282 リオンの変化
私は今、テレーズ先生の前に単身座っていた。
「――分かりました。式典に参加する為ですし他国の王に謁見する訳ですから学外授業という扱いにしましょう。それで……エマの出産予定はいつ頃なのですか?」
「ええと……出産自体は確か六月前後だったと思います」
「そうですか。なら赤ん坊の首が座るまで三、四ヶ月位は掛かりますから出立は九月から一〇月ですね。それまで一年近くありますし教導官の教師達にダンス講習のノウハウを伝える余裕はありますね。それをきちんとこなせばそちらで学票も余分に得られるでしょうから問題ありませんね」
それで私はテレーズ先生に報告を終えると自分の部屋に戻った。
これはマクシミリアン王子とアンジェリン姫の作戦が関係している。簡単に言うと私やお父様達グランドリーフのアレクトー家はイースラフトで行われるジョナサンとエマさんの式典に参加する事になった為だ。
二人が立てた作戦はシンプルで、標的にされている私をイースラフトまで連れて行く事で狙い易くすると言う物だ。それに釣られて襲撃してきたドラグナン勢力を一網打尽にする。アカデメイア襲撃では使い捨てにして問題のないグレートリーフ出身の元貴族を使っていたけれどイースラフトで英雄一族が集まって祝い事となればドラグナンも黙ってはいない。
この作戦の目的はドラグナンを叩く事じゃない。ドラグナンが襲撃に関与している事を明白にして式典を妨害した実績を作る事だ。それにうちの一族が一人でもいれば魔法は使えない。襲撃する際に特殊なスキルを使う人達が参加するかも知れないけど残念ながらこの世界はゲームみたいな物が存在しない。完全に現実準拠で特殊スキルと言えば暗殺術みたいな本当に修行を積んで獲得した技術だけだ。その意味ではむしろ英雄一族の使う英雄魔法の方がゲームでのスキルに近い。圧倒的で唯一無二、その上自分の特殊技は使えるのに相手は魔法を完全に封じられる。それはもう不利処の話じゃない。英雄家に近付くだけで絶対的な劣勢に陥る。それでもドラグナンと言う国はこれまでに何度も手を出してきた国だからきっと今回の作戦でも確実に手を出してくるだろうと言うのが王子達の考えだった。
勿論、私を餌にする事にお父様達は物凄く難色を示した。だって私自身は英雄魔法を使えるとは言っても戦闘能力が全く無い。それにお遊戯では力を使えても実際の命懸けの戦場で使えるとは限らない。多分実際に殺意を持って向かって来られたらきっと私は対処出来ないと思う。恐怖で力を使う事も出来ずにただ殺されるだけだろう。その自覚はちゃんとある。
それでも今までみたいに生活している処にいきなり襲撃されるより対策出来る分遥かに安全だと王子達はお父様達を説得した。これまでに起きた事件はどれも奇襲でまともに対策なんて出来なかったからこそ大変な事になった。そう言われてお父様も納得するしかない。
結局、最終的には私の意思が尊重される事になった。だけど私には実質選択肢がない。だって……叔母様からイースラフトの王様が私とリオンに会いたいって言ってた事を聞かされたからだ。マックスが提案した作戦は基本的に作戦がなくてもイースラフトに私が出向く前提でどちらかと言えば訪問がメインで作戦はそのおまけに近い。
それに何よりも、ほぼ確実に襲撃が予想される中にエマさんは産まれた赤ん坊と一緒に飛び込む事になる。そんなの絶対放っとけない。それに私が行かなくても英雄一族の祝い事だし参加しなくてもこっちを襲撃されると一層危険だ。だから結局、私には参加する以外に選択肢が無かった。
自室に戻ってお茶を淹れているとそこにリオンとクラリスが戻ってくる。それで私は二人のカップも準備するとテーブルに運んで尋ねた。
「おかえり。二人共、何処に行ってたの?」
「うん、只今。リゼの方が早く終わったんだね。僕の方はクラリスに手伝って貰ってちょっと相談しに行ってたんだよ」
