八日目 その三
朧がいる場所に最も近い宿場にたどり着いたのは、ちょうど日暮れの頃だった。
「おい!なんでこうなるんだ!」
狐は宿から力尽くで四季を引きずり出すと、道の真ん中で叫んだ。
「なんで、貴様と、同じ部屋で、夜を明かさないといけないんだ!」
「うるせえって。静かにしろって。」
四季は小声で言うと、狐の口をやさしく手で覆った。
「さ、中へ入ろう。君も疲れただろ?」
四季はわざとらしくやさしく微笑むと、ずるずると狐の体を引きずっていこうとする。四季としてはこれ以上目立つのは勘弁してほしいので、おとなしくしたがってほしかったのだが、狐は忍術で体を重くし、断固としてその場にとどまろうとした。
「いい加減、はらくくれって何回言ったらわかるんだ。おとなしく、俺の女のふりでもしろと。お得意の変装で、妹とか、あとは、女中とか、足抜けの遊女とかか、なんでもいいから演じろって。」
四季は笑顔を崩さず小声で言ったが、狐は四季の手をどけると四季の思惑などお構いなしに叫ぶ。
「なんで貴様の様な奴と一緒に眠らなくてはいけないんだ!」
「いいだろ別に。嫌なら寝なきゃいいじゃねえか。それとも野宿でもしたいのか。」
「ああ、かまわんぞ。貴様と二人きりになる時間が少しでも減るのならな。」
「冗談を真に受けるなんて、馬鹿か、てめえは。こんな田舎で野宿なんかしたら、獣はくるわ、なんやらでろくに休めもしねえぞ。」
「この私が獣を怖がるとでも。見くびられたものだな。熊や猪なんて、貴様に比べたら、ずっと利口だ。」
「獣って、そっちじゃねえよ。はあ、これだからガキは嫌いだ。」
「なんだと!貴様、さっきから、何を言っているんだ!」
「だから、」
四季はため息をついた。
「てめえにはあとでじっくりわからせてやる。」
「はあ?!」
「てめえを野放しには危なっかしくてしてられねえし、いいから、宿はいるぞ。」
「人を猛獣のように言うな!自制ぐらいは出来るわ!」
「だから、そういうこと言ってんじゃねえって。とにかく、何がそんなに嫌なんだよ。別に、ここまでだってなんもなかったじゃねえか、まあ、これからはわかんねえけど。」
「わからない、だと!」
四季は面白くなって思わず狐をからかってしまった。おかげで、狐は完全に火が付いてしまい、今まで以上に声を張り上げて怒りだした。ここまでくると、もはや痴話げんかにしか見えず、思わぬ形で四季の思惑は成功したのであった。そんな様子を感じ取っていた四季は迷わず狐に応戦する。
「まあまあ、同じ部屋で寝た方が宿代も浮くんだ。」
「ごまかすな!」
「てめえの代わりにこっちが金払ってやってるんだぞ。てめえはもう少し遠慮と奥ゆかしさを知れ。」
「どんなに奥ゆかしい女でもな、これはさすがにもの申すだろ!無理矢理私をこんな所まで引きずり回して、あげくこれか?貴様こそ、この私にもっと敬意を払ったらどうだ。」
「あのなあ、先生のとこに一番近い宿場はここだし、他の宿は満室。今日は客が多いらしいから、他の客の為にも、一人部屋でも問題のない俺たちがそういう部屋を取るべきだ、って、そう話し合ったじゃねえじゃ。」
「同意を求めるな。貴様が一方的にそい言っただけで、私は賛成した覚えはないぞ!見たか、あのおかみさんの顔。若い二人組が一つの部屋を取ったんだぞ。ああ、なるほど、みたいな顔をしてきたではないか!」
「他人の目なんてどうでもいいじゃねえか。そういう風に思われたって、俺たちに何か危害が及ぶわけでもねえし。俺としてはてめえにそういう貞操観念がそなわっていた方が受け入れがたかったが。」
「鳴神さんに教えてもらったんだ!」
「へえ、どんな風に?嘘つかれてたらいけねえし、俺が確かめてやろうか。」
「結構だ!」
「そういう遠慮はいらねえのに。」
