275 エマさんの不調
ジョナサンとエマさんの結婚式――実際は結婚式と言うより披露パーティと言う方が近い。食事は殆ど立食パーティに近くて以前の私とリオンの婚約式と凄く似ている。その場で挙式を行うんじゃなくて籍を入れた事を報告するパーティだ。だから告知が終わった後で簡単な食事をしながら皆で雑談をする。これは日本と違って宗教的な要素が殆どない。
例えばお葬式でも死者の埋葬を終えた後でこんな風に必ず立食会の体裁で雑談をする物らしい。婚約式や結婚式では未来への展望を、お葬式では過去への郷愁を――それは式自体が形式よりも実質を優先する印象だ。
二人の結婚式の当日、大勢の人がやってきた。生徒からは私とリオン、クラリス以外にはセシリアとルーシーを筆頭にヒューゴ、バスティアン、それに新規生のマリエル、マティス、セシル、それにコレットとレイモンドの姿も見える。どうやらエマさんは私の知らない処で色々と皆の相談に乗ってたみたいだ。勿論卒業したカーラさんとソレイユさんも駆け付けて式の手伝いをしてくれている。
他にはアカデメイアの常駐騎士団が多い。ジョナサンはこの国にいる間は支援者として臨時所属している。当然騎士団は結婚式の当事者の関係者だし前回の事もあって警備を請け負ってくれている。エドガーも剣術指南役として働いているけど生徒達は縁が遠くて参加していない。だけど身内の祝い事で贈り物だけが届けられている状況だ。
そして何よりも今回は王族が参列している。アレックス王とその妻マリア王妃、アンジェリン姫とシルヴァンが最後にやってきた。英雄家の場合王族も親戚だから当然身内になる。イースラフトは同盟国で王族同士でも交流がある。特に隣国の英雄家と自国の貴族が結ばれるんだから参列する理由も一つ処か二つも三つもある。
そして地位の高い人が最後に来るのは作法の一つだそうだ。これは社交界や舞踏会でも同じで最高位の人が必ず最後に登場する。それが式典の開始の合図なんだけど今回は少し様子が違っていた。
私とリオン、クラリスは生徒枠の身内だ。だから叔母様の後ろに控えて必要があれば手伝う。そんな私達の方をやってきた王様が見ていきなりその場で立ち止まってしまった。
「――な……何故ここに、マクシミリアン王子がいらっしゃるのだ⁉︎」
流石王様、イースラフトの王子様をちゃんと把握している。叔母様の隣で大人しくしているマックスを見て絶句していた。いやまあ普通はそうだろうね。だって他国の王族が来るなら前もって王宮に連絡が入って当然、寝泊まりだって王宮の貴賓室が準備される。それを全部すっ飛ばして突然式典に来たら姿がありました、だなんて滅茶苦茶な話だ。だけど叔母様はにっこり微笑むと王様に向かって話し掛けた。
「……あら王様、ごめんなさいね? この子はジョナサンの教え子で是非お祝いしたいって駆け付けたみたいなのよ。急に来た物だから王宮へ連絡する余裕もありませんでした。なので今回は私の元で預かっていますの」
「……そ、そうだったのか……いや、当然同じ血縁者同士だから祝いたい気持ちは理解している。だが前もって王宮に連絡が欲しかった……」
だけどそう言いながら王様は身を仰け反らせて動揺している。そりゃあ同盟国の王家が前情報も無く現れたらそうなるよね。だけど慌てているのは王様だけで王妃様やアンジェリン姫、シルヴァンは首を傾げてはいるけどピンと来ていないのか特に驚いていない。それにエスコートしているお父様とお母様も苦笑するだけで全く動じていなかった。つまり知らなかったのは王様だけでお父様とお母様は前もって知っていたと言う事だ。
だけどマックスは先日来た時と態度が全く違う。叔母様の隣でまるで借りてきた猫みたいに大人しい。いや、大人しいと言うより顔色も良くないし何方かと言えば怯えているみたいにも見える。そして王様達が会場入りを終えるのを見届けた後、それを証明するみたいに叔母様は振り返るとマックスの肩に手を乗せるのが見えた。
「――マックス。分かっているでしょうね?」
「……は、は、はい、お、叔母上……勿論、ですとも……」
「もし粗相をすれば恥をかくのはジョナサンとエマよ? 下手な事をして台無しにしよう物なら……その時があんたの最期だと思いなさい?」
……うん。ここまで警戒している叔母様は見た事がない。と言う事はこの人、過去に何かやらかした前歴があるんだろうなあ。それに叔母様も笑ってはいるけど口元だけで目が笑ってない。細められた目はまるで猛禽類みたいに鋭い。それを前にマックスはまるで生まれたての子鹿みたいにブルブルと震えて立っているのもやっとみたい。まあ私も生まれたての子鹿なんて実際に見た事はないんだけどさ?
