08 英雄一族の人々
叔母様に事情を打ち明けてからは特に何もなく、私は日常を過ごしていた。散歩に出掛けては他愛ない雑談をして帰るだけの毎日は案外楽しい物だった。特にあれ以降悪夢を見る事も全く無い訳じゃないけれど、見る機会もかなり減ってやっと私も普通に笑える様になった……と思う。
だけど叔父様やリオンのお兄様二人はあの後も姿を一切見掛けない。ご挨拶をしなきゃ、と思っていたのに叔母様とリオンの二人以外に全然会わない。叔母様のお家――と言うかお屋敷は普通に立派で実家と変わらない。自然の中に建っている以外は殆ど同じで部屋が少し少ない位だ。
そうして数日後。今日は朝からリオンが湖で釣りをすると言っていて、私自身この世界で魚を見た事が無かったから楽しみにしていると叔母様から応接室に呼ばれた。
何だろうと思って行ってみるとそこにはお父様より少し若い男の人と見た事のない男の子が二人、それに叔母様とリオンの五人がいる。それで開いた扉の処で私が固まっていると叔母様が近寄ってきて苦笑した。
「――ごめんなさいね、ルイーゼ。旦那様と残り二人の子がやっと帰ってきたのよ。だから会わせておこうと思って呼んだの。申し訳ないんだけど釣りはまた今度ね?」
「……え……あ、はい……」
だけど返事する声がどうしても小さくなってしまう。私は結構な人見知りで例え叔母様の旦那様や子供だと分かっていても必要以上に緊張してしまう。リオンの時だってすぐに打ち解けた訳じゃないしまだ手も繋げない。やっと顔を見て話せる様になっただけだ。勿論、リオンに触れると内心を知られてしまいそうで怖いと言うのもあるけど。
叔母様は扉の処で固まっている私を抱き上げると長椅子の処へ連れていく。テーブルを挟んで片方には大人の男の人が一人、その右側には男の子が二人座っている。叔母様はその正面の左端に座ると隣に私を座らせた。右側にはリオンが座っていて私が見るとにっこり笑顔を見せる。そうして全員が椅子に座ると正面に座っていた大人の男の人が立ち上がって私ににっこりと笑い掛けてきた。
「――君がマリールイーゼか。初めまして、私はクラウディアの夫でアーサー・エル・オー・アレクトー。このイースラフト王国で君のお父上と同じ公爵をしている。だから余り緊張しないで親戚の叔父さんだと思って欲しいな」
「あ……ええと、私はマリールイーゼ・アル・オー・アレクトーです。叔父様、どうぞよろしくお願いします……」
私が立ち上がってご挨拶をしようとすると隣で叔母様が私の肩を押さえる。私の身長だと椅子が少し高くて落ちるのを止めてくれたみたいだ。それで叔母様に思わずしがみ付いてしまうと男の人――叔父様は楽しそうに笑った。
「しかし本当に可愛らしい子だな。ディアが構う気持ちが良く分かるよ。このままうちの子になって欲しい位だ」
「ダメよアーサー。向こうの家でクレメンティアが待っているんだもの。娘が欲しいなら頑張るしかないわ」
……と言うか大丈夫なの、この大人の会話。小さい子供がいる前でしても許される話題にはとても聞こえない。
叔父様はお父様みたいな金髪だけど少し短く刈り込んだ髪型でその分精悍に見える凄いイケメンだ。口調も穏やかで少しゆっくり話すのは子供相手だからかも知れないけど物凄く頼り甲斐がありそうに見える。
そして叔父様が隣に視線を向けると男の子が立ち上がって私に声を掛けてきた。
「初めましてルイーゼ。僕は長男のジョナサン・エル・オー・アレクトーだ。今年で十歳になる。皆からはネイサンと呼ばれてる。それとよく怖そうだと言われるけど怖くないから、何でも頼って欲しい」
いえ、怖いです。とても十歳に見えない落ち着き方とか叔父様に似ている気もするけど、何より身長が高くて目付きが鋭い。イケメンだけど十歳の時点でイケメンに見える事も怖い。だけど自己紹介を聞く限り自分が怖がられる事を気にしている様に見える。
ジョナサンは兎に角利発そうな男の子で落ち着き方が尋常じゃない。叔父様と同じ綺麗な金髪だけどショートヘアで短く刈り込んではいない。物凄く真面目なお兄さんって印象が強くて融通が利かなそうだった。
そして次にジョナサンの隣に座っていた男の子が立ち上がって私に笑い掛けてきた。
「よろしくね、リールー。エドガー、八歳だよ。だけど母さんが言ってた通り凄く大人しそうだ。今日から僕も君のお兄ちゃんになる訳だから、何でも言ってよね?」
……何と言うか軽い。と言うか如何にも典型的な次男と言う感じがする。長男が真面目で次男はそれを見て育ったから? 長男が責任を背負うから? 逆に言うとジョナサンが真面目なのは責任感が強い所為かも知れない。
エドガーは襟足の長い髪でいわゆるウルフヘア、やっぱり金髪だけど髪質は叔母様に似ているらしい。細い髪の毛で少しふわっとしている様に見える。ちょっとチャラい感じもしないでもないけど流石にこの両親の子供らしく軽いだけって訳でもないっぽい。
そんな二人の兄を見た後で私は隣のリオンを見た。
