248 即興ダンスと宮廷ダンス
私は早速、ダンスホールに赴いていた。ダンスホールは催しで使われる事の多い場所で普段は一般解放されている。剣技場と違ってダンスの練習を希望する生徒は多い。今も何人かいて練習をしている。制服のリボンの色を見ると一年生だ。男子はダンスが苦手でも余り言われないけど女子はそうはいかない。特に社交界に出る様になれば嫌でもダンスをする機会が増える。勿論競技じゃないからダンスをしなくても責められたりはしないけど誘われたら婚約者のいない女子は断り難い。だから必死に練習する。
舞踏会はダンスがメインだから踊れないと話にならないけれど基本的に社交界では必ずダンス用ステージが準備される。公的な懇親会やパーティでは必ず楽隊がいて音楽が流れるとダンスが始まる。そうやって注目を集めるからこそ、その裏側で貴族は情報交換や陰謀の相談をするのだ。
逆に言えばダンスが出来ない女子はいつまで経っても社交界デビューが出来ない。人前に出たくない大人しい女子は先ず社交界に顔を見せないし私みたいに目立ちたくない女子も殆ど参加しない。だけど社交界は女子にとっては婚活会場でもあるから大抵参加する。閉鎖的な貴族社会に於いて異性と知り合う機会なんて殆ど存在しない。
勿論、それ以外の目的で参加する女子も多い。もし自分が有名になれば必ず家名も知られる事になる。貴族の間で口に上ると言う事は王族や上流貴族の間でも覚えられると言う事だ。だから下流貴族令嬢にとってダンスは必須項目で戦う為の唯一の武器でもある。まあ、私みたいに単に踊るのが好きな子もいるとは思うけどね? でも全体で見ればきっと少数派だ。
「――ルイちゃん、おまたせー! あ、リオン君とクラリスちゃんも一緒に来たんだ?」
ホールの端で待っているとそこにマリエルがやってくる。だけどその後ろにマティスとセシルの二人もいる。
「……あれ? マティスとセシルの二人も来たの?」
「……ええ。実は私とセシルもダンスが苦手なのよ。普通のダンスなら大丈夫なんだけど、貴族のダンスってなんだか難しいのよね……」
「すいません、僕もダンスが苦手で……来ちゃいました」
「ふぅん……まあいいや。でも『普通のダンス』ってどう言う事? 私にとっては全部普通のダンスなんだけど……もしかしてマリエルもマティスとセシルと同じで『普通のダンス』なら出来るの?」
「え、うん。貴族のダンスがよく分からないんだよね、私の場合」
それで実際にその『普通のダンス』を見せて貰う事になった。マリエルが手拍子を打ってそれに合わせてマティスとセレスが踊る。だけどそれを見ていたリオンが少し驚いた顔に変わる。
「……リゼ、このダンスって……」
「うん……これって即興ダンスね」
即興ダンス――純粋に拍子に合わせて踊るダンスで『民族ダンス』とも呼ばれるダンスだ。お祭りの時とかに自然と始まる踊りでステップも特に決まりがない。トン、トン、トン、と言う一定のリズムしか無くても踊る事が出来るダンスでいわゆる根源的で感情的なダンスだ。
これに対して舞踏会で踊るダンスは宮廷ダンスと呼ばれている。流麗な動きを見せる為の抑揚のあるダンスでその分単純な拍子だけでなく複雑なリズムが存在する。トン、タッ、タッ、みたいないわゆる三拍子、四拍子、六拍子に合わせて踊る。基本的に音楽がある前提のダンスで日本で言う社交ダンスやボールルームダンスの前身と言われている。
即興ダンスと宮廷ダンスの違いは決まりがあるかどうかだ。ステップも音楽の拍子に合わせて変化する分一定のリズムで踊る即興ダンスと比べて宮廷ダンスは複雑になる。どちらが優れているか、ではなく社交界で踊るダンスは基本的に宮廷ダンスだ。感情的で単純な拍子で踊る即興ダンスと比べると理性的で複雑な拍子がある分どうしても難解になってしまう。
マリエルやマティス、セシルが上手く踊れないのは単純な拍子で踊る事に慣れてしまっているからだ。アカデメイアで教えてくれるダンスは貴族ならある程度知っている前提で説明される。教える教導官の先生も基本的に貴族でダンスの違いを理解していない事が多い。どうして私やリオンがその違いを知っているのかと言うと叔母様が教えてくれたからだ。英雄は平民と貴族のどちらとも踊る機会があるからね。
「……男爵家は平民と接する機会が多いから即興ダンスに馴染み深くなるのかも知れないね。拠点防衛任務に着くとどうしてもそうなるからさ」
「あー……そう言うのもあるんだ? そう言えばマリエルのお義父様も街の護衛をしてるしマティスとセシルのお父様も騎士団長だっけ――あー、もういいよ。よく分かったから」
声を掛けるとマリエル達が集まってくる。それで私は三人に向かって言うとマリエルが首を傾げた。
「取り敢えずね、三人には三拍子、四拍子、六拍子を覚えて貰うよ」
「え、それってどう言うの?」
「ええとね……三拍子はトン……タッ……タッ……って感じね。四拍子はトン、タッ、タッ、タッ。六拍子はトン、タッ、タッ、タッ、タッ、タッって感じ。社交界で踊るダンスは基本的にこの三種類なの。多分授業だと音楽がないから分かり難かったんだと思う。最初は頭の中で数を数えながらやるといいよ。慣れてくればステップで分かる様になるから」
