40 『振るう』と『使う』
お茶会の講習が中止になって後日、私とセシリア、ルーシーの三人は教導官の先生に呼び出される事になった。原因を調べる為に近くのテーブルにいた生徒から話を聞く為であって誰が悪いのかを調べる為じゃない、と言う話だった。
だけど本当の原因を追求していくと私とアンジェリン王女の勝負にまで話が波及しちゃうんだよね。そうなると王家と公爵家の確執って話に発展しそうだし個人的には絶対避けたい。
「――あいつら、絶対にズルしようとしてたよね!」
「だよね! 魔法使わない講習で魔法が使えないのが問題っていうの、絶対変だもん!」
私達三人は教導官室に行く為に校舎の廊下を歩いていた。セシリアもルーシーも随分お冠だけどやっぱりこの二人って実は相当色々見てる。流石は辺境伯家と伯爵家の令嬢だ。普段は子供らしいおバカな会話をしていても物凄く頭が切れる。あの言い掛かりも私に対する物だって事をちゃんと理解してる。
貴族社会は男女の棲み分けが徹底した世界だ。男女が完全に分けられてお互いの干渉を許さない。だからリオンが幾ら私を助けようとしてくれても助けられない場面は多い。彼は男性で私は女性だから。きっとセシリアもルーシーもその事を私より遥かに熟知してる。だって私は実家と叔母様の家だけで過ごしてきたから世間から見れば物凄くズレてるに違いないから。
「……二人共、なんかごめんね。それとありがとう」
私がそう言うと二人は同時に振り返って楽しそうに笑った。
「ごめんとかありがとうって何よ、マリー?」
「そうだよ。マリーは何も悪い事してないもん」
「……それよりあいつ、子爵家令嬢らしいよ。ったくネチネチネチネチ、筋の通らない事を主張して。ムカつくし裏から手を回して家をお取り潰しにしてやろうか……」
「あーそれいいかも。実家の権威を過信してる人って多いから実際に打撃受けたら反省するかもー? まあでも反省する頃にはもう遅いんだけどねー」
前言撤回……この二人、物凄く貴族令嬢だ。実家の権威を熟知して使い方までしっかり理解してる。正直凄く怖い。
「だ、だけどほら。権威って振るっても親の物でしょ? 自分の力じゃないのに、そんなに簡単に振るえる物なの?」
だけど私がそう言うと二人は振り返ってにっこり笑う。
「マリー。権威ってのは振るう物じゃなくて使う物なのよ?」
「そーそー。振るうのはちゃんとこっちを見て忖度出来る相手の時だけなの。あんな風に間違った事を正しいみたいに言う人はバカだから使わないと意味がないのー」
「ルーシーの言う通り。大義名分が間違っていなければ権威を振りかざすけど間違っていれば使われるのよ。それに気付けるなら有益な人材だからね。そう言う相手ならちゃんとやり直す機会をあげないとダメでしょ?」
「うんうん。でも本当にダメなら権威を使うのよー。じゃないとお国に不利益になるからねー。そう言う人って味方にいる方が被害が大きくなっちゃうから、仕方ないよねー?」
「……ふ、ふ、ふぅん……?」
いや、怖いよ! でも二人の言う『振るう』と『使う』の違いが少し分かった気がする。要するに振るうのは態度でダメな感じを伝える事で使うのはダメだって断言する事かな?
