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かげろう日記  作者: 文張
23/42

八日目 その四

 回想。

 それは、四季が見廻り隊に入隊してすぐのこと。

「ほら、お前振ってみろ」

「嫌だね。てめえの言う様にはしねえ。」

朧は当時、現役の局長だった。その局長自ら一対一で新米の指導に当たっているのだが、新米はそんなことはお構いなしに反抗を続けている。

「市中では振り回していたらしいのにか。」

「それはっ……それとこれは関係ねえだろ。」

四季が手に持っている刀は、ゆうに身長以上ある大人用のものだ。普通の子供なら重くて構えることもできないような代物だが、四季にとっては慣れ親しんだ重さ以外の何物でもない。

「かかってこいよ。俺を殺せば、お前は自由になれるんだぜ。昔のような生活にだって、逆戻りできるんだ。」

その瞬間。四季が動いた。大きく振りかぶってまずは朧に一本向ける。朧はため息をつくと、軽く竹刀で四季を打ち飛ばした。避けきれなかった四季だが、空中で向きを変えると軽い体を生かして塀を蹴ってもう一度斬りかかる。しかし、何度やっても結果は同じ。四季の体は強く塀に打ち付けられる。それでも、四季は何度も何度も斬りかかった。だが、四季の隙だらけの攻撃には朧は投げやりな態度だしか応じてくれない。それでも、幼い四季にとっては精一杯だった。

「ほら。基礎がやっぱりでいてねえからこんなに対応が出来ないんだ。おとなしく素振りでもしたらどうだ。」

朧は壁にもたれて荒い息をしている四季に言った。

「違う、てめえが強すぎるんだ……。」

四季はすねるような顔でそう言うと、ふらふらと立ち上がって刀を構え直す。

「俺に勝てるまではお前はそんな軽口をたたいている余裕はねえぞ。今見てえな言い訳ばっかしていたら、いつかはにげてばっかりになっちまう。強くなりたいんだろ。このままだと、守りたかったもんも、守れなかったもんも、守れねえまま犬死にすることになるぞ。」

四季は舌打ちをする。

「さっ、罰の時間だな。」

「ちっ。次は負けねーぞ!にげんなよ!」

四季は視線をずらしていった。

「それはこっちの台詞だ。」

朧はそう言うと、ひょいっと四季の襟首をつかんで持ち上げた。

 数分後。

「やだ、何あれ。」

「どうしたんだろう、あんなところで。」

「かわいそう、あんなに小さな女の子なのに。」

「そうね。あんなにかわいらしい見た目で……あら、でもまって。あの子、男の子じゃない。」

「あら、そうね。よく見ると、とってもかっこよくなりそうな顔をしているわ。」

そんな話し声が遙か下の方から聞こえた。四季は女どもをにらみ詰めているものの、体は縄で縛られ、江戸城の中でもかなり目立つ気の上にくくりつけられていた。

「下ろせ!」

四季は木の根元にいる朧に叫んだ。今のような女達は勿論、見物に来た他の隊士や役人からも嘲笑や好奇の目を向けられ、四季はこの上なく不快な思いを味わっていた。なめてくる様な目も、頭が痛くなるような笑い声も、反吐が出るような思い出を想起させるものだった。

「罰だ。そこで頭を冷やせ。」

「はあ!?俺には反省するようなこともねえよ!」

「じゃあ、それを考える所からだな。」

朧には何を言っても躱されてしまう。そう考えた四季は別の作戦をとってなんとか下ろしてもらおうとする。

「へっ。俺はここにくくられている間は仕事もさぼっていられるし、俺は別にこのままでよくなってきたぜ。でも、てめえはいいのかなあ、それで。俺みてえに優秀な隊士がいなくても。」

「安心しろ。お前みてえなやつにまあ競られることなんざ、雑用の仕事ぐれえだ。隊士としての仕事なんて任せらんねえよ。その代わり、俺につきっきりで指導してもらえるなんて恵まれているってちゃんと自覚しておkりょ。雑用の代わりなんて他にいくらでもいんだから。」

「てめえこそ、俺の指導とかいって仕事をさぼっているんじゃねえのかよ。俺みてえな化け物の調教なんて不可能だって、てめえだってわかってるだろ。」

「ガキらしい、間抜けな考えだな。お前の指導なんて朝飯前だ。うぬぼれるな。」

「なんだと!」

「お前は将来、優秀な隊士になるだろうさ。この俺が直々に指導してやってんだ。間違いはねえよ。」

朧はからかうようにしていった。

「なるかよ、そんなもん。俺はやだね、将軍の為に命をおとすなんざあ。そもそも、誰かのために死ななきゃなんねえ、ってなったときにこの心臓を捧げる相手はただ一人、とっくの昔に決めているんだ。幕府の犬なんて、くそ食らえ。」

