四日目 その一
次の日。例のごとく、いつもの場所で四季は昼寝をしていた。今日も休み、というわけでもなく、今日はばりばりの勤務日である。
「なんだよ。」
四季は突然隣に座ったと思うと体重をかけて寄りかかってきた人物に声をかけた。しかし狐は何も答えない。四季は片目を開けて狐の方を見た。目の前には一面の狐の顔。
「うわっ。」
反射的に四季は刀に手をかけたものの、すんでの所で動きを止める。
「なあ、どういうことなのだ。」
「どういうことって、どういうことだよ。」
「だ、か、ら、あいつが言っていることが嘘かもしれないとか、あいつはもう死んでいるかもしれないとか、そういうことに決まっているだろう!」
「ああ、そんなことか。」
「そんなこと、だと!なんで貴様はそんなに冷静でいられるんだ。悠長に仕事をさぼってこんなところで昼寝なんてしているんだ!」
「俺は別にさぼってねえ。こうして今も侵入者に事情聴取をしているじゃねえか。って、昨日もこんなこといわなかったか?」
四季は面倒くさそうに言った。
「つーか、あの男の言うことなんて、そもそも信じる気もあんまなかったし。」
「なに!」
狐は勢い余ってさらにぐっと四季に近づいた。あまりに顔が近いので、四季は思わず横を向く。
「てめえは人を疑うことをおぼえろ。」
四季の体の上に無防備に乗っている狐は
「むむむ。」
と言ったがどく気はないようだ。
「それで、あいつがしんでいることとか、嘘をついているとかいったのは、ふくろうか?」
「ああ、そうだ!」
狐の顔がぱっと明るくなった。
「ふくろうはすごいんだぞ!あいつは私の大切な右腕だ。機貴様の何億倍もやさしくて、頭もよくて、愛おしくて、尊敬できて、たよれて、それで。」
「そんなに言うなら、一回そいつに会ってみてえな。」
四季は狐の言葉を遮るようにして言った。
「ふんっ。貴様の様な超危険人物に私の大切な大切な人を合わせるわけないだろ。それに、貴様のことだから、あったら知恵比べでもしたがるかもしれないが、そんなものは無駄だ。貴様の勝ち目は最初からない。」
狐が偉そうに言うと、四季は明らかに不機嫌になった。
「それで、何を俺に教えてほしいんだ。」
四季は仕切り直すように言った。
「全部、だ。」
「嘘つけ。てめえがわかんねえのはほんの一部で、本当はわかっていてもその事実と向き合わないようにしているのがほとんどだろ。」
「むむむ。」
「なら、ちょうどいいな。」
四季は詰め寄ってきていた狐をきゅうに抱きしめると、そのまま立ち上がった。侵入者を排除するついでだ。ちょっとおもしれえもん見に行くぞ。」
「!何をする!」
四季は狐の叫びなどお構いなしに飛び上がると軽く塀を跳び越えた。
「よし。じゃあ、行くか。」
「ま、まて。このまま行くのか!」
腕の中で狐が暴れるので四季はぱっと手を放した。どさっと地面に落ちた狐は恨めしそうに四季を見上げる。
「いいだろ、別に。てめえは正体がばれたくねえなら、狐の面でもつけりゃいいじゃねえか。」
「は?貴様は馬鹿か。それじゃあ私が狐ですっていっているようなものではないか。」
「それこそ、別にどーでもいいことだろ。町人にばれたっててめえはあいつらの救世主なんだからよ。それに、てめえは俺に身も心も捕まっているんだから、他の奴のことなんて気にするな。それとも、俺のことしか考えられねえようにしつけてやろうか?狐のしつけって、犬と同じか?」
「貴様の独占欲は本当に怖いな。」
「安心しろって。まだ手は出さねえ。俺は好きなものは最後に食べる主義なんだ。死神の面倒ごとが終わったら、じっくりな。」
「やっぱり貴様の方がよほど犯罪者だな。」
「へいへい。というか。」
四季は少しあたりを見回した。
「てめえはいいけど、俺は顔を隠してえな。このままだと人だかりが出来て目立っちまうし。」
言って四季はそこら辺にちょうど捨ててあった編み笠をかぶった。
「さあ、行くぞ。」
「行くってどこへ?」
「一門の家。おもしれえから来いよ。」
「は?って、おい!」
勝手に歩き出した四季を追いかけ羽化少し足踏みをした狐だが、迷った末においかけることにした。四季の知っていることで自分が知らないことがあるのは悔しいからだ。
四季は本当に影暗一門の屋敷に向かっているようだった。仕事中の仲間たちの邪魔をしないようなるべく気配を消して、狐は四季の後に付いていく。
「貴様はよくもそう堂々と仕事をさぼれるな。他の奴の負担を考えたことあるのか。」
「ねえよ。」
「おい。」
四季は答えようとして、ふとあることに気がつく。
またか。
今日も誰かにつけられている。今度の気配は一人だ。だが、感じたことのないまがまがしい気配である。
