339 宿命の再会
リオン達がクレバロイの人達と出てから半刻が過ぎて元王妃――ベアトリス先輩が何処にいるのか分かって私はアレクサンドラ様に連れられて新女王派の陣へと向かった。
リオン達が戦っているのは外壁の中で王都の南側だそうだ。冒険者達が主に戦う中でリオン達はその援護だ。これはバスティアンの指示であくまで中心になって戦うのは現地の人達でないと不味いらしい。
そして先輩は西側に張られた本陣に控えているそうだ。対立している旧王党派は南東に陣を張っていて南で衝突した。そこに冒険者達が割り込む形で戦端が開かれた。三つ巴の闘いになったお陰でそれぞれの勢力も全力を出せずにいる。そんな事をすれば第三勢力に横槍を入れられて戦線が崩壊してしまう為だ。石布鋏――じゃんけんを三竦みと言うけど勝負自体が出来なくなるからそう言うんだって初めて知った。
アレクサンドラ様は私を連れて人のいない道を進む。彼女は地元の人で何処を通れば人と会わないかに詳しい。冒険者の姿すら見えない。
「あの……サーシャ様、どうして誰もいないんですか?」
「うむ? ああ、貴族や冒険者が、か?」
「はい。見回りもしてるって聞いてましたけどこんなにいないだなんて思ってなかったから……」
私がそう言うと彼女は振り返って笑った。
「ああ、それはな。通った道が細過ぎる路地ばかりだからだ」
「細いって……そう言えば本当に抜け道っぽい感じでしたけど……」
「要するに剣で戦えない場所だから入ろうとしない。そもそも今回の争いは殺す為ではないのよ。方針を諦めさせる事が目的だから殺す必要がないの。精々ちょっと怪我をさせる程度だね。そうでなければお前様の友人達が参戦する事も認めてはいないよ? まあそれでも命を落とす者も多く出るから主戦力として戦う事は許していないけれどね」
それを聞いてやっと納得出来た。考えてみれば本当に殺し合う過酷な闘いならアレクサンドラ様がリオン達の参戦を許す筈がない。今回の争いは例えるなら過激な喧嘩だ。相手を殺す気で戦うけどちょっと怪我をすればあっさり撤退する。普通の戦争と違って陣取りする必要も無い。
要するに本来の戦争に比べて緩いと言う事だ。だけどそれも一定以上に戦闘技術が無いと成立しない。だから戦えない人は殺される。平民に犠牲者が多く出ているのもその為だ。元々全ての貴族は騎士として剣の修行をしている。そんな相手に襲われて普通の人が助かる訳がない。
「……とは言っても喧嘩では済まないからね。引き際を間違えれば呆気なく命を落とす。野戦ではなく市街戦だから見通しも良い。だから路地の様な場所は警戒しかしない。潜んだ敵がいれば下手に近付くと殺されるだけだし派閥同士の闘争は勝敗をはっきりする為で殲滅する事が目的ではないんだよ。まあその分、普通の戦より性質が悪いんだけどね?」
アレクサンドラ様はそう言うと首を竦めて昔を思い出す様に疲れた表情を浮かべる。まるで以前同じ闘いを経験したみたいだ。
「それは……王様が兄弟同士で戦ったから、ですか?」
「……ああそうだ。あの時も酷い闘いだった。それでもエミリエにとっては実兄だからね。同じ国に生まれたんだ、出来るなら手を取り合って欲しかった。その結果がこれだ。全くダメな国だと私も思うよ」
そう言うとアレクサンドラ様は私の顔を見て無理に笑う。子供に聞かせられない話をしてしまったみたいに色濃く後悔を滲ませながら。それで頭を振るといつもの顔に戻って彼女は再び路地を進み始めた。
「まあ……お前様がマリーアンジュ王妃を前に何を話すつもりなのかは知らないが、この争いを止める為なのだろう?」
「……はい。そのつもりです」
「そうか。まああの女は優しかったらしく、エミリエも随分懐いていたからな。子供にはとても甘いからお前様の話も聞くやも知れんな」
子供には甘い――それはちょっと信じられない一言だ。やっぱりあの先輩は何かを隠してる気がする。兎に角今は何とか説得してこの闘いを止めて貰わないと。それで頷くと私はアレクサンドラ様の後に続いた。
*
路地を抜けて進むと拓けた場所に出る。すぐ傍には立派なお屋敷が建っている。どうやら貴族の邸宅の庭らしかった。
