260 再生の旗手
フランク先生はクラリスと一緒に先に馬車で出て行った。その後に叔母様と私はレオボルトお兄様を呼び出して馬車に乗り込む。だけどいきなり呼び出されて目的も何も教えられずお兄様は納得が行かない様子だった。
「――それで叔母上。僕は何処に何をしに連れて行かれるんでしょう?」
「ああ、まあ……今は何も考えなくて良いわ。但し到着したら貴方の英雄魔法が必要になるから、その時はお願いね?」
「……僕の魔法が? あの、それは一体どう言う……?」
叔母様の軽口みたいな返答にお兄様は尋ねようとする。だけどその口調とは違って叔母様の表情は険しい。何より目が笑っていない。そんな状態の叔母様相手にまともに聞ける筈がない。案の定お兄様は隣に座る私をじっと見つめる。だけど私にも答えられる訳がない。それで俯いていると不意に馬車の速度が落ちて少しすると完全に停まった。
「――そろそろ良いわね。それじゃあレオ、今すぐ貴方の英雄魔法を使ってみて頂戴。範囲や強さは調整出来るの?」
「え、いえ……範囲は大体決まっていますし強さも意識した事はありませんから恐らく一定です。一〇日位は発動したままで平気ですけど……」
「……そう。じゃあ私が良いと言うまで魔法を発動したままでお願い」
「……はあ。分かりました……」
そしてそこから私にとって針の筵みたいな時間が始まった。アカデメイアで準備してくれた馬車はいわゆる四人乗りの軽ワゴンだ。バルボー子爵のお家は割と近くで私も倒れる程じゃない。だけど無言で腕を組む叔母様を前にお兄様も黙り込んでいてとても顔をあげられる状況じゃない。
それにこんな空気の中で考え事なんてする物じゃない。どうしても悪い方にばかり考えてしまう。お兄様の抱える苦悩を何とかしてあげたいと思うのに今の私はただの役立たずだ。叔母様やフランク先生は勿論、歳下のクラリスまで身を挺して頑張ってくれている。なのに私はちっとも役に立てていない。激しい無力感と自己嫌悪に心が押し潰されそうだ。
そんな時、視線を感じて少しだけ顔を上げる。目の前で叔母様がじっと私を見つめているのが見えた。その表情は怒っている訳でもなくただ無言で何かを言いたそうにも見える。そんな叔母様の視線を見てお兄様も私を見ると叔母様に向かって尋ねる。
「……叔母上。もしかしてこれはマールの為なんですか?」
「……うん? まあ……そうね。それもあるかしらね?」
「それは……マールの身体が成長しない問題についてですか?」
だけど叔母様はお兄様にそう尋ねられてキョトンとする。目を何度か瞬かせると不思議そうに首を傾げた。
「え? いえ、それとは無関係だけど……レオはそれを知ってるのね?」
「え、無関係なんですか? じゃあ一体何の為にこんな事を――」
そしてお兄様が言葉を失くした時、馬車の扉が突然叩かれる。叔母様が開くとそこには頬を紅潮させたクラリスがいる。どうやら走って来たみたいで小さく肩で息をしていたけど胸を押さえて呼吸を整えると彼女は叔母様に向かって興奮気味に言った。
「――成功です! 子爵家の皆さん、完全に治りました!」
「……よし! それでフランク先生は?」
「お爺ちゃんはお父さんと一緒に今、子爵家の皆さんの状態を確認してる最中です! それと感染経路はどうやら市場みたいです! 使用人の方も一斉に発症してたんですけど今は落ち着いて今は皆さん無事です! あ、それじゃあ私、お爺ちゃん達の処に戻ってお手伝いしてきますね! 何かお食事を準備しないと! 皆さんまともに食べられてなかったので!」
それだけ言うとクラリスは息を弾ませながら馬車の扉を閉めて行ってしまう。残された叔母様と私はホッと胸を撫で下ろす。その中で一人だけ事情が理解出来ずお兄様は目を瞬かせながら固まっている。
「……え……叔母上、一体何なんですか、これは……」
だけどそんなお兄様に向かって叔母様は微笑むと静かに言った。
「……レオ、ごめんね。だけどこれが貴方の本当の力だったのよ」
「え……本当の力、って……一体何のお話ですか?」
「レオボルト。貴方の英雄魔法は『英雄殺し』じゃなかった。貴方の本当の力は人を生かす力よ。『再生の旗手』と言った処かしら。レオボルト、ルイーゼとクラリスちゃんに感謝なさい。二人が貴方の英雄魔法の本当の力に気付いたのよ。殺す為ではなく、生かす為の力だって事にね?」
そして叔母様はこれまでの経緯をお兄様に話した。それを聞いてお兄様の顔に驚愕が浮かぶ。傍目に眺めながら私は終わった事を実感していた。
結局、私は何の役にも立てなかった。今回実際に頑張ったのは叔母様とフランク先生、そしてクラリスだ。私は言うばかりで何も出来なかった。
その事実が物凄い無力感として胸の中にある。私には誰も助けられないとさっきの叔母様の目がそう言っていた様に感じてしまう。きっと今回一番頑張ってくれたのはクラリスだ。一番危険な処に立って、お兄様の心を助けてくれた。自分には絶対出来ない事を彼女が担ってくれた。