「……え、リゼ……何?」
リオンは不思議そうに首を傾げる。だけどこうして見るとこの兄弟って全員普通より顔立ちが整っている。リオンだけ叔母様と同じ薄い栗色の髪で長くも短くもない。それに顔立ちも母親に一番似ている気もする。違うのは髪の毛が真っ直ぐでそこだけ叔父様に似ている感じだ。
そしてこの兄弟、見事に全員私の呼び方が違う。長男のジョナサンは親と同じルイーゼ、次男はリールー。リオンは私をリゼと呼ぶ。もしかしたら愛称って呼ばれる側じゃなくて呼ぶ側の性格が強く出るのかも知れない。
どう接すれば良いのか分からなくて曖昧に笑っていると叔父様が真面目な顔になって話し始めた。
「――それでね、ルイーゼ。君が言った相手について王宮に出向いて少し調べてきたんだ」
「え……王宮?」
「ああ。シルヴァン王子、侯爵家のバスティアン、辺境伯家のヒューゴ、騎士長のマティス、それとレイモンドだったね。この内確認出来たのはシルヴァン、バスティアン、ヒューゴの三人だ。この三人はグレートリーフ王国の子供として実在している。騎士団長には子供はいるが女の子でもしかしたらまだ騎士団長に就任していない騎士の子かも知れない。分からなかったのがレイモンドだ。ルイーゼは彼が何処の誰かまでは分からないのかな?」
「え、叔父様、調べてくださったんですか?」
驚いている私に叔父様は笑顔で頷いた。私もまさか、こんな四歳の子供が言う事を王宮に出向いてまで調べてくれるとは思わない。聞かれた事を懸命に思い出して答える。
「ええと……確かレイモンドは隣国の貴族の子、だったと思います」
「……そうか、それは盲点だった。特に友好関係にある国は我がイースラフトだからアカデメイアに留学ともなれば当然この国の貴族だ――分かった、それも調べておくよ」
そして叔父様は叔母様と顔を見合わせる。無言で頷くと隣の叔母様が私の肩を抱きながら小さく漏らした。
「……これはもう確定ね、アーサー?」
「ああ、私も間違いないと思う。一致する子供が実在する時点で疑いようがない。確認出来ただけで全員が三歳から五歳の範囲だ。アカデメイアは四年制だからルイーゼは家の立場で必ず全員と知り合って交流が発生する筈だよ」
そんな二人のやり取りを私はぽかんとしながら黙って聞いていた。どうしてここまでしてくれるのか分からない。
それに言われてみると悪役令嬢が公爵家である事が多い理由が少し分かった気がする。公爵家は貴族制度の中では王に次ぐ実質的な最高権力者だ。つまり王族と縁があってもおかしくないし他の貴族もその娘と自分の子供が懇意になる事を望んでいる。要するにこの世界の学校はあくまで社交界の延長で貴族にしか開かれていないからその中で最大限自由に動ける立場と言う事になる。そりゃあ悪い事だってやり放題だし周囲も逆らえないだろうな。まあ私はそう言う事をするつもりは無いんだけど。私はとにかく目立たず注目されない様にするだけだ。
だけど……幾ら何でも名前が一致したからと言って私の話が本当だと判断出来る材料にはならないと思う。だって貴族同士なんだし名前位知っていても変じゃない筈だ。
「……あの、叔母様? どうして私のお話が本当だって思ったんですか? だって私、前もってその子達の名前を知っていたかも知れないのに……」
私が素直な疑問を口にすると叔母様は笑う。
「え、だってルイーゼ、他の貴族の子供なんて興味はないでしょう? そもそも部屋に閉じこもりがちな貴方が他家の名、まして子供の名を知っている筈が無いじゃないの?」
「……あう……」
それは……私が引きこもりで世間に無関心だからこそ逆に信用出来るって事なのかー! 何だかちょっと傷つくと言うか、事実を指摘されて居た堪れないと言うか。確かにそれで信じて貰えるのは助かるけど素直に喜べない。
それにゲーム自体プレイした事がなくて攻略対象達のファーストネームは知っていてもファミリーネームまでは知らないのは事実だ。そもそも思い入れがないから興味自体が無い。
その事実に愕然とする四歳の私。居た堪れなくて俯く姿はさぞきっと幼き苦悩する少女に見える事だろう。そんな私の頭を撫でると叔母様は真面目な顔で話し掛けてくる。
「……ルイーゼ、心配しないで。貴方にその英雄の魔法が使えるのは大きな意味がある筈よ。ここまで詳細に予知出来る力なんてこの数世代で存在しないの。もしかしたら貴方は一族の力を一番大きく受け継いだのかも知れないわ」
「……え、えと……はぁ……」
そっかー……英雄の魔法かー。叔母様は私が思い出した記憶をそんな風に解釈したのかー。何て言うか申し訳ない気持ちで一杯です。だけどここまで裏付けされた証拠があると言う事はやっぱり私があの悪役令嬢なんだろう。なら絶対に死ぬ訳にはいかない。先ずは五歳の壁を乗り越えて生き延びてみせないとお話にもならない。
だけどこの時の私はまだ、『悪役令嬢として存在するのならその年齢まで死ぬ事はない』と記憶に保証されている事実には全く気付いていなかったのだった。