301 何でいるの?
少し寝たお陰か閉会式の頃には何とか歩ける様になった。リオンから軽いお説教をされたけど体調が優れない所為かどうしてもネガティブな考えが浮かんでしまう。先輩――マリーアンジュ王妃に言われた事だ。
私は自分の恵まれた境遇に胡座をかいていた――そう言われても否定出来ない。だって私は今までかなり自由気ままに振る舞ってきたし家がもし男爵家や子爵家ならきっと許されなかった。特別扱いをされている事を自覚すらしてなかった。
披露式の閉会が宣言されても殆どの人は話をして残っているし楽団も演奏を始めてまだ踊っている人もいる。まだ覚めやらぬ喧騒の中で時々私の方を見ている人もいるけど近付いて来ない。ほんの少し離れた処にマックス王子とアンジェリン姫のテーブルがあって座っている。きっと私の処に来れば今回の主賓である二人を無視する事になるから近付きたくても近寄れないんだろう。とは言っても既に赤ん坊が産まれてる状態の新郎新婦を前に親しくない人間が何と声を掛けるかも難しい。上流貴族らしい人達は二人に挨拶をしているしマックスもちゃんと相手の名前を知っているから余計にお祝いの言葉も掛けられないんだろう。
そのお陰……と言うかその所為もあって私は余り周囲の事を意識せず黙々と考える事になった。体調がまだ良く無くて周りに気を配る事すら出来ずにいる。それで思わず思っていた事を口にしてしまう。
「……やっぱり、皆に謝った方がいいのかな……」
「――うん? 一体何を謝るの?」
「……そりゃあ……皆を振り回してたとか、そう言う感じ……?」
「――別にマリーに振り回された事なんてないけどなあ?」
なんかよく知ったちょっと懐かしい声が聞こえる。それで声の聞こえた方を見ると、そこに……ルーシーがいた。
「……えっ? あれっ? ルーシーが何でいるの……?」
もしかして幻覚でも見てるんだろうか。そう思ってリオンや隣に座るクラリスとコレットを見るとさも当然の様に挨拶をしている。それで私は目を何度か瞬かせてもう一度顔を上げるとやっぱりルーシーだ。
「……ちょっ⁉︎ え、まじでルーシー、何でいるの⁉︎」
「そりゃあイースラフトに来たからでしょ?」
「そ、そうじゃなくて! え、どうして⁉︎」
それで心底驚いているとルーシーの後ろにいたらしいバスティアンが苦笑して答える。
「……自国の王女殿下が嫁ぐ訳ですし、上流貴族は披露式に参加するのが臣下として当然の義務なんですよ。ですが両親には国内で仕事がありますからね。長期間離れられないと言う事で名代として来たんです」
「え……でもそんなの聞いてないよ⁉︎」
「え? 一応ルーシーが伝えたって言ってたんですけど――ルーシー、ちゃんとマリーさんにお伝えしたんですよね?」
「うん、ちゃんと『またね』って言ったよー? イースラフトに行く話をしてる時だったし、普通『イースラフトでまたね』って意味よね?」
「え、ええー……それだと帰ってきた時にって意味にもなっちゃうじゃないですか……ルーシー、明言しないとダメですよ?」
「えー、別に良いじゃん。マリーも驚かせられたみたいだし。それよりも――セシリアもちょっと来てよ!」
そう言うとルーシーは私の前まで来ていきなり羽織っていた上着の前を掴むとガバッと勢いよく開く。当然そんな行動予測出来てなくて動けなかった私はろくな反応も出来なかった。
「――ひぎゃっ⁉︎」
思わず変な悲鳴が出る。突然過ぎて固まったまま動けない。それでも思い切り前をはだけさせられたままルーシーが真面目に呟いた。
「……成程ねえ、やっぱり透けてはないのね。滑らかボディのマリーが着るんだし透かしの刺繍でも良かったのに」
「……ルーシー、マリーはそう言う恥ずかしいのは無理でしょ? だってマリー、ただでさえ人見知りだし肌をさらけだすのは無理よ」
「でもこれ、布地は白なのに刺繍糸は銀色なのね。光が反射して浮かび上がって見えるから……下地の白い布が目立たなくしてあるんだ?」
「そうね。それに生地の端も細かい刺繍がされてて境界部分がはっきり分からない様にしてあるのね。それでまるで刺繍だけを着てるみたいな見え方なのね。この方法って流行しそうな気がするわ」
なんかセシリアもルーシーと一緒になって私の身体を見ながら色々と服の寸評を始める。え、なんで? バスティアンとルーシーは侯爵家の関係者だからまだ分かるけど、なんでセシリアまで着てるの?
