341 二人なら最強
「――あははは! そう、貴方が元平民の男爵令嬢、マリエル・ティーシフォンだったのね!」
マリエルの名乗りを聞いてマリーアンジュは楽しそうに笑う。だけどそれも束の間、今度は私を見て不敵な笑みを浮かべた。
「成程ね……主人公と言う事はマリールイーゼ、お前は差し詰め英雄令嬢――いえ、『悪役令嬢』と言った処かしら? でも主人公と悪役令嬢が大親友だなんておかしな話ね。マリエル・ティーシフォン、貴方が主人公と言うのなら競う相手は私でなくマリールイーゼではなくて?」
「そ、それは――」
だけど私が答えようとするとマリエルは遮る様に間に割り込む。物凄く自信満々な笑顔で腰に手を当てて胸を逸らして見せる。
「あはは、でもさ? 主人公とそのライバルが手を組めば最強に決まってるじゃん? だって主人公はこの物語の中心人物で、ライバルはその世界の中でも唯一絶対の競争相手なんだよ? なら主人公とライバルが手を組めば脇役のおばさん達が私らに勝てる訳ないじゃん!」
そう言うとマリエルは私に小さな声で尋ねた。
「……ルイちゃん、大丈夫? 動ける?」
「……ごめん、まだちょっと身体が強張ってて……」
「そっか。じゃあルイちゃんにはリラックスして貰わないとね」
そしてマリエルは以前天幕の中で見せた姿勢を取る。左手を横に伸ばして掌を軽く開いて、右手は私の腰に添える形だ。そう、それはダンスでマリエルが男子役をする時の姿勢。こんな時にする事じゃない筈なのに何だか変で思わず笑ってしまう。
「……もう、マリエルってば……なんでダンスなのよ……」
「ん? だってほら、ルイちゃんってダンスの時だけは絶対に緊張したりしないじゃん? ならちょっとは緊張もマシになるかな、って」
「……有難うマリエル。でもそっか、マリエルが主人公で私はライバルの悪役令嬢だもんね。確かに二人が一緒なら最強かも知れないね?」
そう言って私は左手でマリエルの右肩に手を添えて伸ばした左掌をしっかりと掴む。これからダンスをするみたいに私とマリエルは同時にマリーアンジュ王妃の顔を見た。
「――私は英雄の娘、悪役令嬢マリールイーゼ!」
「え、えっと……私は元平民で主人公のマリエル?」
「ちょっとマリエル、なんで自信無さげなのよ」
「……主人公連呼し過ぎてなんか恥ずかしい……」
いつもと同じでバカみたいな軽口を叩く。そんな私達を見て王妃は手を上げた。それに合わせて貴族達が一斉に弓を引いて狙いを付ける。その様子に慌てたアレクサンドラ様が悲鳴じみた声を上げた。
「二人共、バカな事は止めて逃げなさい!」
「大丈夫です、サーシャ様。それより矢に当たらない様に気をつけてください」
「な、何だって⁉︎ だが武器も無しでどうする気だ⁉︎」
「大丈夫だよ、お婆ちゃん! だって私らは別に戦って勝つ必要なんてないんだもん! それにきっとリオン君達も来てくれるだろうし!」
「うん! 私とマリエルが一緒ならきっと平気です!」
そう言った瞬間私の視界が紫に変わった。だけどさっきみたいに身体が重く感じない。幼い頃、叔母様の家のお庭でダンスを踊っていた感覚が蘇る。そう言えばあの頃も舞踏場じゃなくて土の地面の上でダンスを練習してたっけ。やっぱりマリエルは凄い主人公だ。一緒にいてくれるだけで萎縮してた心が元気になる。まだ頑張れるって思える。
「……マリー殿、その目は……」
アレクサンドラ様が私の目に灯った紫炎に絶句する。それはマリーアンジュだけでなく弓を構えた貴族達も動揺したのか空気が揺らぐ。
「――マリエル、私が動く通りについて来てね!」
「任せて! レイモンド君直伝の男の子のダンス、見せてあげるよ!」
「……あ、貴方達! あの二人を射殺しなさい! あれは危険だわ!」
そんな私達を見てマリーアンジュが悲鳴みたいな声を上げる。それを合図に私とマリエルの舞台が始まった。
*
大量の矢が飛び交う中、私とマリエルは舞い続ける。当たりそうになっても私の目はどうすれば避けられるのか、前もって分かる。普通なら当たる筈の矢が全く当たらない。この感覚は昔、叔母様の家でリオン達から逃げるみたいに踊っていたのを思い出す。
