27 理想の姫君
私は、本当に色々と勘違いをしていた。
最初、アンジェリンが私に話しかけてきた時。彼女はお母様に頼まれたと言った。だけどもしそうならお母様は私に前もって言ってくれていた筈だ。私のお母様はそう言う事を黙っている人じゃない。叔父様がリオンが留学する事を隠していたのはきっと私に隠して驚かせる為じゃなくて上手くいくか分からなかったから。確定事項じゃなかったからお父様に確認するまでリオンに言わせなかったんだと思う。アカデメイアへ準生徒として他国から留学するのはそれ位に困難な事だから。
後になって分かったけれど、お母様はアンジェリンと仲良しであった訳じゃなかった。単に私が叔母様の元に出て、お父様がお母様を気晴らしに連れて行った社交界でアンジェリンと会った。私の事で塞ぎ込んだお母様はまともに姪である王女の相手が出来ず、お父様が世間話として私の話をして会う事があればよろしくと社交辞令を言ったに過ぎない。それも私が帰ってくる四年以上前の話だ。
そして彼女は最初から私ではなくリオンを見ていた。図書館で会った時に最初に彼女が聞いたのはリオンは何処にいるのかと言う事だった。私はリオンと常に一緒にいるから日常話題として出した様に聞こえたけど実は全然違う。私は将を乗せた馬で毒を盛った皿だ。だって私が警戒しなければリオンも相手を警戒しない。私を落とせば自然とリオンもついてくる――そんな風に思われていた。
きっと彼女は私が静養に出た理由も知らない。五歳まで生きられないと言われていた私が本当に虚弱でいつ死んでもおかしくない状態だった事を理解していない。だってこうしてアカデメイアで会ってから彼女は私の身体の心配をした事がないから。
彼女はきっと、英雄一族本家の子であるリオンを婚約相手として見ていた。それで近付く為に私を利用した。だって彼女にとって私は本当に従姉妹だから。多分接し方を見る限り本当に可愛がってくれていたんだと思う。だけどそれは彼女にとって本当に些細な事でしかない。
彼女は私が怖いと思う王族だ。その中でも特に怖い人だった。どうしようもない位に王族で何者にも揺るがない。例えそれが正しくても間違っていても王族として目指す結果だけを追求する。今になってシルヴァンが何故あんなにこの人を嫌っていたのかが痛い程分かる。
この人は個人的な関係や繋がりを見ていない。見ているのはあくまで政治的な繋がりだけ。そこには肉親としての繋がりは一切ない。親愛の感情はあっても政治的な判断材料として考えているだけで、きっとシルヴァンはこの姉を「血縁者」として親愛の情を持つ相手として見られなかった。
きっとアンジェリンは理想の姫君だ。これ以上ない位に理想的なプリンセスで貴族令嬢達の頂点に君臨する少女だ。だって国の為なら自分を駒として平気で使おうとする。きっとこの人はお母様の事を「英雄一族を国に縛りつけた理想的な姫君」として本当に尊敬している。そしてその娘である私も。英雄一族の子供を連れてきた、国にとって有益な従姉妹としてきっと本心から大事に思ってくれている。
だけど大事に思って可愛がってくれたとしても、その基準は全部『国の為』であって彼女自身が本心から愛しているのは私じゃない。『理想の姫君』は国の為に優しく美しいのであって、誰かに無償の愛情を向ける訳じゃない。国の看板を背負っていて何をしても常に後ろに国が顔を覗かせる。だからこそ彼女は『理想的な姫君』であって『理想的な頼れるお姉ちゃん』じゃないのだ。これじゃあシルヴァンが余りにも可哀想過ぎる。
私はこの人は絶対に頼るべきじゃなかった。信じるべきじゃなかった。間違っている訳じゃないけれど、この人だけは信じて良い相手じゃなかった。受け入れるべきじゃなかった。
彼女の本質は分かってしまえば驚く事じゃない。貴族社会で生きる女の子にとって極めて普通だ。もし私も身体が丈夫でごく普通の健康な令嬢なら顔も知らない婚約者を充てがわれても疑問に思わず「素敵な人なら良いな」程度しか思わなかっただろう。