そして王様が到着した事で早速結婚式が始まった。最初に二人が挨拶して会場が拍手に包まれる。その後お父様が叔母様と一緒に挨拶をしてからエマさんのご両親が登場して挨拶をする。特にルースロット男爵は挨拶も噛み噛みだったけど仕方ない。王様も来てるしこの国の英雄であるお父様までいるんだもの。対照的に男爵夫人は終始泣きっぱなしでエマさんには幸せになって欲しいと繰り返していた。こう言うのはちょっとアレだけど流石エマさんのお母様だ。人の良さが思い切り面に現れている。そして両家の代表としてお父様と男爵が握手をするとすぐに次へと移った。
いわゆる新郎新婦に対する挨拶で社交界なんかだと地位の高い人の元へ赴いて贈り物をしたり数言やり取りをする。今回は新郎新婦が主役だから王様も儀礼的な事は何も言わない。大体身内になる訳だしね。真っ先に王様達がエマさんの前で機嫌良く談笑している。こう言うのって最後に来た高い地位の人が最初に挨拶をする物らしい。だけどその後にお父様とお母様が話し掛けているのを見て私はちょっとした違和感を覚えていた。
何と言うかエマさん、しきりに口元をハンカチで押さえている。お母様も祝福と言うより心配そうにエマさんの背中を撫でている。どう見ても体調が良い様には見えない。
「……叔母様。エマさん、本当に大丈夫なの?」
思わず袖を引っ張って尋ねると叔母様は私を振り返った。
「……どうかしらね。あの子、この処ちゃんと食事出来てないから」
「え……ちゃんと食べてないの? それ、危ないんじゃ……」
元々私だって食が細い方だから良く分かる。ちゃんと食べられないって体力が無いって事だ。いざと言う時に踏ん張れない。気を失って倒れたりするのも身体を動かせるエネルギーがないからだ。だけどそんな風に心配する私を見て叔母様は首を傾げた。
「それより……ルイーゼ、その籠は何?」
「え? これ? これはエマさんにあげようと思って。蜂蜜を使ってない沢山の果物のジャムよ? 林檎、桃、レモン、それに苺とかベリーを煮詰めて作ったの。本当は薔薇のジャムをあげたかったんだけど季節が終わっちゃったし……ほら、昔叔母様が作り方を教えてくれたでしょ?」
そう言って私は籠の中から小瓶を出して見せる。それを見るなり叔母様は手に取って私に尋ねてくる。
「へえ……それでスプーンはあるの?」
「え、うん。贈り物ってその場で開ける事が多いでしょ? だからもしかしたら一口でも食べたりするかと思って。それに沢山作り過ぎたからエマさん以外に欲しい人が試食出来る位は一杯持ってきてるよ?」
実際に籠に掛けた布を取って見せる。ジャムって多少日持ちはするけど実は足が長い訳じゃない。折角作ったし食べたいなら皆で食べられる様に小瓶に沢山分けて詰めてある。エマさんに渡すのは少し大きめの瓶で一週間位で食べ切れる量だ。だけどそれを見た叔母様は私の手を突然取った。
「……よし、ルイーゼでかした! ちょっとついてきて頂戴――リオン、マックスが好き勝手しない様に捕まえといて!」
「え……お、叔母様?」
そして私はエマさん達に挨拶する列を追い越してお父様とお母様のすぐ後ろにいきなり並ばされる。並ぶと言うかもう目の前で他の人がいるのに割り込んだ形だ。流石に叔母様は新郎の母親でエマさんの義母にもなる訳だから並んでいる人達も特に何も言ってこない。それでも萎縮する私の手を引っ張ってエマさんの前に立たせると叔母様が言った。
「――ルイーゼ。エマに贈り物をあげて頂戴。それとスプーンも一緒に渡してあげて。それと――エマ、これなら食べられるかも知れないわよ?」
「……え……お義母様……それに……ルイちゃん……?」
そこでエマさんはやっと俯いていた顔をあげた。目の前で見ると顔が真っ青でどう見ても体調が悪そうにしか見えない。緊張しているとこうなる事もあるだろうけど明らかに体調不良だ。それで私は叔母様に言われるままエマさんに小瓶とスプーンを手渡した。
「……エマさん、おめでとう。これ、私が作ったジャムなんだけど……もし全然食べてないんだったら食べてみて?」
「……え……ジャム?」
「うん。林檎とか桃とかレモンとか、あと苺とベリーも入れてあるからちょっぴり甘酸っぱいけど。でも何も食べてないなら食べた方がいいよ?」
