八日目 その二
江戸に頼れる仲間を残し、死神につながる大きな手がかりを得に華々しく旅に出た二人であったが……。
「お嬢さん、俺たちと遊ぼうよ。」
「いいことしようよ。」
狭い路地の奥。行き止まりの袋小路で、狐は二人の男にいいよられていた。薄暗く、狭い路地だ。女が連れ込まれるにはもってこいのその場所で、狐はまんまと男たちに行く手を阻まれていた。唯一の逃げ道には男。後ろには壁。普通の少女であれば、なすすべもなく恐怖に飲まれるだろうが、狐は違っていた。
「なんだ。おいしい酒を飲ましてくれるのではないのか?ここにはどう見ても酒はないぞ。」
狐は顔をしかめていった。その言葉には恐怖というものはみじんも感じられなかった。
「もしかしてこれが、あいつに注意しろって言われたナンパってやつか?」
「お嬢さん、彼氏さんがいるの?」
「いや。ただの連れだ。そいつに言われたのだ、声をかけてくる奴について行くな、怪しい奴だからって。あいつの方がよっぽど危ない奴のくせに。」
「今その連れさんはどこに?」
「さあな。食い物を買いに行ったようだが、どこかで女でもたぶらかしているんじゃないか。」
「じゃあ、俺たちが君をナンパしてもいいんだね。」
「はっ。貴様のような青二才がこの私をナンパしようなんて百年早いわ。」
「お高くとまってるねえ。そう堅くなるなって。」
「なら、俺たちがもっといいものを味あわせてあげるよ。」
「本当か!何を食わせてくれるんだ!酒か!酒だな!」
狐は目を輝かせた。男たちは、あまりにも純粋な狐の態度に思わずひげた笑みを浮かべる。
「じゃあ、俺たちの言うとおりにして。まずは、味見から。」
男たちの手が狐の着物に触れようとした、その時だった。
「俺の獲物に手、触れてんじゃねえよ、この雑魚ども。」
その声と同時に、耐えられないほどのさっきが男たちの背後から放たれた。男たちはあまりの恐怖に身を固める。背後に気配もなく顕われたその青年は、男たちに振り向くことも許さず、ため息をついた。
「てめえ、何やってんだよ。」
四季は男たちの隙間から狐をにらんで言った。
「別に。貴様こそ、なんだ今の台詞。かっこつけすぎてダサいぞ。」
「お褒めに預れて光栄でさあ。」
「褒めてない!」
「てめえこそ、なに調子乗ってんだ。てめえは安物でまがい物で、勘違いしてる物好きしか買わねえ売れ残りだろ。」
「じゃあ、貴様はそんな奴に心引かれている、とんだ勘違い野郎ってことだな。この者たちは違ったぞ。私の魅力にちゃんと気がついて声をかけてきたんだ。」
「あ、そうだった。」
四季は狐に言われてやっと目の前の男たちのことを認識したようだった。
「おいてめえら、こんな奴に手出したって損するだけだぜ。こいつ、ガキだぞ、ただの口の悪い。」
男たちは口をパクパクするばかりだ声が出なかった。あまりの恐怖で声が出なかった男たちに代わって答えたのは狐だ。
「私に手を出しまくっている貴様が言うか?」
「俺のは入りませんー。これだからお子様のおもりは。」
「なんだと!」
狐は怒りにまかせて、四季との間を隔てていた邪魔な男たちを蹴り飛ばした。払われたハエのように、男たちは抵抗も出来ず、壁に体を強打し、気絶をする。その一瞬の出来事をのんきに眺めていた四季は、
「てめえもちょっとは強くなったみてえだな。」
とあきれ気味で言った。
「当たり前だ!私はここ数日間、猛特訓をしたと言っただろ。貴様に次ぎ会った時に私の強さを見せて、褒め、あ、いや、恐怖でおののかせようと思っていたからな。」
「てめえ今、褒めてもらうって言いかけ」
「うるさい!それに、あのとき出会ったあの敵を次に会ったときにはボコボコにしてやりたいし。」
「敵?」
四季は怪訝な顔をした。
「俺、そいつのこと聞いてねえ。」
「言ってなかったか?貴様に会いに行ったあの日の晩、貴様がいつもいるあの兵のところにいたら、突然そいつは現れて、私をめった刺しにしようとしたんだ。なんとか避けたが、バランスを崩して塀から落ちた時、貴様が音を聞きつけてやってきたんだろ。」
「あのときのまがまがしい感じはそいつのか。てめえな訳ねえと思ったんだよ。」
「なんだと!」
茶化してはいるものの、四季の目は真剣だった。
「てめえ、そいつの顔は?何か特徴は見たか?」
