29 王族と英雄
アンジェリン王女との勝負が決まった後、放課後になってから血相を変えたシルヴァンが私の部屋にやってきた。リオンも丁度一緒にいて彼は私達を交互に見る。そして少し憔悴した様子の彼は私に向かって少し震える声で尋ねてきた。
「……マリー……君が姉上と勝負するって聞いた……」
「……え……うん、そうだけど?」
だけど私がそう答えると彼は激しく顔を強張らせる。
「……ッ、なんでそんな無茶をしたんだ! あの人は身内にも容赦しないし絶対勝てる勝負しかしない人だぞ! それにリオン、君も一緒にいたんだろ! どうして止めなかったんだ!」
流石に自分がその賭けの対象になっているだけにリオンは何も言い返さずに渋い顔をしている。それで私はシルヴァンに向かって声を掛けた。
「……ちょっと待って、シルヴァン」
「何だよ、マリー!」
「ええと……シルヴァンは何処まで知ってるの?」
「それを知らないから聞きに来たんだ! いいか、あの人と勝負しちゃいけない! まともな勝負をさせてくれないぞ!」
あー……やっぱり実の弟から見てもそうなんだ。確かにアンジェリン姫って支配者側の環境でどっぷり浸かって育った結果あんな風になった感じはする。人の下地って自分の実体験から作られるから王女も相当悲惨な経験があるのかも知れない。
だけど何だかシルヴァンの気持ちがリオンを責める方向に進んでる気がする。それで私ははっきり言っちゃう事にした。
「ええとね……貴方の姉上様がリオンを寄越せって私に言ってきたのよ。うちの本家の血筋を王家に取り込むつもりみたいで結婚するとか言い出したんだよね」
「……は? え、リオンを、って……英雄一族の本家を?」
「うん。それでなんかリオンを私の所有物、みたいな言い方をされて私もカチンときちゃったのよね」
物凄く端折ったけど嘘は言ってない。でも……そっか、あの時私、どう言えば収めてくれるかを考えてたのに勝負を挑んだのはそれが理由だったのかも。リオンは私を守ると言ってこのアカデメイアにまで一緒に来てくれた素敵な男の子だ。そんな私の中の大事な物を汚された気分になったのかも知れない。
だけどシルヴァンは深刻な顔になってボソリと呟く。
「……それ……国際的な政治問題に発展するじゃないか……」
……ですよねー。何せ公爵家って王族の親戚な訳でイースラフト王国の王様からみればまだ未成年の甥っ子を無理やり手籠にしようとしてる訳だから。いわゆる事案発生って奴です。
そしてシルヴァンは何やら考え込むと口を開いた。
「……でもそれならリオンが自力で叩き潰した方が――いや、それはダメか。姉上の性格なら絶対にセドリック卿と御子息のレオボルト様を呼ぶ。リオンの肩書きの所為で正当化されるだろうから……そうなれば姉上が正論って流れにされる……」
「えっ……リゼ、シルヴァン……このグレートリーフって実は結構アレな国なの? なんだか怖いんだけど……?」
「アレって何だよ、失礼だな。父上は穏健派だし我が親ながら善き王だと思うよ? ただ単に、姉上がアレなだけで……」
「シルヴァンこそアレって何だよ……なんか僕、女の子が怖くなってきた。王女にしろ貴族令嬢にしろ、色々怖すぎる……」
「まあ……それについては否定しない。僕の周囲にいる女性も皆、裏が透けて見えるし怖いんだよ。まあ王族に生まれたから仕方ないのかも知れないんだけどさ……」
そう言うと二人はハァ、とため息を付く。あのー……一応ここにもその貴族令嬢がいる訳なんですけど? リオンもシルヴァンも普通に酷くない? かと言って突っ込むと余計に女の子怖いとか言い出しそうだし。それで口を出したいけど出せないジレンマに耐えながら見ているとシルヴァンが私を見て言った。
「だけど……マリー自身が相手をすると名乗り出てくれて良かったのかも知れない。もしリオンが出れば姉上は必ずマリーの父上と兄上を連れてくる。そうなれば実質、我が国とイースラフトのメンツを賭けた英雄同士の勝負になってしまう。結果如何によっては両国の関係を危うくさせる事になるから……」
それは私も考えていなかった事だった。だけどそっか、グレートリーフとイースラフトは隣国でどちらも英雄を臣下に持つから「どちらの英雄の方が優れているか」って話になれば当然その後の国際関係にも影響する。それはかなり怖い話だ。
そして何も言えず見つめる私にシルヴァンは尚も続ける。
「だけどマリーが相手なら姉上もそう強くは出られない。何しろマリーもその英雄一族の人間だからね。王族と英雄が対立していると周囲に思われると不味い。特にリオンも同じ英雄一族だから我が国にとってもかなりの痛手になりかねない」
それで私は思わず呟いてしまった。
「……あ、そっか。それでアンジェリン王女は私を小さい子扱いしてたのね。あれって私を舐めてたんじゃなくて体裁を守る必要があったから、なんだ……」
「そうだね。何せ姉上とマリーの勝負の話は食堂でしていたんだろう? 僕もバスティアンから聞いて驚いたし。きっともうアカデメイア全体で話題になってる筈だ。今日中に王宮の父上や君のご両親の耳にも入ると思う。だから姉上も真剣勝負じゃ無くて公開模範試合にせざるを得ない筈だよ。だからマリーが負けてもきっと姉上はリオンとの婚約を諦めるしかないんじゃないかな?」
だけど私はそんなシルヴァンの楽観的な話を鵜呑みにする事なんてとても出来なかった。あの王女ならきっとそれも考えている筈だ。だってあの人は「怖い王族」なんだから。
「……だけどやっぱり私が勝つしかないよ。もし負けてアンジェリン王女がリオンを見初めたのは正しかったとか言われても困るもの。あの人ならそう考えていてもおかしくないよ」
私がそう言うとシルヴァンは驚いた顔に変わる。
「えっ……だけどマリーに勝算はあるの?」
「そんなの関係ないよ。きっと私が勝つ以外に上手く話をまとめる方法なんてないもの。負ければ今後、王女が言う事に逆らい辛くなるだろうし。だから結局、勝つしかないんだよ」
シルヴァンは私の言葉に再び深刻な顔に変わる。だけどそんな私達のやりとりを黙って聞いていたリオンは私を見ると小さく笑った。
「――つまり作戦は元のままって事だ。リゼ、何かあれば僕を使ってくれ。出来る限りの事はやる。僕自身が戦えれば一番良かったんだけどそれじゃダメみたいだ。それと――シルヴァンも心配してくれて有難う。君は思ったより良い奴だね」
「どう言う意味だよ。僕だってマリーやリオンとまるっきりの他人じゃないんだ。だから僕も必要なら手伝う。姉上が相手だから役に立てないかも知れないけどさ?」
そんな風に照れ臭そうに笑うシルヴァン。前と比べると明らかに友好的になっている。言ってた通り、リオンに対して悪い考えを持っていないみたいだ。
「色々心配してくれてありがとね、シルヴァン」
「――だけどマリー、気をつけて。姉上は人当たりと見た目が良いから同調する者も多いんだ。むしろ姉上より周囲に警戒した方が良いよ。特にあの人は空気を作るのが上手いから周囲が勝手に察して動いたりするからね」
私とリオンはそんなシルヴァンの言葉に頷く。
だけど彼が言った事がどれだけ危険な事なのかを本当の意味で知ったのは、全ての決着がついた後になってからだった。