狐の顔が一気に赤くなる。
「とはいえ、そういうのと俺たちは無縁だろ。それともなんだ?てめえには何かやましいことでもあるんですかい?」
「あ、あるわけないだろ!そんなもの!」
狐は必死に続ける。
「貴様、もしかしてあれか?私と同じ部屋に泊まるためにわざと金をもって来なかったんだな!ああ、気持ちが悪い。」
狐は自分の腕で体を抱いて見せた。
「馬鹿にすんな。俺はどっかのこそ泥とちがってそんなことする必要もねえし、考えねえっての。」
「なんだと!」
「とにかく、早く部屋に行こうぜ。誰かさんのせいで体がいてえんだ。」
「だから、あれは貴様の勘違いだ。というか、あんなことだけでへばるとは、貴様もまだまだだなあ。」
「はいはい、」
四季は言うと今度は素早く狐の腕をとって宿の中に引きずっていった。宿に入ってやっと、狐は注目を集めてしまっていることに気がつき、忍法を発動するのを諦め、
「だれかあ、変態がここにいます。助けてくださーい。」
と諦めたように叫んだが、
「はいはい、俺がそんな奴捕まえてやる。その変態はどこにいるんですかい。」
と四季に答えられ、狐の叫びにまともに応じてくれる人もあらわれず、あっという間に部屋にたどり着いてしまったのであった。
「誰かー、変態が、ごふぇ!」
狐が部屋に押し込まれたのと、畳の上に倒れ込んだのはほぼ同時だった。
「なんだ!」
狐の上にのしかっているのは四季だ。
「わっ、や、やめろ!ふ、ふっふっふ、あはははは!」
四季は狐の体に手を回すと脇腹をくすぐり始めたのだ。四季は狐の弱いところを器用に狙ってくすぐっていく。首元に軽く息をかけてやれば、狐は四季ごと身をよじって笑い転げ、息をあげた。
「はあ、はあ。あははっ!」
「疲れたんだよ、てめえのせいで。休ませろ。てめえも笑い疲れでもしておとなしくしておけ。」
四季は一向にどく気がなさそうなので、狐は力ずくで四季をどけて部屋の奥へにげた。
「いてえじゃねえか。」
のろのろと立ち上がった四季は目で狐を捉らえると、にやりと笑った。
「わっ、く、来るな!」
「てめえは俺の心を乱し、俺の心を盗もうとしたから、未成年のてめえを補導する。」
「ぎゃあー!」
そして、一悶着あったあとに落ち着いた姿勢がこれだ。ただでさえ狭い一人部屋で、二人は部屋の隅に対角線上に座っていた。
「おい、いつまでこれすんだよ。」
「知るか、そんなもん。貴様がこの部屋を出て行くまでずーとだ、ずーっと。」
「もういいだろ。ちょっとふざけただけじゃねえか。」
「なに!」
狐は四季をにらみつける。
「重かった。」
「はいはい。俺はてめえみてえに体重は変えられないんでね。」
「くすぐったかった。」
「モウシワケアリマセンデシター。」
四季は棒読みでそう言うと、四つん這いで狐の脳に近づこうとする。しかし、狐のあまりの剣幕に動きを止めた。
「まだ怒ってんのか。」
「来るなって何度言えばわかるんだ。貴様、もしかして私がもう恋しくなって閉まったのか?しょうがない奴だな。」
「ああ?んなわけねえだろ。」
「おいおい、照れ隠しはよせよ。貴様は隠し事が苦手だな。」
「好き勝手に言いやがって。」
二人はじっとりとにらみ合った。四季は諦めて後ずさりをし、部屋に隅に戻った。
「そういえば、ずっと気になっていたんだが、その貴様の師匠ってのはここで道場をやっているらしいが、なんでこんな所をえらんだんだ?ここは宿場だからそれなりに人がいるが、ここから少し離れれば人通りなんてほとんどないだろうし、人もそんなにすんでいるとも思えない。わざわざ道場なんて開かなくても、貴様の所で指導でもしていればよかったんじゃないのか?」
