37 大人達の事情
扉を開いて入ると衝立が立ててあって部屋の中はすぐに見る事が出来ない様になっている。いわゆる仕切り板でこれは来客時に先客がいても直接顔を合わせない為だ。特にこのアカデメイアは貴族の学校だから大抵そう言う配慮がされている。私やリオンの寮室にも衝立が準備されているし他の生徒の部屋も多分同じだと思う。
そして衝立を回り込んで進むとテーブルとソファーがあってそこに五十歳位の男性がいた。騎士の礼服みたいな服装でカップを手にして、私達の姿を見た途端吹き出しそうになる。
「……ゲホッ……こ、これは……マリールイーゼ、まさかこんなに早く会えるとは思ってなかった……」
「え……あの、どちら様でしょうか?」
それで私が警戒心を露わにしているとすぐ後ろにいたシルヴァンが前に出た。彼は物凄く嫌そうな顔になっている。
「……父上。何をしに来たんですか……」
え、父上? シルヴァンの父上って……まさか。
「やあシルヴァン。アカデメイアに行ったまま王宮に戻っていないと聞いてな。ちょっと様子を見に来たんだよ、ははは」
私を待っていたのはこの国、グランドリーフ王国の国王陛下アレックス王その人だった。
いやまあ、あの勝負の時も見に来ていた筈だけどこうやって私を名指しして話をしたいって理由が分からない。大体お父様は側近なんだから直接私を呼べば良い筈だ。アカデメイアにまでわざわざやってくる必要もないし、何より護衛も兼ねているお父様が一緒にいないと言うのも物凄く変な話だ。
「まあ、取り敢えず座りたまえ。ああ、シルヴァンは私の隣に座りなさい。マリールイーゼ嬢、それとリオン君はそちらの席に腰掛けておくれ。これは完全に非公式な対談だから王様だと言う事も意識しなくて良いからね。ざっくばらんと行こう」
「はあ……分かりました、父上」
「ええと……じゃあ失礼します」
「…………」
シルヴァンは素直に王様の隣に座ってリオンも頭を下げて正面の椅子に腰掛ける。だけど私はなんだか嫌な予感がしてすぐに返事が出来なかった。だってこの人はこの国で一番偉い人でお父様の直接の上司だ。そんな人が娘の私に話がある時点で凄く不安になる。
私は何も言わず黙ってリオンの隣に座った。それを確認するとアレックス王は頷いて静かに目を閉じる。そして次に目を開いた時、いきなり頭を下げられた。
「――本ッ当にすまなかった! うちのバカ娘が君達に迷惑を掛けた所為でマリーも倒れて本気でどうしようかと思った!」
「……へ……?」
「いやもう本当に大変だったんだ。あれからセドリックもブチギレて『お前、この落とし前どうつける気だ?』とか滅茶苦茶笑顔で言って来るし、その上クレメンティアまで王宮に乗り込んで来て『兄上、どう教育すればこんな政治に偏った娘に育つのです?』と言って無茶苦茶笑顔で問い詰めてくるしな!」
「……あ……そっか、王様ってお母様の兄上様だっけ……」
私が思わず呟くと王様は深くため息をついた。少し落ち着いたらしく真剣な顔になって私を見つめてくる。
「それで……マリーはもう大丈夫なのか? 身体の方はもう何ともないのか? もう何処も悪くはないのか?」
「え、ええと……はい、もう大丈夫です」
「……そうか……それなら本当に良かった……」
だけどそんな安心した様子の王様が不思議だった。だって確かに私は姪だけど心配の仕方が普通じゃない。それで首を傾げていると王様は目を細くして笑った。
「……何故自分がこんなに心配されているのか分からないと言った顔だね、マリー?」
「え……はい。陛下はお母様の兄上だからかも知れませんけど心配し過ぎだし、甘やかし過ぎだと思います」
「……そうか。まあそれも仕方ない事なんだ。許して欲しい」
「ええと……仕方ない事、ですか?」
「うむ。私とクレア――クレメンティアには歳の離れた妹がいたんだ。名をエリーゼと言って君の叔母に当たる。だが身体が弱くて五歳で亡くなってしまった。娘が同じく身体が弱いとなればそりゃあ心配するし私だって気に掛ける。あの模範試合の時だって君が倒れた時、妹は相当取り乱したんだよ。勿論私も慌てたが」
「……そうだったんですか……」
「当然セドリックもエリーゼが亡くなってクレアがどれ程悲しんだかを知ってる。あいつがいなければ妹は立ち直れなかったかも知れない。まあ、君とは直接関係ないが私や君のご両親が背負っている傷だ。だから心配するのはどうか許して欲しい」
そう言うと王様は再び私に頭を下げた。その隣で聞いていたシルヴァンも、隣にいるリオンも複雑そうな顔で黙っている。
当然私も両親にそんな経緯があったなんて知らなかったし単に身体が弱いから心配されていると思っていた。だけど名前の響きもエリーゼとルイーゼで似てるし他人事と思えない。五歳まで生きられないと言われていた私にとってはもうこれは私の前世じゃ無いのかって思う位には同情していた――お母様に、じゃなくてエリーゼ叔母様に、だけど。
それに王様がわざわざお忍びで来たのだってここ以外では頭を下げられないからだ。だからきっと本当に姪として心配してくれていたんだろうなって思う。
そして部屋の空気が何とも言えない重さに変わっている事に私はやっと気がついた。シルヴァンもリオンも何とも言えない表情で黙り込んでいるし王様もしんみりしている。ああこれは私が何か言って空気を変えなきゃいけない場面ですよね?
