57 勇者と英雄
「――何故だ⁉︎ 今の君は英雄の力を使えない筈だ! なのに何故こんな風に戦える⁉︎ 答えろリオン!」
お兄様は驚きながら尋ねる。だけどリオンは滅茶苦茶に剣を振り回すだけで何も答えようとしない。
そこからはもう一方的な戦いだった。激昂したリオンが剣を振るう。それをお兄様は受け止めようとするけど簡単に弾かれてとても捌ききれない。あっという間に舞台の端まで追い込まれるとお兄様はそのまま躓いてしまった。そんな正面にリオンは立つと怖い形相になって見下ろす。
「――お前、リゼがどんな気持ちでこの国に戻ってきたのか、全然分かろうとしてないだろ?」
「……何だと? それはどう言う――」
「自分が死ぬ未来を知った女の子が、それでも家族が大好きだからって戻ってくるのにどれ位勇気がいるか分かるか?」
「――え……自分が死ぬ、未来?」
それまで剣を弾いていた手が止まる。リオンの剣が横薙ぎに振るわれてお兄様の剣は音を立てて床に転がった。だけどお兄様はそんな事に構わず床に手をついて彼を見上げる。
「――ちょっと待て! リオン、それはどう言う事だ⁉︎ 妹が自分の死ぬ未来を知ったって……一体何の話だ⁉︎」
だけどリオンは剣をだらりとぶら下げたままで答える。
「……そんなのお前には関係ないだろ? だってお前、リゼが答えようとしたのに聞こうとしなかったもんな?」
「……それは……」
「あんたは体裁を重視する貴族としちゃあ正しいかも知れない。けど僕にとって『家族の話もちゃんと聞けない』方が明らかに悪なんだよ。それとも実はリゼは今も死ぬ運命に抗ってるって聞いて引っ込めるつもりなのか? あんたの正義って事情によってコロコロ変わる様な正しさなのかよ?」
「…………ッ!」
それでお兄様は床に手をついて項垂れてしまった。その様子にリオンは忌々しそうに息を吐き出すと剣を収めてお兄様に背中を向ける。
「……本当にくだらない。ぶっ殺してやろうと思ってたけどあんたはダメだ。覚悟も無いし責任も全然背負えてない」
そしてそのままリオンは私に向かって近付いてくる。無言の叔母様から私を受け取ると横抱きに抱えて彼は言った。
「……行こう、リゼ。今日はもう部屋に帰ろう」
だけど私は何も答えなかった。それでも構わず立ち上がるとリオンは座ったまま無言で見上げる叔母様を振り返って言う。
「……母さん、ごめん。もし何か問題になる様だったら僕の事を勘当してくれて構わないから」
だけどそれを聞いて叔母様は泣きそうな顔で笑う。
「……大丈夫、何も問題ないわ。それよりルイーゼの為に本当に良くやったわリオン。貴方は私の自慢の息子よ。だから何かあればいつでも私を呼んで頂戴。愛してるわ」
「……そっか。ありがとう、母さん。僕も愛してるよ」
そしてリオンは私を連れて剣技場から出ていく。そんな私達の後ろ姿が見えなくなるとジョナサンが苦笑して呟いた。
「……全く……リオンの怖い処はぶち切れていても冷静な反応を返す事だな。お陰でパッと見ても全然分からん……」
「……そうだね。でも母さんが言った通りリオンは今回よくやったと思うよ、ネイサン」
そう言って二人は打ちひしがれたお兄様に視線を向ける。そんなお兄様にアベル伯父様が近付いていく。やがてすぐ前まで行くとその場でしゃがんでお兄様に声を掛けた。
「――レオボルト。お前、勇者と英雄の違い、分かるか?」
「……アベル師匠……それはどう言う意味ですか……?」
「勇者ってのは人の味方なんだよ。だから人を守る為にしか戦わない。国って派閥に分かれた争いにも絶対関与しない。関与しても巻き込まれる犠牲者しか守らんのさ」
「……そうですか……」
「……でもな? 俺らみたいな英雄は国に所属する貴族だ。だから平民は勇者になれても英雄には絶対なれない。まあ王に取り立てられて叙爵を受ければ英雄になれるんだけどよ? でも人を守る為だけに戦う奴は大抵、英雄の立場を拒絶するんだよ」
「…………」
