38 お茶会講習
王様がお忍びで私に会いに来てから一月近く。だけど私は割と穏やかに日々を過ごしていた。
幾ら『魔王』と呼ばれた処で基本的に準生徒は正規生と顔を合わせる機会が殆ど無い。それにリオンが必ずいてくれるから何も起きないし同級生の誰かが必ず一緒に行動している。だから私もちょっと油断していたのかも知れない。
事の発端はお茶会の講習だった。貴族令嬢の嗜みとしてお茶を淹れる腕を磨く、と言う物がある。これは貴族の間でお客をもてなすのは主人の務めだからと言う理屈で日本の茶道が近いのかも知れない。お菓子は職人が作った物を出すけどお茶を立てるのはあくまで主催者本人の役目、みたいな感じ?
因みに私もお茶を淹れるけど頻繁には淹れない。普通の魔法が使えない私は基本的に火種とお湯を沸かせる準備が無ければ淹れる事自体しない――と言うより出来ないんだけどね。
じゃあどうして私がそんな講習に参加する事になったのかと言うとセシリアとルーシーが強く望んだからだ。二人は辺境に近い領地出身でお茶会自体余り参加した事がないそうで、心細いから公爵家の私にも是非一緒に参加して欲しいと言われて断り切れなかった。だって面倒臭いから、だなんて言えないでしょ?
講習会場には結構多くの人が集まっていた。どれ位集まっているかと言うと、まあ王都で陽射しもあるから少し肌寒いけど冬空の下でも割と暖かく感じる程度に人がいる。勿論十二歳の私達以外は十五歳から十八歳の貴族令嬢しかいない。そして同じく周囲を見回していたセシリアとルーシーが口を開いた。
「――んぃやー、都会の別嬪さんは違うべなあ」
「んだんだ、わたすら田舎もんには無理だべー」
「おお、みろルーシー、あの姐やん、胸元すごいべ!」
「ほんになあ、あんな乳放りだして皆の衆、寒ぐねが?」
……おい、お前ら余裕だな! 心細いの何処行った!
当然二人は普段ちゃんと普通に喋っているし訛っている訳でもない。貴族は基本的に標準語で方言はない。と言うかこの世界にも訛りや方言ってあるけど省略したり発音のニュアンスが変わる物が多い。二人共緊張する処か笑って楽しそうに言っているから田舎者演技で絶対にわざとだ、これ。
だけど気弱なルーシーが楽しそうなのはきっと周囲が女性だらけだから? つまり彼女は男性が苦手なのかも。考えてみたら普段は絶対同級生の男子が一緒だけど心細そうにセシリアにくっついている事が多い。私も得意じゃないんだけど私の場合は基本的に人見知りだからだしね。胸張って言えないけど。
そうやって各自が雑談を繰り広げている中、少し高い壇上に年配の女性教導官が立って軽く手を打ち鳴らす。
「――はい、皆さんごきげんよう」
「「「ごきげんよう!」」」
「本日のお茶会講習は魔法を使わない正式な手順でお茶を淹れて頂きます。ご存じの方もいらっしゃるでしょうが王宮務めでは魔法の使用が出来ません。火種はこちらで準備致しますからそれぞれお湯の熱さに気をつけて淹れてみてくださいな」
「「「はい!」」」
なんか凄いなあ。女学校ってこんな感じなのかな? 先輩達も楽しそうだしキャッキャウフフな空気が凄い。そんな熱気に当てられているとセシリアの不満そうな声が聞こえた。
「……ちぇっ、火種から自分で作るんじゃないのかあ」
「セシリア、火種作るのって物凄く大変でしょ?」
「そんな事ないよ? 火口と火打ち石、板があれば慣れてたらすぐに火なんて付けられるし。折角練習の成果を見せられると思ってたのに、なんだかこれじゃ消化不良だよ」
「いやいや、セシリアが凄いのは良いとして。他の貴族令嬢はそんなのした事ないと思うよ?」
「え……そうなの⁉︎ 私てっきり、お茶会ってそう言う技術を駆使する発表の場だとばかり思ってたわ!」
「何の修行よ、それ……取り敢えずセシリアは火種を貰ってきて。器で渡してくれると思うけど、焼けた熱い石炭だから気をつけてね。その間にルーシーと私で他の準備をしよ?」
そう言って私がコンロの方を見ると二人は感心した様子で私の方を見つめる。
「……す、凄い……マリーが仕切ってる……」
「……なんだかマリーが本当の公爵令嬢に見えるね……」
「あーはいはい。残念ながら私、その本物の公爵令嬢だからね」
