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かげろう日記  作者: 文張
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一日目 その一

「出たぞー!狐だ!」

御用提灯を持って男たちが江戸の町を駆け巡る。彼らが向ける視線の先には華麗に夜に舞う一つの影。丸く大きな月に照らされ、わずかに見える顔には狐の面。正体不明の大盗賊、狐。その名は江戸中に知れ渡っている。しかしそれは凶悪な犯罪者としてではない。狐は悪党の家から盗みを働き、それを貧しい者たちに配る、いわば、匿名の正義の味方としてなのであった。

「いたぞっ。見失うな!」

狐は屋根の上を軽やかに伝って走って行く。そのしなやかで素早い動きにほとんどの男はついていけない。そう、たった一人の男を除いては。

「あ、あの羽織は。」

「来てくださったのか。」

「当たり前だ。だってあの方こそ。」

口々に安堵の声を上げる男たちを颯爽と通り越して狐の影を追っていく黒髪の青年。羽織っている羽織には黒地に三つ葉葵の紋。彼こそ将軍直々に護衛のために結成された『見廻り隊』の最小年隊士にして、副長を務める江戸一の剣聖、虚幻四季。

 四季の目には狐の姿しか映っていない。ほかの奴はどうでもいい、というか正直に言って邪魔でしかなかった。どうせ、あいつらに狐が捕まえられる訳もないのだ。

「待てよ、狐!」

狐はなんの反応もせず、ただ屋根の上を音もなく走って行く。

「ちっ。」

こちらのことを気にもとめない盗賊に大きく舌打ちをすると、四季は長屋の壁をつかって屋根の上に飛びあがった。

「止まりやがれ。」

どうせまた無反応だろうと舌打ちを打ちかけた四季であったが、どうやら今回はすこし状況が違うようだ。

 狐が、突然足を止めた。

 今までずっと狐を追ってきてこんなことは初めてのことだった。四季は驚きつつもそれを顔には示さず、ゆっくりと足を止める。

「こっち向いたらどうだ。」

四季が言うと、期待に応えるかのように狐がゆっくりと振り向いた。初めてはっきりと見るその狐の面は無表情なせいか、ひどく不気味に見えた。

「さあ、おとなしくお縄につけ、こそ泥め。いろいろ言われちゃあいるが、いい加減罪を償えよ。」

「罪だと?笑わせるな。」

狐は初めて面ごしにその重い口を開く。聞こえてきたのは凜とした少女の声だった。

「まさか貴様は、自分の言っていることのばかばかしさに気づいていないのか?」

「この俺が間違ってるとでも言いたげだな。」

「ああ。そう教えてやっているんだ。」

その声は明らかに四季を揶揄るようなものだった。

「言わせてもらうが、てめえがいくら施しをして世間にいい面下げてても、盗みはれっきとした犯罪だ。そして、犯罪を犯してしまったら、それを償わなくちゃなんねえ。そんなこともわからねえの?」

四季もからかうような口調で言う。

「笑わせてくれる。貴様ら将軍の犬どもからしたら、確かに私は悪者かもしれないな。でも貴様らが知っているのはお上が定めた、息苦しい桃源郷のような世界だけ。汚い手を使う奴が成り上がれ、まっとうな奴がつらい思いをする生き地獄を、貴様は味わっていないのだろ?貴様らの先生はゴロゴロいるぞ。現実を見ろ。汚い奴が奪っていったものを私たちはあるべきところに返しているだけだ。私たちからすれば、貴様らの方がよっぽど悪者だな。」

狐は言い終わるとおもむろに上着を脱いだ。その下に隠れていた小さな体躯からのびる長い柄に四季は見覚えがあった。自分が今挿している刀に装飾は似ているが、見るからに軽い見た目。それは、木刀に違いなかった。

「勝負といこうじゃないか。どちらが悪で、どちらが正義か。真剣勝負ではっきり決めよう。」

馬鹿な奴だ、と四季は思った。狐の刀の腕は知らない。けれど木刀が真剣に勝てるわけもない。ましてその真剣を振るうのは江戸一の剣聖である自分なのだから。

「いいだろう。」

狐の真意は計りかねる。何か腹案があるのかもしれないが、それが何であれ、勝てる自信が四季にはあった。四季が刀を抜くと、狐も木刀を構え、深く、長く息を吐いた。

 あ、こいつ、戦いになれちゃいねえ。

 四季は直感的に気がつく。握り方もまるででたらめ。剣先も小刻みに震えている。そういえば、狐が人を殺したという話は聞いたことがない。

 勝てる。

「いざ、勝負!」

 狐のかけ声と同時に二人の体が動く。

 そして、同時に止まった。

 二人の間に突然、人影が現れたからだ。

「んあ?お前らなにやってんだ?」

突然現れたその男はかなりの酒の匂いを漂わせている。ろれつも回っておらず、足下もお没いていないようだった。

「ちっ。」

狐は小さく舌打ちをすると、くるりと向きを変え走り出す。

「あ、待て!」

四季も男を押しのけて追いかけようとするが男が邪魔で足踏みをしているうちに狐の姿は見えなくなっていく。

「くっそ。」

いっそ力尽くにでも男をどかそうかと考えたがその時にはすでに狐の姿は見えなくなってしまい、四季は追いかけるのを諦めた。 

「旦那、こんな時間にこんなところで何をしてるんですかい?危ねえですぜ。」

四季はため息交じりに言う。

「ひっく。わかったよ。」

男は千鳥足でふらふら歩き出す。

「旦那、そういやあ、あんたどうやってここまで」

来たのか、四季がそう尋ねようとしたそのとき、男が視界から消えた。まさか、落ちたのか、と四季が急いで消えた場所の下あたりを探すが見当たらない。振り返っても、屋根の上にその姿はなかった。

「変な奴。」

気がつくとやっと追いついたらしい男たちの声がした。

「狐はどこだ。」

「見失った。」

「またやられた。」

追いかけるだけ無駄だといつになったらわかるんだ、無能どもめ。あれは俺用の獲物だ。

 四季はそう心の中で毒づくと向きを変え、江戸城の方へ向かう。

「さ、怒られにでもかえるとするか。」

四季はおそらく鬼の形相で自分の帰りを待っているであろう後輩を思い浮かべ苦笑するのであった。

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