ステップして、回転して、当たりそうならマリエルの身体を引っ張って避ける方向を指示する。マリエルの身体能力は魔力による強化で尋常じゃない速さだ。まるで横殴りの雨みたいな矢が飛び交う中で、だけど私とマリエルはくるくると舞い踊る。まるで雨なんて全く降っていないみたいに。矢はドレスに掠りもせずにただ通り抜けて行く。
アレクサンドラ様は置いてあった荷物を盾に身を隠している。だけど当たる心配はなさそうだ。だって弓を射る貴族達は目を剥いて怯えたみたいに一心不乱に私とマリエルだけを狙っている。
「な、何故当たらない⁉︎」
「やはり英雄一族は化け物か!」
そんな怯えた声が聞こえてくる。貴族達はまるで私達を殺さないと自分が殺されるみたいに必死だ。私もマリエルもただ踊っているだけなのに大人の貴族達の顔に焦燥が浮かび始める。でもそれとは逆に私もマリエルもいつしか笑顔になっていた。なんだろう、これ。弓で狙われたりすれば怖くて動けない筈なのに自然と身体が動く。それにどうしてか心も余裕がある。頭が冴え渡って踊りながら考える余裕が生まれる。
「……そんな、あの子の英雄魔法は身体強化ではないの⁉︎」
遠くから先輩の声が聞こえてくる。ああそっか、先輩は私の英雄魔法がどんな物か知らないんだっけ。だってアンジェリン姫と勝負した時の事しか知らないものね。彼女は私の力が単なる超反応出来る身体強化だとしか思ってないみたいだった。英雄魔法がそんな普通の魔法と一緒な訳がないのに。
そして貴族達の手持ちが減ったのか放たれる矢の数が減って行く。後ろにある天幕は矢で射られて既に穴だらけのボロボロだ。そして最後の一本が私とマリエルの間を風の様に通り過ぎた時、そこで私達は二人並んでお辞儀をして見せた。
でも当然拍手なんてない。新女王派の貴族達は全員が押し黙ってその場で固まっている。私たちを見る視線にははっきりと恐怖が浮かんでいる。アレクサンドラ様も目の前で起きた事が信じられない顔で呆けている。そしてそんな中、マリエルの楽しそうな声だけが響いた。
「――おばさんさ。自分が不幸だと思い過ぎなんだよ」
「…………」
「自分が不幸で、だから頑張って何とかしたかったんでしょ? でもやり方が間違ってた。おばさんが何とかしたかったのは目の前にいた妹じゃなかったんだよ。助けられる自分になりたかっただけなんだよね? 本気で助けたかったのならおばさん自身がその場で妹を助けてあげれば良かったんだよ」
「……お前に私の気持ちなんて分かる筈がないでしょう⁉︎」
「そんなの当然じゃん? だって私、元平民だよ? 浜辺の家で両親も弟も妹も皆目の前で溺れ死んだ。助けようとしたけど助けられなかった――でもおばさん貴族じゃん? 私より全然恵まれてて手を伸ばせばすぐ助けられた筈だよ? なのに不幸ごっこして自分は正しいって喚いてる様にしか私には聞こえないんだよね――だから全然響かない」
何と言うかこう言う時のマリエルの一言は凄く厳しい。唯の不幸自慢なんて実際過酷な経験をしてきたマリエルには通用しない。多分マリエルは膨大な魔力で何とかしようとした筈だ。でも平民で魔法の使い方を知らなかった。きっと貴族の養女になっても彼女が魔法をろくに学ぼうとしなかったのは家族を助けられなかった力だからだ。そんなマリエルを前に自分の不幸を語れる人間なんて先ずいない。
だけど……私もマリエルと同じ様な事を考えていた。きっと先輩もコレットを助けたいと思っていた筈なのに助けなかった。クロエ様ですらコレットの消息を追ったのにベアトリスはそこまでせず、『助けられる自分』の方を優先してしまった。『こんな世界は潰してやる』って言うのも結局、助けられない自分が許せなかったからだと思う。それは世界がそうだから世界が悪いと言うのと同じだ。手を伸ばせば守れた物に彼女は手を伸ばさなかった。
そして何より私はある事に思い至っていた。これは最初に聞いた時には思いつかなかった事だ。マリエルと踊っている内に頭がスッキリして冷静になった時にふと思った。それは最初、小さな違和感だったけどどんどん大きくなってこの考えが浮かんだ。
