261 乙女心と我儘
お兄様の英雄魔法がはっきりして私はお役御免になった。ここから先はもう私がいても邪魔にしかならない。王都に蔓延し掛けた熱病を治癒して回るには機動力が重要だし私はもう何の役にも立てない。あの後お兄様はフランク先生と一緒に町を回っている筈だ。だけど叔母様と同じで回復系の英雄魔法は秘密にしなきゃいけない。だから護衛役となっている。
教導寮の自室に戻っても陰鬱とした気持ちが収まらない。リオンともあれから会っていないままだ。でも今顔を見てしまうときっと私は泣き言を言ってしまうだろうからいないでいてくれて少し安心だった。
……とは言っても当然私の部屋はクラリスとの相部屋だ。クラリスにももう出来る事はない筈だからすぐに戻ってくる。だけど顔を合わせても何を話せば良いのか分からない。十二歳の女の子に危険な役割をさせた事も物凄く負い目を感じる。それで何とか心の準備をしておこうと考えていると扉が開かれて元気よくクラリスが戻ってきた。
「――お姉ちゃん、戻りました!」
「あ、あう……お、おかえりなさい、クラリス……」
「聞いてください! あれから赤ん坊がいるという事でクロエ様の伯爵家に行ったんです。そしたらやっぱりルジョル病に感染してて、すぐにレオボルト様の魔法で全員治ったんですよ? やっぱり市場が原因みたいで使用人や侍女の人達が感染してたんです。潜伏期間中だったので熱で苦しい思いをする前で本当に良かったです!」
「……そ、そうなんだ……」
「それとあれから一応お爺ちゃんが検査してくれて、私もお姉ちゃんも免疫が出来てるみたいですよ? 普通は苦しい思いをして治さないとダメなのに幸運でした! 特にお姉ちゃんは身体が弱いですからね!」
「……あ、うん……そう……ですね……」
「それで――お姉ちゃん、なんで私に動揺してるんですか?」
「……うっ……」
……流石クラリス鋭い。というか魔眼もあるしバレバレだ。
「……別に魔眼を使わなくても今のお姉ちゃん、見てすぐ分かる位に動揺してますよね? 動揺と言うより遠慮? 後ろめたい感じ?」
「……そ、それは……」
……魔眼使ってなかった。私ってそんなに分かり易いの? だけどクラリスはどんどん私に近付いて迫ってくる。そのままベッドに足を引っ掛けて座ってしまう。そこでもう私は観念して話す以外になかった。
「……その……クラリスは、まだ、十二歳なのに……危ない事をさせちゃったから……私のお兄様の事だったのに……」
「そんなの決まってるじゃないですか。私はお医者さんの子でお姉ちゃんより医療知識があるからですよ」
「そ、そうじゃなくて!」
「そうじゃないのなら何です?」
「……だから……えっと……全然役に立てない自分に、嫌気がさしたって言うか……クラリスが頑張ってるのに、私は全然手助けが出来ないのが辛くて……それで物凄く、落ち込んで……ました……」
追い詰められて言葉にした途端、やっと自覚する。ああそうか、私は目の前で起きている事なのに何も手助け出来ないのが辛いんだ。手が届く処にいるのに手を伸ばしても届かない。見ているだけしか出来ないのが凄く辛い。だけど勇気を振り絞って言ったのにクラリスは長いため息を吐く。
「……はぁぁぁぁ……お姉ちゃん、やっと分かったんですか?」
「……えっ? え、やっと分かった、って?」
「それがいつも私やリオンお兄ちゃんが味わってる気持ちだって事を理解して下さい。物凄く今更でやっと分かったのかって気持ちで一杯です」
「え、で、でも! この気持ちってそう言うのと違って――」
「……あの、お姉ちゃん。私、魔眼持ちなんですけど?」
「――はい……ごめんなさい。そうでした……」
なんかずるい! クラリスって絶対いじめっ子の才能あるよ! だけどそんな事を思って黙っているとクラリスは早速言葉にしてきた。
「……大体お姉ちゃん、気弱でヘタレな癖にいざという時は物凄く身勝手に決めて実行しちゃいますよね?」
「え、そんな事は……」
「少し前に庭園を一緒にお散歩してた時、不審な先輩が来てお姉ちゃんは私だけ逃がそうとしましたよね? あの時私は一緒に逃げた方が良いって言った筈です。でもお姉ちゃんは頑として聞いてくれませんでした」
「……あー……タニア・ルボー……ですね……そう言えば……」
「今回はあの時と立場が逆だっただけで同じですよね? それに今回は私の方が確実に体力があって医療知識もあります。根拠があって最善の策だから私はやりました。あの時のお姉ちゃんはどうでしたか?」
「…………」
うん、ダメ。クラリスに口で勝てる気がしない。でも、それじゃあ私がいつも二人にそう言う思いをさせてるって事? こんな無力感を感じさせてるの、私? それはそれで今度は別の苦悩が生まれる。そんな私を見てクラリスは苦笑するとまるで歳上みたいに言った。
「……お姉ちゃんは辛い事は全部自分でしようとしますよね。でもそれは拒絶と同じなんですよ。お姉ちゃんは私やリオンお兄ちゃん、それに他の皆さんもまるでお客さんみたいに扱ってます。でもそれは優しさとかじゃないんですよ? そう言うのを『他人行儀』って言うのです」
「……そうなのかな……でも私は大事な人達に辛い思いをして欲しく無いんだもの。それに私だけが我慢すれば――ってあっ⁉︎ 別に私が犠牲になれば良いとか、そう言う意味じゃないからね⁉︎」
「……そうですか。まあ責任感が強いって事にするとしてもお姉ちゃんの場合、それを逆にされるのは嫌だって言うんですね?」
「……ううっ……」
「それって物凄く身勝手な話じゃないですか?」
もう何も言い返せなくて俯いてしまう。だけどそんな処でキッチンの扉がノックされて、そこからリオンが入って来た。
「――あ、二人共お帰り。声がしたから戻ってると思ったんだ」
「……リオン、ただいま……」
「ん? 何、どうしたの? なんでリゼ、ちょっと泣きそうなの?」
だけど当然私は答えられない。だって私自身、クラリスの言う事の方が絶対正しいと思うし。だけど黙っているとクラリスがリオンに駆け寄る。
「お兄ちゃん、聞いて下さい!」
「うん? 何、クラリスどうしたの?」
「詳しくは言えないんですけど、お姉ちゃんってば自分が責任を取るのは良くて私やお兄ちゃんが責任を取るのは許せないって言うんですよ?」
「……えっ? それって一体何の話?」
「お姉ちゃんって危ない事に自分から突っ込んでいくでしょ? だけど私やお兄ちゃんがお姉ちゃんの為にそうするのはダメだって言うんです」
「……うーん、全然分からないけど……クラリスの方が正しいかな?」
……全然分からないのにクラリスを肯定するリオン。ちょっと何これどうなってんの? おい婚約者、間違っててもフォローくらいしてよ?