私がそう言うとマティスとセシルが顔を見合わせる。そして遠慮がちにセシルが手をあげて尋ねた。
「……あの、マリーさん。覚えるのは分かりました。でも三拍子と六拍子ってどう違うんでしょうか? 六拍子って三拍子が二回繰り返されるだけですよね? それって結局三拍子と四拍子しかないって事じゃ?」
「ああ、えっとね? これは全部、実際は音楽が流れるの。んで三拍子はゆっくりした音楽だから聞けばすぐ分かると思う。それと全部で共通するのは最初の一拍目はつま先で伸びをする感じにする事。その後は膝を少し屈める事。宮廷ダンスって抑揚をつけて大きく変化してる様に見せる動きなのよ。女子は特にドレスを着てるから上下で動きを大きく見せるの」
だけどそうは言っても三人はいまいち分かってない顔付きだ。基本的に即興ダンスは抑揚を付ける動作がない。楽しく踊る事が目的で周囲に見せる為のダンスじゃないしそれは慣れるまでは仕方がない。まあ宮廷ダンスも慣れてくると楽しいんだけど最初から分からなくても当然だ。
「……リゼ。一度実際に踊って見せた方が良いかも知れないね」
「うん。んじゃあリオン、相手をしてくれる?」
「分かったよ。だけど凄く久しぶりだ」
「そう言えばこっちに来てから全然ペアダンスしてないもんね」
そう言うと私とリオンは区分けされた舞台の一つに上がった。クラリスもマリエルやマティスと一緒に見ている。それで私は説明しながら実演をしてみせる。
「先ず、女子は左脇に男子が腕を入れて腰の辺りに手を添えるからその上から肩の後ろ辺りに触れるの。女子は右手、男子は左手でお互いの手を掴む事になるよ。他に踊る人もいるからぶつかりそうになる前に危ない時は自分の方に手に力を入れて教えてあげて――じゃあ三拍子からね。一……二……三……一……二……三……」
そう言って次々に見せていく。三拍子はゆっくりとしたリズム、四拍子は少し早めで六拍子はステップの数が多い。それぞれ一周する毎に一拍目で必ず伸びをして動きに緩急を入れる。特に六拍子は動きが細かく入るから目の詰まったダンスになってアクセントにターンを入れたりもする。
だけど久しぶりにダンスをすると物凄く楽しい。叔母様の家にいた頃は毎日の様にこうして踊っていた気がする。こっちに戻ってからは色々な事がありすぎてダンス処じゃなかった。元々私がダンス好きになったのは踊っている間は余計な事を考えずに済むからだ。踊っていれば自分の死や運命を意識しなくても良い。それに例え音楽がなくても頭の中で拍子を打ちながらどう動くかを考えて相手に伝える。昔はリオンと一緒にこうやってよく踊っていた物だ。リオンも思い出したのか優しい目になっている。
そうやって踊り終えた時、いきなり大勢の拍手が聞こえてきて私は思わずリオンにしがみついた。
「――先輩、凄く素敵です!」
「わ、私達にもダンスを教えてください!」
「え、ちょ……⁉︎」
いつの間にかマリエル達以外にも大勢集まっている。制服のドレスには肩口に黄色いリボンが付いていて一年生だと気付く。私達の赤いリボンを見て二年生だと分かったみたいだ。だけど相手が例え歳下だと分かっても私はかなり人見知りで咄嗟に声が出てこない。それでリオンが集まった女子生徒達に苦笑しながら尋ねた。
「ええと、君達は一年生だよね? もしかして皆、男爵家の子かな?」
「はい! だけど授業に付いていけなくて……」
「それで自習してるんですけど、何だかよく分からなくて……」
「お願いします先輩! 私達にもダンスを教えてください!」
「このままじゃ社交界にデビュー出来ません!」
集まっているのは女子ばっかり二十人以上で男子はいない。それに皆必死の形相で私とリオンを見つめている。さっきリオンが言ってた、男爵家は平民と触れ合う機会が多い分余り宮廷ダンスに馴染みがないと言うのはどうやら正解だったみたいだ。だけど流石に二十人以上に詰め寄られると緊張し過ぎて声が出ない。私はリオンにしがみついたまま救いを求める様にマリエル達の方を見ると三人共ポカンとした顔になっている。そんな中で唯一にっこりと笑みを浮かべたクラリスは近付いてくると言った。
「……ルイーゼお姉ちゃん、良いんじゃないですか?」
「え……え、クラリス⁉︎」
「私、初めてお姉ちゃんのダンスを見ました。物凄く楽しそうでとても良かったです。それに教導官の先生達より説明も簡単で凄く分かり易かったですし……このお姉さん達も本当に困ってるみたいですし教えてあげれば良いんじゃないですか? お姉ちゃん、教えるのかなり上手いですよ?」
そんなクラリスの言葉に女の子達は一層間を詰めてくる。
「お願いします先輩! 是非!」
「私達、将来が掛かってるんです!」
なんて言うか物凄く必死だ。微妙に目が血走っている子もいる。そんな圧に人見知りの私が耐えられる筈もなく――
「――じゃ、じゃあ……今回、ちょっとだけ……」
それで女の子達から歓声の声が上がる。リオンはそんな一杯一杯になっている私を苦笑して見つめるだけで特に助けてくれようとはしなかった。