296 ドラグナンの王女
マクシミリアン王子とアンジェリン姫の結婚披露式まで一週間と聞いていたけどそれより早く近隣諸国から国賓の人達が集まっていた。
問題のドラグナン王国は三日前には到着している。妹姫であるエミリエ姫とマリーアンジュ――ベアトリスに護衛の騎士達。他には王族は来ていないらしい。ただ、何より驚かされたのはエミリエ姫はまだ一〇歳にも満たない少女だった事だ。
「――まさか八歳の女の子をマックスと結婚させようとしてただなんて流石に驚いたわ。一応結婚って十五歳からでしょ? だったら結婚出来る歳までは婚約って扱いにするつもりだったのかな?」
私は今、リオンと一緒に王宮の庭園を歩いていた。クラリスはジョルジュの体調確認の為にエマさんの処に行っている。まだ産まれて半年位だし長旅の後で体調が崩れ易いからだ。コレットは迎えに来たレイモンドと会いに行っている。レイモンドはこの国に家があるから王宮に滞在していない。わざわざコレットに会いに来たと言う事は二人はそれなりに仲が良いんだと思う。
私が少し呆れてそう言うとリオンは苦笑するものの真面目に答える。
「……逆に言えばさ、婚約してる間は戦争をしないって話だったのかも知れないよ? それにドラグナンとイースラフトじゃ食べ物もかなり違うから水に馴染むまでこの国に預けるつもりだったのかもね」
でもそんな優しい理由じゃない気がする。だってドラグナンに対してイースラフトは侵略する側じゃなくて防衛側だ。そんな相手に対等な交渉なんて出来る筈がない。そう言う意味では以前マックスが言っていた通り人質同然に差し出そうとしたのかも知れない。
基本的に王族の姫君が他国に輿入れする場合、相手国との同盟が目的で元々国交が良好なら更に関係を強化する為に行われる。ドラグナンは英雄一族を邪悪な存在としているからもしエミリエ姫がイースラフトに来ればドラグナン王国民は猛反発するだろう。王様はマックスを叱ったけどあながち彼の判断も間違ってなかった気はする。
「……でもまだ三日もあるのね」
「逆にたった三日だよ。ベアトリスも式典まで表に出て来る事はないだろうからね。まあ国賓なんて殆どがそうだと思うけど」
他国からの賓客は今、王宮の離れに滞在している。国同士の軋轢が生まれない様に区角が離れている。当然私も近寄れないしイースラフトの人だって入る事が許されていない。流石に攻撃はされなくても見咎められるし王様に苦情が全部いって結局叱られる事になる。
「……式典の前に話が出来れば良かったんだけどな……」
だけど私がそうぼやくとリオンは苦笑して真面目な顔に変わった。
「……一応、リゼが話す処に僕も立ち会うからね? 多分話せるのは式典での自由時間だよ。最初に僕とダンスさせられるからその間は話自体出来ないと思う――そう言えばそろそろ採寸の時間の筈だよ?」
「え? ああ……ドレスね。でもどうせアカデメイアの制服を羽織るし下のドレスなんて割とどうでも良いと思うんだけど……」
「多分、上着は脱ぐ事になると思うよ? その時イースラフトの意匠のドレスにして欲しいんじゃないかな。どっちにしろリゼは体力が無いしすぐ暑くなるだろうし。僕だって採寸して新しいのを準備されるから」
「まあ……仕方ないか。王様のお願いじゃ断れないもんね」
そして私とリオンはその足で採寸をする部屋に向かったのだった。
*
私とリオンが採寸部屋に赴くと先客がいた。ブロンドのふわふわした癖っ毛の少女だ。年齢はクラリスより二、三歳は下だろうか。細身ですらっとした華奢な少女だ。そんな彼女は私達を見て声を掛けてきた。
「エレ・トゥワス・フィレ――あ、ごめんなさい。ええと……貴方達はどなた?」
「……今のって何処の言葉? 何て言ったの?」
「ああ……今のはドラグナンの言葉で言い直した通りだよ」
「え、ドラグナンって言葉が違うの?」
「そう言う訳じゃないよ。基本的には共通語だから普通に会話するけど色んな部族が暮らす国だからね。ドラグナン国内でしか通じない公用語もあるんだよ。でもどちらも分からないと秘密の話をされるから地位の高い人はどっちも話せる。つまり彼女はドラグナンの王族って事だ」
え……ドラグナンの王族? それで思わず凝視してしまう。目鼻立ちはこの国の人と殆ど大差がない。だけどよく見ると少しだけ肌の色味が違う感じがする。薄っすら黄色人種っぽい肌色だけど日本人とも違ってミルクにほんの僅かだけ茶色を垂らした感じだ。だけど物凄い美少女で女の私でも思わず見惚れてしまう。てかクオリティ高えなおい。
「……あの……余り見られると恥ずかしいのですが」
