80 ヒューゴの助言
あれから私はリオンとクラリスと一緒に剣技場を訪れていた。
正直私は余りこの場所が得意じゃない。お兄様の一件があったのがこの場所で厭でも思い出してしまうからだ。それでもやってきたのはリオンがヒューゴの頼みを私の為に断ろうとした為だった。
「……リゼ、大丈夫? ここには来たくなかったんじゃない?」
だけど私は首を横に振った。リオンが傍にいつもいてくれるのは嬉しいし助かるけど、だからと言ってリオンが自分の事を後回しにして私の事ばかり優先するのは嫌だ。かと言ってリオンにもっと自分の好きにして欲しいと言ってもあんな事があった後で絶対に聞いてくれない。そうなるとこうやって私が逆にリオンについていく位しか出来ない。
そしてそうこうしている内に舞台の中央でリオンとヒューゴの勝負が始まった。剣や戦い方なんて私にはさっぱりわからないけど、それでもヒューゴが強いのは分かる。動きに迷いが無くて動作もかなり鋭い。だけどリオンはそれ以上に強くてまるで大人が子供の相手をしている様にしか見えない。
「……お兄ちゃんって、物凄く強くないですか?」
すぐ傍で見ていたクラリスがそう尋ねてくる。きっとクラリスも戦う事なんて知らない筈だ。だけど素人目にも明らかにリオンの強さは格が違い過ぎる。『経験喰らい』だなんて言ってアベル伯父様も勝負を避けてる位だし、本当に最強なのかも知れない。
そして何度か勝負するもののあっという間に決着が付いて、ヒューゴは私とクラリスがいる方に近付いてきた。そのまま脇に置いてあった布で汗を拭う。それ程長い時間勝負していた訳じゃないのにヒューゴの汗の量は尋常じゃない。それで汲んであった水を飲むヒューゴを見ていると彼は私の視線に気付いた。
「……マリー様はまた、声が出なくなったそうだな」
それで私が頷くと彼は少し笑う。
「まあ、気にする必要はない。話せなくなった人間があんな速さで喋れる様になる方が異常だと同級の皆もそう思っている。マリー様がやるべきは落ち込んだり苦悩する事じゃない。普通に日々を過ごして落ち着く事だ。必死に何かする必要なんて本来無いからな」
何気ない彼の言葉は私の心にグサグサ刺さる。そう言われてみると私は必死過ぎるのかな? だけどそれを言うならヒューゴだってどうしてリオンとこんなに勝負をしたがるんだろう? 最近は特に頻繁に勝負をしている気がする。バスティアンが呆れる位に。
そんな私の横顔を見つめるとクラリスはヒューゴに尋ねた。
「えっと……あの、ヒューゴお兄さんは……」
「うむ? クラリスだったな。俺の事はヒューゴで良いぞ?」
「あの、じゃあ……ヒューゴさんはどうしてリオンお兄ちゃんと何度も勝負をするんですか? 普通、ある程度時間を空けて修行してから勝負ってする物なんじゃないですか?」
だけどクラリスからそう尋ねられてヒューゴは少し考えた顔に変わる。そうしてしばらくすると彼は私の顔をじっと見つめた。
「……それは、マリー様も知りたい、と言う事なのか?」
そう言われて私はドキッとした。だってクラリスが魔眼を持っている事も話していないのにいきなり私に尋ねてきたから。戦う修行をしてる人って変に勘が良い気はする。考えてみたらリオンの力も最初は『相手を察する』とか言ってたし。私はそんな風に驚きながらもヒューゴを見返すと小さく頷いた。
「……そうか。なら……これはリオンには黙っていてくれるか?」
そう言うと彼は舞台の中央を見つめる。そこではリオンは一人で剣を振って練習をしている。小さい頃からリオンは暇があれば一人で剣を振っている事が多かった気がする。そんな事を考えていると視線を感じて振り向いた。ヒューゴはいつの間にか私を見つめている。それで私が再び頷くと彼はとつとつと話し始めた。
「……マリー様は、英雄を英雄たらしめるのは何だと思う?」
それで私は首を横に振る。すると彼は笑いもせずに頷いた。
「リオンは確かに強い。特別な力もあるだろう。しかし特別な力があれば英雄と言う訳じゃない。俺はあの時、アベル様の話を聞いてずっと考えていた。英雄を――リオンを特別な存在では無くするにはどうすれば良いのか。俺の出した結論はリオンと対等な強さを得る事だった。そうすればリオンは特別にならずに済むからな」
それは少し意外な答えだった。だってヒューゴは余り話す事がないし強さを追い求めている感じが強い。そんな彼がまさかリオンを特別にしない為に勝負を挑んでいたとは思わなかったからだ。
「なんだ、意外か? だがこう考える様になったきっかけはマリー様にもある。先ほども言ったが普通そこまで無茶をして必死にはならない。話せなくなれば話せるまで待つのが普通だ。だから無理をさせない為に俺はリオンに挑戦している」
あ……私が話せなくなった事か。と言うか私ってそんなに必死に見えたんだろうか? だけど私にとっては今までの事って普通の事だし特別何かを頑張ろうとした覚えがない。ただ死にたくなくて、普通に幸せに生きていたいと思っていただけだ。
「まあ……セシリアも心配している。マリー様が頼ろうとしてくれないのは何か背負っているんじゃないか、とな。あの時、マリー様の力を知った時に彼女も理解した様だが納得はしていない。彼女は義侠心が強いし友人思いだが表に出すのが苦手だ。だから彼女がそれを表に出さずに済む様にマリー様も加減を覚えて欲しい」
それだけ言うとヒューゴは立ち上がった。手にはリオンと同じく刃を潰した剣を持っている。きっとまだ勝負をするつもりだろう。
だけど彼は舞台に向かって進もうとした処で振り返った。
「――そうだ。マリー様は唱歌隊を知っているか?」
え、しょうかたい? 知らなくて私は首を横に振る。
「そうか。唱歌隊とは軍の中で歌う事を専門とする部隊だ。大きな声で歌う事で進軍中に獣を遠ざけたり、作戦の上で敵軍に躊躇させる目的で活動する特殊部隊だ。他にも自軍の士気高揚を目的に行動したりもする、意外と重要な部隊だ。そして……初めて戦で人を殺して戦えなくなったり話せなくなった者で構成される。話せなくても演奏は出来るからな」
ああ、『しょうか』って『唱歌』か。いわゆる従軍音楽隊って感じだろうか。だけどまさか実際にそう言う部隊があって重視されているとは思わなかった。だって戦争とか戦いってもっと実践重視だと思っていたから。そんな事を考えていると彼は私を見て小さく笑った。
「……マリー様も歌ってみれば良いかもな。別に言葉で歌う必要はない。感情の赴くまま、自分の口から発するのが話せなくなった者にとって大切なのだそうだ。俺には医術の知識がないから詳しくは分からんが、軍隊にはそう言う者もいると言う話だ。まあ、これが何かの役に立つかは分からんが……」
それだけ言うとヒューゴは舞台の中央に歩いていってリオンと言葉を交わす。そのまま再び勝負を再開するのが見えた。
だけど……歌、かあ。そう言われてみると四歳の頃までは割と歌っていた覚えもある。小さな子供だったし耳に入る生活音なんかを音楽に見立てて好き勝手に出鱈目な歌を歌ってた気がする。あの頃、日本の記憶が蘇るまでは本当に何も考えずに絵本を見ながら楽しく口ずさんでいた。
……声は出ないけど音を発するだけなら案外簡単だし気が向いたらしてみよう。折角ヒューゴが話してくれたんだし――そんな風に私は思った。