279 『ぽい』と『らしい』
マクシミリアン王子がアンジェリン姫と一緒に何とかしてくれる――とは言ってもやっぱりあのベアトリスが関わっている以上、黙って見ている訳にも行かない。だけど私には何をする事も出来なかった。
例え英雄一族の関係者とは言ってもイースラフトから見れば私は隣国の公爵家令嬢、それも唯の十六歳の女の子だ。権威がある様に見えても私にその力は無い。それに対してベアトリスは今はマリーアンジュと名乗っていてドラグナン王国の政治に王妃として口出し出来る。だけどこれも変な話だ。褫爵されて平民扱いになった元貴族が一体どうやって王族に取り入って王妃の立場を得られたのか、疑問が多過ぎる。
マックス王子とアンジェリン姫については元々恋仲で単身会いに来る位に思い合っている、と言う事になっていた。エマさんの結婚式についてもジョナサンが剣術指南役をしていた過去があって親戚の兄のお祝いの為となっているけどそれも全部アンジェリン姫との逢瀬を誤魔化す為だった事になっている。あの二人が考えていた通りに大体進んでしまっている。
要するにマックスは元々アンジェリン姫と婚姻を進める為だけにこの国へやってきた。但しその名目だと国から出る事も叶わない。そこでエマさんとジョナサンの結婚とリオンと婚約している私を検分すると言う名目で国を出る事にした。最初に言っていた事は全部ブラフだったと言う訳だ。
「――まあそんな感じで姉上も今はマクシミリアン殿と大抵一緒にいるみたいだよ。仲睦まじい印象の為だと思うけど実際姉上はマクシミリアン殿の事が大層気に入ったみたいだね。なんかもう見てて怖い位にベタベタしてる。まさか姉上のあんな姿を見る事になると思ってなかった……」
そう言うとシルヴァンは深いため息を吐いた。
あの翌日、シルヴァンは報告の為にリオンの部屋に来ている。私とクラリスはそんな彼の話を聞いて苦笑いするしかなかった。
「……でもクラリスはマックスが何を考えてるか、魔眼で知ってたの?」
「大まか……と言うか断片的にだけ、ですね。あの方、同時に考えている事が多過ぎて魔眼でもとても追いきれませんでした。こんな事は初めてで私もちょっと怖かったです。本当の王子様ってあんな感じなんですね」
そう言うとクラリスは思い出したみたいに身を震わせる。魔眼はあくまで目を使った相手の思考読解能力だ。視覚情報を読み取る速さより相手の思考が早ければ追いつかないって事なんだろう。完全なマルチタスク能力がマックスには備わっていると言う事なのかも知れない。
「……そうね。私もあんな王子様らしい王子様なんて初めて見たよ」
と言うかもうあれ化け物でしょ。魔眼や英雄魔法みたいな能力じゃなくて教育と訓練と才能による特殊能力なんだもん。もしマックスが普通の人間だったらきっとクラリスやリオンは前もって気付いた筈だ。だけどそれに全く気付けなかった――と言う事は理解出来る能力以上の速度で思考しているか、それこそ本当に同時並行処理で物事を考えているかのどちらかしか考えられない。あの時クラリスが黙り込んでいたのはそう言う事だ。
でも私がクラリスの言葉に頷いて呟くとそれを聞いたシルヴァンが少し傷付いた様な顔に変わる。
「……どうせ僕は王子らしくない王子だよ……悪かったね……」
「えー、別にそこまで言ってないでしょ?」
「……でもそれに近い事は思ってたんだろ、どうせ……」
「違うよ! 最近私、王族には二種類いるって気付いたのよ」
「二種類って絶対『らしい』と『らしくない』って言うんだろ?」
「違うよ! 王族『らしい』王族と『ぽい』王族だよ!」
「…………」
私がそう言うとシルヴァンは無言になってリオンを見つめる。そして物凄く微妙な顔つきになるのを見てリオンが慰め始めた。
「……ああ、うん……なんかリゼがごめん。でも悪気は無いんだよ。時々リゼって普通とは違う考え方をする処があるからさ……」
「……なんか……らしくない、って言われるよりダメージ大きい……」
「まあまあ――それでリゼ、その二つはどう違うの?」
「そりゃあ『らしい』王族って怖いのよ。マックスもそうだけどアンジェリンお姉ちゃんもそうだし王様もそうでしょ? なんか裏があるって言うか隠してる事がある感じなのよ。んで『ぽい』王族は全然怖くなくて親しみがある、みたいな? 例えるなら……庶民的な王族?」
「……王族なのに庶民……」
「えー、なんでシルヴァン不満そうなのよ? 庶民の気持ちが分かる王様って大事じゃない? それにきっとシルヴァンは王妃様に似たんだと思うよ? 王妃様も優しそうであんまり王族の圧迫感ってないでしょ?」