「それが、あっちは動きも速くて、そういうのは何もわからなかった。影そのもの、というか、まさに夜の闇に溶け込んでいて、刀の切っ先だけが動いているようだったぞ。あんな化け物、貴様の他に見廻り組にいたんだな。というか、あいつは貴様なんかより、ずっと強いんじゃないのか。」
「なるほどな。」
四季は納得したようにうなずいている。
「そういうことは早く言えっての。」
早口でそう言うと、四季は狐に近づいて、改めて見下ろしていった。
「んで、強くなったのはいいが、お嬢さんはこんなところで何をやっているんですかい?」
「私のように魅力的で強い女性に行動の理由はいらないのだ。」
「てめえが腹減ったていうから、金払っててめえの代わりに団子を買ってきてやったのに、その間に勝手にいなくなってこんなところにつれこまれるなんざあ、何事ですかい?」
「こいつらがうまい酒があるっていうからな。これはついて行くしかないと思ったのだ!」
狐はまったく悪びれていない。
「見るからにガキのてめえに酒を飲ませ葉なんざ、ろくなこと考えてねえな。」
四季は言うと、男たちの横にしゃがみ込んだ。
「いつまでも子供の心を忘れない、純粋で幼い顔の美少女と呼べ。」
「んじゃあ、そんなに純粋なてめえにもうちっだけおしえてやるが、知らねえ奴について行かねえっていうのはガキでもわかることなんだぜ。こんなこと続けていると、てめえの大切な大切な仲間ともはぐれて、ひとりぼっちになっちまうぜ。」
「嫌みな奴め。何が言いたいんだ。」
狐は不機嫌に言った。
「自分一人の勝手な判断で動いていりゃあ、いつかはっ取り返しの付かない失敗を犯しちまうってことだよ。」
「それは貴様にそっくりそのままお返しするぞ、一匹狼やろうめ。」
狐はからかうように言った。今度は四季が不機嫌になる番であった。
「ちげえよ。てめえはガキ以下だって言いたかったんだ。」
「はあ?なんだとー!」
狐は四季に飛びつこうとしたが漆器の様子を見てその足を止めた。
「貴様、何をやっているんだ。」
狐は不思議そうに言う。それもそのはずだ。四季は男の着物の中に何やら手を突っ込んで物色をしているようだった。
「持ち物検査。」
「はあ?」
「てめえにもやってやろうか?」
「ひっ!」
狐は悪魔の笑みを浮かべている四季に小さな悲鳴を上げた。
「絶対にするな!貴様は絶対に変なことをする!持ち物検査以上のことをしてくる!」
「おいおい。俺は天下の見廻り組最小年隊士ですぜ。」
「だからなんだ!」
狐は叫んだが、四季は無視をして、男の持ち物を調べた。
「よし、完了。」
四季は言うと立ち上がる。
「もう終わったのか?」
狐はのぞき込むようにして訊いた。
「ああ。変なもの持ってるかと思ってたけど、たいしたことはねえな。惚れ薬の一つや二つ、持っていればいいのに。」
四季はわざと、狐の腰に手を滑らせた。
「ほ、惚れ薬!」
狐の声が急に裏返る。
「なんだ急に?惚れ薬、知ってるか?飲むと急に体が赤くなって俺をほしくなる薬だ。」
「し、知ってるわ!そのくらい!」
狐は顔を赤くして四季からあからさまに距離をとった。
「あっそ。ほら、先を急ぐぞ。」
四季は狐の腕をつかむと歩き出す。
大通りは活気にあふれている。すでに陽は高く昇り、日差しがまぶしい。昨夜から歩きっぱなしの二人は、行程をかなり速いスピードで進んでおり、夕暮れまでには目的地につけそうだ、と四季が目算したところで、狐のだだが始まった。腹が減った、と騒ぎ始めたのだ。らちがあかないと四季は諦め、団子を買いに行ってやったのであった。
「ほれ、団子。」
四季は懐から包みを取り出し、中を開ける。小ぶりな団子の串を狐に渡した。
「貴様は何も食べなくていいのか?」
狐は団子をほおばりながら見上げて訊いた。
「そういやあそうだな。」
四季はぐいっと狐の手ごと団子の串を引き寄せると、目深にかぶっている笠を少し押し上げ、串に残っていた最後の一つの団子を食べた。
「ああ!私の団子!」
「いいだろ、一個ぐらい。俺の金で買ったんだし。」
「返せ!」
「俺が食ったのでいいなら、口移しで返してやるよ。」
「おえーっ!いらない!いらない!結構だ!」
狐ははくようなそぶりを見せた。
「そういえば、貴様の師匠、えっと、朧鬼兵だっけ、そいつはどんな奴なんだ?」
「急だな。」
