312 マティスとセシル
シルヴァンとエミリエ姫の婚約については随分と話が世間に出回っていた。私達が叔母様の家に行って戻るまでおおよそ一月。その短期間にしては随分と早い。これはグレートリーフ国のアレックス王じゃなくて隣国イースラフトのライオネル王が告知したのが大きかったみたいだ。
勿論王様の告知はドラグナン王国にも届いている。だけど大した騒ぎにはなっていない。王族が一人もいない状態でも税は集められているし平民達にとって何も変化がない。つまり臣下達はこれまでと変わらずに仕事をしている。だけど代わりに外交手段がない。何故なら王家の役割はほぼ他国との折衝だからだ。
例えばうちの国ならバスティアンのシェーファー家が国内政治の大半を取り仕切っている。侯爵家は王家や臣下団と相談して国内統治の方法を決めている。ヒューゴのジュベール辺境伯家やセシリアのフーディン辺境伯家は国境を動かさない為に監視する辺境伯爵家でそのすぐ内側を運営するのがルーシーのキュイス伯爵家だ。
セシリアとルーシーが幼馴染で家同士仲良しなのは辺境伯領が戦闘状態になった時に伯爵家が兵站物資を届ける関係だからだ。だけど勿論国の内側を統括する伯爵家だっている。王都近隣を管理しているクロエ様のハイレット家がその代表的な伯爵家だ。
そんな伯爵家が管理する領地を更に分割して子爵家が小さな領地を管理して更にその中で集落単位の領地を持つのが男爵家。だから子爵家は経営的な役割を担う事が多いし男爵家は治安維持の為に働く。コレットのモンテール家は王都の子爵家だから領地こそ無いものの区角を任されていて王都の経済を管理しているし子爵家の中でも序列が高い。
こんな感じで王政国家の貴族はそれぞれ役割を持っている。だから王家がいなくなってもそれなりに国体は維持出来る。特にバスティアンのシェーファー家みたいに国内を頻繁に視察する侯爵家が管理していると下の貴族達も横暴に振る舞えない。私達が勝手に『シェーファー・スペシアル』と呼んでいるあの特別製の馬車も結局必要だからこそ研究開発された物で侯爵家の趣味嗜好や贅沢の為にある物じゃないのだ。
そして――ここで問題になるのがエミリエ姫の現状だ。既にドラグナン王国内には王家が残っていない。長兄を次男が倒してディミトリ王が誕生した。要するに弟が兄王を殺して王になった。だけどその新王まで殺されてしまうと最後の王家であるエミリエ姫だけが頼みの綱だ。
そのエミリエ姫は今、政略結婚目的でイースラフトにいる。マクシミリアン王子の元に嫁ぐ道は閉ざされた。なのにシルヴァンが婚約する事になってしまった。ドラグナン王国は現在、究極の選択を迫られている状態だ。このままエミリエ姫がシルヴァンに嫁げばイースラフトとグレートリーフと言う後ろ盾を得られる。その代わり残った貴族達は自分達の望む国家運営が出来なくなってしまう。こう言う場合は他国に嫁いだ王女が産んだ子供の一人が次期ドラグナン王家として扱われる。他国の血が混じった新王家で実質姉妹国家――要するに従属国の誕生だ。
逆に婚約を破棄してエミリエ姫を帰国させて上流貴族と結婚させれば王家自体は存続させられる。そうすればドラグナン王家の血は存続するけど他国との軋轢が生まれる。
要するにドラグナン王国が仕掛けた策略がそのままブーメランになって跳ね返った形だ。政略結婚と言う血統による侵略が新王崩御によって完全に逆転してしまった。どちらを選んでも茨の道は免れられない。
だからこそエミリエ姫は立場が危うい。王家で唯一生き延びた存在で重視もされるし邪魔にもなる。エミリエ姫がいるからこそドラグナンは存続出来るけど、彼女がいるからこそ新しい王家を擁立出来ない。