やっかいだな。死神なら都合はいいが。
「おい。」
きゅうに黙った四季を不審に思ったのか狐が言った。
「んあ?」
四季は狐が気配に気がついていないようなので黙っておくことにした。騒がれて、つけてきている人物ににげられることの方がさっけたい。
「ああ、そうそう。サボるのは、許されねえよな、そうそう。」
四季は言うと屋敷の方へ大股で歩き始める。
「て、おい。許されないと思うのなら、さぼるのをやめて真面目に仕事をしようと思わないのか!」
四季は狐の突っ込みなど無視し、さらに早足で歩く。狐は小さな歩幅で後を追いかけた。
「今日は局長もあいつもなんか休みでいねえから、さぼっても俺を叱る奴はいないから。」
「叱られる、とかじゃないだろ。貴様は何よりもまず、あの将軍を守んなきゃいけないんじゃないのか?そんなんで、なんで幕府の犬になったんだよ。」
「まあ、都合がよかったからかも。」
「進んでなったわりには、貴様は幕府に対する忠誠が少しも見えないが。」
「失礼な。あるぞ、俺にだってそれくらいは、人並みに、隊士として、な。」
「人並みではだめだろ。」
「それに俺、別になりたくてなったわけじゃねえし。」
四季は小さな声で付け足し、
「てめえはどうなんだ。」
と質問を返した。
「私か?」
「あ、そうだった。昔の記憶がないんだったな。」
四季は鼻で笑うようにして言った。
「でもそれって結構幸せかもしれねえぞ。」
「はあ?」
狐は素早い動きで四季の襟をつかんで引き寄せた。四季はやれやれと目で示したが、狐はそんなことを気にせずに四季をにらみつけた。
「これのどこが幸せなんだ。いくらいい師匠と仲間に出会って家族同然に大切にしてもらっても、やっぱり本当の父と母に会いたい、そう思うのは当然のことだろ!」
「てめえは親っつうもんを知らねえからそうおもうんだ。てめえの親がいい奴とはかぎらねえんだぜ。てめえをひどく扱うようなくそ野郎だったら、わらえねえよ。」
四季は冷静な声で言った。
「俺は、親のことなんかてめえみたいに忘れたかった。今でも、あんな親のこと、和っすれてえってずっと思っている。」
「貴様は私のように実際に体験していないからそうおもうだけだ……。お前って、本当に子供だな。」
狐はきっと幸せな家族像しか知らないのかもしれない。それしか知ることが出来なかったのかもしれない。彼女は仲間たちに大切に、大切に育てられてきたのだ。だから、理想の家族像が理想であることにさえ気がつかないのだ。四季は小さくため息をついた。自分が感じているこの感情は、哀れみなのか、憧れなのか、妬みなのか、自分でもわからなかった。
「本当に、あの男は何がしたいんだよ。」
いつのまにか口にそう出てしまったようだ。狐はその言葉を聞くとぱっと四季から手を放して我に返った。
「なんだか前から思っていたんだが、私はあの男を昔、見たことがある気がするんだ。」
「他人の空似だろ。」
四季は即座に一蹴した。
「んだと!」
「てめえの勘なんてほとんど勘違いだろ。」
「はあ!」
狐はギャンギャン吠える。
「あれ?狐の声はするけど姿は見えないなあ。」
四季は虚空を見ていった。
「おい。無視するな。ここだ。」
「あれ?どこだろうな。」
「ここだ!」
「おい!下を見ろ!」
「お、いたいた。小さくて見えなかったぜ。」
「ふんっ。貴様が無駄にでかいのがいけないのだ。私がどこにいるのかもわからない奴には負ける気がしないな。」
「いや、てめえはそんな俺に負けっぱなしだったじゃねえか。勝つのはおろか、引き分けだったこともなかった気がするが。」
すると狐が頬を膨らませる。
「あれは貴様が悪いのだ。」
「は?」
「貴様が、私のようなかわいすぎる少女に対し、あんなことを断りも手加減もせずにしたのが悪い。」
「あんなことって。言っておくが、俺はてめえに別に変なことをしたつもりはねえよ。」
「今更しらばっくれたって無駄だぞ!貴様があんなことをしたから、戦おうと思っていた私の気持ちが狂ってしまったのだ!」
「だぁかぁらぁ。」
四季はため息をついた。
狐のいう『あんなこと』というのは単純にいえばちょっとした事故で四季が狐の頭に触れてしまったことだった。
「だから、あれはわざとじゃねえっていってるだろ。それに、てめえに少しでも情けをかけてやったんだから感謝してほしいぐらいだ。」
四季と狐が対決したあのとき、四季の連続攻撃をよけようとした狐が思いがけずバランスを崩し、それをかばおうとした四季が狐の頭に触れてしまったのだ。あげく、それをことごとく嫌がった狐は変な姿勢で地面に落下したのであった。
