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かげろう日記  作者: 文張
18/42

七日目 その一

 三日がたった。

 狐は春雷にいた。この三日、たった一人でここで酔い潰れるというのが最近の狐の日課だ。しかしこの夜は違った。店の前に見覚えのある人影が現れたのだ。狐は飲みかけのおちょこを放り扉に駆け寄る。ゆっくりと開く扉にてをかけると力尽くで扉を開け放ち、目の前の人物に飛びかかった。

「きっさま~!」

「うわっ」

ここ最近の狐のもう一つの日課。それは今まで以上に厳しい修行である。そのおかげもあって、格段に反射神経の増した狐を避けきれず、四季は飛びついてきた狐ごと後ろに倒れる。

「なんだよ。」

思い切りうった頭をさすりながら四季は半身を起こす。

「なんだとはなんだ!」

狐も四季の上に突っ伏していたが

身を起こしたと思うと前のめりで四季に叫んだ。依然、道の真ん中で、四季の上に乗ったままで。

「あんなことを言わせておいて、私が貴様を許すとでも思ったのか、この変態め!」

「ああ、はいはい。」

四季はため息をつく。

「でもあれのおかげで、てめえの正体はあやしまれなかっただろ。だったら、感謝してほしいところだぜ。感謝じゃあ足りねえか。俺に絶対服従を誓う、とかでもいいな。」

「やっぱり貴様は変態だ。私にどんなことをさせようとしているんだ。ああもう、考えただけで気持ち悪い。」

狐はわざと己のみを抱くような格好をして言う。

「演技にかこつけたって、私は信じないぞ。貴様からは悪意しか感じなかった。私の純粋さをもてあそびやがって。ちゃんと教えてもらったぞ。よくもあんな辱めを。」

「お前だってノリノリだったじゃねえか。」

「貴様の目は節穴か!」

「てめえ、この前もこれをいいに江戸城まで来たのか。やっぱてめえは子供だな。なんだよ。どうせほれられるんなら、てめえみたいな女狐じゃなくてもっとちゃんとした娘がよかったなあ。」