そう言えば西側に森があって貴族区なんだっけ。高い金属製の柵で周囲を囲まれている。少し離れた処に門があるけど騎士が数人立っていて守っている。それで何処か入れそうな処が無いか探しているとアレクサンドラ様が手招きする。
「――こっちだマリー殿。表は巡回がいる筈だから裏側へ移動しよう」
「え、裏側って建物の裏側ですか?」
「この辺りは貴族の家が多いから樹が植えられている。それに建物の裏は余り見せたくないから壁になっている事が多い。上流貴族は基本的にこの辺りで生活していないから恐らく下流貴族の邸宅を徴用したのだろうな。普段ならば憲兵が巡回しているが現状その余裕もないから派閥の貴族だけの筈だ。そう言う貴族は現場を良く分かっていない」
実際に裏手に回ると警備すらいない。それに壁があって少し離れた処に一定間隔で樹が植えられている。マリエルやリオンなら直接壁を飛び越えられそうだ。でも流石にアレクサンドラ様がジャンプしても壁に上に手も届きそうにないし植えられた樹に登ってもちょっと距離がある。
「……え、でも……どうやって中に入るんですか? まさか壁に穴を開けるとかじゃないですよね?」
「流石にそんな事をすれば見つかるだろう? それにそんな手間を掛ける必要もない。樹に登ってそこから壁を越えれば良いのだ」
「え、ええ? でも私、樹なんて登れませんけど……」
そう言って私は自分の格好を見下ろす。今はドレスの上から上着を羽織ったアカデメイアでも普通の格好だ。それに私も木登りなんてした事が無い。ただでさえ身体が弱いインドア派なのにそんなアウトドア志向な事を出来る筈が無い。多分私は同年代の子より運動能力も低い。
それで戸惑っているとアレクサンドラ様が突然私を抱き上げる。片腕で私を支えるとにっこりと笑みを浮かべた。
「え、えと……サーシャ様……?」
「……ふむ。思っていたより軽いな。マリー殿はもう少し肉を付けた方が良いと思うぞ? エミリエよりも随分と軽い」
「あ、あの、一体何をするつもりなんです?」
「何、簡単な話だ。私がこのまま壁を越える。マリー殿は悲鳴を上げない様にしがみ付いてくれ。怖ければ目を閉じていた方が良いぞ?」
え、どう言う事? もしかしてこの人もマリエルみたいに魔力で身体強化出来るの? だけどしゃがんだ途端にアレクサンドラ様の足が膨張する。これは身体強化じゃない。これ、純粋に――身体能力だ!
慌ててアレクサンドラ様の首筋にしがみつく。すると彼女はジャンプして樹の太い枝を掴む。そのまま腕の力だけで身体を更に上へと引き上げた。もう一度足で枝を踏むと壁の上に跳躍する。一息に壁を乗り越えるとそのまま地面の上に音もなくふわりと着地した。まるで大型の猫科みたいに力強くて優雅な動きだ。先日マリエルに抱き上げられて空中を飛び回ったばかりで衝撃はそれ程じゃない。どちらかと言えばマリエルよりリオンの方が近い。壁を駆け上がるのを見た事があるけどあの時のリオンは小型の猫科みたいだった。
「……ふむ? 初めてにしては余り驚いていないな?」
「いえ……充分驚いてます。こんな事、出来たんですね……」
「これ位の事はクレバロイなら大抵出来る。流石にエミリエは修行していないから無理かも知れんが普通より身体能力は高い筈だよ」
「え、大抵出来るって……魔法とか魔力じゃなくてですか?」
「ああ、我々クレバロイ族は魔法を使えんのだ。それに魔力も殆ど無いらしいからな。ここを調べてくれた者達も皆これくらいは出来るぞ?」
「え……嘘……」
「嘘なものか。大体これ位出来んと殲滅の英雄、アベル殿相手に満足に戦えんではないか。それに彼の方も英雄の力を使わずとも地力だけで同じ事が出来る筈だぞ? お陰で敵なのに惚れるクレバロイも多いのだ」
ま、マジか……と言うかアベル伯父様も同じ事が出来るとか、その上英雄魔法まであるだなんてチート過ぎる。対抗出来るアレクサンドラ様も大概だよ。身体能力だけで充分驚異的なのにクレバロイの人って一杯いた。つまりアベル伯父様やお父様達がドラグナン軍と戦う時、彼女達複数人を同時に相手取って勝利している事になる。何これ、戦争に出る大人って敵も味方も化け物じみた人しかいないの?
