274 イースラフトの王子様
部屋での騒ぎから少ししてエマさんとジョナサンの結婚式の日取りが決まった。流石にあれから少し時間も経ってやっと私もリオンも受け入れられる様になりつつある。リオンはどうかは知らないけど私がすんなり受け入れられなかったのはやっぱりお兄ちゃんやお姉ちゃんって慕っていた人同士が結婚して赤ちゃんが出来たって部分らしい。多分、自分の兄姉が近所の仲良しのお姉さんやお兄さんと結婚すると聞いて動揺するのに似ているんじゃないかな。それが一足飛びに赤ちゃん出来たって言われて戸惑わない筈がない。結局私は時間が解決する事で悩んでいただけだった。
エマさんの体調を見て結婚式は二週間後。体調を崩し気味で微熱が続いていて躁鬱を繰り返していたらしい。それで叔母様が気付いた。最近はそんな症状も落ち着いて安定しているそうだ。お腹が大きくなる前に結婚式さえ済ませておけば他の貴族達にも面目が立つし出産に集中出来る。
そして後三日で式が行われる頃。私はジャムを山の様に作って準備万端で臨もうとしていた。あの時に出来なかったリベンジマッチだ。今回はちゃんとマリエルやリオンにも手伝って貰った。流石に薔薇は時期が終わった後でジャムに出来なかったけど秋には秋のジャムがある。りんご、桃、レモン、それにイチゴとベリーのミックスジャムだ。勿論小さい子が食べても安心な様に蜂蜜は使っていない。純粋な果肉だけのジャムで甘さも自然で嫌いな人の方が少ない。
それにりんごが沢山あったからついでにシナモンで煮詰めた。いわゆるアップルパイに使う風味で大きめに切ったりんごをひたすら煮詰めるだけなんだけど薄い生地のパンに使って簡易アップルパイだ。これについてはリオンとクラリスが作る事になっている。
そうして試作品を作り終わって完成品に取り掛かっている時、不意に扉が開いてリオンが現れた。だけど何だか顔色が悪い。
「……ん? どしたの、リオン?」
「……リゼ、大変だ」
「うん? だから何が大変なのよ?」
「……イースラフトから王族が、来た……」
「……ふぅん? まあ来るかもね?」
だけどそう言われても特に何とも思わない。だって叔母様もエマさんをイースラフトの王様に合わせるつもりだったみたいだし、妊娠した状態でイースラフトに来いだなんて言わないだろうし。この国でもイースラフトでもアレクトー家に対して無茶を言える王族はいない筈だし、それなら自分から出向いてきてもおかしくないかな、なんて思っていた。
それに今、ジャムを作ってる最中で手が離せない。ジャム作りは焦げない様にひたすら煮詰めながら掻き混ぜなきゃいけない。当然途中で作業を止める事なんて出来ないし、大体結婚式に出るつもりならエマさんや叔母様の処に行ってる筈だ。なら私がご挨拶をするのは今じゃなくて良い。
「……あの、それが……」
「ん? まだ何かあるの? と言うか暇なら手伝ってよ。ほら、これ持って掻き混ぜて? ずっと混ぜてて腕がもうパンパンだし疲れちゃった」
だけどそう言って深鍋を見ながら混ぜていると突然私の後ろに人の気配が現れる。そして木ベラを私からひったくるといきなり鍋の中の果物を掻き混ぜ始めた。と言うかリオン、機嫌が悪いなあと思って振り返るとそこには見知らぬ人が立っている。
「――これを混ぜれば良いのか? しかし何とも甘ったるい匂いだ。これは食べ物であっているか?」
「……え……だ、誰……?」
慌ててリオンの後ろに逃げ込むと観察する。巻き毛の金髪で精悍な顔立ちの男の子だ。リオンより二、三歳上に見える。そんな男子がいきなり私の掴んでいた木ベラを奪い取ってジャムの鍋を掻き混ぜている。
「……あのさ、マックス。なんで付いて来てるんだよ」
「うん? そんな物決まっているだろう? お前の婚約者とやらを見てみたいと思ったからだ。しかし随分とまだ幼いではないか。まだ十二、三歳と言った処か? だが確かに将来が楽しみな美少女っぷりだ」
……よし。こいつは敵だ。女の子の一番触れられたくない部分に平気で触れてきた。どうしよう。リオンの知り合いみたいだし殴り倒しても構わないよね? うん、そうしよう。取り敢えずキッチンに置いてあったスープを掬うのに使うお玉を掴む。するとリオンはその私の手を掴むとお鍋をかき混ぜる男子に呆れた様にぼやいた。
「あのなあ。結婚式に来たんなら母さんの処に行くべきだろ? それにこの国の王族に挨拶だってしなきゃダメなんじゃないのか? なんでそれを全部放り出して僕の処に来てるんだよ?」
「そりゃあそんな物よりお前の婚約者の方が面白そうだからだ。以前からお前が入ったアカデメイアとやらも興味があったしな?」
と言うか話が全然見えてこない。それで苛立った私は滅茶苦茶不機嫌な声でリオンに尋ねた。
「……リオン? そちらの殿方は一体どちら様なのかしら?」
「えっ? ああ、えっと――リゼ、顔! 顔怖い!」
「うふふ、何を言ってるの? 私今、とっても笑顔よ?」