「なんだと!」

狐は四季に詰める。

「あれ?もしかして狐さん、焼いてます?」

「な、なわけないだろ!」

「へえ、てめえみたいな単細胞でもそんなこと思うんだ。」

「なに!私だってそのくらいおもうわ!」

「え、やっぱり狐さん、四季さんに惚れてるの?」

「ち、ちがうぞ!」

狐はギャンギャン吠える。四季はさらに狐をあおっていく。

「ぬぬぬ。」

まるで糠に釘、どころか、自分がどんどん不利になっていく会話に狐は思わずうなる。

「とにかく、店の中に入れさせてくれ。てめえ、立派な営業妨害してるぜ。こんな風に店の入り口でカップルがいちゃついてちゃあ来る客も来ねえよ。」

四季はそう言うと、狐の脇をつかんでひょいと持ち上げる。

「わっはっは!く、くすぐったいぞ!貴様何をするんだ!」

足をばたつかせて狐が言った。

「だっこだ、だっこ。高い高いもしてやろうか?」

「おろせおろせ!」

笑いが止まらない狐は、喜んでいるようにしか見えない。

「てめえは子供か、まったく。」

あきれたように四季が言った。とりあえず、狐がうるさいので抱き上げたままやっと店に入る。

「この変態やろうめ!何をする!警察を呼んでやるよ。」

「残念でした。俺が警察ですー!」

「なんでこんな奴が警察なんだ!」

狐は大げさに嘆くようにしていった。

「はいはい、社会でも悲観しとけ。こんな奴が世間様を守っているなんて、世も末だとな。」

四季は狐を下ろすと、後ろ手で店の鳶れを閉める。

「久しぶりだねえ、四季くん。」

鳴神は目を細める。

「ええ、久しぶりです。これなくてすみませんでした。」

「仕事に片が付いたのかい?」

「まあ。これから死神に全力を注ぐために、久しぶりに本気でこき使われてきやした。」

「そうかい。よかったねえ。」

ちらっと鳴神は狐を見る。それに気づいた四季も狐の顔をのぞきこんだ。

「ほら言っただろ。四季くんは別にあんたを見捨てて、捜査をやめたんじゃないって。」

言われた狐は顔を伏せる。

「なんだ、てめえ。そんなこと思ってたのか?」

四季はにやりと笑ってみせる。

「狐ちゃん、心配してたんだよ。毎日この店に来ては、四季くんがいるか確かめてたんだから。」

四季は素直に驚いてみせる。

「てめえあれか?私と仕事、どっちが大事なのって奴」

「この頃、あの男も来てないし、四季くんも来なかったから寂しくなっちゃたのかなあ?」

狐はこぶしを握りしめるとやっと口を開いた。

「き、貴様のことなんか気にしていなかったぞ。ここへ来たのは、あの男がいるか確かめる為だけだ!この三日間だって、私は貴様の何十倍も、いや、何億倍も忙しかったんだからな。」

「へえ。なにしてたんだ?」

「もちろん、修行に決まっているだろ!これでもう貴様には負けないし、死神にも負けない。まさに一石二鳥というわけだ。次は負けないぞ!この三日間で私は進化したからな。いわば狐Xになったのだ!」

狐はどや顔をする。

「だっせー。その名前、だっせー!」

「はあ!よくもいったな!」

四季に飛びかかる狐だが、それよりも先に狐の頬を四季がつまみひっぱった。

「ふぁふぃふぉふふふ!(何をする!)」

「え?なんて言ってるんですかい?」

「ふぇっふぉうふぁ!ふぇっふぉうふぉふぃふぉ!(決闘だ!決闘をしろ!)」

「この間抜け面で言われてもなあ。」

「ふふぁふぉ!ふぁふぁふぇ!(んだと!放せ!)」

「ほい」

四季は狐の頬から手を放した。狐はつねられていたところを痛そうにさすりながら叫ぶ。

「やっぱり、私が何を言っていたかわかっているではないか!」

「俺みてえな天才には間抜けが何言ってるかなんてわからねえ。」

「なんだと!はあ。これだから、少女を好き勝手にからかって至福を肥やしいる男の生態は理解できないな。」

「あの男のこと言ってんのか?つーか、てめえ、あいつに対しては変態だ、とかなんとか、あんま叫ばねえのに、どうして俺にはそんなツンデレなわけ?もしかして狐さんって俺のこと……。」

「大っ嫌いだ!この世で一番!」

狐は食い気味に言った。

「あれれ、狐さん、どうしたんですかい、急にそんな焦って。」

「ち、ちがうぞ。私は断じて、貴様のことなど。」

狐は必死に否定する。店の中が笑いで包まれた。そんなことになっているとはつゆ知らず、店の扉を開けて、場を瞬時に凍らせた人物がいた。陽炎である。扉が開く音とともに、狐は四季の体に隠れるようにして様子をうかがい、四季は面倒くさそうにため息をついた。鳴神はというといたって普通であった。

「よお。」

「あんた、今までどこで、何をしていたんだい。」

鳴神が発したその声のあまりのおそろしさに陽炎は思わず身震いをした。

「す、すまなかった。か、金は、は、払うから。」

鳴神の無言の圧になんとか耐えながら、陽炎は懐から金を出す。

「頼むから、な、お、落ち着いてくれ。」

「倍の料金を払ってもらおうかね。」

陽炎はその言葉を聞いて、安堵と絶望で方を落とした。

「これまでにあんたがしてきた飲み逃げの落とし前は、今日、きっちりつけてもらうからね。」

「はい……。」

陽炎が財布の中の金を数えて、さらにがっくりと肩を落としたタイミングで四季は声をかけた。

「あんた、ここ数日どうやら店に来ていなかったみてえだが、何をしていたんですかい?」

「その言い方だと、お前もここの店に来てなかったんだろ。」

先ほどまでと同様にしょげた様子の陽炎だが、普段のれいせいさは取り戻したようだった。なんだ、と四季は心の中で舌打ちをした。

「仕事が忙しかったんでさあ。俺はてめえと違って社会に貢献してますから。」

「なら、俺は飲み歩いてたってことで十分だな。」

その言葉は、明らかに嘘だった。しかし、四季はこれ以上問いただすのはやめた。陽炎はいつもの様子に戻ってしまったから、このまま問いただしてもはぐらかされて終わるだけだと察したからだ。