「敵のことは知っておいた方がいいだろ!それに、貴様を幕府の犬に仕立て上げた奴がどんな人間なのか気になるのでな。」
「なんだそれ。だたよ、てめえの無駄な慈悲と正義心。正義の味方の鏡だな。」
「いいだろ、別に。」
狐は目を伏せる。
「ま、あの人はその名の通り鬼の様に厳しい方だぜ。」
「それでは全然わからん。」
「だから、マジで鬼だってわかってれば十分ってことだ。」
「はあ?じゃあなんで貴様はこんな変態になったんだ。噂によると、貴様は幼い頃から、あの場所で幕府の犬になるためだけに隔離されて育てられたそうじゃないか。あの檻の中で貴様を変態に仕立て上げられる人間は、他に誰がいるというのだ。つまり、貴様のあれは根っからのものってことか?」
「ま、いろいろ事情はあるんだが……つーか、よく調べてんだな、俺のことも。」
「当然だ。うちの潜入舞台は優秀だからな。」
「ああ、奉行所に潜り込んでるって言う奴らのおかげか。」
「い、言うな!何でもしてやるから!」
狐は慌てていった。
「てめえって本当に馬鹿だよな。ちょっと鎌かけるとすぐに話すし。嘘の付き方も知らねえんですかい?」
四季はうなっている狐を鼻で笑った。
「じゃあ、俺のことは好きか?」
「嫌いだ!大っ嫌いだ!」
「即答かよ。なんだ、これはだめなのか。素直じゃないな、てめえ。」
「貴様みたいな変態のことを好きになる奴なんている訳がなかろう。」
「少なくとも、俺の横でぎゃーぎゃー鳴いてる奴はそうみてえだが。」
「たわけ!ほら、思い知ればいい!」
狐は好きをついて四季がかぶっていた笠を奪った。
「わっ。やめろ!」
四季は焦って取り返そうとするが、もう手遅れだった。
「あ、あれ、四季様じゃない!」
「かっこいいわあ!」
「男の俺から見ても天女のように美しい顔立ちだ。」
「四季様!是非私と一夜。」
「私が先よ!」
「こっち向いて~!」
一言で言えば混沌そのものだった。あちこちから男女を問わず四季に対する黄色い声が上がり、人が押し寄せ群れてくる。
「ぎゃー!なんだこれ!」
一番混乱しているのは狐だった。こんなことになるとは聞いていない!そうわめきたいが、四季を目当てにやってくるものたちの波にのまれ身動きはおろか、声を出すのもやっとだった。
「てめえが笠盗ったからだろ!やめろつつったのに!」
「はあ!?」
「四季様、少しでいいので私の手を握ってください!」
「ちっ。俺は、一介の隊士であって、てめえらの相手をしてくれる奴は他にゴロゴロいるだろ!あっちへいけ、この豚ども!」
「貴様。早く、どうにかしろ!」
「はあ!?」
四季が狐に叫ぼうとしたその時、視界の端で何かが光った。一瞬すれ違っていったその人物の影、そして残像のように残るその人物の笑い顔に目を見開いた。
「貴様!ボーとしてる場合か!」
「ん?あ、あーーーーっ!めんどくさいなあっ。つかまれ!」
狐がやっとの思いで手を伸ばし、四季の腕をつかんだ瞬間、体が宙に浮いた。四季が近くにいた女の頭を踏み台にして人だかりを飛び越えたのだ。
「掴まってろよ!」
最優先はこの人だかりから逃げ切ること。この際、人の目など気にしない。腹をくくった狐は四季に強く抱きつき振り落とされない様にした。四季はそんな狐の様子に少しにやつきながらも、全速力で走ってにげる。徐々に黄色い声が聞こえなくなったところを見ると、どうやらうまくまけたようだった。
「どうやら、はあ、まいたみてえだな。」
四季は息を整えながら言った。
「っていうかてめえ、いつまでくっついてんだよ。なんか、親猿に振り落とされねえようにしている小猿見てえだな。」
「なんだと!私だってな、あと一年もすれば貴様の身長なんて超してしまうぞ!なんてったって成長期だからな!あっという間にぬいてやる!」
四季は維持を張る狐に大きなため息をついた。
「てめえは、俺のこと隅々まで調べたんじゃないんですかい?」
「ああ、調べたぞ。」
「んじゃあ、そんなかに、俺が極度の女嫌いだっていう情報はなかったのかよ。」
「はあ!」
狐は叫ぶと。四季に疑いの目を向けた。
「てめえの言いてえことはなんとなくわかる。女の扱いに手慣れすぎているとか、今までてめえにしてきたいろんなことの説明でも求めてんだろ。」
「ああ、そうだ。その通りだ。貴様のことだし、女関係でトラウマでもあるのか?それとも、母上がきれいすぎて他の奴がゴミにしか見えないとかそういう奴か。」