「いや、それが一番怖い! 頼むからちょっと落ち着いて! と言うかルーシュなんて掴んで、それで一体何をするつもりなんだよ⁉︎」
そう言うとリオンはため息を吐いてがっくりと項垂れる。そして恨めしそうに鍋男子を見ると私に紹介を始めた。
「……こいつの名前はマクシミリアン・エル=ライオネル・オー・イースラフト。うちのイースラフトの王様、ライオネル王の息子だよ」
「……へえ? そんな人がどうしてこのキッチンにいるのかしら?」
「いやだから本当なんだって! なんか兄貴とエマさんの結婚式に参列する為に来たらしくてさ!」
「うむ。ああすまん、まだ名乗っていなかった。私はマクシミリアン。ライオネル陛下の名代として馳せ参じた。よろしく頼むぞ、遠い従姉妹殿」
「……はあ? 従姉妹、って……」
「決まっているだろう? 私とリオンは親戚なのだから、リオンの親戚のお前も私の親戚と決まっている。そうだろう、マリールイーゼ嬢?」
「……うわ……マジで……?」
「しかしな、ジョナサン殿もまさかこちらでいきなり子作りをしてしまうとは思っていなかった。お陰で御子が生まれるまで我が国に帰国出来んではないか。まあ挙式を執り行う事までは知らなかったがその数日前に辿り着いたのは我ながら行幸。ついでに強行軍の理由も出来たしな!」
どうやら本当にイースラフトの王子様みたいだ。だけどなんだろう、言葉の端々にシルヴァンっぽい何かを感じる。と言うかこの人、エマさん達の結婚式がある事を知らなかったって今言わなかった? と言う事はこの王子様、ノープランでこの国まで来たって事? え、バカじゃないの?
流石にリオンも薄々気付いていたのか渋い顔に変わる。
「……あのな、マックス……」
「うむ。なんだ、リオン?」
「……お前、兄貴達の結婚式の為に来たんじゃないのかよ?」
「うむ、知らなかった。お前がそう言ったから取り敢えずそれに合わせて答えたまでだ。リオン、取り敢えず情報を自分から出すのは悪手だぞ?」
「……それで、なんでリゼの事を知ってるんだよ?」
「うむ、当然アーサー叔父上から伺った。とても可愛らしい絶世の美少女と聞いていたがまさかリオンがコロッと落とされるとはな。だが確かに将来が楽しみな美少女ではある。後五年もすれば傾国の美女と言われる事になるかも知れんな――処でマリールイーゼ嬢、私は一体いつまでこの鍋を掻き混ぜていれば良いのだろう? そろそろ止め頃だと思うのだが?」
そう言われて私は慌てて鍋の中を見た。うわ、何これ、完璧にペースト状になってる。それに本当に火の止め時だ。コンロの火を遮る蓋を隙間から差し込んで木ベラを受け取ると状態を確認する。何処も焦げていないしほぼ理想的な状態になっている。今までバカみたいなやり取りをしてたのにその間もちゃんとやってたの? 王族の癖に恐ろしく手際が良い。
「……ねえリオン。この人、本当に王子様なの?」
「えっ? うん、確かに王子だよ。一〇年以上会ってなかったけど」
「……実は王家の料理人だったりしない?」
「いや、そんな訳ないでしょ? イースラフトって軍事王国だから自前で料理出来ないと野戦の時に困るんだよ。だから王族は全員自分で料理が出来るんだ。そこらへんの料理人より自分で作る方が早いから、って」
……ま、マジかー……きっとアレクトー家がいるから魔法も使わない事に物凄く慣れてるんだろうな。うちの国の王族もある意味そう言う処があるし。軍事王国なら英雄と一緒に戦場に立つ事もあるだろうから魔法が使えない状況が当然みたいに考えてそうな雰囲気がある。
だけど――
「……取り合えず、母さんに報告する。ジョナサンにマックスが来てる事も伝えて貰う。流石に王族が来てる事を黙ってる訳にはいかないし」
――だけどリオンがそう呟いた途端、王子様の表情が変わった。微妙に怯えが浮かんでいる。ジリジリと後退りながら王子――マックスは喚いた。
「そ……それだけは止めてくれ! クローディア叔母上にだけはまだ伝えないでくれ! 私が勝手に来た事を知られれば絶対に叱られる!」
「……いや、そう言う訳にもいかないだろ? と言うか相変わらず母さんが怖い癖になんで来たんだよ? 顔を合わせるって分かってたろ?」
「そ、それは……ジョナサン殿に祝福を伝えなければならんからだ! 従兄弟の兄上にきちんと祝いの言葉を伝えねば!」
「……相変わらずマックスはネイサンが大好きだな。だけど言っとくけど結婚相手のエマさんは母さんと性格が似てるぞ? 兄貴と結婚する相手が自分と似てて実の娘みたいだって大喜びしてたからな?」
「おう……何と言う事だ……この世界には神はいないのか……」
そう言うとマックスはその場に膝をついてしまう。何か変に演技臭いと言うか大袈裟な言動が目立つけどどうやらこれが普通らしい。
「……王族って、こんなのしかいないの?」
私が呆れて言うとリオンは、
「……まあ、シルヴァンの方がおとなしい分相手するのは楽だよ」
そう言って小さく首を竦めるのだった。