273 意識せざるを得ない
エマさんの妊娠が発覚して以降、やっと私も状況が理解出来る様になった。二人がそう言う事に及んだのはお兄様の英雄魔法を知られない為に行動した時で、叔母様もエマさんの花嫁修行が出来なくなってジョナサンと会う事を許可した為だ。つまり私も今回の件にいっちょ噛みしている。
元々エマさんも自分を犠牲にして助けようとした位にはジョナサンの事が好きだった。そこで実際に一度死んだのを見てジョナサンも自分がどれだけエマさんの事が好きなのかを強く自覚した。そんな二人が自由時間を与えられて三日も一緒にいればそう言う事になってもおかしくない。
そして今、エマさんと叔母様は私の家で生活している。流石にアカデメイアの貴賓寮とは言っても妊婦が生活するのには向いてない。私の家ならお母様もいるし叔母様も一緒なら充分だ。何しろ二人共二人以上出産した経験があるしフランク先生もうちの専属だからすぐ来てくれる。英雄一族の女は基本的に魔法で何とかしようとしない。魔法ではなく知識と経験、それに薬だけで全部対処出来る。真っ先に魔法で対処しようとする人の多いアカデメイアにいるより遥かに安心だ。
そしてエマさんは私の部屋で暮らしている。これはお母様や叔母様に頼まれたからじゃない。小さい頃から身体が弱くてすぐに倒れる子だった私の部屋は実はかなり配慮されている。フランク先生が来たらすぐに部屋に辿り着ける様になっていたし冬は暖かく夏は涼しい。妊娠すると匂いがダメになると聞いてそれなら風通しも良くて換気もし易い私の部屋を是非使って欲しいと私の方からお母様にお願いした。
「――リゼ……うちの兄貴の所為で本当に色々ごめん」
エマさんとジョナサンの事情を知ったリオンが頭を下げる。だけど言葉が妙に辿々しい。そりゃそっか、自分の知ってる人がそう言う関係になって子供が出来たって言われれば多少動揺する。特に私とリオンは一番関係が深い相手同士なだけに衝撃も大きい。案外ルーシーは全然平気で単純に二人の幸せと子供が無事産まれる事だけを祈っている。
「……うん? ごめんって何が?」
「いや、だって……リゼの家で部屋まで提供したんだろ? エマさんの赤ちゃんが産まれるのは来年の六月位って話だし、イースラフトに行くのは多分その半年後位だろ? それも経過が良ければって話だし。フランク先生がいるから大丈夫だとは思うんだけど……」
だけどそう言いながらもリオンは顔を引き攣らせていて何だか凄く話辛そうにも見える。
「……何。リオン、何かすっごい言いにくそうだけどどうしたの?」
「……いや、そりゃあこうなるだろ? まさかジョナサンがエマさんに手を出すと思ってなかったから……何と言うか物凄く落ち着かない」
「て、手を出したとか言うなあっ!」
「じゃ、じゃあ何て言えば良いんだよ⁉︎」
だけど当然私も答えられない。結局お互いに黙り込んでそれ以上は何も言う事なんて出来なかった。
ちゃんと頭では分かってるんだよ。エマさんはジョナサンが好きだからそう言う事になったって。だけどまだ飲み込めていない。ジョナサンは強面だけど物静かで大人しい真面目なお兄ちゃんだ。エマさんも面倒見の良い優しいお姉さんだ。だけど二人共身近過ぎて私もリオンも今回の妊娠話をすぐに受け入れられない。頭で分かっていても動揺の方が大きい。
そしてそんな処にクラリスが戻ってくる。エマさんの残りの細々した荷物をうちに送る為で特にフランク先生の孫娘で色々段取りが出来て経験も豊富なクラリスが名指しで指名された。女性の荷物だしリオンが呼ばれないのは当然で、不器用な私もむしろ来るなと言われた。
だけどクラリスは部屋に入るなり私とリオンを見て呆れた顔に変わる。
「……何ですか、二人共。どうしてジョナサンお兄さんとエマお姉さんがどんな感じで致したのかとか意識してるんですか。何だか厭らしいです」
「ち、違っ⁉︎」
「ち、違うんだクラリス!」
「まあ気持ちは分からなくは無いですよ? だってお二人に取ってそれだけ近い人同士ですからね。そう言う感じになるって想像出来なくて悶々としてる感じですよね?」
「…………」
「…………」
「でも相思相愛の二人ならそうなって当然です。それに結婚手続きだって済んでますから問題ありません。と言うかお兄ちゃんとお姉ちゃんだって婚約してるんですからいつかそう言う事になるでしょ? なんでそんなに意識して……って言うか気にしてるんですか?」
……はい、やっぱりクラリスが一番大人でした。と言うかね、そう言う事に興味津々って意味じゃなくて普段の二人の付き合い方が全然見えてなかったから戸惑ってるって感じが強い。だってジョナサンもエマさんも人前でイチャイチャしたりしないし恋人らしい素振りもなかったから。普段からもうちょっと恋人らしくしてくれてたらこうはならなかったと思う。
だけどクラリスに図星を突かれたのかリオンは深刻な顔で呟く。
「……ごめん、リゼとそう言う事になる状況が想像出来ない……」
「……おい婚約者。物凄く失礼な事言うな」
「いや、だって……僕とリゼが、だよ⁉︎ 一体どう言う感じでそう言う事になるのか、リゼは想像出来るのかよ⁉︎」
「……うっ……ごめん、私も全く想像出来ない……」