「ちょ――ルーシー、一体どれだけ来てるのよ⁉︎」
「え? 皆来てるよ?」
「み、皆って誰から誰までよ⁉︎」
「そりゃあ……ほら、皆」
そう言ってルーシーが後ろを振り返るとアカデメイアの準生徒組とマリエル、マティス、セシルの姿がある。だけどよく見ると全員がアカデメイアの制服を着ていない。男子はスーツ、女子はそれぞれ意匠の異なるドレス姿だ。それで思わず悲鳴みたいな声が出てしまう。それに答えたのは後ろにいたヒューゴだ。
「え……え、でもどうして⁉︎ 授業は⁉︎」
「うむ。それはな、マリー様。上流階級の貴族にとって王族の婚姻は優先して参加する物だ。だから当然俺とセシリアもバスティアン達に随行している。しかしあの馬車は中々とんでもなくて驚かされた」
「ちょ……え、馬車って……もう一台あれがあるの⁉︎」
「そうですよ。お出ししたのは改良した新型です。以前の旧型もありますからそれでヒューゴ達も一緒に来たんですよ。それにマリエルさんやマティスさん、セシル君も一緒に、です」
そしてバスティアンが笑顔で答える。それでも上流貴族じゃない三人はアカデメイアで授業に参加しなきゃいけない筈だ。だってマリエルやマティス、セシルは上流貴族じゃないから授業免除みたいな手続き自体が対象外だった筈だ。
「え、でも……三人は上流貴族じゃないのに、どうやってテレーズ先生を説得したの⁉︎ 授業に出る様に言われたでしょ⁉︎」
その疑問にはマティスが苦笑して答えた。
「あー……私はセシリアさんの、セシルはヒューゴ君の、それにマリエルはルーシーさんの従者って扱いなのよ。マリーさんはほら、血縁者の式だからクラリスちゃんとコレットさんの二人が随行者に認められてたけど流石に他は一人までしか許可されなかったのよね」
「……え、ええー……じゃあ……一体いつから来てたの?」
「式が始まる時からいたよ? 私とセシル、マリエルの三人は学年末の授業まで出なきゃダメだったから出発を待ってくれてたの。それとこの作戦はマリエルが立案者よ」
「……さ、作戦って……」
それを聞いて絶句してしまう。まさかそんな方法でイースラフトにまで全員で来てしまうとは思ってなかった。確かに個人としてじゃなくて家の仕事としてなら学業免除されるから学票問題も無い。それに皆にとってアンジェリン姫は王族と言う以外に元同じ準生徒の学友だ。きっとテレーズ先生もその事を考えてくれたに違いない。
「……ルイちゃん、なんかエロいね、この服……」
「マリエル、もうそれはいいから! それより……私、皆に色々謝りたかったんだ……」
私がそう言うと皆は顔を見合わせて首を傾げる。その中でルーシーは不思議そうに尋ねてくる。
「そういえばさっきもなんか、そんな感じの事言ってたよね? マリーは何か皆に謝らなきゃいけない様な事をしたの?」
「え……えと……私、その……公爵家とか、英雄家の立場で、皆に嫌な思いをさせてたんじゃないかって……」
だけど私が口籠もりながら答えるとルーシーの視線が隣にいるリオンへと向かう。それでリオンは皆に説明を始めた。私がベアトリス――現ドラグナン王国王妃マリーアンジュと二人で会った事や話した内容、それに私が思いっきり言い負かされた事。それで精神的に参って倒れて熱を出してしまった事まで全部暴露されてしまった。
「――まあそんな感じでさ。リゼはその事で頭が一杯だったみたいで皆が来てる事も全然気付いてなかったみたいなんだよね」
「え、リオンは気付いてたの⁉︎ もしかしてクラリスとコレットも⁉︎」
問い詰めると三人は苦笑する。くそお、これ私だけ気付いてなかったパターンか! そういえば思い返すとリオンも何か含んだみたいな言い方をしてた気もする。でもそんな事にも気付けない位に私は一杯一杯になってたって事だ。それで余計に沈んでしまう。だけどルーシーは私の両頬を押さえて無理やり顔を上げさせた。
