75 デュトワ家の事情
「――せんせい、いろいろ、ありがとう、ございます」
フランク先生の診察が終わって私は真っ先に言った。だけど先生は不思議そうに首を傾げる。
「……はい? 何の事でしょう? お嬢様の診察は私の仕事ですからきちんと報酬はご当家から戴いていますよ?」
「……いえ、クラリスちゃん、わたしの、ため、でしょう?」
きっとクラリスは私の治療の為に選ばれた。テレーズ先生の話によればクラリスみたいな素直で歳の離れた子は精神面で大きな助けになるって事だったし。だけどフランク先生は首を横に振った。
「いいえ。クラリスがお嬢様の処に行きたいと考えたのはあの子の考えであって私からは何も言っていません。確かにお嬢様の人となりについては話していますがそもそも患者の病気に関する話は絶対に他言致しません。それは医師の倫理が問われる部分ですから」
「……え、でも……」
だけど私は納得出来なかった。だってクラリスは妙に私の事情を知っている様に見える。失声症になってちゃんと喋る事が出来ないのにその部分についても疑問に思っていない節がある。
そんな私の顔を見て先生は部屋の中を見回した。今、クラリスは隣のリオンの部屋に行っている。すぐに脱げる様に薄着になっている事もあって診察の時は同性でも一緒にいる事は余りない。
それで私と先生の二人しかいない事を確認するとフランク先生は仕方ないと言う面持ちでため息を吐いた。
「……仕方ありませんね。ご納得戴けない様ですし、デュトワ家の事情に付いて少しお話いたしましょう」
そう言うと先生は自分の家について話してくれた。
元々デュトワ家はバロネス――女男爵の血統らしい。普通、女が当主となる場合はその家で男性継承者がいない場合に当主代行となる事が多いけどデュトワ家はこの国でも相当珍しい女男爵家の一族なのだそうだ。というのも――デュトワ家にはある特徴があった。
「……まがん、ですか……?」
「はい。デュトワ家の女性は代々魔眼持ちなのです。ご存知無いかも知れませんが魔眼を持つと他の魔法が一切使えません。研究の途中ですが魔眼とは魔法が身体能力化した物というのが私の見解です」
魔眼――いわゆる厨二病で代表的な設定だ。特殊な眼で魅了したり相手の意思を操ったりする事が出来る――というのが私が持っている日本の知識だ。だけどフランク先生は説明を続ける。
「そもそも魔眼とはあくまで視るだけに特化した力です。ですから魔法の様に色々出来ません。体質に近い物で魔力があっても全て眼に行ってしまうのか普通の魔法も使えません。私や息子は婿入りですが結婚してからは魔法が使えなくなりました。どうやら血縁が発生するとその時点でデュトワの仕組みに取り込まれる様ですね」
「え……でも、それって……」
「はい。血統というより呪いに近いかも知れません。ですが魔眼はアレクトー様の英雄の力でも無効化されないのですよ。どうも魔法とは違う物に変質しているらしく、英雄一族の魔力無効化の対象にならないのです。話によると視るというより視えてしまう、と言う方が正しいらしいですが」
……それってまるで私の未来視やリオンの『経験喰らい』みたいで常時発動しているパッシブスキルに近い。レオボルトお兄様が使える『英雄殺し』みたいにスイッチのオンオフが出来るトグルスキルと違って圧倒的に使いにくい。常時発動していると言う事は常に機能しているということで、力を使っている自覚がない為だ。方法論が存在しないから個人の感覚頼りで魔法というより超能力に近い。
「……ですから我がデュトワはアレクトー様の元で主治医が出来るのです。何せ我が一族は魔法が使えませんので魔法を使わない医術に特化しています。普通の医者は魔法を併用しますが私は既に魔法が使えませんので純粋な医療技術だけです。こうしてアレクトーの皆様やお嬢様の治療を十全に行えるのもそのお陰ですね」
そう言うとフランク先生は一旦言葉を止めた。私もまさかそんな理由があっただなんて全く知らなかった。何より魔眼自体が私の知識にある物とは全く違う。どちらかと言うとフランク先生やクラリスの一族の上位互換が英雄一族、と言う気がしないでもない。
「……昔はね。お嬢様のお祖父様やお祖母様がご存命の頃には私の妻も共に診察を行なっておりました。魔法が使えなくても妻の視る力は素晴らしい物でしたからね。アレクトー様の元で医者を続けていられるのも彼女の力による物が大きかったと考えております」
「……え、でも……じゃあ、クラリスも、まがんを……?」
「デュトワ家の女は力の使い方を口伝で伝えていたらしいのですが我が妻は先に逝き、娘も孫娘を産んで早くに他界しました。ですが残された私共では魔眼の使い方を教えてやれません。そこでテレーズ女史に相談したのです。魔眼は視る事しか出来ませんから役立たずと誹られる事も多いですからね。それで新しい試みを教えて下さったのです」
「…………」
「ですから――クラリスはお嬢様の為にここへ入学したのではありません。恐らくあの子がお嬢様の元に行きたいと願ったのは憧れもあったのでしょう。何せ公爵家令嬢とは世間でいうプリンセスですからね。あの年頃の娘なら憧れてもおかしくはないでしょう」
「……そんな、じじょうが、あったん、ですか……」
そしてフランク先生は優しい顔になって言った。
「――ですからお嬢様が負い目を抱く必要は無いのですよ。あの子がここへ来たのはあの子が将来生きていける力の使い方を学ぶ為です。お嬢様が自分の所為だと考えてくださるお優しい方だと存じておりますが、それは無用の悩みですよ?」
まさかそんな事情があっただなんて全く知らなかった。クラリスは将来、医者になりたいと聞いている。だけどこの世界では女性が医者になる事はほぼ不可能に近い。人から苦痛を取り除く行為は神に匹敵する行為だからだ。だからフランク先生の奥様も女男爵の立場でありながらあくまで助手としてしか医療に携われなかった。
私はクラリスの為に何がしてあげられるんだろう。あの子が大人になった時に幸せでいられる様に。私は自分が大人になる事を想像出来ないけど、せめてあの子には幸せになって欲しい。きっとあの子にだっていつか好きな人が出来て結婚だってするだろう。その時に幸せに笑っていられる様に。きっとそれはクラリスの亡くなったお母様も願っていた事の筈だから。