251 捻くれ公女様
最初の模範演技が終わった後はとても順調だった。友人達に手伝って貰いながら生徒に基礎を教えていく。基礎とは言っても前回と全く同じで三拍子、四拍子、六拍子でステップを踏む事と一拍目で背伸びをして大きく身体を伸ばして派手な動作に見せる事だ。宮廷ダンスは基本的にドレスを着て踊るから移動ステップ以外の動作が目立ち難い。だからただステップを踏むだけだとゆらゆらとクラゲみたいな動きにしかならない。
つま先で立って大きく伸びをする――と言う事はつまり身体が反り返って綺麗な姿勢に見せられる。上下の動きが生まれる事で自然とスカートが翻って大きな動作に見える様になる。基本的に貴族のダンスはドレス姿で余り動いて見えない。だから派手に見せようとしてターン数を増やしたりくるくると大袈裟に動くパートが生まれる。だけどそう言った動きだけで繋げていくのは至難の技だ。だからこそ普通のステップでも如何に動きで魅せられるかが大事になってくる。要するにそれさえ理解してしまえば社交界でのダンスなんて誰でも踊れる簡単な物へと変わる。
以前リオンが推測した通り、男爵家の男女は大抵が即興ダンスの動きでトン、トン、トンと言うほぼ一拍子の繰り返しだ。一拍毎に大きく単純で楽しさは伝わるものの単調になり易い。即興ダンスでも音楽が演奏される事はあるけどほぼ手拍子と同じリズムで音階が付くだけだ。
どちらが優れているかどうかじゃない。即興ダンスの場で宮廷ダンスを踊れば場違いになるし逆でも同じだ。要するにダンスの用途が違う。
「――なので社交界では宮廷ダンスをしないとダメなの。即興ダンスはそえはそれで良い物だけどダンスの趣旨が違うのよ。拍子に合わせて大きく動く即興ダンスと違って宮廷ダンスは抑揚をつけてメリハリを出す必要があるの。分かり易い部分だと頭の高さ、かな?」
「えと、あの、公女様。頭の高さってどう言う事ですか?」
「最初の一拍目で背伸びをするでしょ? すると最初に高い位置に頭が来るからその後のステップで膝を曲げて少し低い姿勢になると頭の高さに変化が生まれるのよ。例えば伸びをすれば身体のラインがはっきりする以外でもスカートが翻ってふわっと広がるでしょ? すると見る人に真っ先に期待させてその後が静かな動作でも待ってくれるの。さあ来るぞ、さあ来るぞ……どーん! って感じね? これが大勢で踊る社交界でやると全員が一斉に背伸びしてスカートも一斉に広がるから絵になるでしょ?」
そこで生徒達から「おーっ」と言う声が上がる。まあこれは私の考えであって別に社交界全体でそう思われてる訳じゃない。だけど宮廷ダンスは基本的に演出と見せ方で踊る物だ。例えば――
「――他にもね? 女子なら聞いた事があると思うけど軽やかで羽みたいに軽く見えるステップは『春風の精みたいだ』とか言われるけど、あれは最初の伸びから次の拍子までの間に如何にふわっと緩やかに見せられるかが勝負なのよ。それが出来ればきっと社交界で話題になると思うよ?」
簡単に言えば貴族のドレスは足元がはっきり見えない。だから如何に滑らかに上下運動と次のステップへの移動を見せられるかで一見体重が無い様にも見せられる。勿論その為にはある程度の鋭い動作が必要だ。のっそり動いてもそれこそ水に揺られるクラゲにしか見えないから。
だけど私がその話をすると生徒達、特に女子生徒達がざわざわとし始める。そしてしばらくざわついた後で女生徒が手を挙げた。
「あの! 公女様みたいに、手っ取り早くそう言われるにはどうすれば良いんでしょうか!」
「え、そりゃまあ……その基本は三拍子、四拍子、六拍子を完全に身体に憶え込ませる事かなあ? 何も考えなくてもそのステップが出来る様になれば次に見せ方を考えられるでしょう? どうすればふわっと地面に降り立ったみたいに見せられるかとか。それに横移動のステップも速さ次第で春風にも暴風にもなるでしょ? 自分の身体付きと動きも関係するし相手の動きでも物凄く変わるから、後は練習次第だと思うよ?」
それを聞いた女の子達からわあっと歓声が上がる。彼女達はお辞儀すると早速舞台に上がって練習を再開する。私はホッと胸を撫で下ろした。
人数が多過ぎて当初の予定とは大分変わってしまったけれど皆の協力のお陰もあって何とか上手く回っている。受講者は女子の方が圧倒的に多くて並んでステップを練習している。基本的にリズムとステップの練習だから一人でも出来るけれどその中で大活躍なのがマリエルとマティスだ。
舞台の中央で先頭に立ってステップの練習をしている。その後ろに一列に並んだ受講生達が動きをなぞるみたいに練習する。先頭に手慣れている人間がいて見本を見せてくれるから安心して真似が出来る。楽隊の演奏もあるお陰で曲を聞いて実際に何拍子の曲かを考える。楽隊の人達もちゃんと三、四、六拍子の曲をローテーションで演奏してくれている。休憩を挟んで演奏されるからそのタイミングで全体も休憩に入る。