「感謝だと!するわけがないだろ!貴様のようなやつが私に触っていいわけがない。純粋でかわいくて、高嶺の花な存在であるほどのこの私に貴様のような変態ポリ公が話をしてもらえるだけで喜び感謝してほしいところだ!」
「変態ポリ公言うな。てめえが純粋だ?かわいくて高嶺の花だと?わらわせるがな。てめえなんてほら。」
四季は狐の顎をつかみ持ち上げる。
「こうすれば、俺になんてすぐ惚れちまうだろ?」
「は、放せ!」
四季から距離をとると、狐は念入りに顎を拭いた。
「てめえ、顔赤くなってんぜ。」
「なっ。」
ニヤニヤしている四季の顔を狐は両手でつかんでぐいと自分の方に近づけた。
「惚れてなんかない!断じてそんなことはあり得ない!貴様がしていること、貴様が言っていることがあまりにも馬鹿馬鹿しくて、こっちまで恥ずかしくなってしまったのだ!」
「へえ。」
「き、貴様こそ私の虜になっているではないか!」
「残念でしたぁ、なってませんー。てめえ見てえな奴、誰にもめとってもらえねえよ。あーあ、かわいそ。」
「何だと!」
「あわれだなぁ。気が向いたら俺が逮捕、いや、もらってあげようか。素敵なマイホーム、という名の牢屋で。」
四季は狐の方に手を差し伸べる。
「うわっ。気持ち悪っ。」
狐はじわじわと距離をとった。
「貴様こそ、貴様がこんなに変態だって聞いたら、みんなスーッと離れていくぞ!」
「別にいいぜ。俺はいっつもああいうのうっとうしく思っているし。」
「貴様に惚れた娘たちがかわいそうだ。」
「つまり、自分を悲観してるってことか?」
「なわけあるか!」
狐が叫んだそのときだった。
「副長!」
突然、隊長の声がした。
「ひっ。」
狐はとっさに四季の背中に身を隠す。四季は邪魔をされ、不機嫌を丸だしにじとっとした目で、駆け寄ってくる隊長の方を見た。
「てめえ逃げるなら今のうちだぜ。」
四季は視線はそのまま小声で狐に言う。
「俺はあいつからかって来るからよ。」
四季は一歩足を前に出す。しかし、狐が四季の着物のそれをつかんで引き留めた。
「いや、ちょっとまて。今更逃げられない。貴様は面白いかもしれないが、こっちからしたらかなり絶体絶命に近い状況なのだ!」
「逃げればいいじゃねえか。俺なら余裕だけど」
「はあ!ふざけるのもいいかげんにしろ!」
「なんだてめえ、俺の言葉遮ってまで……ああ、そういうことか。つまり、おまえは俺から離れたくないってことか。」
「なわけあるか!このたわけ!」
「しーっ。」
興奮して叫ぶ狐の口に四季はそっと人差し指をあてる。
「じゃあ、来るか一緒に。」
「ま、まあいいぞ。貴様一人では何にも出来ないだろうから、守護神であるこの私が後ろで温かく見守ってやろう。」
「誰が守護神だって?」
「この狐様に決まっているだろう!」
ここまで言ったところで隊長が来た。驚いたことに局長も後ろからゆっくり歩いてきたようだ。
「副長、こんなところで何をやっているんですか?」
隊長は怪しむような声で言った。
「何って、別に。」
「なぜ仕事中であるはずのあなたがここにいるんですか?」
「てめえらこそ、こんなところにそろいもそろって。そっちこそ、サボりじゃねえの。」
「俺は今日は非番なんです!」
「あれ?そうだったっけか。」
「ああそうだ。」
わざとらしくとぼける四季に答えたのは遅ればせながら登場した局長である。
「俺とこいつは今日は午前休だって言ったろ?」
「ああ、そうだったですね。」
四季はにっこりと微笑んでみせる。
「それより」
隊長が言う。
「なぜ、あなたがここにいるんですか!」
ここ、というのはすなわち、一門の屋敷の近くということである。
「そりゃあ、まあ、抜け出してきたからに決まってんだろ。」
「お前また、何も言わずに抜け出てきたのかよ。」
局長がため息交じりに言った。
「俺が聞きたいのは、そういうことじゃなくて、ここで何をしてるのか、です。」
「そりゃあお互い様だろ。ここはプライベートで遊びに来るほどおもしれえ場所じゃねえし。」
四季は言うと局長の方に視線をずらす。
「ここじゃあなんですから、屯所戻りますかい?」
「いや。あそこでは話せない。どこかほかの場所で話そう。」
「なら、いい当てがありますぜ。」
「本当か。すまんな。」
局長はここまで言うと急に真面目な顔で四季を見る。
「ところでなんだが、お前の後ろに隠れている娘さんは……」
副長もチラリと狐の方を見ると、
「副長もしかして……」
と言う。なるほど。わざわざ焦って副長が近津いてきた理由はこれか。そうなれば、言うことは一つしかない。四季は狐に悪魔のような微笑みを向けると隊長に言った。
「こいつは俺の、彼女でさあ。」




