302 エミリエ姫とのお茶会
グランドリーフ王国は山に囲まれた歴史のある国だ。国境は進軍が難しい山脈で古くから天然の要塞として守り続けている。イースラフトと国交を持ってからは街道整備が進み峠道を通って比較的簡単に行き来出来る。でもその道は高所に囲まれて夏場は良いけど冬場は雪で閉ざされてしまう。勿論無理やり超える事も出来るけどその労力を使うより雪解けを待つ方が遥かに手軽で効率的だ。
季節はもう冬目前。当然馬車で通れる道は積雪が始まっているから通り抜ける事自体が出来ない。と言う事はつまり、友人達も全員が来年の雪解けまで自国に帰れない事が確定していた。
だけど王宮でずっと過ごす訳にもいかない。そこで叔母様に相談してイースラフト王宮の近くにあるアレクトー別宅で取り敢えず全員一緒に生活する事になった。叔母様の家と違ってこっちの家には侍女の人達がいる。それでも英雄一族のいるお国柄なのか魔法が使えなくても普通に家事をこなせる人ばかりだ。
衣食住が確保出来ると今度はそれぞれの目的だ。王妃には是非自分達も話をつけたいと言う事で王宮の敷地にあるドラグナン王国のエミリエ姫が生活する国賓用の邸宅に向かう事となった。同行したのはリオンとセシリア、ルーシーの三人だ。特にセシリアとルーシーはお茶会事件の時一緒に参加していたから先輩を知っている。それに私の凹み具合を見て一言言ってやりたくなったらしい。
「――急に会いたいって言ってごめんね、エミー」
「いいえ、私はこの国に知り合いがいませんからとても嬉しいです」
「それで王妃様とお話したいんだけど……今、何処にいるの?」
侍女達に取り次いで貰ってエミリエ姫とやっと会えたものの、私達の質問を聞いて彼女は少し残念そうになった。
「それが……実はお義姉様、先にお国に戻られてしまいました」
「えっ? でも一緒にいる予定だったんじゃないの?」
「はい……あのお式の後、すぐに立ってしまわれて。私には優しく接してくださってましたけれど何処か怒ってらっしゃるみたいでした」
どうやら私と話した後、閉会直後に急遽イースラフトからドラグナンへ戻ってしまったらしい。エミリエ姫も一緒に戻ろうとしたけどそれは王妃自身が首を縦に振らなかった。元々エミリエ姫は長期滞在する予定でイースラフトに来ているし式が終わってすぐに戻ってしまうと両国の関係に影響するから、と説得されたらしい。
「……それじゃあ仕方ないな。一旦戻ろうか……」
リオンがそう呟いてセシリアとルーシーも無言で頷く。だけどそれを聞いてエミリエ姫が凄く寂しそうな顔に変わる。それを見て確か王女が自分の国にも友達がいないと言っていた事を思い出した。
……そう言えばこの子、まだ八歳なんだよね。単身知らない国に来て絶対に心細い筈だ。それもイースラフトとドラグナンって戦争をしてたし不安にならない筈がない。確かにベアトリスと話をする事が目的だけどそれでいなかったら『はいさよなら』って言うのも酷い気がする。
「――ねえ、エミー? 一緒にお茶会しない?」
「……えっ? お茶会……ですか?」
「うん。一緒にお茶を飲んで雑談するの。もしかしてドラグナンにはそう言うのって無いの? した事ってない?」
「……どうでしょう。私はそう言うお話が出来る相手はいませんでしたから。そういえばお義姉様がいらっしゃってから一緒にお茶を戴いてお話する事は増えましたけれど……」
「そっか、それがお茶会よ。マリーアンジュ王妃――エミーのお義姉様はきっとエミーの事を可愛がってたのね」
「……えっ……お義姉様が……?」
何だろう、ちょっと既視感みたいな物を感じる。ベアトリスはコレットの事を大事に思っていたとクロエ様は仰っていた筈だ。もしその為に何かをしようとしていたのなら同じ様にエミリエ姫の事だも大事にしていたに違いない。あの人は私には当たりが強かったけど子供に対しては凄く優しい気がする。
「どお? 私達と一緒にお茶会、しない?」
私がもう一度尋ねるとエミリエ姫は凄く嬉しそうに頷いた。
*
「――そういえばエミリエ王女様ってさ」
「あ、私の事はエミとかエミリって呼んで下さって構いません。私の方がずっと歳下ですし、マリールイーゼ様のお友達なのですよね?」
ルーシーがお茶を一口含んでから尋ねるとエミリエ姫はニコニコと機嫌良く答える。どうやらお茶会は本当に初めてみたいだ。周囲には侍女が沢山いて私達の動向を見守っている。少し緊張した空気が漂っているのはここがイースラフトだからだと思う。だけどここにはイースラフト関係者はリオンしかいない。そのリオン自身は黙って聞いている。
「んじゃあエミリ。ちょっと疑問に思ってたんだけどさ、エミリ自身はイースラフトに対してどう思ってるの? やっぱり敵なのかな?」
そう尋ねられてエミリエ姫は困った顔になると座ってお茶を飲むリオンをじっと見つめた。そりゃあそんな直接的な質問をされたら困って当然だ。それでも口を挟まずにいるとエミリエ姫は苦笑した。
「ええと……私自身は特に何も思ってません。お国のやり方はそれぞれ違いますし、私はそれに口も出せません。なので……私自身がどうして欲しいと思っているかを言っても構いませんか?」
「うん、それでいいよ。別にドラグナンの意思を聞いてるんじゃなくてエミリちんが個人的にどう思ってるのかを聞きたいだけだから」
「え? それは……どうしてですか?」
「だってこうして一緒にお茶してる訳じゃん? それなら友達がどんな風に考えてるのか知りたいでしょ?」
