77 未来に絶対はない
「……しかし……未来視と言うのは厄介ですね」
翌日、フランク先生は私の診察をしながらそう言った。今の言葉は私に向けて言った物じゃない。一緒に付き添っているテレーズ先生に向けて言った物だ。それでテレーズ先生が答える。
「……どう言う事ですか?」
「考えてみてください。未来視とは現実と同じ感覚で未来の状況を知ると言う事です。それを避ける為に行動しろと本能が訴えているのかも知れませんが、現実的過ぎる姿を見てしまうと嫌でも信じざるを得ません。結果、その未来に誘導される事になります」
「……ああ、そう言われると確かにそうかも知れませんね……」
「ですが……お嬢様もリオン様も抗っていらっしゃる。多少違う結果になっている様ですが、これはお嬢様の未来視は覆せない物ではないと言う事です。それと――これはリオン様にも重々申し上げましたがお嬢様ももう少し我々大人を頼って下さい。今回の一連の流れは既に貴方達だけで解決出来る範疇を超えています。それで最も悲しい思いをするのは御両親だと言う事を忘れないで下さい」
それで私は何も言わずただ頷いた。あれから声が全く出ないのはきっと精神的にかなり参っているからだと思う。自分が知らず知らずの内に自分が死んで消える状況を想定して動いていた、だなんて思い知らされればショックも相当大きい。だけどまさかこんな事になってしまうとは思っていなかった。
よくある話では子供は自分達の悩みを自分達だけで解決するし、それは時に世界を救う事に繋がったりする。大人に頼らないのは大人が信じてくれないからだ。頼らないのではなく『頼れない』なんだけど、ここでは大人達が信じてくれる。実際にお父様やお母様は本気で信じてくれていたしフランク先生やテレーズ先生も。
そして頷いた私に満足そうに微笑むとフランク先生は続けた。
「お嬢様は死ぬ事はありません。ですから未来視で得た情報だけを信じないで下さい。それは貴方自身が危機を回避しようと教えてくれる物であって確定した現実ではないのです」
それで再び私は頷いた。だけどまだ誰にも言った事がない事実がある事だけは口にしていない。と言うのも――これは未来視ではなく私が思い出した異世界、日本の記憶だと言う事だ。確かに不思議な力も使えてはいる。アンジェリンお姉ちゃんとの勝負の時だってそのお陰で完封出来たし、実際に英雄の魔法がある事に間違いない。
だけどフランク先生の言葉は説得力がある。感情的でもないし根性論でもない。ただ現実的な論理で話してくれる。きっと魔眼使いの家系と言う事も大きな理由だと思う。先生のお話は魔法みたいにふわっとした曖昧な要素がない。その分私も素直に納得出来た。
「兎も角、今のお嬢様は身体に問題はありません。問題は精神の方ですが……宜しいですか? 変に思い詰めたり悩んだりしないで下さい。世の中とは貴方が思う程厳密ではありません。私がこう言うのも何ですが、案外物事とは適当に進むのです。恐らく貴方は全てに理由があって厳格に進んでいるとお考えでしょうが実際はそうではありません。考え無さ過ぎるのは良くありませんが、考え過ぎるのもよろしくありません。何事も程々が一番良いのですよ?」
真面目な顔で言っていた筈なのに終わりの方では少し冗談めかした顔に変わっている。フランク先生はそう言う処のある人だ。真面目過ぎる訳じゃない。それで私は思わず笑ってしまった。
そんな私を見てフランク先生も優しい顔で笑う。
「……良いですか? 失声症とはお嬢様の様に命に危険があるから発症する訳ではありません。例えばよくあるのが恋煩いです。貴族令嬢は恋愛事に本気でのめり込む方が多いですから思い詰めて失声症になる場合が多いのです。ですから自分は今、恋煩いで思い詰めているのと同じだと考えてみて下さいな」
多分先生は私を気楽にさせようとしてるんだろう。だけど私は逆に難しい顔になってしまった。だって今まで私は生き延びる事に全力過ぎて恋愛なんて考えた事も無いし、そんな余裕も無かった。
それに私は自分が大人になる事が想像出来ない。だって身体付きだって全然成長しないし、この姿のまま大人になったと言われても絶対に信じられない。確かに四歳の頃と比べれば十四歳らしい姿になったとは思うけど四歳児の姿のままだともうホラーだ。
そうやって私が難しい顔になったり苦笑するのを見てフランク先生は楽しそうに笑った。
「……そうそう。どうせ悩むのなら深刻に悩むのではなくて日常のくだらない事でお悩みなさい。深刻に悩んで出た答えなんて実際は何の役にも立ちません。私もね、若い頃はあれこれと深刻に悩んだ事もありましたが役に立った事なんてありません。深刻な悩みなんて大抵、結果が分からないのにどうなるかと悩んでいるだけでしかないのです。結果が出てから悩み、決断すれば良いのですよ」
それで私が不思議そうな顔になると先生は何かピンと来た顔つきに変わる。
「……はい? お嬢様、もしや私が深刻に悩んだ事についてお尋ねでしょうか? それはつまり、私と今は亡き妻との馴れ初めや結婚して娘が生まれるまでのあれやこれやを語る事になりますが……」
正直、それは物凄く興味があった。だって魔眼の一族デュトワ家は魔法が使えなくなると言う話を先日聞いたばかりだ。だけどこの話の結末は余りにも辛い事を私は知っている。奥様が亡くなって、そのお嬢様――クラリスのお母様が亡くなる結末だ。そんなお話をどんなに面白おかしく話されても絶対に私は難しく考えてしまう。
それで私が小さく首を横に振ると先生は少し残念そうになった。
「……おや、そうですか……ではまた興味がおありの時にお尋ね下さいな。今が少し落ち着けばそう言う事もあるでしょうから」
だけどフランク先生がそう答えた途端、その後で今まで黙っていたテレーズ先生が何やら思いついた顔に変わった。
「――フランク医師。申し訳ございませんが少し席を外させて戴いても構いませんでしょうか?」
「え? はい、構いませんよ?」
「では少し失礼致します。マリールイーゼの事、お願いします」
そう言うとテレーズ先生は廊下――ではなくてキッチンへの扉に近付いていく。そのまま扉を開くとリオンの部屋の扉を叩く音が聞こえてきた。
「――リオン・エル・オー・アレクトー。失礼しますよ?」
『……え? あ、はい。どうぞ』
「それでは失礼します。貴方に少しお話があります」
『え、何でしょうか?』
そしてそのままテレーズ先生はリオンの部屋に入って扉が閉められる。そこから後は話声も聞こえてこない。この寮は各部屋の防音がしっかりしていて普段から生活音も殆ど聞こえない。
――まあ、リオンも男の子だしね。キッチンの間があるから余計に声とかも聞こえないんだけど、私だって声とか音を聞かれるのは余り良いとは思わない。でもテレーズ先生、一体何の用事だろう?
「……一体何の御用でしょうね。てっきり教導室へ戻られるとばかり思っていましたが……お隣のリオン様のお部屋、ですか……」
フランク先生も私と同じ疑問を抱いた様だ。だけどそう尋ねられても私にもさっぱり分からない。それでキョトンとして首を傾げるしかなかった。
だけどフランク先生は不思議な人だ。お話をするだけじゃなくて聞いているだけでも変に悩む事が無くなる。きっとこの人は本当に穏やかな人なんだろう。沢山辛い事を経験してきたのにこんな風に笑って話せるなんて、まだ私には辿り着けない境地だ。
……私もいつか、こんな風になれるのかな?