「そうじゃなくてさ。ね、ルーシー? 何て言うか経験豊富な感じがするのよ。何て言うか……そう、老練って感じ?」
「うん、きっとお茶会とか一杯経験してるんだろうなー」
だけどそう言われて思わず私は動きを止める。いやだって、私お茶会とか参加した事なんてないし。これでも一応貴族出身の女の子として憧れが無かった訳じゃない。だけどそう言うのは大人がする物だと思っていたし、そもそも大人になれるかどうかも分からない私がして良い事じゃないとも思ってた。
「……ないの……」
「……ん? 何、どしたのマリー?」
「だから……した事ないの……」
「え? マリー、何をした事がないの?」
「だから……お茶会した事ないし、お呼ばれした事もないの」
私がそう答えた途端、二人はシンと静まり返る。周囲の賑やかさとは対照的に私達のテーブルだけ冷気が走った気がする。
「だ……大丈夫! だってほら、私もルーシーもお茶会みたいな華やかなの、した事ないし!」
「そ、そうそう! なのにどうしてお茶の淹れ方こんなに詳しいんだろうとか思ってないから!」
「あっ、バカ、ルーシー!」
「あっ! ごめん、ぼっちお茶会専門とか思ってないから!」
……ぼ、ぼっち……。ルーシーは甘えん坊な反面、余り言葉選びをしないから結構抉る言い方になる事が多い。まあ実際に私は同じ年頃の女の子と過ごした事がないからそう言う意味で全く傷付いたりしない。本当に落ち込んでなんかいないよ?
「まあ……ほら、私、小さい頃から身体が弱くて叔母様の家に預けられてたから。だから叔母様がお茶の淹れ方だけは徹底的に教えてくれたんだよ」
私が曖昧に笑って答えると二人は顔を見合わせる。
「叔母様って……それ、リオン君のお母様?」
「うん、そうだよ。叔母様のお家は三人兄弟で男の子だけしかいなかったから本当に可愛がってくれたんだよね。あの勝負の時に着てたドレスも叔母様が下さった物だし」
「え、それって……マリー、その叔母様ってもう、マリーのお母様みたいな感じだった、って事?」
「うん。叔母様は二人目のお母様かな――って、どしたの?」
だけどそこで私は首を傾げた。と言うのも二人が頬を赤く染めて感動の視線を向けてきたからだ。二人共胸の前で指を組んで目をキラキラさせている。その理由が分からずにいるとセシリアが感極まった様子で尋ねてくる。
「……流石公爵家……だからリオン君、いつも一緒なんだ?」
「え、うん。まあ小さい頃からずっと一緒だし」
「……ほんと凄いよね。アカデメイアも一緒だもん。準生徒で留学って前例がないって聞いた事あるもん、私……」
「あー……まあそうだけどリオンは心配して一緒に来てくれたんだよね。こっちに帰ってきた時はまだ決まってなかったらしいんだけど、いきなり帰らず一緒に行くって言われた時は流石に私も物凄く驚いたんだよね……まあ、嬉しかったけど」
私がそう答えると二人は嬌声を上げる。え、別に大した事は言ってないんだけど……何でこんなに盛り上がってるの?
そしてセシリアとルーシーは私に詰め寄って来ると肩に手を置いて凄い剣幕で捲し立ててくる。
「……大丈夫、マリーは物凄く公爵令嬢してるよ!」
「うんうん! その時点でもう、勝てる子いないよ!」
「え……そうなのかなあ? よくわかんないけど……」
「もうお茶会なんて必要ない位凄いよ! マリーはもっとその事を自覚すべき! もうこの時点で勝ち組なんだから!」
「あー、ほんとにいいなー! 私もそんな風になりたい……」
だけどそんな事を言われてもよく分かんない。勝ち組って公爵家に生まれたから? まあ確かに公爵家は貴族社会だと王家に次ぐ高位貴族だから分からなくはないけど、だけどだからと言ってお茶会が必要ない位凄い、って意味が分からない。
「まあそれは兎も角……二人共、お茶を淹れちゃお? ほら、セシリアも火種貰ってきて。ルーシーはコンロとティーポットの準備。私はお茶の葉っぱとか材料を貰って来るから」
「……えー。もっとこう言うお話、してたいのにぃー」
「マリーってちっちゃくて可愛いのに一番大人だよねー」
ぼっちでお茶会未経験が大人な訳がない。それに私の身の上話なんて聞いても面白い事なんて全然ない筈だ。だからこの時私は二人が盛り上げようとしてくれているんだろうな、位にしか思っていなかった。何だか申し訳ない気持ちで一杯です。