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悪役令嬢マリールイーゼは生き延びたい。  作者: いすゞこみち
アカデメイア/準生徒編(12歳〜)
70/319

70 もう一人のマリー

 私がクラリスの指導生に決まった二週間位後の事だった。


 早速部屋に新しいベッドや家具が運び込まれて受け入れ準備が始まった為に余り部屋にいられなくなった。勿論陽が沈む前には部屋に戻れるけど放課後すぐは作業をしてるから戻る訳にもいかない。それで私は何となくアカデメイアにある庭園をウロウロと散歩していた。


 実はアカデメイアに来てからこの庭園に来た事がない。何故かと言うと庭園の近くには水路があるからだ。噴水程度の底が浅い水場は怖くないけど水路は結構深いらしい。昔、リオンと一緒に湖に行った時に泳げるのかどうか話した時に変な想像をしてしまってから私は溺れそうな水場が苦手だった。


 そしてその水路は石組みされた近代的な物だけど人が入る為の物じゃない。庭園に水を撒いたり噴水に送る水だったり。王都で利用される上水道を最新の技術で導入した物だそうだ。


 当然人が落ちると危ないから少し高い石段が組まれていて人が簡単に入れない様になっている。それでも水が流れる音は聞こえるし石段の壁はひんやりしている。今の季節はまだ暑いからここに涼みにやってくる生徒が多いという話をエマさん達に聞いて少し興味だけはあった。


 まだ時間も早い所為か人の姿はない。それで水路の石段に沿って歩いていると不意に小さく深刻そうな声が聞こえてきた。


「――やっぱりダメだった……もう死にたい……」


 その声に私は思わず青褪めた。


――どうしよう、今日はリオンにもここにくる事は言ってなかったし……他に誰もいない。声の感じも酷く落ち込んでるみたいだったし放っておけば大事件になっちゃうかも――。


 私の場合、今まで色々とあり過ぎて「そんな事がある筈がない」だなんて無責任な事が言えない。それに貴族令嬢って割と思い込みが激しい人が多いから実際に自殺してしまう事も多いらしいし……とにかく急いで見つけないと。


 それで私は壁から少し離れながら水路に沿って歩いていく事にした。もし石段の上にいても見えるだろうし。だけど問題は私の身長が低過ぎて手を伸ばしても石段の上に届かない点だ。


 でも少し焦りながら進んでいくと石段の上に微かに人の頭らしき物が見えて私はギクっとした。慌てて駆け寄ると石段の壁を手で叩いて声をあげ――ようとしたけど声が出ない。慌てている所為か気持ちが先走って声にならない感じだ


 私は声を掛けるのを諦めてすぐに周囲を見渡した。この辺りは庭園だし樹木も沢山植えてある。なら枝だって落ちていてもおかしくない筈だ。それで小さな枝を見つけると私は再び石段に駆け寄って今度は何度も枝で叩いた。かん、かん、かん――少し甲高い音が響く。それでやっと気付いてくれたらしく石段の上にいた女の子が恐る恐る下にいる私を見下ろした。


「――え……な、何? って……あ! すいません! ごめんなさい! そうですよね、私なんてこんな処にいちゃいけませんよね!」


 ……え、何この子? 凄く腰が低いというか、微妙に怯えている様な感じだ。え、私ってそんなに怖く見える?


 だけどそんな彼女の姿が石段の上に消えたと思ったら今度は突然飛び降りて私のすぐ傍に着地した。長い髪がふわっと流れてまるで空から舞い降りたみたいだ。だけどこの身体能力、とても貴族令嬢とは思えない。言っとくけど貴族令嬢ってダンスみたいな技術的な運動が出来るだけで身体能力を求められる様な身のこなしが出来る訳じゃないからね?


 だけど……何だろう、この子。髪は一見金髪に見えるけど実際は金髪じゃない。淡くて薄い茶色みたいだ。ヒューゴの髪は金髪だけど淡い度合いが似ている気がする。もしかしたら陽に灼けているのかも知れない。そんな長い髪で目元が隠れていて顔が良く分からない。何ていうか、本当にただ髪を伸ばしただけみたいできちんとまとめられていない感じがする。


 でもどうしよう。喉をさすってみても声が出ない。今日は黒板やチョークを持って来ていないし……取り敢えず落ち着かせるのが優先だと思う。死にたい、だなんて言ってたし。


 それで私は無言のまま石段の壁の下を指差した。


「……え、はい……ええと……座れば良いんですか?」


 それで私が頷くと彼女は怯えた様子で正座する。それを見て私はその隣に座って壁に背中を預けた。背中がひんやりして少し落ち着く気がする。それで深呼吸すると私は自分の喉を押さえて何度か咳き込むと声を出そうとした。


「……、……、あー……あ、こえ、でた」

「……え? 何ですか?」


「……それで、どうして、しにたい、って、いったの……?」

「え……え、そんな事言ったの、聞こえちゃった?」


 それで私が頷くと彼女は物凄い勢いで沈み始める。


「えと……私、実は……この学校を受けたんだけど……落ちちゃったんだよね……」

「……え……おちた……?」


「うん。選考に通って今日、やっと面談だったの。したら先生が話した途端、すっごい怒ってしもて。うち、どないしたらええか分からんで、黙ってしもたんよ……」

「……え」


 あれ? 変だなあ。なんかこの子、落ち込むに従って言葉にすごい訛りが入ってるみたいな? 確か前にセシリアとルーシーが言ってたのが似てるけど、それよりもっと自然な感じ?