「ああ、ごめんね。失礼しました。僕はリオン。彼女はマリールイーゼと言います。服の採寸で呼ばれてここに来ました。それで君は?」
「名乗りに感謝を。私はエミリエと申します。皇太子のご結婚のお祝いに招待されてドラグニアから参りました。どうぞよしなに」
ドラグニア――要するにドラグナンの事だ。この世界では国名と王家の名称が一致していない。例えばうちのグレートリーフだとグランリーフェンだしイースラフトはイースラフティアだ。ドラグナンではドラグニアと言うのが王家の名前なんだろう。つまり彼女は王家から来た王族だと正直に名乗った事になる。だけどそれよりも――
「――え……エミリエって、エミリエ姫、ですか?」
「あ、はい……そう言えば貴方様はグランリーフェンの公女殿下で在らせられるマリールイーゼ様ですか?」
「あ、在らせられるって……私、ただの公爵家の娘ですよ?」
だけど思わずそう漏らした私にリオンが苦笑して耳打ちする。
「……あのね、リゼ。公爵家の娘って世間では姫君扱いだよ。王女様と同じ扱いをされる立場なんだよ?」
「え、でも私、そんな大層な人間じゃないよ?」
「……叔母さん自身元王女でしょ? だからその娘のリゼも王族と同じ扱いをされるのが世間一般での常識なんだよ。なんで知らないの?」
「えー……急にそんな事言われても……ねえ?」
「ねえ、じゃないよ。一応国外に来てるんだから自覚しようよ?」
「でもそれを言ったらリオンだって王子様って事になるでしょ?」
「いや、王子って王の子供だから僕は王子じゃなくて公子位の立場なんだけどさ? でもマックスの次位には一応扱われてるんだよ?」
そうは言われてもさ、元々お姫様のアンジェリンお姉ちゃんだってそんなに王女様っぽく見えない付き合い方しかしてないしシルヴァンだって物凄くざっくばらんなやり取りじゃない? なのにいきなり大層な肩書きを持ち出されても困るよ。そりゃ勿論それらしく振る舞えって言われればそれらしくは出来るけどさ。そんなの面倒臭いじゃない?
そんなやり取りをする私とリオンにエミリエ姫はキョトンとした顔をしていたけど少しして楽しそうにくすくすと笑い出した。
「……とてもユニークな方達ね。私、今までお国を出た事が無くて少し緊張していたのですが、お二人とお会い出来て本当に光栄ですわ」
なんかもうこの子、笑い方まで上品だなあ。ここで私が姫君と言われても似非お嬢様になった気しかしない。それに確かエミリエ姫って今の歳はまだ八歳だった筈だ。なのに全然そんなに幼く見えなくてクラリスと同じ位に見える。だけどそれより今は好機だ。
「あの、エミリア姫。一つお尋ねしてもよろしいですか?」
「マリールイーゼ様。私の事はどうぞエミーとお呼び下さいな。私の方がずっと若輩ですし同じ姫という立場ですから」
「え、じゃあエミー……私の事もマリーとかルイーゼでいいよ。それでエミー、一つ聞きたいんだけど……確かマリーアンジュ王妃も一緒にこの国に来てるんだよね?」
「あ、はい。お義姉様も一緒に伺ってますね」
「それで……その王妃様は今、一緒に採寸に来てるの?」
「いいえ、お義姉様は来ていません。多分今頃お部屋でのんびりされていらっしゃるんじゃないかしら。元々御公務で色々とお忙しかったですし今回はその休暇の意味も大きいですから……」
「ああ……そう言えば第二王子が王様になったんだっけ……」
「ええ、兄上同士が争って大変でした。私は女の身なので巻き込まれる事はなかったのですが、お義姉様は色々大変だったみたいですね」
それを聞いてやっぱり意外な気がする。ベアトリスを直接知る人間は彼女に対して悪意を持っていない。それは例えこのエミリア姫であっても同じだ。それにこの子はまだ八歳だけど言葉遣いや反応を見る限りは頭がお花畑って訳でもない。流石内紛のあった中で生き延びたお姫様と言う感じがする。もしかしたらそれが歳不相応な理由かも知れない。
そんなやり取りを聞いてリオンはため息をついて笑う。
「……リゼ、やっぱり王妃と話をするには式典でのパーティでしか無理って事だよ。エミリエ姫と今日お話出来ただけでも充分だと思うよ?」
「……うん、まあそうね。有難う、エミー」
「いいえ。私ももっとお話がしたかったのですけど早く戻らないとお義姉様が心配します。なのでそろそろこれで失礼致しますね?」
そう言うとエミリエ姫は優雅にお辞儀して傍にいた侍女らしき女性に先導されて部屋を出ていく。だけどその時、彼女は不意に振り返った。
「――ルイーゼ様。お噂のダンス、とても楽しみにしていますね」
そう言われて私は首を傾げる程度で特に深く考えなかった。だけど噂になっていると言う部分についてはもっと考えるべきだったと後になって後悔する事になった。