だけどそうやって自分の無力さを噛み締めて沈む私の隣で叔母様から教えられたレオボルトお兄様の表情が激しく曇り始める。最後には両手で顔を覆ってしまった。歯を食いしばりながら喘ぐ様に言葉が漏れる。
「……そうか、僕は……今まで守れた筈の命を、見捨ててきたのか……」
「……レオボルト? 貴方、何を言って……」
「……僕は……戦場で倒れた人達を救えなかった……もし僕にそんな力があると知っていれば皆、助けられたのに……全部、僕の所為だ……」
そんなお兄様の言葉が聞こえた瞬間、私の中で何かが弾けた。両手で顔を覆うお兄様の手を無理やり引き剥がして頬を両手で挟む。お兄様は本気で泣いている。だけどその顔に私は自分の顔を近付けた。
「――違うでしょ! お兄様、私の顔を見て!」
「……マール……」
その瞬間、私の視界が紫に染まる。こんなにすぐ近くで誰かに見せるのは初めてだ。だけど私の目元で炎が燃えるのを見てお兄様は息を呑んだ。
「……私の魔法も、最初はこれしか出来なかったのよ⁉︎ それが今じゃ別の事も出来る様になったの! 自分でそれを選んで使えないけど!」
「…………」
「でもね! お兄様だって前は使えなかったんでしょ⁉︎ いろんな事を経験したから、そう言う力が使える様になったとは思わないの⁉︎」
「……え……使える様に、なった……?」
「知ってる⁉︎ 私の魔法は可能性を選ぶ力って言われてるの! なら同じお父様とお母様の子供のお兄様だって同じ事が出来て当然でしょ⁉︎ 私、この前エマさんが殺された時、無理やり時間を巻き戻したのよ⁉︎ それで自分の心臓が止まっちゃったけど! 私みたいに役に立たなくてもそんな事が出来たんだもん! お兄様なら出来る様になって当然でしょ!」
感情が昂って抑えられない。何て言うか、こう……どうして分かってくれないのか憤っている自分がいる。身体も弱くてまともに生きていけない私と違ってお兄様ならもっとちゃんと立派になれる筈なのに。なのにどうして分かってくれないの? 理不尽だ、優しくて凄いお兄様なら私よりももっと凄い事が出来て当然なのに。それを分かってくれないのが悔しくて悲しくて、いつの間にか私はボロボロと涙を流していた。
動かずに固まってしまったお兄様の首筋に抱きつく。その耳元で私は歯を食いしばりながら懸命に訴えた。
「……お兄様は、凄いんだから……出来なかった事が出来る様になったんだって、もっと胸を張ってよ……次からは、人を助けられるって……そう考えてよ……なんで全部、自分の責任にしちゃうのよ……」
はっきり言って妬みとか劣等感もあったかも知れない。だって私は立派なお父様とお母様の子供だって胸を張れない。いつ死んでもおかしくない子供で生き延びる事だけに必死だ。もしかしたら、だから誰かの為に死ぬのなら良いと無意識に思っていたのかも知れない。だって私は本当に役に立たない子だから。誰かに頼らないと生きていけない子だから。
きっと元々の私――悪役令嬢とされたマリールイーゼだって考え方はそんなに違わない筈だ。誰かに頼ってしか生きていけない女の子が頼りになる大好きな人達を取られてしまうのが怖かったんだ。だって例え英雄一族で未来が視えたとしても、私はこんなに無力で役立たずなんだもの。劣等感と寂しさと、最後は一人になる事を思うだけで震えが止まらない。役に立たない私はきっといつか大事な人達の足手纏いになる――それが怖い。
「――そうか……出来なかった事が出来る様になった、か……そうだね、マールの言う通りだ。ごめんねマール、ダメなお兄ちゃんで」
「……お兄様は、ダメじゃないもん……」
「だけど分かったよ。マールに可能性を選ぶ力があるのなら、兄の僕にも同じ力がある筈だ。だって同じ両親から産まれた兄妹なんだからね?」
「……うん……」
「……マールが僕の妹に産まれてくれて本当に良かった。でないとまた道を間違ってしまう処だった。本当に有難う。僕の可愛いマール」
そう言ってお兄様は私を抱きしめて髪を撫でる。昔、幼い頃に泣いた私を慰めてくれた時みたいに。きっとお兄様は本当にもう大丈夫だ。だって昔みたいに優しくて明るいお兄様に戻ってくれたんだもの。
「……本当に貴方達は昔から仲が良い兄妹ね。それでレオ、これからやる事が沢山待っているわ。貴方の新しい力が必要になる。今、この国で伝染病のルジョル病が広まりつつあるわ。このままだと大勢の子供や人々が命を落とす事になる。ルジョル病の潜伏期間は一〇日前後だから余り時間的な余裕もないわ。どう動くかはフランク先生と相談して決めましょう」
叔母様がそう言うとお兄様は私を抱いたまま顔を向けて答える。
「……分かりました、叔母上。人と戦うのではなく、人を襲う厄災相手に戦えるのなら本望です。可愛い妹達がくれた新しい力が役に立つのなら僕はその力を存分に振ってみせましょう。人々を守る為に」
笑顔で答えるお兄様を見て、叔母様は満足そうに微笑んだ。