貴族って本当にメンツが全てだからはっきりダメ出しされると致命的だ。上位の貴族がダメと言えば周囲の貴族もその相手をそれ以降無能として扱う。つまり実質的な権威剥奪になる。
思い返してみるとあの時、セシリアは凄く論理的に相手に何故ダメなのかを問い質していた。きっとあれが『振るう』だ。
もしあの場面で何がダメなのかを口にして『使う』と相手の面目丸潰れで以降、周囲は彼女の言う事を聞かなくなる。特に十二歳の子供に正論を言われると絶対に立ち直れない。そうなればもう貴族としてはお終いだ。
だけどなるほどねぇ……でもやっぱ怖いよ。何が怖いって令嬢として権威の使い方を熟知した上で貴族として正否の判断までしてる処が。まるであの時のアンジェリン王女の考え方が正しいと言われてるみたいな気がする。少し違うのは二人共、そう言う思考を切り替えてる感じがする処だけど……。
だけど顔を引き攣らせて笑っていると二人は顔を見合わせてにっこり笑う。真ん中を歩く私に同時に抱きついてきた。
「え、二人共、急に何?」
「……でもさ。それでも歳上を相手にするのってやっぱり怖かったんだよ。守らなきゃいけないマリーが助けてくれて、何故関わるんだって思ったけど……凄く感謝してたんだよ?」
「……うん。それも公爵家の権威を使おうとしないし、自分の力だけでやろうとして……どうして使わなかったの?」
「え、えと……だってほら、二人は友達なんだから、家の威光じゃなくて、私自身の力で助けなきゃ……って、思って……」
はい、嘘です。と言うか私は権威の使い方をよく分かっていませんでした。精々『公爵家様のお通りだ』程度の陳腐な使い方しか出来なかったと思います、はい。
だけど……彼女達を助けるのは公爵家の娘としての私、じゃなくて友人としての私、じゃなきゃダメな気がする。私を守ろうとしてくれた二人はきっと、私が公爵家の娘だから守ろうとしてくれたんじゃないと思うから。
「……もう……マリーちゃん、可愛すぎ……しゅき……」
「……マリーが男の子なら私、寝室に潜り込む自信ある……」
「ちょ、ちょっともう、二人共抱きつくの止めてってば!」
流石に恥ずかしくて私は声を上げる。だけど二人共私に抱きついたままで離してくれない。それで私は痛む右手を慌てて腰の後ろに持っていく。触れるだけでまだ物凄く痛いし。
「おーおー、顔赤くして可愛いなー。でも寝室に潜り込むのはちょっと良いかも。一緒に寝たりとか凄く楽しそうだよね」
「でしょー? それで……剥く!」
「む、剥くって私に何する気よ、ルーシー⁉︎」
「え、マリーを剥いてどうするの、ルーシー?」
「決まってるでしょー。絶対お肌すべすべだから、今の内にお腹とか撫で回すの。頬擦りしても良いかもねー?」
「うわ……なんか倒錯的な方向だ……」
「それでリオンくんに自慢するのー」
「お、それはいいかも知れない……」
「ちょ、もう二人共、いい加減にして!」
こんな感じで私達は廊下を歩いていく。冬季休暇中で校内に他の誰の姿もないから良いけど、こんな女の子同士の付き合いなんて全く分からなくてどう反応すれば良いか分からない。
そしてそうやって何とか教導官室にまでやってくると丁度扉が開いて一人の女性が廊下に出てくるのに出会した。
「……あれ? お姉さん、あの時の……」
それがあの時、私が助けたお姉さんだと気付いて声をあげると彼女は慌てて私の方を振り返る。みるみる顔が青褪めて私の前にやってくると床に膝をついて頭を下げた。
「ま、マリールイーゼ様! この度は本当に有難うございました! 私、助けて下さらなかったらきっと死んでいたと言われて……それより右手のお怪我の方は大丈夫なのですか⁉︎」
あっちゃー……折角隠してたのに。と言うか私が右手の甲を火傷したのは教導寮の先生や侍医の先生しか知らない筈なのに何故か知られてしまってる。案の定、その一言を聞いたセシリアとルーシーの顔から笑みが完全に消えてしまっている。
「……どう言う事、マリー?」
「怪我って何? 右手って言ったよね?」
仕方なく袖を捲って包帯の巻かれた右手を見せる。学校が休みで制服じゃなくてよかったから安心してたのに。だけど二人は顔から血の気を引かせたままお姉さんに尋ねる。
「――貴方、名前は?」
「あ、あの私、ルースロット男爵家のエマと申します……」
「そう……私はフーディン辺境伯家のセシリア。隣はキュイス伯爵家のルーシー。ちょっと詳しく話を聞かせて頂ける?」
セシリアの口調がガラッと変わっている。これまではわたし呼びだったのにわたくし呼びだ。気配も変わって厳格な空気を醸し出している。それは隣にいるルーシーも同じだ。
だけどそんなちょっとした騒ぎに気付いたのか教導官室の中から先生が姿を見せる。確か講習担当だったテレーズ先生って名前の品の良さそうなお婆ちゃんの先生だ。先生は廊下の私達を見てすぐに察した顔に変わると静かな調子で扉の中へと促してきた。
「……マリールイーゼ様。ご学友のお二人と、エマ・ルースロットさんももう一度中に。お話はそこで致しましょう?」
それで私達三人と顔を青褪めさせたお姉さん――エマさんは一緒に教導官室の中に入る事となった。