マリエルの問題が解決した後日、私はリオンの懸念が理解出来なくてお母様に相談した。私のお母様は元々王家出身の王女だからエミリエ姫の置かれた現状もきっと誰より理解している。そう思って気楽に相談したけど実際にお母様が話してくれた内容は洒落で済まない。エミリエ姫はもう自分ではどうにも出来ない状況に陥っている。我慢出来なかった私は単身エミリエ姫と話をしようと彼女の滞在する館に向かった。
*
いつもならクラリスかリオンが一緒だけど今日は一人きり。静かな中で私は王宮の道を歩いていた。王様がお妃様のお部屋を貸してくれたお陰でエミリエ姫の暮らす館までそれ程遠くない。庭園を抜けて隣の区角に差し掛かる頃、散歩していたらしいマティスとセシルに出会った。
「……あれ? マリーさん、一人? 珍しいね?」
「え……うん。二人はどうしてここにいるの?」
「えっと……やる事がなくて。そしたら王宮の庭園が綺麗だって教えて貰ったから。それでセシルと一緒にぶらついていたのよ」
「……それでマリーさんはどちらに行かれるんですか?」
「ええと……その、ちょっと用事があって……」
セシルに尋ねられて口籠もりながら答える。すると彼は少し考えてから私に提案してきた。
「あの……マリーさん、僕も一緒に行って構いませんか?」
「えっ? でも……マティスと散歩してたんじゃないの?」
「マリーさんを一人にする訳にはいきませんから。それに……リオン君やクラリスさんが一緒じゃないのってもしかして、二人にも内緒で行きたい処があるからじゃないですか?」
そう言いながらセシルは腰帯に下げた剣の柄を押さえる。以前はもっとオドオドしてたのに随分違う。リオンやヒューゴと剣の練習をする様になって彼も成長して他人と触れ合う事にも慣れたみたいだ。まさか自分からそんな事を言い出すだなんて思わなくて答えあぐねていると隣のマティスも苦笑する。
「セシルが行くんなら私も行くよ。マリーさんは公女様なんだから護衛や侍女を連れてない方が不自然でしょ? 衛兵に見つかれば絶対咎められると思うし。護衛や従者ってそう言う時の為にも必要なのよ」
そう言われてしまうと断れない。リオンやクラリスは私に近過ぎるしエミリエ姫と話すのに余り関わらせたくない。だってあの二人は最終的に私を優先してしまう。今回エミリエ姫に会って話したいのは彼女自身の事だ。それで少し迷ったものの二人がついてくる事を了承した。
……とは言っても話す事がない。二人が双子に生まれた事に私の選択が関わってないと分かった処で話題が殆ど無い。私にとって二人が双子になってしまった事が一番重い部分だったからレイモンドの話のお陰で随分気楽になった。だけど私自身余り二人に近付いてこれ以上影響を与えるのは良くないと思っていたのかも知れない。二人と会う時はいつも必ず他の誰かがいてこんな風に三人で行動するなんて初めてで何を話せば良いのか全く分からない。
だけどそうしている内に敷地内を巡回している衛兵の人達と出会って二人が護衛のシュバリエ男爵家と言うのが聞こえてくる。それで衛兵の人達が立ち去った後、歩きながら思い切って尋ねてみた。
「――ええと……マティス、さっき男爵家って聞こえたんだけど……」
「えっ? ああ、言ってなかったわね。実はマリーさん達が出発してすぐ後に父様が叙爵を受けたのよ。年度の切り替えだったしね?」
「ええ⁉︎ それじゃあ何かお祝いとかしないと……」
「別にいいわよ。父様が男爵になっても他の人達と一緒に叙爵を受けただけだし別段変わった事もないもの。それに公爵家のマリーさんがお祝いなんて言ったら父様も母様も驚いてひっくり返っちゃうわ?」