「ん? 相談って何の?」
「うーん、先に話して期待させてもあれだし。結果が分かったら説明する事にするよ。まあ、今日中には返事が貰えると思うしね?」
期待って何か良い事なのかな? だけどクラリスもニコニコしてるだけで何も言おうとしないし多分聞いても教えて貰えないだろうなあ。それで私もそれ以上尋ねるのは諦めて二人のカップにお茶を注いだ。
*
その日の夕刻、部屋を訪ねてきたのはルーシーだった。
「マリー、エマさんに会ってきたんでしょ? 調子はどうだった?」
「うん。今は食事も摂ってて大分楽になったみたい。急に妊娠が分かったからお母様も叔母様も準備が間に合わなかったらしいんだよね」
「そっかあ。でも……来年の六月位にはエマさんの赤ちゃんが見られるんだよね。エマさん、赤ちゃんを抱っこさせてくれるかなあ?」
「そうだねえ。でも赤ちゃんって首が座るまでちょっと怖いかも?」
だけど私はそう答えながら何だか違和感を覚えていた。エマさんが六月頃に出産予定だって事はまだ殆どの人は知らない。妊娠してる事は知ってるけどいつ頃に赤ちゃんが産まれるかまでは逆算だって出来ない筈なのにどうしてルーシーは知ってるんだろう? まあエマさんに代表で挨拶してたからその時聞いたのかも知れない。それで特に深く考えずお茶でも淹れようとキッチンに向かおうとした時、いきなりキッチンの扉が開く。
「……あ、リゼ。それにクラリスも丁度良かった。ちょっと僕の部屋に来てくれないかな?」
「え? リオン、どうしたの?」
「昼前に話してただろ? その事を聞けるみたいだからさ」
「……その事? ああ、期待させない様に秘密だったアレ?」
そう聞くとリオンは頷く。だけど背後でルーシーが椅子から立ち上がるのが見えた。そのまま彼女は私の傍にやってくると私の肩を押して促す。
「ほら、マリー早く行こ?」
「……え……う、うん……」
そしてキッチンの扉を抜けてリオンの部屋に行くと、そこでバスティアンが腕を組んで椅子に座っているのが見えた。だけど何だか不満そうだ。
「――あ、マリーさん。そう言えばまだ言ってませんでしたね。この度はご家族になったエマさんがご懐妊された件、おめでとうございます」
「……あー。そっか、言われてみればエマさんの赤ちゃんってうちの家でお祝い事があったって事になるのね。そんなの全然考えてなかったわ」
「……考えましょうよ……一応、一族の祝い事なんですから……」
だけど私に対しては苦笑するだけで特に怒った様子がない。それで一体何の話だろうと思っているとバスティアンがリオンに向かって口を開く。
「……それでリオン君。君ね、情報が無さ過ぎなんですよ」
「え? 何が?」
「後になってルーシーに教えて貰いましたよ。遠出用の専用ワゴンを借りられないかとだけ言われても事情が分からないでしょう? どうしてちゃんとエマさんと産まれた赤ちゃんがイースラフトまで行くのに必要だからって言わないんですか」
「えっと……あれ? 言ってなかったっけか?」
「言ってませんよ! 全く、そう言う大事な事は真っ先に言ってくれないと重要度が低くなるでしょう? でも今の時期に相談して貰えた事だけは助かりました。来年の話なので運用計画に今からでも組み込めますしね」
……えっ? 遠出用の専用ワゴン? って……それってもしかして、以前マリエルの故郷グレフォールに行く時に出してくれたあの馬車? 話を聞く限りそれがどうにか借りられるって事? そんな私の疑問に対してバスティアンはにっこりと笑って答えた。
「まあ、何とか父上に連絡を取って使わせて貰える様に計らってくれると約束を取り付けました。エマさんの為ですし何とかなって良かったです」
それを聞いて流石に私も驚いた。
「えっ⁉︎ あのシェーファー・スペシアルを借りられるの⁉︎」
