、敵を斬ろうという意志が子供達にあることに反吐が出るほどの嫌悪感を感じたからだ。いくら相手が凶悪な人間だからって、斬ってしまえば人は死ぬ。人殺しになんて簡単になれてしまうし、簡単に人の幸せを奪ってしまうことも出来る。狐は幼いときからずっと、人を殺すことの無意味さを先代から教わってきた。それだけに、こういうことに関して葉人一倍わかっているつもりだ。
狐はそっと子供達の近くの木の上に移って、語りかけた。
「貴様ら、そんなことをして何が楽しんだ。」
子供達は突然降ってきたその声に驚いた用だったが、声の主を見つかると大いに喜んだ。
「お姉ちゃん、だあれ!」
「狐さんだ!」
「隣村のおいなりさんからいらっしゃったのかな?」
「誰かお祈りにでも行ったか?」
「行ってなーい!」
「いつも行っているばあちゃんなら知ってるよ。」
子供達は口々に叫んだ。江戸から遠く離れたこの地では、四季のもくろみ通り大盗賊の名を知るものはいない。
「私のことは気にするな。どう思ってもらってもかまわない。」
狐は素っ気なく答える。
「それで、貴様らはそんな残虐な物を振って何が楽しいのだ?」
すると子供達は互いに顔を見合った。
「楽しいから、やっているんじゃないよね。」
「守るため、大切な人を守るためにふるものだって、先生いつも言ってるよ。」
先生、その言葉が狐には引っかかった。
「僕はね、母ちゃんを守るんだ!」
「俺は、じいちゃんとばあちゃん。」
「私は妹!」
「アタシはお姉ちゃん!」
「あと……先生!」
「ちょっとまて。先生だと?どいつのことだ。」
「おきつねさん、知らないの?朧先生だよ。先生はすっごい強いんだよ。」
「すっごい怖いけどね。」
ああ、やっぱり。狐は小さくそうつぶやいた。
「僕たちは先生の弟子なんだぞ!」
子供達ははじけるような笑顔で誇らしげに言った。
なんだ。だったらあいつだって多分、守りたい奴のためにやっぱり剣を振るってるんじゃないか。狐はそうひとり心の中で納得し、なぜだか少し寂しく感じたのであった。
「でもね、道場はもう終わっちゃったの。」
「昨日急に先生が閉めるって。」
「は?私はそんなこと聞いていないぞ。」
一瞬にして子供達の空気が重くなる。一方の狐は驚きを隠せなかった。終わっただと?昨日急に?なぜだ?まるで自分たちが来たからのようではないか。別に朧は指導が出来なくなった、というわけではないだろう。さっきの様子を見ていれば、どう船くれて考えても草は考えない。しかし、思い返してみると、道場の入り口には看板が立っていなかったように思う。
「理由は先生に聞いたのか?」
狐は子供達に聞いた。
「ううん。先生教えてくれないの。だから、もしも先生が困っているなら僕たちが助けてあげるんだ。そのために今こうやってみんなで稽古しているんだよ。」
子供は極めて真面目にそういった。
「そうか。」
狐は子供達の真剣さに改めて嫌気がさした。
「お世話になった人を助けたい気持はわかる。だが、そのやり方は他にもいくらでもあるだろ?」
「え?」
子供達はきょとんとした顔をした。
「貴様らが先生を助ける為に人を殺せば、貴様はあいつのようになってしまうではないか。」
「あいつ?」
「あいつって誰?」
「おきつねさんの仲間?」
「ちがう!」
狐は叫んだが、子供達が怖がっているのを見て、はたと我に返った。
「すまない。急に驚かせて悪かった。だが、貴様らは。敵を斬る以外の方法を使うべきだ。先生に習わなかったのか?やりようはいくらでもあるだろ。」
狐がしているように。
だが、子供達は首をかしげていた。予想道理といえば予想通りだった。四季だって相手を斬るしかのうがないような人間なのだから。
「じゃあ、おきつねさんにお願いするのは?」
「は、はあ?」
子供の気まぐれな発言に狐は思わず叫ぶ。
「おきつねさん、神様に頼んで。道場を復活させてほしいって。」
「いや、私は……。」
「出来ないの?」
