72 クラリス・デュトワ
マリーが帰ってから一週間、遂にクラリスがやってくる日になった。案外緊張とかしないのは相手が四つも歳下の十歳だからなのかも知れない。
既に彼女のベッドも設置されているし私のベッドも少しだけ移動してある。貴族が普段使用するベッドは元々かなり大きい物が多い。足を伸ばしても届かない処か私が縦に二人並んでもまだ余裕がある位に広い。以前セシリアとルーシーが泊まりに来た時も三人が普通に寝られる位余裕で大きいのだ。
まあそれくらい大きいって事は重量もかなりあって普通なら移動なんて出来ない。だから魔法を使うらしいんだけど私がいるとそれだけで使えない。自室に戻るのを禁止されていたのは実はそんな理由からだ。勿論リオンも同じ理由で自室に戻ってこれなかったんだけどバスティアンによればシルヴァンやヒューゴと剣の練習や勝負をしていたらしい。リオンはずっと私と一緒にいようとするから何とか説得してそうして貰っている。
何て言うか……色んな事があって、リオンには私だけの為にやりたい事を我慢して欲しくなかったんだよね。特にアベル伯父様が多分言ってた『リオンは自由に生きられない』みたいな話がずっと頭に残って離れないから。
ぼんやり部屋でテーブルに肘を着いて椅子に座っていると扉がノックされる。それで開くとテレーズ先生の後に隠れる様にとても小さくて可愛らしい女の子がいた。
「――ルイーゼ。お待たせしました。彼女がクラリスです」
「……あ、はい。ええと……はじめまして、クラリス? わたしは、マリールイーゼ。きょうから、よろしくね?」
私がそう言って笑うとクラリスはテレーズ先生の後からおずおずと前に出てお辞儀する。
「……どうぞよろしくお願いします、マリールイーゼ様……」
流石はフランク先生のお孫さん。物凄く礼儀正しい。だけどこれから一緒に生活するのに様付けとかしてたら気持ちが休まらないと思う。それで私は怖がらせない様に笑って言った。
「……クラリス、わたしのこと、おねえちゃん、ってよんで、いいよ?」
「え……えと、じゃあ……ルイーゼお姉ちゃん?」
それを聞いた瞬間、思わず額を押さえてよろけてしまった。
……うわ、何これ。破壊力パない。アンジェリンお姉ちゃんが何故私にお姉ちゃんって呼んで欲しがったのか分かる。私が可愛いかどうかは置いといて、可愛い歳下の子が自分をお姉ちゃんって呼んで慕ってくれるのって思った以上に嬉しい。
特に私はアンジェリンお姉ちゃんと違って弟も妹もいないし可愛がられる事はあっても頼って貰った事が無かった。誰かに頼られるって実は重要なのかも知れない。
だけど……ううん、調子にのってガンガン喋っちゃダメ。この前バスティアンとマリーの一件で私は教訓を得た。ちゃんとお話を聞いて貰えるのは嬉しい事だ。クラリスだって私が一方的に喋ると戸惑うだろうし。だから私は聞き上手にならなきゃいけない。だって……私はお姉ちゃんだから!
でもどうしたら良いんだろう? こう言う時に経験が無くてどうしたら小さい女の子の緊張をほぐせるのか分からない。私が小さい頃ってお母様や叔母様はどうしてくれたっけ? そんな事を思い出しながら私はその場でしゃがむとクラリスに向かって両手を広げた。
「……クラリス、いらっしゃい?」
するとクラリスは私の前まで戸惑いながらやってくる。それで目と鼻の先までやってくると私は彼女を抱きしめた。身を固くして緊張してるのが分かる。それで耳元で囁いた。
「……だいじょうぶ。こわくないよ?」
「……うん……ルイーゼお姉ちゃん……」
クラリスの強張っていた身体から力が抜けていく。そうして少しするとやっと笑顔になった。そんな私とクラリスを見てテレーズ先生は安心した様に微笑む。
「――どうやらお任せして大丈夫みたいですね?」
「……はい。クラリスとは、うまくできると、おもいます」
「それでは後は以前お話した通りでお願いします。授業に出る時も一緒に連れていってあげて下さいな。もし彼女が分からない事があれば教えてあげてください。それでは」
「……わかりました」
それだけ言うとテレーズ先生は廊下を戻っていく。私はクラリスを連れて部屋の中に入った。
「……だけど、お爺ちゃんが言ってた通りでした!」
「……おじいちゃんって、フランクせんせい?」
「はい! 公爵家で昔からずっと診てるって言ってました!」
「……そっか。フランクせんせいは、わたしにとっても、おじいちゃん、みたいなかんじ、だから……クラリスも、ほんとのいもうと、みたいに、おもってる、からね?」
そしてテーブルの前まで来た時にクラリスがこれまでと違う様子に変わる。真面目な顔で私を見上げる。
「……どうしたの?」
「……お姉ちゃん……もしかして、凄く疲れてませんか?」
「……え? ああ、まだこえを、だすのが、たいへんだから」
「そうじゃなくて……思った事を言っても良いですか?」
「……うん、いいよ? それで……なに?」
私がそう尋ねるとクラリスは躊躇しながら俯いてしまう。だけど覚悟を決めた様に顔を上げるとまっすぐ私を見て言った。
「……私、お父さんやお爺ちゃんと一緒に患者さんのお世話をしてたんです。だけどルイーゼお姉ちゃんはなんだかお婆さんと同じ感じがします」
「……え。お、おばあさん……?」
「はい。でもお婆さんっぽいって意味じゃなくて……長く生きて疲れてる、みたいな……私には凄く、そう見えます」
最初、クラリスが一体何の事を言っているのか私にはさっぱり分からなかった。だって私は外見がこんな所為でむしろ一番歳下みたいに扱われる事が多い。それにお婆ちゃんみたいって言われても私が知ってるお婆ちゃんはテレーズ先生しかいないし良く分からない。一瞬、嫌われてるのかとも思ったけどクラリスの表情は真面目で心配そうだ。まあ……いっか。お婆ちゃんっぽいって小さい子に懐かれ易いって意味かも知れないし。
「……だいじょうぶ。わたし、げんきよ?」
「そうですか……でも気をつけて下さい。何だか今のお姉ちゃんは目を離すと消えてしまいそうな感じがします。そうなったら私はとても嫌です。だから元気になって下さいね?」
うーん……元気に、って言われても……まあでも喋るのがまだ少し大変で億劫になってるかも知れない。それにクラリスはフランク先生のお孫さんで診察とか一緒に付いて行ってたって言ってたし。私の事情もある程度知ってるみたいだ。だってこんな途切れ途切れの話し方なのにそこには何も言わないもの。
「……うん、わかった。わたし、がんばるよ」
「頑張らなくても良いです。でも元気になって下さい」
「……え……むずかしいなあ……」
「大丈夫です。これから私もずっと一緒です。ですからお姉ちゃんと一緒に楽しくお勉強出来たら良いなって思います」
そう言うと今度はクラリスの方から私に抱きついてきた。まあ……いっか。楽しく過ごせるなら。お婆ちゃんみたいに覇気が無いと言われてもちょっと否定出来ないし。
でも……この時の私はクラリスが言った意味をまだ何も分かっていなかった。この子が一体何を危惧して、何を心配してるのか。でもまあ私の事を心配してくれてる事だけは分かる。
その日は結局、クラリスと一緒にお茶を飲んだり食事を摂ったりしてから一緒に同じベッドで寝る事になった。