それは何だか凄く意外だった。二人はお父様が叙爵される事を望んでいた筈だ。なのに何処となく微妙な感じがする。余程変な顔をしていたのか私を見ると二人は苦笑して話してくれた。
「……まあ父様が爵位を得て良かったとは思ってるよ? 母様もこれで苦労しなくて済むし、他の貴族家から平民扱いされなくなるからね」
「えっ、じゃあ……どうして複雑そうな感じなの?」
「……ほら、以前自殺した先輩にマリーさんが言ったでしょ? それを思い出すと色々考えちゃうのよ。私は別に貴族の令嬢になりたかった訳じゃなかったんだなって。それに――」
「……それに?」
「――それに貴族にも貴方みたいな人がいる。マリーさんに会えて本当に良かった。結局私は他の貴族に馬鹿にされるのが嫌だっただけで私が貴族になりたかった訳じゃないんだなって。まあこれでセシルは家督を継げる訳だから意味は充分あるんだけどね?」
そう言うとマティスは少し困った様子で笑う。彼女がそう考える理由も分からなくはない。実際私も最近色々考えてしまう。マリーアンジュ王妃になったベアトリスから言われた事やエミリエ姫の置かれた現状を考えると貴族社会って一体何なのかって思う。そしてそんな恩恵をフル活用している私に何が言えるのか、とも。
結局私は運が良かっただけだ。公爵家に生まれて日本の知識を思い出して今まで何とか生きてきた。お父様やお母様、お兄様に守られてきたしリオンやクラリスもずっと一緒にいてくれる。でも私が私である必要がない。公爵家令嬢だから受けられた恩恵に過ぎないんだもの。
それで私とマティスは黙ってしまう。そんな私達を無言で見ていたセシルが不意に笑った。
「……僕はマティスが――姉様が父様を継げば良いと思ってる。実際にリオンさんやヒューゴさんから剣を習って僕なんてまだまだ全然ダメだって思い知らされた。守りたい物が沢山増えたのに今の僕に守れるのはマティスだけだ。こんなんじゃ全然足りない。僕はもっと……マリーさんや他の皆も守れる位強くなりたいんだ」
「……セシル……あんた……」
普段言葉数の少ないセシルがここまで自分の考えを口にするだなんて凄く珍しい事だ。それだけにきっと本音なんだろう。だけどそんな二人を見て私はちょっぴり嬉しかった。
「まあ……二人共、今すぐ決める必要なんてないよ」
「……うん? マリーさん?」
「マリーさん、それはどう言う事ですか?」
「だって二人のお父様はすぐに引退なさる訳じゃないでしょ? それなら二人が自分のやりたい事をやれば良いんじゃない? 問題を先送りにするって意味じゃなくて、その時間が来るまでは本当に自分がしたい事を考えても良い時間って事だと思うし」
そう――私には後二年。エミリエ姫は下手をすればすぐにでも危険な道を歩くしかなくなる。特に彼女はまだ八歳なのに自分で道を選ぶ自由はない。お母様のお話通りなら殆ど時間は残されていない筈だ。
ああそうか、だから私はエミリエ姫に同情してるんだ。死ぬかも知れない時間まで残り一年を切った私と、下手をすればすぐにでも狙われて命を落とすかも知れないエミリエ姫。私は何とか十七歳まで生きる事が出来たけど彼女はその半分も生きてない。そんなの絶対間違ってる。
「……そっか。マリーさんは素敵な事を言ってくれるわね」
「そうだねマティス。マリーさんは凄く優しい人だと僕も思うよ」
「……いや、あのさ? 二人共私より一つ歳上なんだから、いい加減私をさん付けで呼ばなくても良くない? 歳下だし同学年なんだから他の皆と同じで『マリー』って呼び捨てしても良いと思うんだけど?」
私がそう言うと二人は楽しそうに笑った後で、少し恥ずかしそうに初めて私を呼び捨てで『マリー』と呼んでくれる。こんな風に二人と話せる機会があって本当に良かった――そんな風に思うのだった。