それを聞いてエミリエ姫は驚いた顔に変わる。でも頬を赤く染めると嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
「……私は、皆が仲良く出来れば良いと思います。私のお国は国民の皆さんがとても仲良しで、他国とも同じになれば良いと思っています」
「へえー、いいね! グレートリーフとイースラフトみたいに三ヵ国同盟みたいになれば行き来も出来るだろうし。そうすればアカデメイアにエミリちんも入学したり出来るかもね?」
「えっ? 確か『学校』と言う教育ですよね? それって王族であっても参加したり出来るのですか?」
そんな驚きの声を上げるエミリエ姫。それを聞いて今度はセシリアが笑いながら答える。
「ああ……ほら、今回の披露式に出てたアンジェリン姫も元々アカデメイアで私達の同級生だったのよ。それで仲良しだったからこうして私達もお祝いにやってきたの。まあ王家の仕事があって途中で退校しちゃったんだけどね?」
「す、素敵です! そんな制度が私のお国にもあればもっと皆さんと仲良しになれるかも知れませんね!」
そう言ってエミリエ姫は恥じかむ様に自分の長い髪をくるくると人差し指で回している。どうやら嬉しい時の癖みたいだ。そしてそんな話を女子四人でしていると不意にリオンが言葉を挟んだ。
「なら――エミリエ姫、君が女王になれば良いんだよ」
「……えっ?」
「君は他国との争いを望んでいない。そんな君が即位すればきっと他国とも上手くやれるだろうから。僕はイースラフト人だけど戦争はしない方が良いと思ってる。結局さ、戦争で決着をつけようとしてるのは古い大人だけなんだよ。僕らみたいな若い人間は争いを求めてないんだ」
「……でも、私は……」
「ドラグナン王国は女性でも王位に就けるんだろ? この国やグレートリーフはまだ男しか王位に就けない。それに君は国民達から随分大事に思われてるみたいだ。きっと心根が優しくて生真面目だからだね。それに男って言う生き物は君みたいに可愛らしい女の子の望みを叶えてあげたいと思う物だよ。だから君が女王になれば世界を変えられる筈だ」
だけどリオンにそう言われてエミリエ姫は黙り込んでしまう。俯いている頬が真っ赤に染まっている。それでも彼女は顔をあげた。
「それは……英雄一族の方もそうお考えと言う事、ですか?」
「ん? ああ、あの式典で紹介されたんだっけ。そうだよ、別に英雄一族だから争いを望んでる訳じゃない。平和なら僕らも英雄なんて呼ばれずに済む。英雄なんて戦や争いの中でしか呼ばれない存在だからね」
それを聞いて私は以前、アベル伯父様がお兄様に言った一言を思い出していた。確か伯父様はお兄様が英雄ではなく勇者になりたかったのだと言っていた筈だ。
英雄が何故『英雄』と呼ばれるのかと言うと外敵に対して圧倒的な抑止力になる存在だからだ。当然戦争に駆り出される英雄は貴族家出身に限られる。何かの派閥に属する最強の存在が英雄だ。
それに対して勇者は平民でもなれるし派閥にも属さない。時として人間と言う枠すら飛び越えて守りたい物を守る。国に縛られる貴族では無いから王家や貴族の命令でも従わせられない。だから勇者を見つけると王家は取り立てて爵位を与えようとする。
まあ、うちのアレクトー家みたいに王家や国が相手でも見切りをつけて呆気なく切り捨てる英雄家もあるんだけどね? だからこそうちの家はイースラフトやグレートリーフでも第二王家みたいな扱いな訳だ。
「……でも……私は王家として国を動かす方法を知りません。兄上達が王になろうと争って幼い私は蚊帳の外でした。なので私は女王になんてなれないと思います……」
エミリエ姫が苦笑して言うとリオンは楽しそうに笑った。
「あのね、王様は全部自分で出来る必要はないんだよ」
「……えっ?」
「伯父さん――この国の王様も何でも出来る人じゃない。あの人は戦争中に王様になった人だから勇ましくて戦争は得意だ。だけどマックスを見てると子供を育てられる性格じゃない。苦手な事があってもそれを任せられる人がいれば王様なんて幾らでも出来るんだよ。だからもし君が女王になると言うのなら自分に出来ない事を任せられる人を集めてやらせれば良い。王の家臣達はその為にいるんだよ?」
「……私でも、女王になれるんでしょうか……」
「うん。すぐじゃなくてもきっとね。君のお兄さんは随分歳が離れているそうだし、君が次の女王候補の筈だよ」
「……そうですね……じゃあここだけの話、私も頑張ってみますね」
そう言ってエミリエは本当に嬉しそうに笑う。そんな二人のやり取りを見ていたセシリアとルーシーが小さい声で呟くのが聞こえる。
「……たらしだ……」
「……リオン君、たらし過ぎ……」
「……マリーがいるのにいい度胸だ……」
「……ほんと、中々酷いよね、これって……」
「ちょ、二人共、なんでそう言う事言うんだよ⁉︎ 僕はただ、一般論として言ってるだけで別にたらし込もうとか思ってないから!」
「……えー。嘘臭ぁい……」
「……マリーに言い訳してるつもり?」
「くっ……り、リゼ、いい加減助けてよ!」
リオンは縋る目で私を見てくる。それが思いの外道化じみていて私とエミリア姫は顔を見合わせると大笑いする事になった。
だけど――その後、ドラグナン王国で事件が起きる。新王に即位してまだ間も経っていないディミトリ王が崩御した報がイースラフトに届く事になる。王家で残っているのはエミリエ姫唯一人。そんな彼女が急遽本国に戻らなくてはならなくなるのは当然の事だった。