315 エミリエ姫の覚悟
エミリエ姫を連れて王妃様の部屋に行くとクラリスとコレットがいて叱られた。だけどエミリエ姫の姿を見た途端声をひそめて尋ねられる。
「もう、お姉ちゃん! 黙って何処に――って、王女様?」
「あ、うん。ちょっと色々あって……」
「……と言うかお嬢様、どうしてエミリエ姫がこちらに?」
「ええと……コレット、それにクラリス。今日からエミもここで一緒に暮らす事になったの。王様に許可は貰ってるから大丈夫だよ?」
「ええっ? そんな、急にどうされたんです?」
コレットが驚いて目を白黒させる。だけどクラリスは私とエミリエ姫の顔を見ると諦めた様子でため息を吐いた。
「……はあ、そうですか……分かりました」
「うん、クラリスならそう言ってくれるって思ってた!」
「でも、リオンお兄ちゃんには全部お話しますからね!」
「……もしかしてリオンも怒ってる?」
私が恐る恐る尋ねるとクラリスは両目の目元を横に引っ張る。リオンも物凄く怒ってるらしい。ああもうどうしよう、これ。でもあの状況でエミリエ姫を放って置けなかったんだもん。仕方ないじゃん?
「取り敢えず……お昼を戴きましょうか。エミリエ姫様は何かお好みの物や苦手な物はありますか?」
「えっ? いえ、私は特に苦手な食べ物はありませんけれど……」
「そうですか。じゃあ今日はグレートリーフのお料理にしますね。そろそろお嬢様も故郷の味を食べたい頃でしょうし」
「あ、コレットお姉ちゃん。私もお手伝いします」
「じゃあ行きましょうか、クラリスちゃん」
「はい――ルイーゼお姉ちゃんはくれぐれも逃げないで下さい。流石に今度抜け出したら私も庇えません」
「……あ、はい……」
だけど流石コレットは優秀だ。すぐに割り切って立ち上がると普通に食事の話をする。それにクラリスも気を利かせてくれたみたいだ。それで再び私とエミリエ姫の二人だけになる。彼女はまだ少し緊張しているみたいで俯いたままだ。それで私はおもむろに尋ねた。
「……あのさ、エミ?」
「……えっ、はい、何ですか、マリールイーゼ様?」
「一つだけ聞きたい事があるんだけど……」
「ええと……私に分かる事でしたら……」
「……私ってドラグナンで英雄令嬢とか呼ばれてるの?」
「……えっ?」
そこでエミリエ姫の表情が沈んだ様子からキョトンと変わる。いやだって気になるじゃない? 私って自国だと殆ど知られてないのに何故かイースラフトとドラグナンで物凄く知られてるっぽいし。あの時侍女のパオラさんがそう呼んでからずっと気になってたんだよね。
エミリエ姫は少し迷いながら頬を赤くする。それでも意を決した表情になると言いにくそうにポツリと呟いた。
「……ええと……はい。他にも英雄公女って呼ばれてますね……」
「えー……それって強いとかそう言う感じなの?」
「いえ、英雄家のとても美しいお嬢様だと。それにダンスの名手だとも言われていました。ですけど……」
「……ですけど?」
「その、お歳が十七歳と聞いてましたけれど違ったみたいです。私より少し歳上のお姉様だとは思っていませんでしたから……」
「……かはっ……」
……ちょっと待てやー! 八歳のエミリエ姫よりちょっと歳上程度にしか見えないって事? それにそれを言うとエミリエ姫もとても八歳に見えないんだけど⁉︎ そんな彼女から見て……あれ? それって実際はちゃんとした年齢に見えるって事なの?