「それは、儲からねえのにどうしてってことか?先生は一応朧流の現頭首で、たった一人の後継者だから、代々続くこの道場を継ぐしかなかったんだそうだ。たった一人で、今も子供たちに朧流の剣技を教えているらしいが、まあでも、先生は鬼だから、門弟の方がかわいそうだ。」
四季は笑って言った。
「貴様今自分を悲観したのか?」
「いいや。俺は確かに先生の下についてはいたけど、反抗してばっかだったから、悲観できるほど真面目に指導を受けていなかったぜ。」
「なるほど。だからこそ、その鬼のように厳しい師匠の元でもそんなひねくれた野郎に育ってしまったのか。」
「育ってしまったって言うなよ。」
「あ~あ。」
狐は大きなあくびをして続ける。
「じゃあ、貴様のその気味の悪い刀裁きも朧流ってものなのか?」
「いや、まさか。言ったろ、俺は先生に反抗してばっかだったって。俺はまあ、こういう人間だから、弟子っつーか先生の監視下に置かれていたってわけ。刀の使い方は……まあ……小せえ時に父親に教わったんだ。」
「ふうん。」
狐は大きくのびをしてけだるそうに壁にもたれかかる。
「じゃあ、なんでその先生は隊士辞めたんだ?聞いている感じ、歳をとったからやめる、って感じじゃないだろ。」
「事件を追っていたときに腕にけがをしちまったんだ。俺と会ったときにはもうああだったが、歳をとって、古傷が痛むようになっちまったんだ。刀がうまくふれねえってんで、仕事やめた。俺からすれば、まだまだ現役でいけそうだったけどな。相変わらず俺はかなわねえし。でも、あの人は自分に厳しく嫌に潔いから、一度決めちまったことを変えねえし、すぐに実行しちまうんだよ。」
「私ならそのくらいどうってことないがな。」
「はいはい。てめえならソウカモシレヤセンネ。」
「私ならこうして、こうして、こうするぞ。」
狐は片腕をかばいながら想像上の敵を倒してみせるが、ジタバタしているようにしか見えない。
「でも、剣士である俺たちにとって、腕のけがってのは致命傷になる。たとえ体術で一応は敵に対応出来たとしても、俺たちの体はそのために出来てねえから限界があるんだ。刀のために生き、刀のためにしぬことを望む俺達にとっちゃあ、刀が握れねえのは息が出来ねえのと同じぐらいつれえことなんだ。」
「人を殺すことを呼吸をするのと同じだと考えているのか、貴様らは。血なまぐさい話だな、まったく。」
「んで、その先生の腕を斬ったのは……。」
四季は言葉を止めた。狐はいつの間にか小さな寝息をたてて、無防備に眠っていた。四季は安心したように息を吐くと、口を開いた。
「死神なんだけどな。」
四季は静かに狐の元へ近づき躊躇もなく狐の頬をつねったが、狐はいっこうに起きる気配がない。くすぐってやってやると、少し眉をひそめ寝にくそうな顔をしたので、蹴られることを警戒し四季は少し距離をとったが、狐は身を少しよじらせると、反抗するどころかふにゃりと笑って四季の方に倒れてきた。四季はその体をやさしく支えると、丁寧に壁に寄っかからせてやった。
「なんの夢見たんだか。」
仲間の夢か。それとも……。
「いや、まさかな。」
四季はひとりごとを言うと気を取り直して懐からあるものを取り出した。
「こうゆうのってやっぱり効くんだな。」
四季が手に持っているのは先ほどの男達から盗った薬紙の包みだった。開いて中を見ると、そこには四季にとって見慣れた白い粉が入っている。
「見間違えてなくてよかった。ちょっとした賭けだったけどな。」
見慣れているとはいえ、睡眠薬と他の薬を見分けるすべはさすがの四季でも身につけていない。薬草ならすぐにわかるのだが、こうも加工されてしまっていると、最後は男の言動から考えるしかなかった。
「媚薬とか、興奮しちまう薬をもっちまったかと思ったわ。」