だけどクラリスと話しながら笑うリオンを見ていて思った。この処、何かある度にリオンはピリピリしてたし叱られたりもした。それって私が無茶な事をしているからだ。だけどどうすれば良いか分からない。それで私はリオンの前まで歩いていくと上目遣いに見た。
「……どうしたの、リゼ?」
「あの……ごめんなさい。私、二人が私の所為で大変な事になって欲しくないだけなの。だから二人が進んで危ない事をして欲しく無いって思うのは我儘だって分かってる。でも……どうすれば良いか分からないの……」
「……なんだかいつもと違って素直なリゼは怖い気がするね」
素直に謝ったのにそう言われて私は顔を真っ赤にする。だけどリオンはそんな私を見て穏やかに笑った。
「……最近、やっと僕も気付いたよ。リゼって本当は甘えん坊なのに甘えられなくて我慢してるんだ。だから本当に気を許せるうちの母さんや叔母さん、それに義兄さんを前にすると感情的になり易いんだよ」
「……そ、そんな事は……」
「大分前に義兄さんに話を聞いて貰えなかった事があっただろ? あれでリゼは喋れなくなる位精神的にダメージを受けた。あれも甘えられる相手に突き放されて、それがかなりショックだったからだと今は思うよ?」
「…………」
……そうなのかな? でもどうして話せなくなる位ショックを受けたのかと言われると他に思い当たる事がない。確かに私はお母様やお父様、それにお兄様の事は大好きだけどきつい事を言われたからと言って……ってあの後も私はちょっとトラウマになったけどお兄様を嫌いになってない。
「だからさ? 僕もクラリスも身内だけど家族になり切れてない。だから頑張って甘えない様にしちゃうんだろうけどいつか気を許せる様になれば良いとは思ってる。以前は僕もそれがよく分かってなかったからリゼを甘やかすとか言ったけどね。でも甘えてくれないと甘やかせないんだよ」
そう言われて私はリオンの腰に手を回してしがみついた。目を強く瞑るとリオンが優しく頭を撫でてくれる。それで私はそのまま呟いた。
「……それは違うよ……」
「うん? リゼ?」
「だって……叔母様やお母様、お父様、お兄様は私の保護者だもん。でも二人は保護者じゃない。だから素直に甘えられないだけで……二人共凄く私を甘やかしてくれてると思うよ……」
「それは……対等だからこそ甘えられない、って事?」
リオンの言葉に私は黙って頷く。そんな私を見ていたクラリスがいきなり「あー」と何かに気付いたみたいに声を上げた。
「……そうですか。ごめんなさい、お姉ちゃん。そりゃあリオンお兄ちゃんが保護者になっちゃうとまずいですよね。まさかお姉ちゃんがそこまで気にしてるとは思ってませんでした」
そう言ってクラリスは私に抱きついてくる。それで私が気にしている事を察してくれたみたいで、でも私も恥ずかしくて黙っていた。
もしリオンに甘えたらきっとリオンは私の保護者みたいになる。そしたらきっとリオンを婚約者とかそう言う風には見られなくなる。私にとって誰かに甘えるってそう言う事だから。セシリアやルーシーみたいに好きな相手に素直に甘えるなんて事は私には多分出来ない。それに……リオンが私を好きと言いながら何もしてこないのはきっと私の身体がお子ちゃまのままな所為だ。だって……何かしたら事案発生っぽくなるからね!
「……え、ごめん……何が違うのかよく分からなかったんだけど……」
リオンが首を傾げてそう言うと、クラリスは笑いながら彼を睨む。
「それは女の子の秘密ですからね! でもリオンお兄ちゃんもやっぱりもう少し女の子の気持ちを理解すべきだと思いますよ!」
「って、そう言われても……僕はリゼ以外の女の子を意識した事ってない筈なんだけどなあ。もしかして僕、浮気とか疑われてる?」
「そう言う事じゃないですよ! ルイーゼお姉ちゃんも無愛想でこんな風ですけどちゃんと女の子だったって事です!」
「……こんな風って……クラリス、なんか酷い……」
クラリスの一言に思わず声を上げると二人は楽しそうに笑った。