「だろ⁉︎ いや、僕はリゼの事が確かに好きだけど異性として僕に甘えてくるリゼがもう想像出来ないんだよ! 大体リゼは弱音を吐く前に倒れるまで頑張っちゃうしさ! 頼られない僕が男らしくないって事なのか⁉︎」
「あんた何口走っ――て、え? リオン、そんな事考えてたの?」
そんな処でリオンの口からポロッと本音らしい言葉が漏れる。それで私も怒るのを忘れて呆気に取られた。そんなリオンは沈んだ様子で答える。
「そりゃ考えるよ……女の子は皆、分かってないんだよ。頼られない男は何をどう頑張れば男として見て貰えるのさ? リゼは自分が死んでいなくなる事をまだ意識してるし、僕がそれを何とかしようとしても頼ってすら貰えない……助けを求められれば助けられるけど、何も言ってくれなきゃ助けられないんだよ。あの時のエマさんもそうだ、ネイサンは武器を持ってなくてもそんな弱くない。幾ら英雄でもそんな事をされて先に死なれたら簡単に心が折れる……守りたい相手に逆に殺されるんだよ……」
だけどそう言うとリオンは後悔した顔で俯いてしまう。きっと思っていた事を漏らしてしまったんだと思う。普段は余りそう言う事を言わないだけにリオンの言った事は重い。そしてどうしてリオンがジョナサンとエマさんの事を意識してるのか、分かった気がした。
多分リオンはジョナサンとエマさんがどうして上手く結ばれたのかを想像出来なかった。自分と私の事に置き換えて考えようとしてもそう言う状況が思い付かなかった。行為じゃなくて至った経緯が想像出来なかった。
リオンはジョナサンとよく似ている。エドガーよりもきっとジョナサンに似ている。真面目で冗談も言わないし。細かい処では性格はかなり違うけど長男だしリオンに取っては頼れるお兄ちゃんだったんだろう。
きっとさっき言ったのはリオンの本心だ。そんな事を普段から考え続けて私を助けようとしてくれていた。だけどリオンが自信を持つ為には私が甘えられなきゃダメなの? 女の子として? ダメだ、想像出来ない。
でも……リオンが自信を持ててちゃんと報いられるのなら例え分からなくても私はリオンに女の子として甘えなきゃいけない。今まで私を助けようと考えて頑張ってくれたリオンに報いなきゃ。でないとそれこそ私はリオンに面倒を掛けるだけの女の子になってしまう。
「……あのさ、リオン?」
「……何だよ……」
「それってつまり……私が女の子としてリオンに甘えたら、リオンは私とその、そう言う……自信が持てるって事?」
流石に自分で言っててかなり恥ずかしい。頬が熱くなる。だけどそんな私を一瞬呆然とした顔で見つめるとリオンは突然視線を逸らした。
「……いや、何と言うか……それでリゼに手を出したら物凄い犯罪臭が漂う気がする……犯罪じゃないけど……手を出したら負けな気がする……」
「……はあ?」
「だって……リゼ、クラリスよりちょっと歳上にしか見えないし。流石にそんなの、周囲からみれば小さい子に手を出す変質者に見られかねない」
「……おうちょっと待てや! お前もか! お前もなのか! そりゃあ悪うございました、発育が悪いクラリスよりちょっと歳上な幼女体型で!」
「い、いや……その、僕はそこまでは言ってないけど……」
「言ってんだろうが! てめえちょっと表に出ろや!」
だけどそんな時、突然バンと言う音が部屋に響く。その音の出処を見るとクラリスがメチャクチャ笑顔でテーブルの上に手を乗せている。どうやら思い切りテーブルを叩いた音らしい。そしてクラリスは私とリオンを見ると首を傾げた。笑顔で目を薄く開いた表情に圧倒的な恐怖みを感じる。
「私を名指しって事はお兄ちゃんもお姉ちゃんも喧嘩を売ってますか?」
「……え、ええと……そんな事は、ありません、よ?」
「……えっと……クラリス、ごめん……そんなつもりじゃ……」
「それと――お姉ちゃん。私はお姉ちゃんと違って幼児体型じゃありませんから。胸もそれなりに大きくなってますし最近は腰にくびれだって出てきました。今の時点だと私の方がもう女の子らしいスタイルですよ?」
「……かはっ……」
だ、ダメだ……クラリス怖い。大人なクラリスさんパネエ。クラリスが恐ろしいのは理論立ててきちんと言い返してくる処だ。普段は可愛らしい女の子なのに言い合いになって勝てる気がしない。と言うかそう言う処がクラリスが本音をガンガン言える強みなのかも知れない。
「……あー、えっと……クラリス?」
「……はっ⁉︎」
だけどリオンが何とも言い難い顔で頬を掻いている。それを見た途端にクラリスの頬が真っ赤に染まった。
「お、お兄ちゃん! こう言う時はちゃんと察して耳を塞いで下さい!」
「え……その、なんか……ごめん……」
「も、もう……やだ! お兄ちゃんもお姉ちゃんも、二人共やだ!」
そう言ってクラリスはテーブルに突っ伏す。あーなるほどなあ。クラリスが強いのって私に対してだけかあ。そりゃあクラリスって生徒に評判も良いし可愛がられる性格してるもんなあ。なんかちょっと納得いかない処もあるけどクラリスが怖いと思う私も何も言い返せないしなあ。
結局……歳相応に顔を赤くして拗ねてしまったクラリスを私とリオンは二人掛かりで懸命に慰めて謝り倒す事になったのだった。