四日目 その四
その日の夜。
「まったく、なんなんだあいつは!」
狐は面の下で叫ぶ。今は真夜中。人通りもないので狐は思う存分口を漏らしていた。まして今日は、どこかで盗みをしてきて追われているわけでもなから、ストレス発散もかねて屋根から屋根へしなやかにすばしっこく走り抜ける。向かう先は、江戸城。もちろん、盗みをするためではない。江戸城にいるはずの四季にもの申すためだ。
「まったく良くもあんなことを私に言わせたな。本当に最悪な奴だ。それにあんなことまで。」
狐は鳴神からやんわりと自分が口にしたことの意味を教えられた。ちゃんと理解が出来ているわけではないが、うかつに口に出してはいけないことであることはよくわかった。なる神に言われたことと、四季にされたことを思い出すだけで顔がみるまに赤くなる。
「もの申したいことが山の様にある。絶え間なく出てくるな。」
早くあいつにぶつけてやりたいものだ。
江戸城についてすぐ、狐が向かったのは四季がいつも昼寝をしているあの場所だった。しかし、四季はそこにはいない。というか、ここで四季が昼寝をしていないだけでいとも簡単に江戸城に侵入出来るのだから、あながちあいつの昼寝もばかにはできないんだな、と狐は感心した。って、いやいや。感心している場合ではないのだ。気を取り直して狐があてをつけたのは四季の部屋だ。進んでいきたい場所ではないが、いるとしたらそこだろうし、今は文句を言ってやりたいという気持ちが強かったのだ。決意を固め勇気を出して狐が一歩踏み出したそのときだった。
「!」
キラリ、と目の前で何かが光る。それは言わずもがな刀であった。狐は反射的に宙返りをして後ろににげる。なにせ塀の上なので足場が狭い。あまりにも間髪を入れずに入ってくるその攻撃を狐はよけるだけで精一杯で、仕掛けることすらも出来なかった。四季とやり合った時とは違う、それよりももっと鋭く素早い刀を向けてくる相手が誰なのかさえわかからなかった。武器を持たず、相手を傷つけることになれていない狐はにげることしか出来ない。相手を確認する余裕も、反撃の機会も得られない自分への怒りは高まる一方だった。
「くそっ!」
怒りが最大限に達しとき、相手の刀が狐の面をかする。
注意散漫だったか。
バランスを崩した狐は塀から落ちる。
くやしい。自分が憎い。
「ま~たね~。」
落ち行く狐に相手は言う。その声に狐は聞き覚えがなかった。ここまでの剣客がこの江戸にいたなんて。ふくろうは知っているのだろうか。
次の瞬間、狐は地面に激突した。幸い、相手がすでに姿を消し追ってこないことを確認し腰をさすって立ち上がる。
「くそっ。」
とはいえ、やっと一難去ったと思うと、また一難、災難はやってくるのであった。
「なんだてめえか。」
狐が落ちた音を聞きつけ、四季がいち早くやってきたようだった。
「『なんだ』とはなんだ!というか、何しに来た。」
「それを聞きたいのはこっちの方だ。」
「ふうん。貴様もやっと仕事をやる気になったのか。」
嫌みたっぷりに狐が言う。
「ああ、強制労働だ。今夜は狐とかいう輩も出てねえらしいし。」
「なるほど。それで貴様たちは、この私を侵入者かなにかと間違えて、ここまで駆けつけてきたと。難儀だなあ。」
「てめえが侵入者であることに違いはねえだろうが。というかてめえ、まだ怒ってんのか、昼間のこと。」
「怒るも何も、怒るに決まっているだろ!」
狐は小さい声で叫んだ。
「はいはい。すみませんでしたあ。」
四季はさもさっきから言い慣れているかのような口調で平謝りをする。
「用件はこれで全部か?なら、逆に俺の方から伝えてほしいことがある。俺はしばらく店に行けねえって、あの男に伝えてくれ。よろしくな。」
言うと四季はくるりと向きをかえる。言いたいことは山ほどあったが、なぜかそれが出てこなかった。代わりに狐は四季に問いかける。
「少しの間いけないだと?」
「そのままの意味だ。」
四季がそう答えたとき、遠くから隊長の声がした。これを聞いた四季は軽く塀を跳び越え塀越しに言う。
「てめえとは違って、こっちは仕事が忙しいんでね。」
四季が遠ざかっていく音がする。
「副長!また急に走って一人で行って……進入者ですか!」
「いや。そうかと思ったら狐だったみてえだ。野生の狐が迷い込んじまったらしい。」
遠くのそんな話し声に耳を澄まし、狐は一人取り残されていた。突然、とてつもない孤独感が彼女を襲った。陽炎は姿を消し、四季は遠くへ行ってしまう。狐はため息をつくと狐面を付け直した。心を覆う寂しさの原因がわからなかった。
とにかく。とにかく、家に帰ろう。
帰り道には一門の屋敷があった。あそこでは今も仲間たちが情報収集をしてくれている。狐の仕事は盗みの実行だから今はこうして見守ることしか出来ない。これでいいのかと思ったことは何度もある。それで許されているのは、仲間が助けてくれているからであって、自分の実力が認められているわけではないのではないか、と。狐の頭に思い浮かぶのは、さっきの正体不明の敵だった。頭首として仲間を守る身として、あってはならないことをしてしまった。自分がいかに仲間に依存していたのかをいやでも思い知らされる。
かといって、四季や陽炎のように完全に孤立したいとも思わなかった。自分勝手を貫けば、師匠の意思にも反してしまうことになる。それに、仲間がいなければ、自分が自分でいられないことは、自分が一番よくわかっていた。
ならば。
取り残されているなら。
追いつけばいいのだ。
たったそれだけの話だ。追いついて、追い越せばいい。
狐はそう胸に刻むと、やる気に満ちた足取りで家路を急ぐのであった。