そしてセシリアとルーシー、コレットはそれぞれ個別に指導をしてくれている。中でも華奢で細身のコレットは物凄く見栄えがよくてダンスの動きが洗練されている。どうやらモンテール子爵家で義父母から教えて貰っていたみたいで動きが伝統的だ。私が叔母様から習った物と似ていて激しい動きより安定した動作が中心で教えるのも上手い。
男子は基本的にペアダンスの指導だ。三、四年生も来ているからそちらを専門的に教えてくれている。ステップを実際に試す為にシルヴァンとセシル、レイモンドが女子の相手をしている。中には男子だけで来ている受講生もいてそちらの指導をしながら実際に女子と組んで練習させている。
お陰で私は余り引き合いに出されなかった。時折相談に来る受講生に説明する位だ。ダンスは実技で身体に憶えさせるのが一番の近道でリズムとステップを学ぶには身体を使う以外に無い。受講生達もある程度の集団に分かれていてそれぞれ教導官の先生達が一緒に行動しているけど基本的に見ているだけで何も教えたりせず時々私達に質問される。どうやらどんな教え方をしているかを見ているらしかった。
そしてリオンとクラリスは私の補佐でずっと一緒だ。私が返答に詰まる時や受講生の意図が分かり難い時に代わりに答えたり教えてくれる。そうやって先ほどの女生徒達が舞台に上がるとクラリスが耳打ちしてきた。
「……お姉ちゃん、良かったですね」
「ん? 何が?」
「さっきの人達、お姉ちゃんが『春風の精』みたいだって言ってました」
「あー、それはお世辞だからね。あんまり真に受けちゃダメだよ?」
「……え。え、そうじゃなくて……本気でそう思ってましたよ?」
「それは多分、私が先生役だからだね。自分が知らない事を教えてくれる人を悪くは思わないでしょ? だから過大評価をしてくれてるんだよ」
だけど私が答えるとクラリスは訝しげと言うか、戸惑った表情になってリオンを振り返る。そこで少し躊躇しながら相談する声が聞こえてきた。
「……あの、お兄ちゃん? なんかお姉ちゃん、変じゃないですか?」
「うん? 何が?」
「なんだか……褒められてるのに全然素直に喜んでないんですけど……」
「ああ、その事か。うん、そうだよ。リゼはそう言う子だからね」
「……え」
「そうか、クラリスは知らなかったのか。リゼってさ、褒められても全部お世辞だと思う病気に罹ってるんだよ。これが本当に厄介で小さい頃からずっとこんな感じだよ? もう不治の病と言って良いかも知れない」
そう言うとリオンは不意に遠い目に変わる。果てしなく遠い何処かを眺めているみたいで顔には薄っすらと笑みが浮かんでいる。
「ちょ、お兄ちゃん、諦めないでください!」
「……いやあ……もうさ。可愛いって言っても好きだって言っても全部別の何かに置き換えられるんだよ。なんか家族愛とか身内の贔屓目だとかで全部片付けられるんだ。もう手の打ち様が無いって奴だね、はははは」
乾いたリオンの笑い声が小さく響く。と言うか全部聞いてるから。むしろ聞こえる様に言ってるよね、これ? だけど押し黙ったクラリスがそこで初めて同情的な顔つきに変わる。
「……お兄ちゃん。私今、初めて本気でお兄ちゃんに同情しました……」
「……ははは、そうか……分かってくれて嬉しいよ、ははは……」
「だけどそれなら――お姉ちゃん!」
「うん? 何、クラリス?」
「お姉ちゃんの自己肯定感が異様に低い事は分かりました。だけどお姉ちゃんだってお兄ちゃんの事が好きなんですよね?」
「えー……まあ、うん。好きだと思うけど……」
「お、思うって……なら取り敢えず、お姉ちゃんがどう思うかは置いといてお兄ちゃんが可愛いって思う様な仕草とかあざとくても良いのでやってみてください! こう……うふ、とかえへへ、みたいな!」
そう言われて頬が熱くなる。そんなぶりっ子みたいな真似、自分がやってるのを想像するだけで恥ずかしくて仕方がない。
「……え、ごめん、無理。そんなの……恥ずかし過ぎるでしょ!」
「え? お姉ちゃん、あれだけお兄ちゃんに抱きついたり抱かれたりしてるのに、その上この前だってキスとかしてたじゃないですか⁉︎」
「え、いやあ……ほら、あの時はあれ位しないとリオンは私の話を聞いてくれなかったし。だから恥ずかしいとはちょっと違う……みたいな?」
「……私、お姉ちゃんの『恥ずかしい』が理解出来ません……え、お姉ちゃんの『恥ずかしい』って、一体どうなってるんですか⁉︎」
いやあ、そう言われても。小さい頃から期待しない癖がついてるし過剰に反応するのも恥ずかしいと思ってるしなあ。特に悪役令嬢な私にとって褒められて調子に乗るのは一番危険なフラグにしかならないし?
「……ううっ……お姉ちゃん……不憫な子……」
私の顔を見ていたクラリスが顔を背けて口元を押さえる。と言うか私、十二歳のクラリスより歳上の十六歳なんだけど……不憫な子? 何だか責められてる様な気もするけどきっと気の所為だ。そうやっている処に別の女の子達が遠慮がちに近付いてくる。兎に角今は講習を無事に終わらせる事だけを考えなきゃ。
私は早速女の子達の質問に答えてダンスの指南を始めるのだった。