250 ダンス講習会当日
「――なんで、こうなった……」
私はダンスホールで呆然としていた。今日の為に準備されたドレスを着せられている。本当は学校の制服でするつもりだったけど『講師をするのだから』と言って半ば無理やり着せられた。そして私とペアを組むリオンも同じ様にダンススーツ姿できっちり決めている。まさか講師で正装をさせられるとは思ってなかった。そんな私を見て皆は口々に褒めてくる。
「――マリーさん、凄く可愛らしいわ!」
「あーマリー、すっごく可愛いねー!」
「とても可愛らしいですから自信を持ってください」
だけど全員『可愛い』と言うだけで誰も『綺麗』とは言わない。そんな無意識の配慮に涙がちょちょ切れる。くぅ、そんなに私は外見ロリに見えるのか……その事実だけでもう今すぐに帰りたい気持ちで一杯だ。
そして今回、アカデメイアの友人全員に声を掛けた。どれだけの人数が来るのか分からないし助けが多ければそれだけ私に集中するのが避けられるからだ。準生徒組五人、新規生組五人、それにクラリス、リオン、私で受講者が前の倍いたとしても四十人相手なら一人当たり四人になる。勿論その人数に私は含めていない。マリエルとマティス、セシルにはあれから猛特訓をして何とか出来る状態にまで教え込んだ。
集まってくる生徒は女子生徒だけじゃない。男子と二人一緒にやってくる生徒もかなり多い。これはどうやら女子生徒に誘われた男子生徒も一緒にやってきているかららしい。ヒューゴの話によればどうも誘われた男子が騎士団の先輩達に相談した処、『強い人はダンスも上手い』と言ったらしくてそれならと意気込んだ男子生徒が相当数いるみたいだった。
だけど……何かおかしい。ダンスホールに生徒がどんどん集まってくるんだけど明らかに人数が多過ぎる。それに教導官の先生達もホールの隅を陣取っている。普段見掛けない位先生の数も多い。
「……あの、マリーさん? これ、なんか……多過ぎない?」
自信がいまいちないのかマティスが不安そうに声を上げる。実際ダンスホールは六面も準備されているのに生徒の数がかなり多い。入ってくる数はまだまだ増え続けている。ざっと見渡したクラリスが小さく呟いた。
「……お姉ちゃん、これ、授業の三倍以上は集まってますね……」
「ひ、ひぃ……本当にこの人数を相手にするの⁉︎」
「……まあ、それだけリゼの説明が分かり易かったんだろうねぇ……」
「な、なんでリオンは落ち着いていられるのよ⁉︎」
「ん? いや、別に慌ててないだけで落ち着いてはいないよ?」
「嘘っ! めっちゃ落ち着いてるじゃんっ!」
「んー何て言うのかなあ。こう言うのって覚悟を決めちゃえば割と平気になるんだよ。落ち着かないのは緊張してるからだ。失敗するのって慌てた結果だから、慌てさえしなければ緊張も良い意味で作用するんだよ」
「そんな事言っても、慌てない方が無理でしょ⁉︎」
「そんな事ないよ。リゼだって一度経験してる。前にアンジェリン姉さんと勝負した時、この人数位の観客がいる前でリゼは勝っただろ? あの時は倒れちゃったけど今回は皆や僕もいる。だから気楽にすれば良いよ」
リオンに微笑みながらそう言われて私は集まる生徒達を見た。そう言われてみると確かにあの時と同じ位――むしろあの時よりもまだ人数自体は少ない位かも知れない。アンジェリン姫が相手で物凄く注目されてたけど今回はダンスの講習が目的だ。あの時と違って私を敵視する視線は無い。
「……リオン、ありがと。ちょっとだけど落ち着い――」
だけどそんな処で今度は生徒達から別の歓声が上がる。それで何事かと思って視線を向けると、楽器を担いだ楽隊が入ってくるのが見えた。当然そんな話は聞いていなかったからものすっごい慌てる。
――え、なんで楽隊が来てるの⁉︎ そんなの聞いてない! と言うか楽隊を頼むと確か結構お金が掛かる筈なのに、何処からお金出てるの⁉︎