「……あの、エミって本当に八歳なの?」
「え、はい。その筈ですけど……?」
「……その、全然八歳に見えないんだけど……」
八歳と言えばクロエ様の処のアランより三歳歳上。今はもう十三歳のクラリスも初めて会った頃は十歳だった。だけどエミリエ姫は今のクラリスと同じ位の歳に見える。でもそれは次の返事で全て納得した。
「あ、私の母上はクレバロイですから……」
「え? それってパオラさんと同じ部族の? そう言う部族なの?」
「はい。クレバロイって女性だけの戦闘部族らしくて。普通の人よりも外見の成長が早いそうです。その代わり青年期が長くて老いが訪れるのも遅いみたいですね」
それでか! 何と言うチート部族……要するにファンタジーで言う処のエルフっぽい人種なのね。まあこの世界には亜人種と呼ばれる種族はいないんだけど。
後で知った話だとクレバロイと言う女性部族は日本で言うアマゾーンとかアマゾネスと言うのが近いらしい。成長が早いのも若さが長い期間維持されるのも全て戦闘民族だからみたいだ。要するに普通の人間より人生の大半を戦って過ごせる様に発展した人類らしい。そう言う意味では英雄一族も余り変わらない。
そしてそんな話をしているとクラリス達が部屋に戻ってきた。
*
食事を終えて雑談をすると早めの消灯だ。何せ私の一族がいると魔法で照明が準備出来ない。ランタンを使えば平気だけど火を扱うのは危険だし寝室に持ち込む訳にもいかない。その代わりに暗闇の中で薄く光る不思議な石がベッドの天蓋に装飾として取り付けられている。その仄かな光の中で私はクラリスから教えられた事をエミリエ姫に尋ねた。
「……ねえ、エミ?」
「……はい、何ですか?」
「……エミがシルヴァンに積極的だったのは……自分が死ぬかも知れないって思ってたから?」
だけどそう言うと彼女は黙り込んでしまう。沈黙する事自体が質問への肯定になってしまう。それで私は静かに息を吐き出した。
クラリスとコレットは部屋の離れたベッドで眠っている。いつもなら三人で仲良く一緒だけど今回は別々だ。これはクラリスが配慮してくれた事で私とエミリエ姫を二人だけにして悩みを吐き出させる為だ。
シルヴァンと一緒にいる時、エミリエ姫ははしゃいでいた。不自然に見える位はしゃぎ過ぎていた。あの時は恋愛って怖いって思ってたけどこの子はそう言うはしゃぎ方をする子じゃない。あの時この子はシルヴァンに本気で好きだと伝えようとしていた――そう、自分が死ぬ前に。
自分の国で騒ぎが起きてこの子はずっと覚悟していた。たった一人で知らない国に取り残されて、それでも一国の王女として気丈に振る舞い続けていた。幾らクレバロイと言う部族が成長が早くて実際の年齢より上に見えても中身はまだ八歳の女の子だ。それは四歳の時に叔母様の家に行った私が敬語を止められなかったのが似ている。よく知っていても何処か越えられない一線があって馴染めない。私にはリオンがいたからまだ大分マシだったけど彼女にはそう言う打ち解ける相手がいない。
だから自分が何時死んでも何も言えずに後悔しない為にシルヴァンに本気で告白していたのだ。生き延びる道を自分で選べない彼女にとって好きになった相手に全力でぶつかるしか出来ない。彼女ははしゃいでいたんじゃなくて、必死にシルヴァンが好きだと叫んでいたんだ。
「――パオラが言った通り、マリールイーゼ様は本当に英雄一族の方なのですね。何もかもお見通しで、全部分かってしまうのですね……」
それで私は隣で横になるエミリエ姫の頭を胸に抱く。少し震える手が私の寝巻きの袖を摘む。私は彼女の髪を何度も撫でながら答えた。
「……違うよ? 英雄魔法を使ったから分かったんじゃない。私が歳上のお姉さんだから分かったんだよ。だって八歳のエミの倍以上生きてるお姉さんだもの。だから私には我慢しなくても良いんだよ?」
そう耳元で言うと彼女の腕から力が抜ける。恐々と私の身体に触れてくる。指先は震えていて少しくすぐったい。そして遠慮がちに抱きつくと消え入りそうな声で尋ねてきた。
「……あの、マリールイーゼ様……」
「……うん。なあに、エミ?」
「……私もマリールイーゼ様を、お姉さんって呼んでも良いですか?」
「うん、良いよ。私もエミって呼んでるんだもの。エミだって私の事はフルネームで呼ばずに言い易い呼び方をすれば良いよ。エミはまだまだ小さな女の子だもん。甘えたいなら幾らでも甘えて良いんだよ?」
何となく、今ならライオネル王がこの子を甘やかそうとした理由が分かる気がする。王家の立場に縛られて誰にも甘えられない。きっと同じ王家の人間としてこの子が我慢してると分かった。だから王女ではなく子供として扱った。子供が夢が見られる様に願いを叶える約束をした。
だからエミリエ姫が望む様にすると言うのは嘘じゃない。一国の王として約束したんじゃない。あれは子供に対する大人の約束だ。まだ自分で生き方を選べない子供への、大人としての意地と決意だったのだ。
「……マリー、お姉ちゃん……」
そう言ってエミリエ姫は私の身体にしがみ付く。そんな彼女を優しく抱き寄せると私はエミリエ姫が眠るまで髪を撫で続けたのだった。




