二日目 その八
死神。
裏社会に身を投じている者でその名を知らない者はいない、伝説の殺し屋だ。といっても、殺し屋と言うよりも、人殺しに近いといったほうがいいのかもしれない。死神は、依頼された相手を必ず殺す。しかし同時に、殺しの依頼主も殺すのだ。彼に殺しを依頼するとはそういうことなのである。だが、そんなことが明らかになったのは、死神が姿を消したあとのことだった。勿論、それまで死神に接触した者は残らず殺されていたのだから当たり前だが。死神の最大の依頼主だったとされているのが将軍である。将軍は死神に自分にとって都合が悪い相手を殺させていた。そして、二十年前、ついに依頼主である将軍に死神が鎌を振り上げたのである。この暗殺未遂は見回り組によって阻止され死神が江戸城に現れることはついになかったものの、その時を境に死神は行方をくらました。そうしてやっと、死神が作ってきた数々の骸が発見され、その存在が周知のものとなったのである。彼の姿を見てもなお生きている人間は将軍ぐらいだと言われている。それでも、伝説の殺し屋と言われているのは、死体たちがその恐ろしさを物語っているからだ。無論、死人に口なしではあるのだが。
「そいつは本当ですかい?なんでてめえがそんなこと知ってるんだ。」
四季は静かに訊いた。
「確かな情報筋なことにちがいはねえ。影暗一門が死神をかくまってるってよ。」
「そいつは大惨事だ。」
大惨事。一門がそのせいで殺されようと、四季はどうでもいいと思っている。問題は死神が将軍の暗殺をまた企てているということである。見廻り組の人間としてこれを無視すれば師匠に殺される、ぐらいの責任感は四季だって持っている。
「だから、俺たちで手をくんで、江戸の治安を守りましょう、なんていう正義の味方ごっこをしようっていうお誘いですかい?」
「まあ、ずいぶんと馬鹿にされたような言い方だが、そんなところだ。」
二人はなんだかんだと話を進めているが、その会話について行けない者がいた。
「ん?ちょっとまってくれ。」
狐が言った。
「あ?なんだよ。」
「死神が将軍の暗殺を企てていて、一門がそれに関わってるってことはわかった。だが、なんで私たちに、いや、正確に言えば私もこの同盟に参加させられているんだ?私はこの件に協力してなんの利益があるんだ。」
「だ、か、ら、てめえは利益とかなんとかに関係なく、この男に逆らえないんじゃねえの。それに、死神のせいでしぬ奴がいつってなったら、てめえはそれがどんな相手でも、見過ごせねえだろ。江戸の町の正義の味方さんなら、な。」
「うるさいなあ。そんなことわかっておるわ!そういうのを踏まえて、なぜそこまでして私を参加させたいんだ、と言っているんだ。」
「一つには。」
と、陽炎が万を持して口を開いた。
「一つには、お前を人質にすれば四季が動いてくれるからってのがある。」
「なるほどな。こいつの執着を逆手にとった訳か。変態も場合によっては厄にたつのだな。」
「てめえ、本気で永遠の眠りにつきてえのか。」
「二つ目には、お前んとこの諜報の仕入れた情報が欲しい。それを四季に教えることで、機動隊として表立って動いてくれるからだ。お前だって、この集まりで俺から有力な一門の情報聞けるんだぜ。人命救助はこいつにやってもらえて、お前は盗みを働ける。どうだ?悪い相談じゃねえだろ。」
「なるほど。私たちと貴様が情報を集め、こいつが実行する。なかなかいい考えだ。この刀が振りたくてうずうずしているようなくずや牢にはもってこいだし、何より、こっちは一門の宝を。」
「盗ったらすぐに捕まえるからな。」
四季は狐の横からかぶせるようにして言った。
「まったく。貴様は何で人が喜んでいるときに水を差すようなことを言うのだ。」
狐は四季の方をじっとりとした目でにらむ。
「この機会だから、ずっと言ってやろうと思っていたことを言ってやる。あいつうらの金は汚い金だ。その金をきれいにあるべき場所に渡して何が悪いというのだ。貴様みたいな将軍に尻尾振ってなきゃいけない様な奴は、法に触れる私たちの行いを悪とみるかもしれない。でも、あいつらだって法を犯して金を得ているんだぞ。そいつらはまもられて、本来守られるべき弱い者たちがつらい生き方を強いられる法になんのいいがあるというのだ。そんな法なんて守らなければいい。そんなのを大切に守っている奴のこそ、悪なのかもしれないとさえ思う。」