だけど……物凄く苦しい。胸が張り裂けそうだ。会話出来るのにまるでボタンを掛け違えたみたいに通じ合えない。私は彼女の事を本当に頼れる、大好きなお姉ちゃんとして期待してたんだと思う。その思いが通じないのが辛い。悲しい。きっとこの苦しさはシルヴァンが今まで感じ続けてきた物なんじゃないだろうか。
だけど私はどんなに辛くて悲しくても泣く訳にはいかなかった。だって私の所為で一番被害を受けるのはリオンだもの。私がなんとかしなきゃ。
「――リゼ、どうしたの! 顔が真っ青じゃないか!」
「……リオン……」
厨房から戻ってきたリオンが慌てて私の肩を抱く。それで顔を上げるとアンジェリンは目を瞬かせながら首を傾げている。ああ、やっぱりそうだよね。きっとこの人はシルヴァンが何故自分に対して敵意を抱いていたのかも理解出来ていない。毛嫌いされていた理由が分かってない。
そしてリオンもアンジェリン王女を何とも言い難い表情で見つめている。そっか、私の感情が伝わっちゃったのか。確かに私もすごく複雑だ。王女を嫌いとは言えない、だけど好きとも言えない。こうなって欲しい、だけどこの人はきっとこうはなれない――そんな思いが胸の中で悲鳴をあげている。
だけど……ダメだ。これだけはリオンに頼っちゃいけない。これは私が原因で起きた様な物だ。だけどどうすれば彼女が納得して引き下がってくれるのかが分からない。それでも私は肩を押さえてくれるリオンの手に自分の手を被せて彼女に言った。
「……アンジェリン姫。私と勝負してください」
「……えっ? マリーちゃんが……私と勝負?」
「はい。それで私が勝てば……リオンを諦めてください。彼は絶対に貴女にだけはあげられません」
「え、僕? リゼ、一体何の話をしてるんだ⁉︎」
リオンが訳が分からない顔で私に顔を近付ける。だけど今は彼に答えてる場合じゃない。私がリオンを守らなきゃ。
アンジェリンは少し考えると悪戯っぽく笑う。
「それは……決闘と言う物ね? だけど決闘には代行を立てて良い規則があるけれど、マリーちゃんはリオンを立てるのかしら?」
「……いいえ、これは私の勝負ですから私自身がやります。リオンにさせたりなんてしません」
「そう……それで何で競うのかしら? 勝負の内容はマリーちゃんが決めて構いません。何せ今回の話は私が貴方にお願いする立場ですからね――だけど貴方みたいな可愛らしい女の子が出来る勝負なんてそれ程無いと思うのだけど……?」
それで私は息を深く吐き出すと顔を上げてアンジェリンの顔を見た。この勝負は私が内容を決めても良い――彼女はその理由についてもはっきり明言した。これは私がリオンを守る戦いで挑戦者のアンジェリン姫を突っぱねる為の勝負だ。
「――鬼ごっこにしましょう」
「……え? オニゴッコ? それはなあに?」
「ダンスのステージは広すぎるので四つに分けて、その一面の中で私が逃げます。私が逃げ切れば私の勝ち、私が捕まえられたらアンジェリン姫の勝ち――それで如何ですか?」
「それは……まるで子供の遊びみたいね。それで捕まえる側は何人まで構わないのかしら?」
「流石に大勢だと私に不利過ぎます。ですから三人までで」
王女は私の提案を聞いて楽しそうに笑う。
「分かったわ。可愛らしい遊びの様にも聞こえるけれど、それでマリーちゃんが納得するのなら構いません。それでは何時行なうのかは私が決めますね……一ヶ月後、冬季休暇初日にアカデメイアにあるダンスホールで。その設営は私が準備させましょう」
目の前で決まっていく勝負の内容にリオンは無言で私の顔をじっと見つめる。だけど私の提示した勝負内容で私に負けるつもりがない事を理解したのかその場では何も言わなかった。
こうして私自身、予想していなかった勝負をアンジェリン姫とする事となってしまったのだった。