91 責任が取れない
私は結局、半ば放心状態のまま自室に戻っていた。クラリスとアンジェリンお姉ちゃんに手を引っ張られて、食堂で食事をする余裕もないままで。空腹でお腹が鳴って、それでやっと我に返った。
窓の外はもう暗い。月明かりが差し込んでいて部屋の中は薄暗いけど割と見える。そんな中、私はベッドの上で窓の縁に背中を預けながらシーツを被せられて座り込んでいた。
別にあれから今までの事を覚えていない訳じゃない。気を失っていた訳じゃない。意識が飛んだ訳でもない。ただ、必死に考えていただけでそれ以外の事を曖昧にしか覚えていないだけだ。
テーブルの上にはお皿があって埃除けの布が掛けてある。きっと食事する余裕がない私の為に誰かが置いてくれた物だ。だけど空腹なのは間違いないのに食欲がない。それでぼんやりしているとすぐそばから不意に声が掛けられた。
「……マリー。答えは出た?」
それはアンジェリンお姉ちゃんだ。熟睡しているクラリスをしっかり抱き寄せて横になっている。だけど目はぱっちりと開かれていて私の顔を見上げている。
「……おねえちゃんが、リオンに、なにか、いったの……?」
「うん? 私は何も言ってないわよ? リオン君は全部自分で考えてマリーとの婚約を決めたみたい。まあそのお陰でマリーを助ける為に考えてた事が全部吹き飛んじゃったけどね?」
「……そう……」
「でもね。マリーは納得出来ないみたいだけど私はこうなって良かったと思ってるわ。ただ残念なのは妹に先に婚約を決められちゃったって事かしら? 私の方がお姉ちゃんなのに結構傷付く物ね?」
そう言うとアンジェリン姫は楽しそうに笑う。きっと私が深刻にならない為だ。だけど私はとても笑う事が出来ない。
「……おねえちゃん……これ、なかったことに……できない?」
私がそう尋ねるとアンジェリン姫は真面目な顔に変わった。
「――無理ね。食堂にいた大勢が聞いているし。それに隣国とは言え公爵家の人間の宣言だもの。それにマリーとリオン君の付き合いが長い事を知ってる人もかなり多いし、それで婚約を宣言されれば女は喜ぶのが普通だしね。もしかしてマリーはリオン君が嫌い?」
「……きらい、とかじゃ、なくて……わたし、せきにん、とれないから……」
「責任? それは……どう言う意味の責任?」
そう尋ねられて私はすぐに答えられなかった。それは答えが分からないからじゃなくてお姉ちゃんに教えたくなかったからだ。
今まで散々叱られて分かってる。私はリオンに押し付けて自分だけが消えるのが嫌なんだ。こう言えばきっと皆は怒るだろうけど、私は自分が生き延びる為に何かを犠牲にしたくない。
婚約の意味もお姉ちゃんに教えて貰ったばかりだ。もし婚約破棄なんてすればリオンの立場に傷が付く。だからそれだけは絶対避けなきゃいけない。だって私はいつ消えてもおかしくない人間で責任を取る事なんて出来ないから。生き延びたいと思ってるけどあんなもう一人の自分を見た直後で無邪気に生き延びたいとは言えない。
「……マリー。ちゃんとリオン君とお話してきなさい?」
「……え……」
「一つだけ教えてあげる。まだ婚約は成立していないのよ」
「……え……そうなの……?」
「婚約って言うのはね。婚約宣誓書が国や神殿に提出されなければ正式に認可されないのよ。婚約は結婚とほぼ同じ意味を持っているから両家の後見の元に行われるの。要するに保護者同士が認めた結婚が婚約なのよ。だから当人同士の約束はただの約束であって拘束力も無いし家名に傷が付く事もないわ?」
それを聞いて私はのそのそと立ち上がった。正直気が重くて仕方ないけど、リオンに重責を背負わせる訳にはいかない。私とリオンは絶対に対等でなきゃいけない。ただでさえリオンには色々と無理を強いているのにこれ以上何かを背負わせる訳にはいかない。
裸足で床に降りると後から声が聞こえてくる。
「……まあ……後はリオン君の頑張り次第、かしらね?」
「…………?」
私が振り返って首を傾げるとお姉ちゃんは楽しそうに笑う。
「……何でもないわ……だけどマリーはリオン君が嫌いな訳じゃないんでしょう?」
そう言われて私は頷く。私はリオンが嫌いじゃない。大事な人だから何かの犠牲にしたくないだけだ。それがもし私の所為で背負おうとしているのなら絶対に止めなきゃいけない。彼の人生は私の為に消費して良い物じゃない。いつ消えてもおかしくない私なんかの為に――。
私はキッチンの扉を睨むと、ゆっくり近付いて行った。




