32 舞台での葛藤
大勢の人が見守る中で私は一人、舞台の上に立っていた。
相手は指定した最大人数の三人。その全員が正規生三年生の女子できっとこれは私が女だから男に取り押さえさせる訳にはいかなくて配慮してくれたんだと思う。だってアンジェリン姫はそういう部分も配慮する人の筈だから。
「――さて、今回の勝負は模範試合という事でアンジェリン姫とマリールイーゼ姫のご協力により執り行われます。これから見せて頂くのは公爵家に伝わるダンス修練方法だそうですから皆さん、後学の為にも是非よく見ていて下さい」
今回の勝負はやっぱり模範試合という体裁で、舞台に上がって説明をした教導官の先生は生徒達や貴賓席に座る国王陛下や私の両親に向かって説明する。だけどこれがうちに伝わる修練方法だなんて初耳だ。きっとそう言う事にしたんだろうな。
舞台の外で私を睨んでいる三人は軍服みたいな服を着ていて私に対して敵意みたいな感情を隠そうとしない。まあ貴族令嬢にとって頂点に君臨する王女は絶対的な存在だからそれも仕方ないのかも知れない。
ああ……そっか。前に王女の言った後ろ盾ってそう言う事なんだな。自分の後ろにいる人が上位なら、それと敵対する相手が例え自分達より上位の立場でも平気で敵意を向けてくる。
貴賓席には王様だけじゃなくてお父様とお兄様、それにお母様とその隣では叔母様が見える。お母様は祈る様に手を組んでいて叔母様が励ましてくれてるみたいだ。それにお父様とお兄様は平静を装ってはいるけれど落ち着かない様子で私から目を逸らそうとしない。まるで少し怒っているみたいだった。
だけど私はそんな貴賓席から視線を舞台袖へ向ける。そこではリオンが剣を鞘ごと床に立てて剣柄の頭に両手を重ねて置いているのが見える。まるで英雄の彫像みたいなポーズを取りながら表情は真面目で私だけを見つめている。そしてそこへ上級生の三人が舞台へ上がってくるのが見えて私はスカートの裾を指で摘んでお辞儀をした。それが気に入らないのか上級生三人の顔が険しく変わる。だけどそんなのもうどうでも良かった。
今の私は他に考える余裕なんてない。それは叔母様が気付かせてくれた。だから今はただリオンの事だけを考える様にしよう。そして私は目を閉じた。
――リオンは私を守ってくれる。だから私もリオンを守る。それ以外にはもう何も要らない。誰にも頼れない世界の中で、私を助けてくれると約束してくれた彼を絶対誰にも渡さない――。
閉じていた目を開くと世界が薄紫色に染まる。それはあの力を使う時に起きる現象だ。だけどそんな私の顔を見て上級生三人の顔が激しく強張る。同時にざわついていた会場がシンと静まり返る。後に聞いた話では私の目が遠目に分かる位に紫色の光を発しながら目元で紫の火花がパチパチと爆ぜるのが見えたそうだ。それも半眼で挑みかかる様に。
「――くっ……ひ、姫殿下の為に!」
「お、おう!」
「分かったわ!」
そう喚きながら三人は私に向かって突進してくる。だけど最初から全部視えている。まるで掴みかかるみたいにしてくるのは私からドレスを剥ぎ取って恥をかかせたいんだろう。そんな手が伸びてくる前に私は足を交差させるとつま先と踵の体重移動をしながらくるんと回転して三人の手を躱した。
だけどそれでも横薙ぎに腕が振るわれる。身体を逸らしてその腕も難なく避ける。そして私はいつしか笑っていた。何も楽しかったからじゃない。気付いてしまったからだ。
きっと私は本当に凄く怒っていた。ただ死にたくないだけでリオンはそんな私を生かそうとしてくれる。そんな私から彼を取り上げる相手ははっきり言って『敵』だと思っていた。
だけど――リオンは私を守る盾じゃない。リオンにはリオンの考えがある。あの時私が本当に怒った理由は彼を道具として見た自分が許せなかったのかも知れない。それはアンジェリン王女と何も変わらない。結局私だって自分が生き延びたいから彼を利用している。彼を取られるのが嫌なのはあくまで自分の為で彼の尊厳や権利を守る綺麗な話じゃない。『渡さない』だなんて考える私には王女の考え方にとやかく言う資格なんてない――そんな自嘲の笑みだった。
私は笑みを浮かべたまま三人の手を避ける。身体が勝手に反応して上級生の腕と腕の隙間を縫う様に身体を逸らす。こんな避け方をして体力が持つ筈が無い。それでも私は自分の身体を虐めるみたいに鞭打つ事しか出来なかった。
きっと私は生き延びる為にこれからも大事だと思う人達を道具みたいに使ってしまうだろう。だって私一人じゃそれが達成出来ないだろうから。でもだからと言って大事に思う相手を進んで道具として利用するのはまた話が別だ。罪悪感、自己嫌悪、それに今まで助けて貰ったのに申し訳無さが募る。だけどそう思いながら私は避けるのを止めなかった。止められなかった。
いつしか私は舞台の端で追い詰められていた。それを見て上級生三人が頷き合って笑みを浮かべる。逃げ道を塞ぐ様に二人が両脇に回り込んで一人が正面から私を捉えようと動く。小さい私を上から押さえ付ける様に。それで思わず笑ってしまった。
「――全部、視えてる」
「……えっ?」
思わず漏れた言葉に相手は一瞬呆気に取られる。だけど私は床に正座する様に床を滑りながら身体をのけ反らせて彼女の足元を通り抜けた。その時に髪留めが外れて叔母様が結ってくれた髪が大きく広がる。だけどそれにも構わず私は反らせた身体を勢い任せに起こすと後ろを振り返って最初と同じ様にスカートの裾を摘んでお辞儀した。呆気に取られた三人はその場から動けないまま舞台中央にまで逃げた私を見つめている。
「――じ、時間です! そこまで、終了です!」
そこでやっと教導官の先生の声が上がった。結局私は最初に言った通り、全く触れられる事もないまま勝利した。だけど客席はシンと静まり返ったまま。私を捕まえようとしていた三人も信じられない様に私の顔を見つめている。
静かな中で貴賓席に向かってお辞儀すると私は舞台袖にいるリオンの方をもう一度見た。彼の傍ではシルヴァン達、同級生の皆が開いた口が塞がらない様子で固まっている。だけどリオンは最初と全く同じ姿勢のまま口をきゅっと結んだままだ。
「……ごめんね、リオン……私、本当にバカだった……」
喉をついてそんな言葉が漏れる。だけどそれと同時に膝から力が抜けた。頭がぼんやりして思考が周囲に溶ける――これはいつも貧血で起きる感覚だ。身体が自由に動かない。頭の芯から血の気が引いて痛みに似た感覚が押し寄せる。
最後に倒れる直前、慌てた顔の教導官と一緒に舞台袖から駆け寄ってくるリオンが見えて、私の意識は途切れた。