「出来……。」
狐は少し言葉を詰まらせた。
「わかった。頼んではみよう。」
狐はため息をつく。
「だが、他人任せで満足するなよ。最後にどうにかしなくてはいけないのは貴様らだからな。」
「うん!わかった!」
「ありがとう!おきつねさん!」
まぶしすぎる子供達の笑顔に絶えられなくて、狐はにげるようにその場を去った。
なぜ朧は道場を閉めることにしたのか。その理由は狐にはわからない。四季やふくろうであればこんな問題簡単に解いてしまうのだろうが、狐に解けるわけもなく、そして、解く気も起きなかった。当然のように刀を振るい人を殺すことを教える人間の心の中なんて理解したくなし、理解できるわけがない、そう信じて疑わなかった。たとえ、それを教える理由が先代狐と同じであっても。
狐が道場に戻った頃には、空が橙色に染まり始めていた。
「お、戻ったか。」
道場の庭に降り立った狐に気がつくと、四季は刀を仕舞って狐に駆け寄った。
「待っていたような口をきくな。この私が貴様らの戯れが終わるのを待ってたのだぞ。」
「へえ。俺はてっきり、てめえは我慢できず山の中を野生にもどって走り回ってんのかと思ってたぜ。」
四季は狐の神についていた枯れ葉をやさしくとると、指でくるくると回した。
「貴様こそ。泥遊びでもしていたのか?」
狐は四季の顔についた泥を手を伸ばして拭ってやった。四季は少し恥ずかしそうに目を泳がす。
「あははは。」
笑い出したのは。朧だった。
「狐、お前は前評判通りのクソガキのようだ。四季をそんなにしちまうなんて。」
「先生。」
四季がたしなめるような声を出したので、狐もやっと朧の言わんとしていることを理解した。
「だろ!こやつはすっかりこの私のとりこだ。どうだ?自慢の弟子が敵に蹂躙されているさまは。」
狐は天狗になって言う。
「安心したよ。そんなに仲がいいなら、お前ら二人でも大丈夫だって。」
「はあ?」
朧の言葉には何か含まれていることがあることは、いくら狐でもわかった。しかし、それが何かがわからない内に、狐を置いて話は進んでいってしまった。
「そろそろあいつの所に帰れ。」
あいつ、というのは陽炎のことだろう。
「そうですね。日が暮れちまうと何かと面倒だ。」
四季は狐をつれて帰ろうとした。
「ちょっと待て!」
狐は四季がつかんでこようとした手を払った。
「貴様、この道場を閉めると聞いたぞ。どうしてだ?貴様はまだまだ強そうではないか。」
「どこで聞いたんだ。」
朧は四季に何か目配せをしたようだが、四季は何も言わなかった。
「裏山でここの生徒から聞いた。あいつら、貴様が困っているなら助けたいと言っていたぞ。そのために剣術を稽古するのは地がと思うが……とにかく、理由も何も言わずに閉めたらしいではないか。」
「ああ、あいつらが言ったのか。」
朧は急に穏やかな声になると言った。
「私は貴様達のように刀を愛している奴を助ける気はないが、あいつらに頼まれたから、これだけは言っておいてやる。師匠が突然自分の前から消えてしまうことの絶望を貴様はわかっているのか?導いてくれていた存在が突如として目の前から消えてしまったら、迷子になって途方に暮れ、路頭にさまよいかねないんだぞ。せめて、あいつらに理由だけ話した方がいいんじゃないのか。」
「狐、お前の師匠はうまくお前を未ちびお手から死んだんだな。今の言葉はお前自身に向けた言葉か?お前は今の仲間に獣組を託すことに迷いでもあるんだな。」
「わかったような口をきくな!」
狐は思わず叫んだが、すぐに落ち着いた。
「私のことはいい。だが、貴様はもっと生徒達のことを考えてはどうだ。」
「ここを閉めるのは、あいつらのためだ。」
朧は静かな声で言った。
「はあ?」
「師匠が突然消えたら、弟子は路頭にさまよう。だから、俺は事前に示してやったんだ。俺がいなくても、自立できるように。守りたい物を見失わずにいられるように、そのための指南をしてやったんだ。」