「――さて、マリー殿。早速メジェール殿に会いに行こうか」
「……え、メジェール?」
「うむ。元王妃マリーアンジュ・メジェール。お前様の話によるとどうも見知った仲の様だしな。先ず私が先に顔を出して他の者がいないかを確認しよう。私もエミリエと共に何度も会っているし問題無い筈だ」
「あ、そっか……分かりました」
「大丈夫であればすぐに呼ぶから姿を隠しておいてくれ」
そう言うとアレクサンドラ様は置かれた荷物の物陰に私を隠れさせる。天幕の入り口にはドラゴンの刺繍がされた旗が立てられている。多分派閥を表しているんだろう。アレクサンドラ様はその旗を一度だけ見つめると天幕の入り口に立つ。アレクサンドラ様は新女王派寄りでエミリエ姫のお婆様だ。当然顔見知りの筈だ。それで様子を伺っているとアレクサンドラ様がテントの入り口から中に声を掛けた。
「――メジェール殿はいらっしゃるかな? 私はアレクサンドラ・ロシュフォールだ。少し話があって伺ったのだが構わないだろうか?」
彼女がそう言うと中から少し遅れて返事が戻ってくる。
『――ロシュフォール殿? 何故……突然どうしたのです? 大丈夫、今は他の者はおりません。サンドラ様、どうぞお入りくださいな』
声音も雰囲気も全然違う。でもこの声はベアトリス先輩だ。イースラフトで舞踏会の時、ベランダで話した声だ。あの時はもっとキツい口調で責めるみたいな感じだったけど態度が全然違う。
「それでブルノー伯爵――ジュール・ブルノー殿は今、何方だ?」
「……はい? ブルノー卿は先日の戦いで軽い負傷をされたとの事ですが今も出陣されていらっしゃいます。それがどうかされましたか?」
「……ふむ……そうか。だが妙だな……」
「……妙? 妙とはどう言う事ですか、サンドラ様?」
だけどそう言ってアレクサンドラ様は私の方を浅く振り返る。これはきっと何かを私に伝えようとしてる。それで考えると確かに変だ。
ブルノー伯爵と言うのはきっと私を捕まえた髪がなくて太った男性の事だ。だけど一旦私を捕まえた事を先輩は知らない。今の先輩は新女王派のトップで報告を受けて当然なのに。どうやらそれが正解だったらしくアレクサンドラ様は次の話題に話を切り替えた。
「そうか、それで……メジェール殿はグレートリーフの英雄の御息女をご存知かな? 確か『マリールイーゼ』と言うそうだが……」
だけど先輩はすぐに答えず少し間を置いて思い出した様に答える。
「……ああ……ええ、イースラフトでお会いして少しお話をさせて頂きました。中々利発そうなお嬢さんでしたが……それが何か?」
「ふむ、成程。実はその件に関してメジェール殿に会わせたい御仁がいるのだ。是非会って話を聞いて欲しいのだが構わないだろうか?」
「ええ、はい。でも一体どなたかしら。サンドラ様がそんな風に連れて来られるだなんて。クレバロイの方なのかしら?」
「恐らく有意義な筈だ――入ってきてくれ」
その合図で私は天幕の入り口から中へと入る。そんな私の姿を見た途端先輩は目を剥いた。心底驚いた様で絶句したまま固まっている。だけどすぐに立ち直って何かを考えると無言で私を睨む。
「――お久しぶりです、先輩」
「……マリールイーゼ……貴方が何故、ここに……」
「色々あって。今日はお願いがあって来ました」
「……そう。サンドラ様と共に来た、と言う事はエミリエも戻って来ているのね? 全く、余計な事をしてくれた物だわ……」
だけどそれだけ言うと先輩は押し黙ってしまう。きっとアレクサンドラ様が一緒だからだろう。それで私は振り返った。
「……あの、サーシャ様。席を外して貰えませんか?」
「……ふむ? しかし……構わんのか?」
「はい。私と王妃様は知り合いです。きっと酷い事はしません」
「そうか……そうだな、メジェール殿は子供に優しい方だ。無体な事はしないだろう。では私は歩哨に立っているとしよう。納得するまで二人で良く話し合えば良い」
そう言うとアレクサンドラ様は表に出て行ってしまう。天幕の中に残されたのは私とマリーアンジュ・メジェール王妃――ベアトリス先輩の二人だけになった。
運命――いや、宿命の再会って言うべきだろうか。アレクサンドラ様が出て行ってから先輩は怒りの浮かぶ顔で私を睨んでいる。だけどそれは私に対する憎しみと言うよりも後悔と自虐に彩られている。そんな先輩に向かって私は静かに話し掛けた。