「……何ですか、その名前は……変な名前をつけないでくださいよ……」
「でもどうして? あれ、かなり特別な馬車なんでしょ?」
「そりゃあ産まれてすぐの赤ん坊を乗せるには普通の馬車だと揺れもきついですしエマさんの体調も不安です。専任の御者も手配してくれるそうですから問題ないでしょう。兎も角――リオン君、君はもうちょっと情報を言ってくれないと困ります。ルーシーがその頃は生後三ヶ月目位だって教えてくれなかったら断っていたかも知れないんですからね!」
「うっ……バスティアン、それはなんか、ごめん……」
だけどそれで私は次にルーシーを見つめた。
「え、でも……ルーシーはどうしてそれを知ってたの?」
「そりゃあマリエルとコレットから聞いたからよ。丁度その頃にイースラフトの王様の処に行かなきゃいけないんでしょ? 一緒について行きたいけど流石にあっちの王様と身内式みたいな感じみたいだし、バスティアンも私も一緒に行けないのが悔しいけど仕方ないもんね」
「マリエルだけじゃなくて、コレットまで⁉︎ あの子、口は固いのに?」
私が少し驚いて言うとルーシーは腕を組んで人差し指を左右に振った。
「……ちっちっちっ。こう見えて私、マリーより先に社交界デビューしてるんだからね? そう言う情報収集は貴婦人として必須なのよ!」
「……おおー……流石だね……」
「……まあ、それでテレーズ先生に聞いたんだけどね!」
「全然流石じゃないじゃん! 全部聞いてるんじゃん!」
テレーズ先生に聞いた――と言う事は多分私が報告と今後の予定について話した後だ。それならルーシーが事情を知ってておかしくない。だってそれって殆ど私が先生に報告した直後だし。
「でも良かったでしょ? 私、それは絶対必要だと思ってバスティアンに全部言ったの。先生も生後すぐに馬車は厳しいって言ってたし。だけどあの馬車なら全然揺れないしね? まあそれでもマリーは体調崩してたけどマリーが大丈夫なら赤ちゃんでも多分大丈夫だと思ったんだよねえ」
なんか私の体力が赤ん坊以下って言われてる気もするけど正直あの馬車が借りられるならエマさんと赤ちゃんにとって最高だ。それに途中で襲撃を受けても装甲車みたいな馬車だから安全性も高い。だけどリオンがまさかそんな相談をバスティアンとしてるだなんて思わなかった。
「でもリオン、そんなの良く考えたね。私すっかり忘れてたよ」
「まあ、そりゃあ……エマさんはもう義姉さんな訳だしね。と言うか僕もさっきまでその事を思い切り忘れてたよ。そうか、エマさんが義姉さんになるのか……なんか凄く落ち着かないって言うか、複雑な感じだ……」
「……そっか。私にとってもお義姉様になるのね。まあ元々エマさんはお姉様みたいな感じだったから全然平気と言うか大丈夫なんだけど」
「僕とエマさんはリゼ達を通じた付き合いしかなかったからね。それでもやっぱり生まれて初めての義理の家族だから。それで付き合い方がまだいまいち分かってないんだよ。まあ慣れていくしかないんだけどさ」
そう言ってリオンは複雑そうに笑った。だけどそっか、私にとっては親戚のお義兄ちゃんに先輩が嫁いだけどリオンにとっては実の兄のお嫁さんがアカデメイアの女の先輩って事になるんだ。当たり前の事だけど私と受け取り方がかなり違う。意識してるってそっちの意味だったのね。
「……でもそうか……今度からエマさんじゃなくてエマ義姉さんって呼ばなきゃいけないのか。ちょっとまだちゃんと呼べる自信がないよ……」
「それを言ったら私だって普通にエマさんって呼んじゃいそう。でも多分エマさんならそれでも許してくれるんじゃないかな?」
私がそう言うとリオンは苦笑して頷く。そして彼はバスティアンに頭を下げると感謝の握手をする。そんな様子を見て、リオンもここに来て随分変わったんだなあってちょっぴり感心していた。