四季はこの薬を狐に隠れて団子にかけて狐に食わせた。先ほどのように目を離した隙に他の奴に連れて行かれても面倒だし、このあとの予定を考えると狐には少しの間おとなしくしてほしかったからだ。都合がいいと考えた四季だったが、思惑はあっけなく失敗した。狐は落ち着くどころか、興奮して大騒ぎし続けたのだ。四季としては内心慌てるばかりである。媚薬であれば四季には手の施しようもないし、興奮してしまうような薬の類いなら依存性があると言うし、快楽を覚えて閉まっては困ったどころの騒ぎではない。かくなる上は疲れさせて薬の効きをよくしてやろうと行動に出た四季だったが。
「まったく、こいつは化け物だな。」
与えた薬の量はかなりあったはずだ。あそこまで暴れさせて、やっと薬が効いたとなると、いかに狐が五体満足に生活できているのかを思い知らされる。
「まさか、薬のせいじゃなくて、単に疲れて眠っちまっているんじゃねえだろうな。」
この元気いっぱいの健康優良児なら十分あり得ると考え笑みをこぼした四季だったが、立ち上がろうとしてふと、狐に手を伸ばした。
「おとなしくしてろよ。すぐ帰ってくる。」
四季は狐をゆっくりと仰向けに寝かせてやる。その拍子に、忍び装束を隠すように羽織っていた着物の裾がはだけ、白い足があらわになった。放っておこうと一度は目を背けた四季だったが、舌打ちをすると振り返って軽く着物を脱がせ上からかけてやった。狐は気持ちよさそうに寝返りを打って着物を身にまき寄せる。
「俺の夢でも見ていればいいのに。」
四季は小さな声でそうつぶやくと、深く傘をかぶって部屋をあとにした。好奇の目が女中達から向けられるが、四季は気がつかないふりをして足早に宿を出る。
改めてみても、田舎では珍しいほどに活気のある宿場だった。おかげさまで身も隠しやすい。四季は人混みに紛れて声をかけてこようとするものから逃れ、脇道に入っていった。人が一人やっと通れるほどの隙間を抜けると、さっきまでの喧噪からは考えられないほどに静かな田園風景が広がっていた。夕日に照らされ黄金に輝いて見える田畑やぽつりぽつりと立っているあばら屋を見て、四季はほんの少し目を細めた。その美しさに感傷に浸ったわけでも、故郷を思い出して懐かしんだわけでもない。むしろ、自分にもこんな風にありふれた故郷の風景が与えられていたらよかったのに、とほんの少し己の運命を呪った他のだ。
だが、そんそんなことをしても現実は何も変わらないと四季は痛いほど知っている。すぐに景色から目を背けると、四季は一人静かにあぜ道を進んだ。朧の道場を訪れるのはなんだかんだ言ってこれが初めてだった。というか、連絡を取ったのも朧が見廻り隊をやめて以来初めてのことであり、当然道場の詳しい場所など知っているはずもない。とはいえ、その場所にたどり着くのにはそれほどの時間はいらなかった。ただでさえ人口の少ない場所だ。人の流れを見ていればすぐにたどり着けた。
「おお。」
道場の大きな門を前に四季は思わず嘆息した。入るのには少し躊躇がある。しかし、ここまで来て引き返すのも馬鹿馬鹿しいと覚悟を決め、四季は身だしなみを整え刀を差し直して、その門をくぐったのであった。
「ああ、そうか。」
門をくぐると、聞こえてきたのはしないとしないがぶつかり合う音。まだまだ音が軽いと思っていたら、今度は地鳴りのするような音とともに、一人の少年の体が道場から飛び出してきた。おびえた様子の少年だったが、焦って土埃をはたくと四季には目もくれず道場の中に竹刀を構えて走って行く。その繰り返し。
「これを懐かしいなんて感じちまうなんて俺は相当どうかしているんだな。」
少年が響かせているこの音は、そして、この光景は、四季にとってはひどく昔の自分を思い出させるものであった。勿論、四季はこの少年ほど真面目ではなかったあら、こんな風に正攻法でやり合うことなんてほとんどなかったのは確かだ。大体朧の隙を狙って四季が仕掛けては簡単にかわされ、いなされる。そうやって四季は鍛えられてきたのだった。