「……なんだろう……褒められてるっ『ぽい』のに全然褒められてる気がしないんだけど……はっ! やっぱり『ぽい』ってそれっぽく見えるだけで本物じゃない、って意味じゃないか!」
そしていつもみたいにリオンに泣きつくシルヴァン。なんかシルヴァンってすぐにリオンに泣きつくよね。そう言う処が余計に『ぽい』って感じなんだけどその事に気付いてくれたらいいのにね。
「まあそれは兎も角……リオン、ベアトリスの目的って何だろう? 今まで私にちょっかい出してきてたのにいきなりイースラフトを狙い出したのって変な感じがするんだよね。マックスは何とかしてくれるみたいな事を言ってたけどなんかそこが凄く気になってるんだよね、私」
だけど私が真面目な話をするとリオンは苦笑しながらも答える。
「……いきなりだなあ……まあ実際どうなんだろうね。ベアトリスって元は子爵家令嬢だろ? 子爵家って貴族だけど国政に関われる程知識が無いと思うんだ。基本的に子爵家は領地の経済運営が仕事で例え勉強するにしても国家運営の知識って学べる場所がないんだよ。手は無い訳じゃないけど褫爵処分を受けた元貴族がそう簡単に手に入れられる物じゃないし」
それを聞いて私も頷いた。基本的に貴族社会では爵位によって役割がはっきりと分かれている。例えば乙女ゲームなんかに登場する『騎士団長』って肩書きは実は相当上位の騎士団の長を指している。上流貴族は原則どんな仕事でもこなせる知識がある。貴族の地位はどれだけ学があるかを示す指標でもあるのだ。例えばマティスとセシルのお父様は騎士団長を務めていらっしゃるけどあくまで領地を守護する騎士団であって国を守る騎士団じゃない。だからアカデメイアを警護している常駐騎士団の方が遥かに高い地位にある。地方公務員と国家公務員みたいな感じだ。日本の物語に登場する騎士は基本的に最上級の騎士で王様に直接謁見出来たりするけど普通の騎士は謁見自体が適わない。
ベアトリスのボーシャン子爵家は王都経済を担当をしていた家だけど単独じゃなくて伯爵家の元で他の子爵家と共に働いていた。それもコレットのモンテール子爵家と比べるとかなり序列は低い。モンテール家は子爵の中でも歴史と実績のある家で王家からも伯爵家への陞爵の受託を望まれている。
そんなベアトリスがいわゆる王妃教育を受けられる筈がない。それが何故ドラグナン王国で王妃として受け入れられたのかが分からない。普通の王妃候補は上流貴族でないとなれないし後見人も必要だ。だって王族って血統が保証されていないと一族に入れない。貴族社会は血統主義で世襲制で地位を受け継いだ貴族が大半だ。だから他国出身のベアトリスがドラグナン王国に渡ったとしても王妃候補にすらなれない筈だった。
「……まあ、何か僕らの知らない方法があったのかも知れない。それに例え褫爵されても血統は変わらないからね。特に処分を受けた世代だから血統自体は保証されてるしそれらしく振る舞う事も出来るし」
だけどそんな話をしている最中にシルヴァンがボソリと呟く。
「……さっきまでの話は何だったんだ……らしいとか、ぽいとか……もしかしてマリーは僕を弄りたかっただけじゃないのか……?」
「そんな訳ないじゃん。今の話と凄く関係してるでしょ?」
「え……何処が?」
「褫爵された貴族っ『ぽい』ベアトリスがどうやってドラグナンの王妃『らしい』立場を手に入れたのかって話でしょ?」
「…………」
だけど何故かシルヴァンは絶句してしまう。えー別に変な事は言ってないと思うんだけどなあ。力のない筈の単なる貴族っ『ぽい』平民のベアトリスが一体どうやって国政にまで関われる王妃『らしい』立場を得られたのか。それで実際にイースラフトを追い詰めてるからマックスとアンジェリンお姉ちゃんは結婚なんて話になってる訳だし。超関係ある話じゃん?
「……リゼはまた、とんでもない方向から話を転がしてきたな……」
「え、ちょっと待って? リオンは私が何の話をしてると思ってたの?」
「……僕はてっきり、シルヴァンを弄り倒してるだけかと思ってたよ」
「えーそんな訳ないじゃん? 私は最初からずっと真面目だよ? 大体今シルヴァンを弄ってどうするのよ? それじゃ何も解決しないでしょ?」
だけど私が素の顔でそう言うと皆は黙り込む。え、何? リオンもクラリスも私がシルヴァンを弄る為にこんな話をしてると思ってたの? それはそれで失礼しちゃうわ。私、こんなに真面目に考えてるのに。
「……なあ、リオン……僕、もう……泣いていいかな……?」
静けさの中でシルヴァンの声が小さく響く。リオンはそんな彼の肩に手を置くと慰めるみたいに頷いた。