普通、アカデメイアでは楽隊まで呼ぶ本格的な授業や講習会は行われる事がない。校内で行われる舞踏会なんかだと呼ぶ事はあっても勉強の為にそこまで気合いを入れたりはしない。生徒が演奏したりする事はあっても大人の正式な楽隊を呼ぶと物凄くお金が掛かる。だってそう言うのは実際の舞踏会みたいな社交場でしか呼んだりしないからだ。
勿論お金だけの話じゃない。今回引き受けた講習会はあくまでダンスに馴染めない生徒を中心にした物だ。だから音楽の演奏が無くても全然問題ないのにどうして楽隊が出てきたのか分からない。こう言う場所で舞踏曲を演奏する楽隊は普通の楽団と違って宮廷楽団みたいな本格的な楽隊が担当する物だ。基本的に楽器は高価で奏者も貴族で構成されている。だからこんな風にアカデメイアに来てまで演奏する事なんて常識であり得ない。
単に参加する側だったら私だってこんなに慌てないけど講習会を開く側として考えたら流石に慌てる。後で分かるんだけどこれは全部シルヴァンから講習会を開く事を聞いた王様が派遣した楽隊だった。アカデメイアの生徒が社交界に出る為の講習でどうせなら音楽もあった方が本格的な状況を経験出来るから良いだろう、と。王様からすればアカデメイアと生徒に対する投資かも知れないけどそんな事を知らない私はパニック寸前だ。
この時点で私はもう過呼吸気味で足や身体に力が入らない。そんな私を抱き抱えてリオンはクラリスと何か話している。もうすぐ講習会を始めなきゃいけないのに。訳が分からなくて頭の中が真っ白だ。元々私は激しい人見知りだし、やっぱりこんなの引き受けるべきじゃなかった。
だけどそんな時――
「――リゼ。演奏が始まったよ」
「……え……」
「さあ、楽しいダンスの時間だよ。一緒に踊ろう」
リオンがそう言って私の手を引く。私は頭が真っ白なまま、ただ耳に飛び込んでくる演奏に意識が乗っ取られる。乗っ取られると言うか何かスイッチが入ったみたいに俯いていた顔を上げる。最初に聞こえてきたのは六拍子の曲、メヌエットと呼ばれる演奏だ。ぎゅっと詰め込んだみたいなリズムで考えるよりも先に身体が動く。
一拍目で大きく伸び上がってそこから少し膝を屈めてステップ。五拍目辺りでターンを入れるのはリオンのいつもの癖だ。昔と違って今のリオンは私よりもかなり歩幅が広くなっている。だけどそれに引き摺られない様に私は大きくステップする。細かいステップと大きく踏み込むステップの組み合わせで動きがより鮮明で緩急のある動きになる。
――楽しい。やっぱりダンスは楽しい。難しい事も何もかも考えずにただ楽しく踊る。
そして演奏が終わりダンスを終えてお辞儀をした処で突然周囲から拍手喝采が聞こえてきて私はハッと我に返った。
「――凄い! 本当にちゃんと踊ればあんな風になるのね!」
「公女様、思ってたより小さいのに全然小さく見えなかった!」
「この前に仰った緩急を付けるってこんなに変わるのね……」
おうちょい待てや、思ったより小さいって何よ? でもそう思いながら実際に言葉は出ない。息を吐き出して目を閉じているとすぐ隣からリオンが楽しそうに話す声が聞こえてくる。
「……リゼはさ、何でも考え過ぎなんだよ。いざとなればすぐ行動に移す癖に、ちょっとでも余裕があると考え過ぎて自滅しそうになる。そう言う処は昔っから全然変わってないよね?」
「……耳が、痛いなあ……」
「その癖、全部自分一人だけで責任を取ろうとするんだ。相手の責任は一切問い詰めない癖にね? だけど案外誰も責任を取って欲しいとは思ってないんだよ」
「…………」
「さあ、講習会をするんだろ? 皆で一緒に頑張って乗り切ろう」
「……うん。頑張るよ……」
そして私とリオンが手を取り合いながらお辞儀すると再び拍手が私達を包み込んだのだった。