四季は吐き捨てるようにして言った。

「とかいって、その覚悟もねえから、お前はここに流れ着いちまったんだろうが。それに、死んだらなんもなんねえぞ。これまでのお前の苦労も水の泡になっちまう。別に、隊士として、将軍様のために華々しく散れ、とかいってねえだろ。監視下でおとなしくしてりゃあいい。それに、お前が死ぬのは、刀の為だけでいいだろうが。」

「……。」

四季はただ歯を食いしばった。

「お前は『四季』として生きることを決めたんだ。だから、過去のしがらみなんていう余計なものに時間をつかうな。今はとにかく、刀のことだけを考えるんだ。刀とともに、お前が置かれている生き地獄でどうやって正気を保つか、それだけに集中をしていればいい。今のお前にはなんにせよ選択肢なんて存在しないんだ。子供っぽい駄々をこねてんじゃねえよ。」

「ちっ。」

四季は昔から物わかりがよすぎる子供だった。だから、こんなこと言われなくても自分でわかっている。それでも、いや、そうだからこそ、現実からほんの少し目をそらしたいと思ってしまうのだ。

「まあ、でも、思いがけない出会いってのはこの仕事をしててないわけじゃねえ。それを励みにしてもう少し生きてみろ。こんな長説教、自分がじじいになったみてえで心地が悪いぜ。」

「てめえはじじいだろ。」

「お前は、あと一日そこでぶら下がってろ。」

 こうして四季は、本当に一日中さらし者にされたのであった。

 回想終。


 四季は部屋の前についた。あれほどの量の睡眠薬を狐に盛ったんだ。効き始めこそ遅かったが、さすがにこの短時間では目を覚ましていないだろう。そう考えて狐を起こさぬようにとそっと扉を開けた四季だったが、そこにはドアノブにちょうど手をかけていた狐の姿があった。

「あらら、お目覚めですかい、お嬢さん。」

四季は狐を見下ろすようにして言うと、悪魔の笑みを浮かべた。

「貴様!」

狐にとっても予想外だったようで、狐は素直に驚いているように見えた。しかいs、その表情はすぐに怒りに変わる。

「どこかにお出かけですかい?」

「そりゃあ勿論、貴様を探しに行こうと思ったのだ。」

「てめえ、もしかして、目が覚めたら俺がいなかったのがそんなに寂しかったのか?」

「あほ。そんな訳あるか。貴様に文句を言ってやるためだ。それに、貴様がもしも女を引っかけにでも行ったのなら、だまされていると伝えに行かないといけないと思ったのだ。」

「つまり、てめえが寝ている隙に俺が他の恩兄浮気したかもしんねえって、慌てて飛び出そうとしたってことか。」

「貴様の自慢の頭脳はこの程度のことも理解できないのか。その様子だと、女の一人も捕まえられず、この私の元に返ってきたって感じか?あきれた。」

狐はため息をつくと部屋の奥に戻った。四季も続いて行こうとするが、さっきほどよりも強い殺気をぶつけられ、仕方なく元のように対角線上に腰を下ろした。

「なんでてめえはそんなに臨戦態勢なんだよ。」

「油断を見せたら貴様に何をされるかわからないからな。」

「油断ねえ。つーことは、さっきまでのてめえはこの俺の隣で油断していたってことか?」

四季は意地悪に聞き返したが、狐は言い返すこともなく頬を膨らませいる。

「はいはい。ご心配をおかけしました。だg、俺はてめえの想像以上にてめえ一筋だぜ。今だって。女を引っかけに行っていた訳が舞だろ。」

四季は降参と言わんばかりに両手を挙げて行ったが、狐の機嫌が直るような兆しはまったくといっていいほど感じられなかった。代わりに狐はうつむいて立ち上がると、四季の方に近づいてきた。

