87 帰ってきた王女
翌朝目が覚めると私はしっかりクラリスに抱きついていた。一晩眠って幾らか気持ちも落ち着いたけど、それでもまだやっぱり恐怖が残っている。そんな私を見てクラリスが笑った。
「……お姉ちゃん、なんだか私より小さな子みたいです」
「……ほんとに、ごめんね?」
「大丈夫ですよ。それに私、小さな子の相手を余りした事がないですからちっちゃい子みたいなお姉ちゃんはちょっと嬉しいです」
そう言ってクラリスは私の髪を撫でる。何ていうか四つも歳下の子に甘えてる今の状況って一体何なんだろう? だけど悔しいとか抵抗感よりもまだ恐怖の方が強い。一晩寝た後でだいぶ収まって情緒不安定になる事はないけど一人になるのが怖い。だけどクラリスに弟や妹が出来るとすれば親の再婚だ。ふと疑問に思って私は彼女に尋ねた。
「……クラリスの、おとうさま、さいこん、しないの?」
「あー……ええと、多分お父さんは再婚しないと思います」
だけどクラリスは困った顔で笑う。考えてみたらデュトワ家は女系の魔眼一族で結婚すれば男性も魔法が使えなくなる。それがどう言う仕組みなのかは分からないけど、直系は今はクラリスしかいないしそこに普通の女性が輿入れしたら一体どうなるんだろう?
「ええと……多分、お姉ちゃんの考えは間違ってないと思いますけど、ちょっと違う意味でお父さんは再婚しないと思います」
「え? ちがう……いみ?」
「はい、新しいお母さんになる人がいません。魔法が使えなくなると妊娠した時に魔法で痛みを和らげられません。アレクトーの人が病院に行かないのは治療に魔法が使えなくなるからです。今のお医者さんは治療するのに魔法を使ってますから……」
「……あ、そっか……でも、そのまほうって、ほかのひとに、つかってもらえないの?」
「痛みを抑える魔法は本人にしか使えません。自助魔法って言うそうですけど、痛みの感じ方が人によって違うらしくて。確かに魔法の方が副作用がないので簡単ですけど、魔法以外だとお薬を処方して飲む以外に痛み止めって対処が出来ないんですよ」
流石クラリス、お医者さんの家の子だ。だけど痛みを抑える魔法とか問答無用で使えるのかと思っていたけどそうじゃなかったのはびっくりだ。魔法って万能な訳じゃないんだなあ。
そんな雑談をしていると突然部屋のドアがノックされる。一体誰だろうと思って私とクラリスは顔を見合わせると二人で扉まで近付いていく。そして扉を開くと、そこに立っていたのは――
「――マリー! 会いたかったわ!」
「え……アンジェリン、おねえちゃん?」
扉の前にいたのはアンジェリン姫だった。だけど服装が以前見た物と違って動き易さ重視の物だ。確かこれって私が叔母様の家から帰って来る時に着ていた物が似ている気がする。スカートの裾も足首までなくて膝下位の物で長いブーツだ。そしてお姉ちゃんはすぐクラリスごと、私に抱きついてきた。
「もう! まさかこんなに長く会えなくなるだなんて私、思っていなかったわ! だけどやっと会えたわ!」
「あ、あの、ルイーゼお姉ちゃん、このお姉さんは……?」
「あら? まあまあまあ、可愛らしい子が増えているわ⁉︎」
「え……ええと……」
「初めまして、私はアンジェリンよ。貴方のお名前は?」
「……え、それって……王女殿下の⁉︎」
お姉ちゃんが名乗った途端にクラリスの顔が青褪める。まあ考えてみれば普通はそうなのかな。私はもうなんていうか慣れちゃった感じがする。それに……こうして誰かに触れられていると少し安心出来る感じがする。以前は少し煩わしい感じもしていたけどこんな風にしてくれる人がいるのは本当に有難い事だ。
だけどアンジェリンお姉ちゃんは私の顔をまじまじと見つめると不意に声を上げた。
「……マリー……私、しばらく一緒にここで暮らすわね?」
「……え」
「だって私の寮部屋はもう無い筈だもの。あ、それならテレーズ様にもちゃんとお話を通しておかないと。そんなにいられないと思うけれど少しの間なら復学許可だって出してくれると思うわ?」
だけどお姉ちゃんが一体何を言っているのか分からない。復学許可って、王女はアカデメイアを辞めたって事? だけどそんな話はシルヴァンから聞いていないし、確か公務が忙しいって言っていただけで特に他には何も知らされていない。
「……え、おねえちゃん……こうむ、だったんじゃ……?」
そんな私の辿々しい言葉を聞いてアンジェリン姫はにっこり笑って答えた。
「ええ、勿論そうよ? 私、公務で他国の王族相手のお見合いに出掛けていたの。最後がお隣のイースラフトでよかったわ。お陰で丁度こちらに来る予定だったアベル様達に便乗させて頂けたから」
え……お、お見合い⁉︎ え、アンジェリンお姉ちゃんってお見合いする為にアカデメイアを辞めてたの⁉︎ そんなの私、全く聞いてないんだけど⁉︎
思わず座り込んでしまう私。すぐ隣ではクラリスが顔を青くしながら軽くパニックを起こしている。そんな私達に抱きつきながらお姉ちゃんは頬擦りをして本当に嬉しそうに笑った。