96 貴族の護り方
応接室には今、アレクトー家の関係者が集まっていた。
グランドリーフ側はお母様、私、そしてアンジェリン姫とシルヴァン、クラリス。イースラフト側は叔母様、リオン、それにエドガーの合計八人しかいない。
お父様やアーサー叔父様の姿が無いのは婚約式は女親が中心になって行う物だからだ。基本的に結婚式で父親が主導するのは父親が持つ権威が関係している。新郎がどちらの権威を引き継ぐか明確にする必要があるからだそうだ。
それに対して婚約式では家の権威は引き継がれない。あくまで将来結婚する契約だけだから男親が出る幕がない。だから直接権威を持たない女親が主導する伝統なのだそうだ。当然参加を望む男親もいるけどその場合は外から見守るだけで輪の中には入れない。
まあ、現実問題としてお父様もアーサー叔父様も公務があるから現場を離れられないんだけどね。
「――セドリックが参加したいってごねて大変だったのよ。それで自分の仕事を放り出して来るとか言うから叱りつけてやったわ」
「……は、はは……」
お母様にそう聞かされて私は苦笑するしかなかった。その光景が目に浮かぶ。お父様はどうこう言って私に凄く甘い。どうも世の父親と言う物は基本的に娘に好かれたいものらしい。
婚約宣誓書はそれほど難しい書類じゃなくて、私とリオンが連名でサインをした後にお母様と叔母様のサインが入る。二枚の書類が対になっていて同じ物を二枚準備する。正式な書類だから羊皮紙が使われている。世間で出回っている紙は高価だけど耐久性が低くて長期保存に向かない為だ。
そして書類が完成したら最後に他の全員がサインする。こうして見届け人が誰なのかをはっきりさせる。その為に身内以外のサインも必要で、どうやらクラリスは第三者枠として招待されたらしい。
最後に封蝋で留めてから丸筒に入れるとお母様はそれをアンジェリンお姉ちゃんに手渡す。
「……アンジェリン、お願いね」
「ええ、承りました。必ず父上に直接お渡しします。でもきっと最優先で手続きするのではないかしら。父上はクレメンティア叔母様の事がとても大切みたいですし、マリーの事もずっと気にされていらっしゃるみたいですから」
「お兄様は兄バカですからね。でも親バカでもあるからきっとアンジェリンの婚約についても気にしている筈よ? それと――クラリス、今日は本当に有難う。お陰で滞りなく手続きが出来たわ」
「……え……え、あの……」
突然話題を振られたクラリスは俯いてしまう。だけどお母様は傍に歩み寄るとしゃがんで彼女を抱き寄せた。
「今回、貴方は我が公爵家に大きな貸しを作ったのよ。それも正式な書類に残る形で。つまり今後何かあった場合に私達アレクトーは恩義に報いる為に口を出す事が出来る。クラリス、何か困った事があったら真っ先に私に言いなさい。貴方のお母様、エレーヌが貴方にしてあげられなかった事を何でもしてあげますからね?」
「……お、叔母様……」
クラリスは言葉にならない様子でお母様に抱きついた。私もまさかお母様がこの為にクラリスにわざわざ招待状を出してまで招待したのかを初めて理解出来た。クラリスの事を私が妹みたいに扱っている事なんて全く関係が無い。それよりも余程現実的で直接的な保護が出来る様にお母様は今回、彼女をこの場に招待したのだ。
婚約宣誓書は国に提出されてずっと保管される。これは家督や継承の際の資料になるからだ。つまりその書面にサインしたと言う事はクラリスの名前もずっと残る事になる。公爵家が男爵家に力を貸してもその書類がある限りアレクトー家はデュトワ家に対して恩義がある証拠になる。何せ王族のアンジェリン姫やシルヴァン王子との併記だから国内で文句を言える貴族なんて一切存在しない。
貴族って言うのは本当に厄介だ。知人であろうと下流貴族を助けようとすれば必ず横槍が入る。正式な理由や根拠がないと口を挟む事も出来ない。例えうちが公爵家であろうと一足飛びに手助け出来る訳じゃない。その為に必要なのが筋を通す事だ。お母様がやったのはいわゆる貴族としての闘い方で、第三者に文句を言わせない為の段取りを今回の私の婚約に併せて一気に進めてしまったのだ。
「……リゼの母さんは凄いね。流石、元王女なだけはあるよ」
「……うん……」
同じくお母様とクラリスの様子を見ていたリオンが呟いて私はそれにただ頷く。きっとアンジェリン姫が言った言葉も大きな意味を持っているんだろう。陛下が真っ先にこの書類の手続きを進めると言う事はそれが終わった時点でお母様は公式に助けられる。何故フランク先生やピエール先生を招待しなかったのか。きっと私が妹の様に可愛がっているとかアカデメイアで同室だと言う事実がそこで初めて意味を持って来るんだろう。だってアカデメイアでの在籍記録も公式な記録だから幾らでも証拠として出す事が出来る。
そこで私はアンジェリンお姉ちゃんを見た。楽しそうにクラリスの様子を見て笑っている。それで私は近付くとそっと尋ねてみた。
「……おねえちゃん、しってた、でしょ?」
「あら、何の事かしら? でも流石クレメンティア叔母様ね。自分の進めたい方向に足場からすぐに組んでしまうんですもの。流石は賢姫と名高い方だわ。マリーはそんな方が自分のお母様だと言う事を忘れてはいけないわよ?」
それで私が頷くと、そこからは談笑の時間になった。