「貴様、それはどういう……。」
「さ、帰るぞ、狐。」
四季は話に割って入った。
「はあ?!」
「変に鼻がきくな。狐だからか?野生の勘か?」
明らかに馬鹿にしてきている四季に狐はかみつくが、力ずくで襟首を掴まれ、引きずられるようにして道場の門まで連れてこられた。
「貴様こそ、いいのか、もう帰って。」
「なんだてめえ、ここに愛着でもわいたか?それとも、もっとおれと二人きりで旅がしてえとか?」
「断じて違う。」
狐は即答した。四季はため息をつくと、仕切り直すように口を開いた。
「聞きたいことは聞いた。したいことはした。もうここに無駄に長居する必要もねえ。」
「だが、私だったらもっと話すぞ。別れ際には絶対に泣くし、駄々をこねかねない。貴様には師匠がまだいるんだ。なのに。」
「俺と先生は、てめえとてめえの師匠とはちげえんだよ。」
「そうだな。俺たちはこのくらいの方がちょうどいい。」
そう言って朧も追い打ちをかけた。
「それに、いくら四季がついているとはいえ、若い女が夜の旅路を行くのはあまりにも危険だ。」
「はあ?!私をなんだと思っているんだ!」
「草ですぜ、先生。こいつは狐の川をかぶったただの山猿でさあ。」
「なんだと!」
四季にかみつく狐のことはほおっておいて、朧は追い立てるよういに二人を門の外に出した。別れ際の特有の雰囲気に影響されて,思わず狐もおとなしくなる。
「最後になりやしたが、これまでお世話になりました。」
四季は静かに頭を下げた。
「ああ。まったくお前にはどれだけ手を焼いたと思っているんだ。おかげさまで、お前は俺の中で一番の弟子だよ。」
「それは光栄です。」
四季は珍しくやさしく笑って見せた。
「お前らはもうすぐ死神とやり合うことになる。何があっても、自分を見失うなよ。俺たちが失わせちまったあいつ自身を、お前らは取り戻さなくちゃ行けねえんだからな。もしも、もしもお前らがこれをやってのけた暁には、お前らをガキじゃねえって認めてやろう。じゃあな、二人とも。」
朧は二人の背中を押し出した。促されるように、四季は狐を引きずって歩き出す。狐は何も言えなかった。四季の言うとおり、これはきっと獣の勘なのだ。感じてしょうがない朧にまとわりつく死相を狐は必死に取り払おうとしていた。一方の四季はしばらく黙っていたが、数歩あるくと振り返って、門を閉めようとしている朧を見た。
「先生……いや。」
四季は少し間を置くと叫んだ。
「じゃあな、先生。」
声が聞こえると、朧は顔を向け小声で、しかし、四季には十分に聞こえる声でいった。
「この、クソガキめ。」
門が閉まる音が響いた。
四季は早足で宿に帰ると、素早く荷物をまとめ外に出た。ほぼおいていかれた狐は一部始終を棒立ちになって見ていただけだったが、荷物をまとめて出てきた四季の後ろをくっついて帰路についた。
「なあ、貴様、あいつは私の師匠と知り合いだったのだろうか。」
「さあな。」
四季はただそういった。
「あいつ、あの道場閉めるんだろ。」
「だろうな。昨日はあった看板が今日はなかったし、そうだとは思ってた。てめえは気がつかなかったのか?」
「わ、わかっていたぞ!も、勿論!」
狐は強がって言った。
「あっそ。」
四季は素っ気なくそう言った。狐はなんだかもうこれ以上は四季が話をしてくれない気がして、わざと話をそらした。
「なあ、貴様。陽炎のことをなぜ私に言わなかったんだ。」
「別に。気まぐれだけど。」
狐は言い換えようとしたが、なぜだか全身に強い脱力感を感じた。四季と話すことに活力が見いだせない。狐の敵であるはずの虚幻四季はそこにはいなかった。体はここにあっても、心がここにはないようにはかなげな今の四季は、女の狐から見ても息をのむほどに美しい、四季とはまったく違う別人のように見えたのであった。
一方江戸では、四季の命令にきちんと従って浪人姿の隊長が落ち着きなく歩き回っていた。場所は影暗一門の屋敷の周り。その少し離れたところには、局方が隠れて様子をうかがっていた。緊張感をできる限りなくしながら、隊長は引きつった笑みである一人の攘夷労使と接触することに成功した。