「――あの、もしかして……先輩には『日本』の記憶があるんじゃないですか?」
これはさっき思いついた訳じゃない。大分前にクロエ様が言った一言がずっと引っ掛かっていた事も関係してる。お母様曰く、この世界には悪役令嬢なんて概念がない。貴族令嬢が悪役だなんて貴族社会では致命的だからそんな言葉自体が成立しない。
なのにクロエ様は『悪役令嬢』と言う言葉を私の前で使った。それはこの世界には無い概念の筈なのに。じゃあどうしてそれをクロエ様が知っていたのかと言うと――きっとベアトリス先輩から聞いた事があったからだとしか私には思えなかった。
マリーアンジュ王妃は目を大きく見開いて私を見つめる。だけどすぐに皮肉っぽっく笑うと首を傾げて私の言葉を否定する。
「……何の事かしら? 日本? そんな場所は知らないわ?」
でもその返事が全ての答えだった。だって私は日本が何を意味する物なのかを言っていない。それを『場所』だと分かった時点で肯定したも同然だ。
でも私はそれ以上追求しなかった。だって私も知識はあるけど日本で生きた記憶がない。私はこの世界で生きた事しか知らない。そんな私が知識でしか知らない日本の事を突き詰めた処できっと何も言えない。だって知識だけであやふやにしか分からないのに相手を言い負かせる筈がない。何より私は彼女を言い負かしたいんじゃない。純粋に自分と同じなのかと興味があっただけだ。幻みたいに触れられない。本当にあるとしか思えない。手の届かない同じ世界の知識を持つかも知れない唯一の他人に。
「……そうですか。分かりました……」
だけど私がそう言うと隣でマリエルが不思議そうな顔に変わる。
「……ルイちゃん、ニホンって何? 食べ物とかダンスの話?」
「あー……まあ気にしなくていいよ。何、マリエルお腹空いたの?」
「ちょっとお腹空いたかなあ? ダンスするとお腹空くんだよね」
そんな私とマリエルのやり取りを聞いてマリーアンジュはやっと気付いた様で激しく顔を引き攣らせて私を見つめる。答えるつもりがなかったのに下手に答えてしまった所為で私に答えを言ってしまった、そんな感じだ。だけどその後俯いた先輩はもう顔を上げる気力も尽きてしまった様に見える。多分、かつてベアトリスと呼ばれた女性はもう戦えない。張り詰めていた糸がぷつんと切れてしまったみたいだ。だけど彼女が戦えなくてもその後ろにいた貴族達はそうじゃなかった。
「……おのれ、悪魔の一族め!」
「我らはまだ、負けた訳ではないぞ!」
そう言って一人が剣を抜くと次々に剣を抜き始める。ああ……うん、まあそうだよね。だって私とマリエルは単に矢を全部避けて踊ってただけだし別に何か攻撃とかした訳じゃない。全部避けられて驚きはしたけどまだ負けてないって意識の筈だ。
でもどうしよう。流石に剣を振り回されるのは怖い。マリエルなら普通に倒せるのかも知れないけど明らかに私が足を引っ張っている。それにマリエルも直接戦闘をした事は無い筈だ。咄嗟にあの魔弾を打ち出す事も出来ないみたいで私を庇って前に立ち塞がっている。王妃には精神的に勝てたっぽいけど派閥の貴族相手には勝てそうにない。
「……死ね! この悪魔共め!」
そう言って近付いて来た貴族が剣を振り上げる。それで思わず目を瞑ると突然空から何かが降って来た。それは私とマリエルの前に立ち塞がると振り下ろされた剣を寸前で受け止める。その直後ばきんと言う音が響いて恐る恐る目を開くと、そこにはよく知っている男の子の姿があった。
「――お前、リゼに何をする!」
「……ひ、ひぃ……」
リオンの前にいた貴族の男は尻餅をついて怯えている。どうやらリオンが男の剣を叩き折ったらしい。足元で綺麗に折れた剣が転がっている。
「貴様ら。これ以上やるのなら覚悟を決めろ。僕はアレクトー家の人間だ。やるのであれば一人も逃さない。必ず確実に葬ってやる」
リオンが怒声混じりに呟くと貴族達は青い顔になって剣を地面に捨て始める。こうして騒然とした中、一先ず決着がついたのだった。