そんな私の説明を聞いてそれまでエマさんの背中をさすっていたお母様が私をじっと見つめる。それで私のもっていた小瓶とスプーンを受け取ると蓋を開けて匂いを嗅いだ後、顔色の悪いエマさんに差し出した。
「……もし食べられるなら食べてみなさい。これなら匂いも余り強くないし大丈夫かも知れないわ。もしダメなら無理に食べなくて良いから」
「……は、はい……」
そしてエマさんはスプーンに掬ってジャムを口にいれる。だけどその途端に少し驚いた顔に変わった。
「……大丈夫、みたいです。凄く美味しい……」
「そう、良かったわ。一気に食べず、少しずつ舐めるみたいに食べる様にしてね。余り甘い物をいきなり食べるのは身体に良くありませんからね」
それでスプーンに乗せて果肉を口にするエマさんを眺めていると叔母様が不意に私に尋ねてきた。
「……だけどルイーゼ、どうして蜂蜜を入れなかったの? 甘くするにはそれが一番早いって教えてた筈だけど……?」
「あ、えっと……最近教えて貰ってるハイレット伯爵家に小さい子が沢山いるの。まだ一歳になってない子もいるし蜂蜜は食べさせちゃいけないって聞いてたから。確か赤ちゃんだと中毒を起こしちゃうんでしょ?」
「そう……だけど助かったわ。妊娠していても蜂蜜は食べて大丈夫なんだけど血が甘くなってしまうし太ってしまうのよ。まあ果物も食べ過ぎると同じだから気をつけなきゃいけないんだけどね?」
「え……そうなんだ……?」
そう言いながら私は日本の知識を思い出していた。確か蜂蜜には赤ん坊が食べると食中毒を起こす菌が入っている事があるから食べさせちゃいけなかった筈だ。妊婦さんが食べても大丈夫だとは知らなかったけどお母様や叔母様が気にしてるのは多分糖分の大量摂取による肥満と糖尿病だ。
小瓶一つを空にするとエマさんの顔色は少しマシになった気がする。さっきまで血色が悪くて青白かったのが今は少し白い位だ。これって多分、全然食事が摂れてなかったからだと思う。そして私に続いてやってきたリオンとクラリスはジョナサンに包みを渡すと祝辞を述べる。
「――ネイサン、おめでとう。でもエマさんを泣かせたりしたらリゼが凄く怒るから気をつけて」
「……ああ、そうだな。有難う、リオン。それとクラリス嬢も」
「後、多分エマさんはこれ、食べられないと思う。だからエマさんがいない処で開けて食べて。アップルパイみたいなパンだよ」
「む、そうなのか……分かった。だがエマは食べられないのか、これは」
「うん。結構匂いが強いから今はまだ無理だと思う。まあ大丈夫になったらまた焼いて作ってくるからさ?」
そう言って挨拶をすると私とリオン、クラリスは一緒に列から離れて元いた場所に戻る事になった。だけどどうしてエマさんが物を食べられない状態になったんだろう? 式の緊張とかが原因なのかと首を傾げていると不意にクラリスが私の袖を引っ張る。
「……お姉ちゃん。エマお姉さん、つわりが始まってるんですよ」
「え、つわりって……赤ちゃんが出来た時に気持ち悪くなるアレ?」
「はい。確か二ヶ月位過ぎてますし最近始まった筈です。多分今の状態がしばらく続く筈です。二ヶ月位はまともに食べられないかも知れません」
つわりと言う物は知ってはいたけどまさかそんな早い段階から起きる物だなんて思ってなかった。だけどそっか……それならしばらくはジャムを作ってエマさんにあげると良いかも知れない。ペースト状で煮詰めたジャムは作る時には凄く匂いが出るけど完成した物は余り匂わない。それにさっき食べてるのを見る限り普通に食べられそうだ。でも甘過ぎると問題があるみたいだから他の調理方法も考えた方が良いのかも知れない。
「……よし。んじゃあしばらくはジャムとかエマさんが食べられそうな物を作って差し入れしよっか。クラリスも手伝ってくれる?」
「はい、勿論です。お手伝いしますよ?」
「フランク先生にも聞いて食べて大丈夫な物も教えて貰おっか?」
「分かりました。それじゃあお爺ちゃんにも聞いておきますね?」
こうして私はクラリスと一緒にしばらくエマさんが食べられそうな物を調べたり試しに作ってみる事にしたのだった。