「俺はイースラフトの英雄だから当然戦争でも戦う。そんな俺を相手の国は何と呼ぶか知ってるか? それはな、イースラフトの悪魔、だよ。自分の所属する国では英雄でもな、戦う相手にとっては最悪の存在なのさ」
「……それは……」
そして伯父様はお兄様の頭に手を置いて笑う。
「……レオボルト。お前は英雄じゃなくて勇者になりたかったんだな。けどそれならこんな事してんじゃねえよ。英雄は正義を語れねぇンだよ。他国の連中を殺す奴が語る正義なんて所属する国以外で通用する訳がねえだろ? それは正義とは言わんのさ。英雄ってのは仲間が讃えるだけの存在で、自分から誇示出来る物じゃねえんだ」
「……はい……」
「ま、概ねリオンの言う通りだな。正しくあろうとする為にやる事を正義とは言わん。それはお前の体面を守る為の物でしかねえ。それをお前、ちっこい妹の言い分位聞いてやれよ? 大体片方の言い分しか聞かねえ仲裁なんて不公平極まりないだろ? 多分リオンはお前のそう言う処に激怒したんだと思うぜ?」
笑顔で言うの伯父様の一言でお兄様はいっそう打ちひしがれた様に床に手をついて項垂れてしまう。流石にそれを見かねたのか、ジョナサンが遠慮がちに伯父様に言った。
「……伯父上、流石にそれ以上傷口に塩を塗り込む様な事は止めた方が良くないか? 見ていてこう、居た堪れないんだが……」
「はあ? ネイサン、んな訳あるか。一番辛い思いをしたのはあの嬢ちゃんだぞ? レオボルトにはそれを受け入れる責任があるだろうが」
「でもな伯父上。別の者から同じ事を聞けば簡単に信じてしまう物だぞ? レオボルト従兄さんもそれに引っ掛かっただけじゃないのか?」
「馬鹿野郎、それで身内を死なせた後におんなじ事言えんのか? 取り返しの付かねえ事をやった癖に騙された、知らなかったじゃすまねえんだよ。だから断罪ってのは何があっても揺るがない覚悟が必要なんだよ」
それを聞いてうつ伏せたレオボルトお兄様の喉から嗚咽が漏れるのが聞こえた――。
*
――そこで私が見た未来視が終わった。衝撃が強過ぎて一度見ただけで心が折れる位きついのにそれを二度繰り返して体験する事になってしまった。
もう何処から何処までが未来視で何処から何処までが現実なのかも分からない。だけど一つだけはっきりしているのはこれまで見た物は全部実際に起きたと言う事だ。だって全く同じ出来事を二度も見たんだから。
未来視って便利な様で実は結構危険が伴う物だ。怪我をしたり命を落とす物理的な事故を先に知るのなら夢が覚めてホッとする、みたいな事もあるだろう。だけどこう言う『心が抉られる』様な出来事を未来視すれば二回繰り返して抉られる事になってしまう。特に今回みたいに現実と並行したり微妙に追い抜いたりする場合は心が癒える時間もないままで同じ体験を繰り返す事になるから精神的なダメージは倍以上に膨れ上がってしまう。
きっと私の未来視って危機感や忌避感がトリガーな気がする。自然災害の直前には動物が騒いだり逃げるって言うのと似ていて前もって知る事が出来る。だけどだからこそ見るのは必ず悪い未来だ。救いがなくてどうしようもない辛い事しか分からない。
リオンは私を抱いて歩く――だけどこれは現実だ。だって辛くもないし悲しくもないから。私が見る未来視は幸せな事や安心出来る物を見る事がない。だから安心出来る伝わってくる体温や揺られる感覚は幻じゃない。
「……リゼ、大丈夫だよ。僕はちゃんと話を聞くし、絶対リゼを嫌いにはならないから……」
私がリオンの胸元をそっと摘むと彼は歩きながらそう返してくれる。それは心が折れても絶望しても変わらず私を安心させてくれる。例え依存と言われても私にはリオンが必要だ。彼がいてくれないと辛い事ばっかりで何が幸せで安心出来る事なのか分からなくなる。だってリオンだけは絶対に私の声を聞いてくれるから。
――ずっとこんなのが続けば良いのに……。
そんな事を考えながら、私は瞼を閉じた。