295 忖度と貴族の常識
「――何だって⁉︎ 披露式にベアトリスが来る⁉︎」
謁見式が終わって王妃様の部屋に一緒に戻ると私はリオンにロックが教えてくれた情報を話した。一応、披露式にはドラグナンの妹姫が招待されているとは知っていたみたいだけどベアトリスが来る事までは知らなかったらしい。丁度今、クラリスとコレットはお茶を準備しに王宮の厨房にお湯を貰いに行っている。特にコレットには余り聞かせたくない話だったからこれ幸いとばかりに私は彼に伝えた。
「うん。だけど何もしないで欲しいの。話をしたいから」
「何言ってるんだよ! リゼだって何度も酷い目にあっただろ⁉︎」
「じゃあリオンはあの先輩が何をしようとしてるか分かるの?」
「……いや。それは分からない……けど……」
「それに一応国賓として来る筈だから下手な事をしたら国際問題になっちゃうよ? それが分かってるから来るんじゃないかな?」
「…………」
私がそう言うとリオンは黙り込んでしまった。だけど私は今までの事からベアトリスは安全だって確証があるからこそこんな敵地真っ只中にやってくるんだと確信していた。だってこれまでの事だって直接あの人が関わっていると知ってる人の方が少ない。感情的に判断したら多分、あの人の思惑通りにしか進まない。私達は彼女の存在を知っているから彼女の目論見だと考えるけど、それ以外の人にとっては――特にドラグナンが絡んだ辺りからは彼女がやったと断言出来なくなりつつある。
ベアトリス・ボーシャン――マリーアンジュは私よりも遥かに貴族と言う物を理解してる。どう言う状況だと動けて逆にどう言う時に動けなくなるのかまで知り尽くしている。一見理不尽そうに見えてもそう言う処で落ち度が無い。そう、彼女は貴族のルールを常に守っているのだ。
「じゃあ……リゼは会って、一体何を話したいんだよ?」
「んー……何が目的で、今までに何をしたか、かな?」
「……何をしたか? それってもう分かりきってる事だろ?」
だけど私はそんなリオンの問いに首を横に振った。
「昔さ。私もやってない事をやったって言われたじゃない? 例えばお兄様がアカデメイアに来た時とかね」
「ああ……あの時か」
「うん。それに自殺したジェシカ・ゴーティエ先輩や庭園に侵入してきたタニア・ルボー先輩もね。エマさんを怪我させたジェラール・ベラニーって人もそうなんだけど……あの人達は皆、ベアトリス・ボーシャンの指示で動いたみたいな事を言ってるじゃない?」
「そんな事を言ってたね。でもだからそれが証拠じゃないの?」
「ううん、それって証拠じゃないんだよ。アカデメイアに入学した頃にリオンに話した事あるよね? 私が何かをしようとしなくても周囲が勝手に忖度して『マリールイーゼの為に』って行動すれば責任は全部私が取らされるって」
「……そう言ってたね。それで怖いと思ったから良く憶えてるよ」
「ベアトリスって明らかに酷い事をしてる筈でしょ? なのにあの人を直接知ってるテレーズ先生やクロエ様はそれでもあの人の事を信じてるみたいで不思議だったのよ。伝染病の時、クロエ様の子供達も全員感染してたのよ。おに……フランク先生のお陰で全員無事だったけど」
「…………」
「お兄様が言ってたけど、あの伝染病ってドラグナン王国から持ち込まれた可能性が高いらしいの。でもね? それでもクロエ様はベアトリスはそう言う事をしないって断言したの。自分の子供達が危険な目に遭わされたのに、だよ? そんなの普通は考えないでしょ?」
私がそう言うとリオンは少し冷静になったのか少し黙り込む。そして少しすると顔を上げて言った。
「つまり――ベアトリス自身が望んでやったんじゃなくて、都合が良かったから責任を押し付けられた……って事?」
「まあ、その可能性があるって事かな」
「でも……最初のお茶会講習の時に不正をしたのは事実だろ?」
「それだって分かんないのよ。だってベアトリスは文句を言っただけで本人が不正したかどうか分からないでしょ? それにあの時って私まだ準生徒一年であの人は正規生三年だったし。英雄一族の魔法阻害も意図的に使えると思ってたかも知れない。だってアカデメイアにはお兄様と私しか在籍した事がないんだもの。友達とか知り合いの為にわざと嫌がらせをするな、みたいに思われてもおかしくないでしょ?」
「じゃあ……あの請願書の時は?」
「それも連名してただけじゃん。大体お茶会の時に最悪の印象を持たれてた訳だし、結果だけで本人が行動を起こした証拠って無いのよね」
私がそう答えるとリオンは再び黙り込んでしまう。これは何も最初から思っていた事じゃない。きっかけは『ベアトリスって私よりもよっぽど悪役令嬢みたいだ』って思った事だ。
悪役令嬢って本人が悪い事をしてなくても周囲が勝手に持ち上げて悪役にされる事がある。特に地位がそれなりに高い場合が多いから勝手に忖度したり虎の威を借る狐みたいに利用されたりもする。ベアトリスは子爵家令嬢で地位は高くないけどアカデメイアには国内貴族の子息令嬢が集まる。その中で一番多いのが男爵家で次が子爵家の子息令嬢だ。
「……結局さ? 私もあのお茶会事件でしかあの先輩と直接話した事がないんだよ。その後の事件も全部本人がいなくて他人の証言だけで本人の言葉や意思が見えないんだよね。それで犯人にするのって子供が悪い事をして『誰々がやろうと言った』って逃げようとするのに似てる気がするのよ。だってほら、貴族令嬢って責任を取りたくない人が多いし」
「……そうか。それでリゼはベアトリスに確認したいのか……」
「うん。直接聞いてみたいって思ってる」
だけどそんな処にお茶を乗せたトレイを持ったクラリスとコレットが戻ってくる。その途端に私達が黙り込むとじっと私とリオンの顔を見てクラリスがぼそっと口にする。それでコレットもキョトンとする。
「――お姉ちゃん。利用されるのは可哀想かも知れませんが、だけど利用された方も悪いと言うのが貴族社会の常識なのですよ?」
「……え、クラリスちゃん、急にどうしたの?」
「貴族の世界は確認と明言が基本なのです。だから何とか出来る事でも出来るとは言いません。かと言って曖昧な言い方をすれば相手はそれを『出来る』と受け取ります。これは私のお爺ちゃんがお医者様だから特に注意する様に言われてます。人の命に関わる部分ですからね?」
「……クラリスちゃん?」
「……コレットお姉さん、何でも無いですよ? ちょっとお姉ちゃんに前から言っておこうと思った事を今思い出して言っただけなのです」
私が余りコレットに知られたくないと分かっているからか、クラリスはコレットに明言しない。それにコレットはクラリスが魔眼持ちである事も知らない。そしてクラリスがテーブルにカップを置き始める。コレットも首を傾げながら同じ様にお菓子のお皿を載せていく。そうして私の処に来たクラリスに私は笑顔で小さく答えた。
「……分かったよクラリス。ちゃんと意識する様にしておくね?」
私がそう言うとそれまで少し固かったクラリスの表情がふっと柔らかく変化していつもみたいに無邪気に微笑んだのだった。