「どうした?俺に見つめられて照れでもしたのか?」

狐の顔をしたからのぞき込んで四季が言った、その時だった。

「このっ!」

狐が足を蹴り上げたのだ。四季は冷静に狐の攻撃を捉え、頭の真横で狐の足をつかんで止めた。

「なんでい。こういう照れ隠しですかい?」

「そんな訳あるか!」

叫んで四季をみた狐の顔はやはり真っ赤だった。

「じゃあなんだ。」

四季は面倒くさそうに言う。

「貴様、私に薬を盛ったな。」

「ああ、そうだ。」

四季はあっけなく認めた。狐はその思わぬ行動に気後れしつつも続ける。

「ま、貴様がどうやって私をねむらせたのかはわかるが。」

「無理するな。てめえがわかるわけがねえ。」

「なんだと!」

狐は怒りにまかせて叫んだ。

「どうせあの男達から盗ったんだろ。私にあれこれ言いながら、貴様だって盗人じゃないか。」

「てめえにだけは言われたくねえな。ただ怪しい薬を押収しただけだって。」

「それを使った時点で犯罪だ。それに、睡眠や鵜じゃなくて、その、び……。」

「び……?」

四季はわざとらしく首を少しひねってきく。

「媚薬だったら、どうするつもりだったんだ!」

貴狐はかみつくように激しく叫んだ。

「ああ、なるほど。それで、てめえは顔が真っ赤ってことか。」

「は!?わかったような口をきくな。わ、私は。」

「要するに、てめえが寝ている間に俺がてめえに何かしたんじゃねえかっていいてえんだろ。」

図星だった。狐の顔が一層赤くなる。

「してねえよ。また頭触ったらてめえがめんどくさくなるの知っているし、そもそも、普通の奴はそこまで他人の頭を触ろうなんて面輪ねえんだよ。」

「着物が……。」

狐が小さな声で言う。

「着物が、脱がされていたではないか。」

「それはてめえの格好があまりにも寒々しくて、みっともなかったから整えてやっただけだろ。それとも。」

四季は悪魔の笑みを浮かべると、顔の横にある狐の白い足をスーとなでた。

「……んっ。」

狐は足の付け根あたりまでやさしくなでてくるその手に思わず声が出てしまう。

「こういうことをしてほしいと?」

四季はいたずらのつもりだったが、これが狐の堪忍袋の緒を切った。

「貴様、よくも!」

狐は力一杯、掴まれている方の足をふる。四季がそのあまりの強さに耐えられず手を放した隙を突いて、狐は四季の胸のあたりを踏みつけた。

「いっでえ。」

四季が身動きがとれないようにもう片方の足で四季の腕を踏みつけて、最新の注意を払いつつ首元にあしを持って行く。狐が踏み込もうとしたその瞬間になってやっと、四季は命乞いを始めたのであった。

「悪かった。少しからかいすぎた。つーか、てめえにこういうのを怖がる観念があって安心したぜ。別に、てめえのからだになんざあ、興味ねえっての。てめえのせいで俺の輝かしい名声に傷をつけたくもないしな。」

「じゃあ、貴様は私をなぜ眠らせた。私が眠っている間、どこで、誰と、何をしていたんだ。」

狐は少し足先に力を込めて言う。

「貴様がすることなんて、私を愛でること以外にないだろ。」

四季は少し答えるのをためらったが、狐ににらまれ仕方なく口を開いた。

「先生のところに行ってきた。挨拶しにな。」

狐は納得したように鼻をならすと足をどけた。四季が身を起こしたのと同時に、向かいw¥あわせに腰を下ろしあぐらをかいた。

「貴様、私のことを言ったのか?」

狐は落ち着いた口調で訊く。

「一応言った。」

「なんて?」

「えっと、大切な人?」

「はっ。どうせそんなことだろうと思った。」

狐は全身であきれたそぶりを見せる。

「まったく貴様は子供だな。」

「つーのは嘘で普通に狐って言った。」

「それほどまでしてこの私を手に入れたふりがしたいのか、って、え?」

狐は言葉を止めた。

「言ったのか?私を狐と。」

「言った。」

「なぜだ!」

狐は身を乗り出して四季に問い詰める。

「落ち着けよ。」

四季はいたって冷静だった。

「先生はずいぶん前に一戦を退いているどころか、俺たちとの関わりもないと言っていい。先生はもうただの一般人だ。先生と俺が連絡とれんのも、あくまで個人的なものだし。」

「でも!」

「わかってる。でも、明日先生のところに行くときだって、てめえは面をつけっぱなしにしておけばいいだろ。そうすりゃあ、実質てめえの素性はばれねえのと同じ。大切な大切なお仲間も守れるぜ。先生はだまし討ちを最も嫌っているし、俺やてめえをだまして捕まえる、なんてこともない。それは保証する。」

狐は四季の言葉を聞くと。一瞬何か叫びたげに口を開き、すぐにすぼめた。

「なるほどな。」

狐は落ち着きを取り戻してつぶやく。

「今回のことは許してやろう。」

「はあ?」

驚いたのは四季である。

「貴様に情けをかけてやろう。」

「おい。」

「つまるところ貴様あれだろ。貴様は師匠にいいところを見せたかったんだ。天下の狐を捕まえたという、偽物の手柄を見せつけて師匠を安心させたかった。自分の成長した姿を見せたくて見栄を張った。そういうことだろ。その気持ち、わからんでもない。生涯から、明日、一肌脱いでやろうか。」

狐は自信満々に言った。あまりの的外れさに、四季は思わず笑いをこぼす。

「貴様。なぜ笑うんだ!」

「わ、笑ってねえよ。ははっ。」

「笑ってるではないか!またけんかを売っているのか!」

「だから、笑ってねえって!」

四季はそんな風に言い返しながら、つかの間の平和をかみしめた。聡明な彼には、今後おこるであろうことの覚悟はとうに決まっていた。それでも、いや、だからこそ、もらったこの偶然の出会いの幸福をかりそめにでもかみしめたいと思ってしまうのであった。

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