「おい。」
「あ?なんだ?」
男はぶっきらぼうにそう言って振り向いた。
「少し聞きたいことがある。」
「見ねえ顔だな。名を言え。」
「お前はこっちの質問に答えてくれればそれでいい。」
「怪しいな。」
男は言うと刀に手をかけた。しかしそれよりも先に刀をぬいた隊長は男がかぶっていた笠を斬った。
「は……。」
隊長の剣筋は男には見えなかった。思わず情けない悲鳴を出す。
「心配するな。仲間だ。わかっただろ?」
隊長が放つあまりの威圧感に男は思わず国を縦に振った。
「あ、あんたも死神様に集められたのか?」
「集められた?」
「あんた、知らねえのか?」
男は再び怪しむような目で隊長を見た。
「知り合いに誘われてこの仕事を知ったんだ。だから、そんなの初耳だな。」
「今回の件は死神様が影暗様に持ちかけたんだろうが。」
「そうだったのか。かたじけない。」
隊長はわいて出てくる疑問を心の中にとどめ、なるべく平生を保っていった。
「で、その死神様に会ったことはあるのか?」
「あるわけねえだろ。なんせ、死神様は見ただけで魂をさらって行っちまうっていうじゃねえか。もし俺が会ってたら、今頃はもう仏さんよお。」
男が話しを得たときにはすでに、目の前に立っていたはずの新入りは姿を消していたという。代わりに空には細くなりかけた月が昇ってきていた。
朧が四季達を見送って道場に戻ると、道場の隅に見覚えのない封筒を見つけた。何かと思って中を開くと、そこに書いてあったのはたどたどしい挨拶文と、柄にもない感謝の言葉の数々。朧が思わず笑みをこぼしたその時だった。
「君も歳をとったものだね。そんなものに心打たれるなんて、じじいもいいところだよ。」
若い男の声。朧は勿論、この声の主を知っていた。
「死神。どうやら、噂通りちゃんと地獄から這い上がってきたみたいだな。」
「おかげさまで~。」
朧が見ると、死神は手をひらひらとさせて明らかに朧のことを挑発していた。
「お前、あいつらの後をつけてきたんだろ。思いっきり四季には気づかれていたし、お前こそ腕が落ちたんじゃないか。」
「心外だなあ。わざとわかりやすくついてきてあげたんだ。あの子に自分やり方で合っているって思わせないと、君を殺すところまでたどり着けない可能性があったからね。でも、もう一人の方には気がつかれていなかったでしょ?」
「ああ、狐か。そういえば、あの子が狐になったってことは本物の方は死んじまったってことだな。」
「そうだね、残念だよ。僕も会いたかったのに。まあ、会ったら殺さないといけなくなっちゃうけど。」
死神は自分で言っておかしそうに笑っている。
「それにしてもいくらクソガキでも、阿恵寝句なると思うと寂しいものだな。」
「さすがは、君だ。死は怖くないようだね。」
「まあな。覚悟は常にしてきたし、お前に狙われたあの日から。」
「なら、話は早いね。早いところ終わらせちゃおう。僕も忙しいんだ。」
次の瞬間、死神は朧のすぐ背後に立って、刀をだらんと垂らしていた。
「何か言い残すことはある?」
「んなもんねえ。言うことは言ったし、することはした。まあ、強いて言うなら、お前と陽炎も早くこっちに来い、そのぐらいだな。」
「了解。さすがの潔さだね。それでこそ、武士の鑑だ。」
「そりゃあどうも。」
「じゃ、先に逝っててよ。」
一瞬の出来事だった。朧の頭が宙に舞い、支えをなくした体はその場に崩れ落ちる。
「ふう。」
死神は血塗れた刀を肩に乗せると、口元を流れる返り血をペロリとなめた。ふと、すっかり朱で染まってしまった四季からの手紙を見て、つまむように拾い上げた。まるで珍しい物でも見るように文面に目を通すと、満足げに手紙を放り出す。
「さ、僕も帰ろ。」
彼が浮かべる笑みは、四季と瓜二つの悪魔のような笑みだった。