「んじゃあ、久々にあえてすぐで悪いんですが、俺たちは少し遠出をしてきます。」

四季は唐突にそう言うと、狐の方を向き、その腰を抱き寄せた。

「なあ。」

四季の悪魔の笑みに狐は思わず悲鳴を上げそうになった。頭の中で継承が鳴り響く。手を引きはがそうとしてもびくともせず、むしろ腕の力は強まるばかりだった。

「ちょっとまて!この腕を放せ!私はそんなこと聞いていないし、了承した覚えもないぞ!」

「そりゃあそうだ。てめえに言ったのはこれが初めてだからな。」

「私はいやだぞ、絶対に。貴様とどこかに行くなんて。」

「今更何言ってんだ。別に、遊びに行く目的じゃねえよ。捜査を史に行くんだ。」

「捜査だと?死に神のだよな。」

「死神を知っている人間は俺が知る限りでは先生、ああ、つまりはうちの前の局長しかいねえから、その人に話を聞きに行こうってこった。」

「貴様って、本当に知り合いが少ないんだな。」

狐は哀れむような目で四季を見た。

「てめえにだけは言われたくねえよ。」

四季は余裕そうに答える。

「もう先生に連絡はしてある。少し遠いがてめえなら問題はねえだろう。」

「日帰りだろうな。」

貴綱は恐る恐る言った。

「んなわけねえだろ。数日はかかる。」

「なに!」

「まあ、行きに一日、先生のとこで一日、帰りに一日、そんなもんだな。そんくらいなら、いくら仲間大好きな狐ちゃんでも、寂しくはならねえだろ。それに、三日ぐらいてめえがいなくても、てめえの仲間に何か起こるってことはないと思うが。」

「問題はそこではない!」

狐が叫ぶ。

「はあ?仲間第一のてめえが一番心配しているのはそこだと思ったんだが。」

「確かに、今貴様が言ったようなことも、私にとっては気がかりだ。だが、私は仲間を信じている。あいつらは、私がいなくてもどんな敵も倒せる強さを持っていることは私が一番よく知っている。」