「……あの、お話は変わりますけど……」
「うむ、何だい?」
「アンジェリン様はどうされてますか? 確かご公務で色々とお忙しいと聞いてますけど、あれからお会いしてませんから」
だけどそれで王様はびくりと身体を震わせる。気の所為か隣にいるシルヴァンも何とも言えない顔に変わった。別の意味で重くなった空気の中でアレックス王が静かに口を開く。
「……あー……アンジェリン、な……シルヴァン、アンジェリンは今、どうしてたんだったかな……?」
うわ……王様、今、息子に話題を丸投げした。あんまり自分の口から言いたくない事なのかも知れないけど明らかに視線が横を向いて私と目を合わせない様にしている。大丈夫か、この国?
「……あー……えーとね、マリー」
「え、うん。何、シルヴァン?」
「実は姉上は今、教育を受けている最中なんだ」
「え、教育ってお作法とかの?」
「いや、ちょっと違う。マリーの母上とリオンの母上が王宮で姉上の再教育をしている、らしい。なんだか王女として以前に淑女として思想を矯正するって……詳しくは知りたくない」
さ、再教育⁉︎ 何それ怖い! え、お母様も叔母様も用事で家にいないってアンジェリン姫の思想教育の為に王宮まで出向いてるって事なの⁉︎ いやまああの時、なんとなくそんな話をしてた様な気もするけど! と言うか再教育とか思想矯正とか不穏当な単語が満載過ぎてちょっと頭が追いつかないよ!
そしてよせば良いのにリオンがシルヴァンに尋ねる。
「……シルヴァン……『知らない』んじゃなくて『知りたくない』って言うのはどう言う事?」
「……僕はさ、リオン……今回、女性の世界は余り男が触れて良い物じゃないって事だけは思い知ったんだ……」
「え、それは……つまり?」
「……だからさ、『聞くな』って言ってるんだよ」
なんだかさっきのしんみりした空気が今はお通夜みたいに変わってしまっている。リオンもそれ以上尋ねる事は出来なくて黙り込んでいる。そんな中で我がグレートリーフ王国国王陛下で在らせられるアレックス王が呟く様に仰られました。
「……女の子の教育って難しいなあ……褒めて伸びるってのは嘘だな、あれは……だって伸びるのが正しい方向とは限らないものな……伸び伸び育つって頭に『雑草が』って付いた途端に『ああ、ダメだな、それは』って思ってしまったものなあ……」
それってきっとお母様と叔母様に言われたんだと思うんだけど……まあ……うん。お母様と叔母様に言い返せる人なんてきっと男女関係なくこの世界中で殆どいないんじゃないかなあ。理路整然と笑顔満面で畳み掛けられて二の句も継げないと思う。
結局アンジェリン王女は舞踏会もパーティも全部キャンセルして王宮でお母様と叔母様にお説教と教育を受ける事になってしまった、と言う事だけがはっきりした。
そっかー。あの時お母様が言った『任せて』って言うのはきっとそう言う事だったのね。あの時ってお母様も叔母様も確か物凄く怒ってたし。何に怒ってたのかまでは知らないけど。そんなの怖くて聞けないし。