少年の姿をいつかの自分に重ねて、気配を消したまま四季は道場を外からのぞいた。中では朧が門弟らしい少年と素振りをしている。四季は三回も真面目に続けなかった素振りを、少年は真剣な顔で幾度となく繰り返している。朧はいつもそうだ。稽古でぶつかり合ってくれるのはほんの一瞬。ほとんどは、剣筋がなっていなければ刀を振る資格もない、と耳にたこができるほど聞いた台詞とともに素振りを強要するのだ。
しばらくすると、少年は深々と礼をし、礼儀を守って道場から出てきた。四季には気付かず、足早に帰路につく。少年が帰ったあとも素振りを続けていた朧だったが、満足がいくまで振ると、美しい仕草で流れるように竹刀を下げた。そこまでやって、ようやく四季に目を向ける。
「お久しぶりです。」
四季が言うと朧は軽く笑って竹刀を担いだ。
「久しぶり。」
朧は四季の頭に竹刀をのせる。
「また大きくなったな、四季。」
「はい。」
朧が見回り組をやめたのは、四季がまだ十四歳の時だった。その時以来だから、朧にとって四季の見た目は、よく成長したように見えた。
「副長にまで昇りつめたんだろ。悪ガキを卒業したんだとばかり思っていたが。」
「さあどうでしょう。」
「根っこは変えようがねえみてえだな。態度に見合うぐらい身長だけは伸びたみてえだが。」
四季は少し笑った。
「でも、俺だってやっと落ち着けそうなんでさあ。」
この言葉を聞くと、朧の剣幕が少しだけ厳しくなった。
「俺はお前をそんな風に鍛えたつもりはねえぞ。少なくとも、恋にうつつをぬかして職務をさぼるような奴にはな。」
「わかってます。お陰で俺は仕事人間になっちまったんじゃねえですか。」
「なっちまった、じゃねえだろ。」
「そうですね。なれやした、の言い間違えです。でも、俺が言ったのはそういうことじゃなくて。俺は今、狐と行動しているんです。」
四季は言った。あえて、何の感情も込めずに。
朧は少し驚いた様な顔をした。しかしすぐに、あきれたように口元を緩ませた。
「そうか。やっぱり運命なんだな。」
「運命じゃねえ。たぶん、こういうのは縁っていうんでしょ。でも、あいつと出会えて、やっとわかりやしたよ、先生が仕事以外には関わるなってあれほど言ってきた理由。」
「思い知っただろ。」
「そうですね。本当に。先生は知っているんだろうな、とは思っていましたが、先生の言うことに従っておけばよかった。」
「思ってもねえことをいうと、足をすくわれるぞ。」
「先生にはかなわねえな。」
朧はそれを聞くと豪快に笑い出した。
「侍は言葉じゃなく、刀で語り合うものだろ。久しぶりに打ち合ってみるか。」
朧は四季に竹刀をわたした。四季は軽く竹刀を振ったが、すぐに朧に返してしまった。
「そうしたいところですが、続きは明日にしましょう。今日はこれで。宿に狐を置き去りにしてきちまったのでにげねえように見張りにいかねえと。明日はあいつも連れてきやす。」
「わかった。クソガキがもう一人増えるってことで、あの頃の記憶を思い出しておこう。」
「おねげえしやす。あいつはなんも知らねえから、どうぞお手柔らかに。」
「さて、どうしてやろうか。」
「あいつは、俺よりもずっとてがかかるかもしれやせんよ。」
「それはない。お前は俺が今まで見てきた中で群をぬいてクソガキだからな。」
朧は若い頃のように生き生きとした顔で言った。
「それでは。」
「では。また明日。」
四季があぜ道に戻った頃にはすっかり空が暗くなっていた。四季は早足で歩いている。ふと、背後に何者かの気配を感じた。反射的に振り向いたものの、そこには誰の姿もない。
「まさかな。」
四季は人混みの中に溶けていった。




