62 テレーズ先生
翌朝、私はお母様にしがみついて目が覚めた。だけど試しに声を出そうとしてもやっぱり出ない。失声症って本当に厄介な病気なんだなってつくづく思い知らされた。
「大丈夫よ、ルイーゼ。慌てずにゆっくりね?」
だけど一晩経ってお母様も少し落ち着いた様子だ。そんな風に言われて私は渋々頷く。こうやって焦れば焦るだけ余計に声が出なくなるのかも知れない。だけどそうと分かっていてもやっぱり焦ってしまう。喉が震えないと言葉を話す事が出来ないと分かっているのにどう振るわせれば良いのかが分からなくなってしまう。慌てる程どうしようも無かった。
そうやって少し遅い朝食を食べた後、テレーズ先生が部屋にやってきて早速手続きの報告をしてくれた。この先生って本当にちゃんと報告してくれるんだよね。
「――ですから今後はアカデメイア側が全てに対処する事になりました。ですからマリールイーゼ、安心してくださいな」
それを聞いて私とお母様は少しホッとした顔に変わる。だけどお母様はそれでもまだ納得出来ない事があるらしい。考えると良い事を思いついた顔になって小さく漏らした。
「……そうだわ。これからはここで私もルイーゼと一緒に生活しようかしら。そうすれば安心出来るし……」
だけどそれが聞こえたのかテレーズ先生が難色を浮かべる。
「……クレア、立場を分かっているのですか? 貴方は公爵夫人なのですよ? 大体アカデメイアで親同伴だなんて許可する筈がないでしょう? 相変わらずこの子は雛じみた事を……」
「え、ちょっと先生! 子供の前でそういう事は言わないでください! 私もう四十六なんですからね!」
「お黙りなさい。たかが四十六程度、私から見れば貴方はまだまだ若い娘の様な物です。大体セドリックの元へ嫁ぐ時に散々言った筈ですよ? もう少し落ち着きを持ちなさいと」
「……テレーズ先生、酷い! 私、落ち着いてますよ!」
「それにマリールイーゼに付き添う必要はありません。私が最低でも一年、可能な限り付き添います。今回の請願を出した生徒の特定はもう済んでいますしその生徒達が卒業するまでは私が責任を持って対応します。貴方の出る幕はないのですよ」
そんなお母様とテレーズ先生のやり取りに私は呆然としながら二人を交互に見た。まさか今回の騒動でもう特定まで済んでいるとは思わなかったし、その正規生達が卒業するまで私の傍で面倒を見るって事は手を出させないって事だ――ってそれよりお母様とテレーズ先生の関係がいまいちピンとこない。それで二人をじっと見つめているとお母様が慌てた顔になった。
「……えっ、ルイーゼ? なあに、どうしたの? あっ、まさかお母様に呆れているのかしら⁉︎ 違いますからね!」
いやまあお母様の意外な一面と言うか、若い頃が垣間見えた感じで新鮮ではあるんだけど。だけどそんな事を考えている私を見てテレーズ先生は私に微笑み掛ける。
「……ああ。そういえばマリールイーゼには話していませんでしたね。余り親しくなり過ぎると貴方に不都合があっては困るので黙っていたんですが、私はクレア姫――貴方のお母様が結婚する前は王宮で宮廷教導師をしていたのですよ」
えっ? それってテレーズ先生はお母様の家庭教師をしてたって事? 確かにお母様だけじゃなくてお父様も親し過ぎる気はしてたけどまさかお母様の先生だったとは思わなかった。
そしてテレーズ先生は懐かしそうに目を細める。
「……あの頃はアルもやんちゃな子でとても手を焼かされましたが……マリールイーゼは妹君に少し似ていますね」
アルってきっとアレックス王だ……と言う事はお母様の専任じゃなくて王族付きの教師だったって事になる。それって実は物凄く偉い立場なんじゃ? 確かにそれならお父様とのやり取りも納得出来る。だってお母様の若い頃を知っているのなら当然お父様とも面識があった筈だし。
だけどお母様は先生の言葉で少し沈んだ様子に変わる。
「……ええ、そうですね、先生。この子はエリーゼと似ていると私も思います。だけど私は似て欲しくありませんでした」
「……そうね。まさか死と戦う宿命まで同じく背負っているとは私も思いませんでした……」
テレーズ先生の一言で私は思い出す。そうだ、昨日あの話の時に先生もいたんだ。私は自分が死ぬ未来を見ていたけど出来るだけ人には話さない様にしてきた。今までは叔母様やリオン達しか知らなかった事が私の身近な人達の間で共有されてる。
特に今回の場合、『英雄の魔法』なんて物があるお陰で誰も疑ったりしない。もし無ければ絶対信じて貰えなかっただろうし逆に窮地に追い込まれていたかも知れない。基本的にこう言う知識は完全に異端扱いになる筈だ。
それに……確かあの時視た中でアベル伯父様が叔母様に言ってた筈だ。英雄一族の元が魔王と呼ばれた人だ、みたいな事を確か話してた気がする。他で聞いた事がないしアンジェリンお姉ちゃんの話では魔王の存在は正史に残ってないって事だから世間では一切知られていないのかも知れない。
うん……まあ確かに言われてみると『英雄の魔法』って滅茶苦茶過ぎるんだよね。近くにいると普通の魔法が使えなくなったりするし、お兄様の『英雄殺し』だってかなり物騒だ。
だけど身近な人達が信じてくれたのは大きい。こんな展開になるなんて思いつきもしなかった。それに――
「――貴方のお母様の昔を知りたいでしょう? また今度色々とお話してあげますよ。今はクレアに邪魔されそうですから」
私の頭を撫でながらテレーズ先生がそう言う。それはそれで物凄く興味がある。私はそこで初めて笑って頷くとテレーズ先生も穏やかに微笑んだ。