「……あのねえ、マリー。あの先輩に口で勝てる筈ないでしょ?」
「……え?」
「だって相手は口で一国の王妃にまで登り詰めた相手よ? クロエ様の同類みたいなもんでしょ? あんた、クロエ様に口で勝てるの?」
「……え……それは……無理だと思う、けど……」
「大体マリーは偉そうだった事なんてないでしょ? それに親友だって私らは前から言ってるじゃん? あんた、いい加減にしなさいよね?」
「じゃあ……もし私が間違えたら、ちゃんと怒ってくれる?」
私がそう言うとルーシーは呆れた顔になってセシリアに振り返った。
「……いや、あんた……この前セシリアに頬叩かれたばっかじゃん?」
「……え……」
「心臓が止まって死に掛けた事、隠しててさ? あの時セシリアが本気で怒ってたでしょ?」
「……あ……そういえば……」
「それにマリーはいつも助けてくれる時、実家の権威で助けようとした訳じゃないじゃん。私の時だってマリー自身がテレーズ先生やアカデメイアを説得してくれたでしょ? 皆がマリーを助けようとすんのはあんたが先に私らを助けようとしてくれたからだよ?」
「……そうなのかなあ……」
「大体家なんて皆違うし持ってる力も違う訳。皆でお手手繋いで平等に生きましょうだなんてバカの理屈よ? 力がある家に産まれればその分仕事もしなきゃいけないの。そう言ったのは先輩だけの理屈で他の貴族の子全員が同じ考えの筈ないじゃん――ってマリエル、あんたいつまでマリーの身体触ってんのよ! あんただってそう思うでしょ?」
そこで未だに私のドレスの刺繍を指でなぞっていたマリエルが顔を上げる。だけどよく聞いてなかったみたいでキョトンとしている。それでも少しだけ考えて彼女は笑顔で私とルーシーに答えた。
「んー、正直よく分かんないけど……貴族の子って皆、平民に比べたら滅茶苦茶恵まれてるよねー」
「……えっ?」
「……え、何を……」
「だってほら、アカデメイアに入って好きな物食べてさ? 平民ならそんなの無理だし飢えて死ぬ子もいるんだよ。私はその先輩って人を良く知らないけど結局貴族でしょ? 平民と比べれば物凄く恵まれてるし何を偉そうに可哀想自慢してんのって思うかな? 上げ底の人生を送ってきた癖に最底辺の苦労を語るな、としか思わないかなあ?」
それを聞いて全員が黙り込む。私も言葉が出なかったけどマリエルの言う通りだ。立場が違えば変化する理屈なんて屁理屈だ。理屈が理屈として成立するにはどんな状況下でも通用しなきゃいけない。
あの先輩が言った事は間違ってないのかも知れない。だけどそれが正しいとも限らない。だってベアトリスとして生きた彼女の理屈は貴族家に生まれた人間の理屈でしかない。特にマリエルは主人公でありながら壮絶な人生を送ってきた元平民の女の子だ。そんな女の子に通用しない理屈なんて何の役にも立たないと言っている様な物だ。
「……マリエル、ありがと」
そう言って思わず抱き寄せるとマリエルはきょとんとした顔で私の顔を見上げる。だけど私の表情を見て彼女は首を竦めて笑う。
「よく分かんないけど……いいや。ルイちゃんが元気になれたんなら私はそれでいいよ。あ、でも……別にルイちゃん達の事を言った訳じゃないからね? だって私、皆を貴族だって思った事がないから」
そんな悪気のない一言に皆の微妙だった空気が和らぐ。考えるまでも無く私達の中でマリエルは唯一貴族の常識が通用しない相手だ。その分人間的な面では誰よりも優れているかも知れない。
だけどこうして皆がイースラフトに来たのはマリエルの主人公としての力が関係したのかも知れない。後になってそう考える事になった。