冷やかしたつもりで言った狐だが、四季が少し考え込んでいるのをみて思わず後ずさりをした。
「貴様、まさか。」
「いやあ、案外それも有るかもしんねえって思って。うっとうしいとか、そういう理由もあるんだけどな。俺の母上は元々花魁だったんだ。まあ、足抜けしちまったらしいけど。だから、他の奴が目劣りするくれえきれいだったのは確かだし、女の扱いも、親のやりとりを見て学んだ気がするな。自分でも不思議だったんだが、なるほど、家族の影響か。」
「なんということだ……。」
狐はさらに後ずさりをした。引き切っている狐に四季は顔をしかめる。
「まあでも、てめえの扱いが特殊ってのは、てめえが俺にとっての特別だからだ。」
「はあ!怖!普通に鳥肌が立ったぞ!今のは私への告白か何かか?怖いぞ!怖すぎるぞ!」
「んあ?てめえ今のを愛の告白とでも思ったのか?告白、いや、ちげえな俺にうえてんなあ、かわいそうな奴め。」
「なわぇないだろ!私がこれまで何人の男に告白されてきたと思っているんだ!」
「どうせゼロ人だろ!」
狐は四季が言い終わらないうちに、手足のの力を強めた。
「いだだだだ!」
「仕返しだ!苦しめ!」
「てめえの強靱な手足で抱きつくなよ!その反応は図星だったんなら素直に認めろって。」
「か弱い手足と呼べ!」
「これのどこがか弱いんだよ。下手したら俺以上に馬鹿時からじゃねえか。」
「なんだと!」
「ああ、重い、重い。重くて重くて仕方がねえ。」
四季は狐をぶら下げるように前のめりに言って言う。
「女の子に重い戸は何事だ!私は普段から忍法で体重をなくしているんだから、貴様は今、なんの重さも感じていないはずだ。」
「へえ、そうなんだ。それがてめえのお得意の忍法ってわけか。どうりでやり合ってるときに妙に身軽だと思ったんだ。足が妙にはええのもその忍法のおかげか?」
「なっ。」
狐は叫んだ
「わざとはめたな!ふん!こんなものはな、数多くある私の忍法のたった一つにすぎないのだ!」
「んじゃあ他にはどんなことができるんですかい?」
「それはだなあ……。っておい。言うわけがなかろう!」
「なんだ。」
「なんだ、じゃないだろ!この私が貴様を少しでも楽にしてやろうと、今回はわざと軽くしてやったのだ!巨石のように重くもなれるのに、貴様を気遣ってやったんだから、感謝してほしいぐらいだ!」
「誰が感謝なんてするかよ。元はといえば、てめえの浅はかな行動のせいでこうなったんだからな。そっちこそ、俺に謝ったらどうだ?」
「ぬぬぬ。」
「それともなんでい。俺に抱きついて痛いだけなんじゃねえですかい?」
「なわけないだろ!」
「照れねえでいいぜ。俺みてえにかっこいい男に苦労はつきものだし。てめえみてえなガキはちょっとやさしくしてやっただけで、すぐ惚れてくるもんだから、なれてるし。」
「何をぬかしている!私みたいな美少女こそ罪作りで苦労が絶えないのだ少し私の姿を見たぐらいで、貴様の様なガキは私の虜になってしまうし、少し甘やかしてやればこの通りの変態行為に走り出される。まったく、私を遠くから拝んでおくだけにとどめておけばよかったのになあ。」
「とんだうぬぼれだな。」
「貴様こそ!」
二人は静かににらみ合った。だが、このままでは行程が遅れて面倒なことになると察した二人は突然、距離を盗るように離れた。
「はいはい。じゃあ、こう言えば満足だろ。アリガトウゴザイマシタ。オカゲデニゲキレマシタ。」
四季は皮肉たっぷりに言った。
「お役に立てて何よりだ。くるしゅうないぞ。」
狐もまねして皮肉を込めて返す。これでおあいこだと言わんばかりにため息を付いた四季は再び歩きだした。
「ここまで走ってきた分、日暮れには余裕で付きそうだな。」
「はやく貴様の師匠とやらの顔を拝んでみたい。」
「なんか、今更だけど、てめえを連れてきたの間違いだったかもしんねえ。」
「はあ!」
こめかみを押さえている四季に狐は叫んだ。
「ここまできて、何を言っているんだ!」
狐は口を尖らせた。
「先生がてめえを見たら、俺の品位が疑われちまいそうだ。」
「なんだと!」
「わっ!やめろ!」
狐は四季にまた飛びつく。四季はそれを引き剥がそうともがく。そうして二人は少し目立ちながら旅路を急ぐのであった。