四季は聞き終えると小さく息を吐いた。
「てめえ、それ同じこと昨日も言ってたじゃねえか。」
「あれ?そうだったっけ?」
純粋に驚いている様子の狐。すでに酔いがまた回ってきているようだった。
「前も答えたが、てめえのやっていることはやはり許されないことだ。」
「ああ、そうだったな。やっぱり私たちはとことん相容れられないようだ。」
「その上で一つ言っておくが、俺たちはてめえの標的になるような奴らを守ろうとかそういうことは思ってねえぞ。うちだって、あいつらの悪事は明らかにしてやろうと思っているし、それ相応の罰を受けるべきだと思っている。だが、俺たちが面倒な制約に縛られているのも事実だ。だから、その制約の中でてめえと同じ志を違う手段で実行しているだけだ。俺たちから見れば、刑の重さは違えど、理由はどうであれ、盗みも詐欺も同じように許されねえことだからな。」
「ふーん。」
「俺とてめえは頼りにしてるもんがあっても、てめえは仲間で、俺は刀っていう、そんな違いだけだ、俺たちがいま言い争ってんのは。」
「ふーん。」
狐は生返事を返した。
「てめえがこの話し始めたんだろうが。」
四季はうんざりしたようにそう言うと、狐越しに陽炎を見た。
「話はすんだか。じゃあ、返事を聞かせてもらおうか。」
「いいぜ、協力する。要注意人物のてめえの動向も把握できて、こっちとしてはおいしい話だからな。」
「私も、協力してやる。」
狐も口を尖らせていった。
「じゃあ、決まりだな。」
こうして三人の合意が果たされ、この場はお開きとなった。このまま飲み続けるという陽炎は店に残り、狐はアジトへ、四季は屯所へ戻っていく。
アジトに帰った狐は怒りながら仲間に今日あったことを話した。狐のことを信じている仲間たちは狐を非難するようなことは言わない。ふくろうは早速作戦を練り、やもりといもりは自分たちが集めたい情報が流れてしまうのはなんだか悔しいと、少し愚痴りつつも早速仕事にトンボ帰りをしていった。頼れる仲間に囲まれて、狐は改めて身を引き締めていた。
一方の四季はというと大忙しである。走って屯所に戻ると、自分の部屋に放置された体調の着物を持って、伸びている隊長を見つけて着せると、それとなくごまかした。隊長が伸びている間にまた例の男が来て情報を言っていったとほらを吹いて、無理矢理局長の部屋に連れて行って、緊急会議を開かせた。
「とまあ、そういうことなんでさあ。」
四季は局長たちに男が四季の部屋まできて、影暗一門が死神をかくまって将軍暗殺を依頼している、と教えられたと伝えた。死神、その名が出た途端に場の緊張感が一気に高まった。その重圧に耐えられなくなった隊長は茶化すようにして言う。
「副長がそういう大事な情報を隠さないなんて珍しいですね。」
「まあな。敵が敵だし、かなり骨が折れそうだから、駒は少しでも多い方がいいからな。」
「そうでした。あなたは隊士を道具としか思わないような奴でしたね。」
肩をすくめた隊長の代わりに、重い口を開いたのは局長だった。
「四季、影暗一門の話についてだが。」
「なんですかい。もったいぶらないで言ってくだせえ。」
「この件から手を引いてほしい。」
「はい?」
「と、上から言われた。」
局長は、はあ、と大きなため息をついた。
「いろいろ言ったんだがな……この件には首を突っ込むな、だとよ。特に四季、お前は。」
「理由は?ただそれだけ言われたんですか?」
隊長が身を乗り出すようにして聞いた。
「教えてくれなかった。」
「ま、そうでしょうね。知ったこっちゃねえけど。」
四季は吐き捨てるようにそう言うと、さっと立ち上がって部屋を出た。
「副長、まって。」
「面白くなってきたじゃねえか。」
四季は隊長の引き留めに応じることもなく、後ろ手に障子を閉めた。見上げると、突きが浮かんでいる。満月よりもわずかにかけた月が静かに四季を照らしていた。