「……あなた、どこからきたの……?」

「……え? うち?」


「……『うち』?」

「あ、じゃなくて、私! そう、私! ええと、私はね、ここよりずっと南の方から来ました!」


「……そう……わたしは、ここのせいと」

「あ、ここの生徒さんだったんだ?」


 それで何となく察した。きっとこの子、結構辺境の方から来た子なんだ。貴族は基本的にちゃんとした話し方が出来ないと認めて貰えない。特に面談みたいな正式な場では訛った喋り方は絶対に許されない。例え正しく話したとしても言葉のニュアンスがおかしければその時点で打ち切られてしまう。


 だってほら。辺境出身の貴族だから、と言って訛った話し方をしないでしょ? 実際にセシリアやルーシーだって普段は普通に話してるし。貴族には貴族らしい振る舞いが求められるから例え田舎暮らしだろうときちんとした言葉遣いが出来ないと同じ貴族として認めて貰えなくなっちゃうんだよね。


 そして面談と言えば今の私に思いつくのは特待生の面談しかない。という事は、この子はクラリスと一緒に選ばれた一人と言う事で。面談の結果、特待生に落ちたと言う事だった。


 うーん……これは何と言っていいか分からないよ。私は逆に方言とか話せないし。なんとなく察してるだけで私自身は今の話し方しか使った事がない。きっとお母様や叔母様はそう言う言葉遣いしか聞かせない様にしてたんだろうな。小さい頃から方言なんて一度も聞いた事が無かったし。


「……でもね。しにたい、ってことばは、つかっちゃだめ」

「……え?」


「……しにたい、きもちは、わかるけど、ほんとうに、しにたいわけじゃ、ないでしょ?」

「……え……う、うん……」


「……じゃあ、つかっちゃ、だめ。ことばにすると、ほんとうに、なるよ」


 それだけ言うと私はふう、と息を吐き出した。まだまだ声を出すのは大変だ。余り沢山話すとそれだけで疲れてしまう。


 だけど『死にたい』って言う気持ちはよく分かる。だって私もそんな気持ちなら何度も感じたし考えてきたから。


 実際に死にたい訳じゃない。そう言う気持ちになる時って本当は死にたいんじゃなくて『消えたい』時だから。


 けど……どうしよう。面談に落ちたって事は再面談を受ける事なんて絶対に出来ないと思うし。慰めるにしても慰める材料が全く見当たらない。


 それで悩んでいると、そこに人影が近付いて来た。


「――あれ? マリーさん? どうしたんです?」


 それはバスティアンだった。だけどその声に私だけじゃなくて目の前の彼女も驚いて振り返る。


「……え⁉︎ 何、怖い! なんでこの人、私の名前を知ってるん!」

「……え……?」


 それで私も驚いていると彼女に気付いたバスティアンが苦笑して私に教えてくれた。


「ああ、そちらの彼女もマリーって言うんですか。マリーってとても多い名前ですからね。それにその言葉遣いは南西の港町辺りの訛りでしょうか。あの辺は漁業が有名で命に関わる事も多いですから男女どちらも少しきつい言葉になるんですよ」


「……バスティアン、くわしいね……?」

「そりゃあうちは侯爵家ですからね。領内各地については父上から教えられています。それに視察にも良く一緒に連れて行って貰ってましたから。でも確かあの辺りって海岸線が多くて津波なんかの水害も頻発する土地なんですよね」


「……でも、どうしてここに? ひとり?」

「ああ……ヒューゴがリオン君と手合わせするって事で。また勝てないでしょうし、退屈なのでここに涼みに来たんですよ」


 そう言って脇に抱えていた本を見せる。どうやらバスティアンは涼みながら本を読むつもりだったらしい。そしてそんなやり取りをしてると隣にいる彼女――マリーが私とバスティアンを交互に見て驚いた顔に変わる。


「……貴方もマリーちゃんって言うの⁉︎」

「……え、うん……」


「凄い! 私もマリーって呼ばれてるの!」

「……あ、そうなんだ。すごい、ぐうぜんね」


 実際はちょっと違うけど説明するのも面倒だし。取り敢えずこのままマリーって事にしちゃおう。それに彼女もなんだか嬉しそうだし。ここで訂正して変に気落ちされても困るし。そして私はそこでふと思いついた。


「……マリーさん、って……どれくらい、ここにいるの?」

「え、私? 私はおとん――父様が迎えに来るまでだから七日くらいかな? こっちで色々用事があるって言ってたから」


「……そっか。じゃあ――バスティアン、かのじょに、ことばづかい、とか、おしえて、あげられない?」

「え、言葉遣いですか? それは別に構いませんけど……じゃあマリーさん、ここにいる間は僕が教えて差し上げますよ――って、はは……なんだかややこしいなあ……」


「だから――マリーさん。とくたいせいはむりでも、らいねんの、せいきせいなら、にゅうがくできると、おもうよ?」


 すると彼女は涙ぐんで隣に座る私に抱きついてきた。そして耳元で囁く様に呟く。


「……有難う、マリーちゃん……こんな優しい人がいるなんて私、思ってなかった……頑張って私も同じ生徒になるね!」


 それで私も頷く。顔を上げた彼女はとても嬉しそうだった。


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