「だったら、なおさら、死神とやらの話を聞きに行った方がよほど有益なんじゃねえの。」

「だから、問題はそこではないのだ!」

狐は四季をにらみつけた。

「貴様とだけは、絶対に、行きたくないんだ!」

「てめえはどこぞの姫様かよ。俺の何が気に召さない。普通の女は俺と旅路をともに出来るなんて聞いたら、おかしくなるほど喜ぶはずなんだが。」

「どうとでも言えばいい。でもな、私に何をするかわからない貴様とだけは絶対に二人きりになりたくないのだ!」

狐の言葉を聞くと、四季は何かに納得したかのように鼻で笑った。狐の耳元に顔を近づけると、小さな声でつぶやいた。

「安心しろ。俺は捜査以外の、てめえと過ごす時間も大切にしてえと思っているから。」

「ひっ。」

四季の意味していることはわからなかったが本能的に感じた危機感から、全身がこわばったのを感じた。狐はにげようとばたつくが、やはりびくともしなかった。

「四季くん、痛くはしちゃだめよ。」

「わかってまさあ。」

「とにかく、貴様とだけは絶対にいやだ!」

狐は叫んだ。

「俺は治安を守る側の人間だぜ。安心しろって。」

「こんな格好で言われても、何も安心できないわ!むしろ不安になるわ!放せこの偽警察め!」

「なんだよ。正直に俺に甘えろって。」

「貴様と行くぐらいならな、鳴神さんか、それがだめなら陽炎と行く!」

「は?」

四季のその声はひどく冷淡なものだった。

「ま、そういうわけでさあ。」

四季は無理矢理狐を抱いて店の外に出る。

「わかったよ。江戸の方は俺がやっておくから。」

陽炎は四季と目配せをする。

「え、いや。ちょっとまて!」

狐は最後のあがきで扉をつかもうとするが、手は空をかすめただけであった。

「ほら、行くぞ。てめえも俺と行かれてよかったな。」

「いやだ!これは誘拐だ!いいのか、同意のない連行は犯罪だぞ!大騒ぎして、言いふらしてやる!」

「お好きにどうぞ。なら俺も、こいつが狐で、狐は見廻り組に色仕掛けをかけるような下品な奴って言いふらすからよ。」

「なに!というか、えん罪だ!私はそんなことした覚えは一切ない!」

「でも、てめえの仲間が聞いたらどう思うだろうな。」

四季は背後を視線で示した。いつの間にか消えていた四季の追っ手の代わりに、そこにあったのは狐の気配。

「やもり、いもり!」

「あいつらに心配されたくねえなら、今はおとなしく俺に従うしかないな。」

二人がここを通っているのはおそらくはタダの偶然だ。だが、運までも四季に味方したとなると、狐にはどうにも解せなかった。

「この、悪魔め!」

「うるせえ。いい加減おとなしくしねえと、てめえの口をこのまえみてえに塞ぐ所をあいつらに見せつけるぞ。」

狐は一気に赤くなった顔を隠すように四季の着物に顔を薄めると叫んだ。

「この卑怯者!」

「はいはい。」

「この変態!えせポリ公!嫉妬やろうめ!」

「好きって素直に言えばいいのに。」

そんな二人の声が徐々に小さくなっていくのを感じ、店に残った二人はやっと胸をなで下ろした。

「行ったみたいだね。よかったよ。」

「ああ。でも、あの感じ、四季はとっくに勘付いているな。」

「あの子は本当に頭が切れるみたいだからね。」

「すまんな、もう少しだけ、俺の茶番に付き合ってくれ。」

陽炎は申し訳なさそうに、しかしなれた様子で言った。

「わかってるよ。昔に戻ったみたいで、腕が鳴るよ、本当に。」

「よろしくな。」

陽炎はいつもの席に座ると、なんとなく、静かな店内を見回した。

「普段はもっと客がいるんだよ。ここ最近は人払いしちゃってるんだけどね。」

鳴神は困ったような声で言った。

「あんた、今日はせっかく二人きりなんだから、昔話でもするかい?積もる話ってのがこっちにはあるんだよ。」

「そうだな。こんな風にお前といられるのも、あと少しみてえだし。俺もお前に話したいことはいっぱいあるんだ。」

「やっぱりもう、結構進行しているのかい?」

「みたいだ。」

陽炎は鳴神からお燗とおちょこを受け取る。

「まあでも、ただくたばるよりかはいいことが出来ている気がするし、もう悔いはねえよ。」

陽炎は一口、酒を飲んだ。

「あんたらしくないねえ。甘んじて定めをうけるなんてさ。あんたはどれだけ苦しくてつらくても、もがいてもがいて、どんな暗闇に飲まれても、笑って生き抜くような人間だと思ってた。」

「それは、お前の方だ。それに、買いかぶりすぎ。俺はもう死んでるんだぜ。」

「私からすればあんたはとうの昔にしんでいるけどさ、今こうしてあたしの前で酒を飲んでいるあんたは、まだ生きているんだろ。」

「まあ、そうだけど。」

陽炎は持っていたおちょこをカウンターに置くと、手を頭の後ろにまわした。

「ま、何はともあれ、今の俺が一番『俺らしい』気がするんだ。大きな理想を口にしては、とんでもなくおおきな壁にぶちあたって……あいつらと同じだ、まあ、解決の仕方には個性が出てるけど。なんだかなあ。」

「あんたらが変なとこばかり似ているのには同感だよ。余計な人助けに首を突っ込んで、身を削って。そういうのをたまには無視してもバチは当たんないと私は思うけどね。」

「そんなこと言ったら狐にどやされるぞ。」

「それもそうだね。」

二人は笑い合った。

「じゃあ、先に俺から話させてもらおうかな。お前、聞いたらきっと驚くぞ。」

「さあ、どうだか。アタシは大抵のことは経験してきているからね。」

「じゃあ、俺が今から言うことをお前が経験したことなかったら酒代をタダに……。」

「それとこれとは話が違うよ。」

「ですよね。」

 そうして、二人は夜通し語り合った。時には笑いながら、時にはからかい会いながら。この瞬間だけ、二人の時が過去に戻るのはこれが最後かもしれないと覚悟をしながら。

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