242 汚い貴族令嬢
クレリアとマリエの話の後、私はクロエ様と具体的に何を勉強するのか話す事になった。何せ相手はこの人と親友だったベアトリスだ。クロエ様と同じく相当なやり手でドラグナン王国の次期王妃になる事が既に決定している。それで少し身構えているとクロエ様は真剣な顔で尋ねてきた。
「――それでリーゼちゃん。これだけははっきりしておきたいんだけど」
「え、はい。何でしょうか?」
「……貴方、本当は何歳なの?」
「……え……」
そう言われて思わず固まってしまった。今までも色々言われた事はあったけどここまで真面目に尋ねられた事は無い。それで返事が出来ず固まったまま黙り込んでいるとクロエ様は笑いもせずに続ける。
「いやだって、貴方どう見ても十三歳位にしか見えないもの。それにあのリオンって婚約者の子、貴方が十五で成人するのを待ってるんでしょ?」
「…………」
「まあ公爵家にも色々事情はあるんでしょうけどね。多分アカデメイアを卒業するタイミングで結婚するとかそう言う感じだと思うんだけど」
泣きたい。と言うか私、そんな幼く見えるの? 余り周囲からは具体的に言われた事がないけど辛い。初めて会う人にはそう思われるのか……。
「……あの……私、本当にもうすぐ、十六です……」
「……え? ああ、大丈夫よ? 本当の事を言っても。他言しないわ?」
「……そうじゃ、なくて……本当にもう、十六に、なるんです……」
息も絶え絶えになりながら答えようとする。そんなに私、身体の発育が悪いの? なんかもうこれ、本気で泣きそうなんですけど……。だけど私が胸元を押さえて答えるとクロエ様はかなり驚いた顔になった。
「……え、嘘⁉︎ 本当に⁉︎」
「……はい……私、そんなに胸が――」
胸が無いですか――そう尋ね掛けるとクロエ様は真剣に悩み始める。
「……そうなのね……貴方、あの婚約者の子の肩より身長が低いし。何より身体が華奢過ぎるのよ。貴方のお母様はそんなに低くなかったし英雄のお父様だって身長がある方なのに、一体どうしてなのかしらね?」
「え……身長? 華奢過ぎる、ですか?」
「ええ。だって貴方、クラリスちゃんと並んでも少し歳上位にしか見えないわよ? あの子は普通位の身長と身体付きだから。だけど御免なさい、まさか本当に十六だと思わなかったわ」
「えと、あの……身長とか身体付きって何か問題でもあるんですか?」
「問題とは言わないけど、社交界に出た時にあの男の子とダンスを踊ると身長差とかで子供と踊ってる様にしか見えないでしょ?」
「……ぐっ……こ、子供……」
なんかもう今まで人生を生きて一番ダメージを受けた気がする。それで本気で泣きそうになった時、クロエ様は真剣な様子で言った。
「良い? 社交界で踊る時はそう言う身体付きの差って悪い方に見られ易いのよ。子供に見られるって未熟扱いされる事ですからね? 貴方、これまでに社交界に出た事は無いの?」
「え……あ、はい。まだ一度もありません」
「そう……貴方のお母様は賢明ね。きっと幼く見え過ぎるから誹謗中傷を避ける為だったのね……そう、道理で貴方に関する情報が社交界で全く出回ってない訳だわ。流石賢姫クレメンティア様と言った処かしらね?」
……あれ? なんか予想してた展開と違う。てっきりいつもみたいに胸が無いとかそう言う事を言われるのかと思ってたのにクロエ様は物凄く真面目で真剣だ。だけど私には社交界の知識が全くない。
「え、でも……私、静養から戻ってすぐにアカデメイアに、準生徒で入学する事になったので……社交界に行く機会が無かっただけかも……」
「バカね、そんな訳がないでしょう? 例えアカデメイアがあっても十五になれば社交界デビューよ? 準生徒って事は十二歳で入学ね。それなら普通は正規生一年になった時点でアカデメイアから授業参加扱いで休みを貰って準備するのよ。誕生月でデビューは変わるから友人がいても参加のタイミングが違うからね。お友達がいるなら一度聞いてご覧なさい?」
それは私にとっては本当に衝撃だった。と言う事はセシリアもルーシーももう社交界デビューが済んでるって事? まさかマリエルやコレットもとっくに社交界に出た事があって私だけ知らなかったの? だけどリオンだって社交界にはまだ出てない筈だ。でも……リオンはイースラフト所属だしこの国でデビューしないのかも知れない。頭の中で色んな考えがぐるぐる回り始める。自分だけが周囲に取り残されたみたいな感覚だ。
「だけど……妙な話ね?」
「……何が、ですか……」
「貴方、身体が弱い事はお母様とテレーズ先生から聞いているけれどそこまで成長が遅いのは異常よ? まるで時間が止まってるみたいだわ?」
クロエ様の一言で私は俯いていた顔を上げる。時間が止まっている――その一言は私の意識を冷静にするのに充分過ぎた。
――私の時間が……それってもしかして、私の英雄魔法が関係してるって事?
私の成長がどんどん緩やかになったのは準生徒三年の頃だ。元々身体が弱くてその所為だと思ってたけど十四歳位から身長も殆ど変わってないし身体付きも同じまま。だけど別に時間が止まっている感じはしない。生理もちゃんと決まってある。もし肉体の時間が止まっているならフランク先生に見て貰って真っ先に調べられている筈だ。だけどそんな事を言われた事なんてない。ずっと傍にクラリスがいたし気付かない筈がない。
だけど身体が殆ど成長しないのって私の身体が弱いからじゃなくて英雄魔法とか――悪役令嬢としての制約か何かなの? 確かにタイトルも思い出せないあのゲームに登場するマリールイーゼはとても小さくて身体の線が細い皆の妹みたいな女の子だった筈だ。でも今の私の性格は彼女の面影すら残っていないと思う。だって私は悪役令嬢っぽくない。誰かを虐めたりもしてないし、一方的に憎まれるだけで私から何かをした事は無い筈だ。
「……何か、思い当たる事でもあるの? 顔色が悪いみたいだけど……」
「……はい……いいえ……ええと……ちょっと、分かりません……」
クロエ様に尋ねられて私は何とか答える。だけど頭の中がぐちゃぐちゃでまともに考えられない。一つだけはっきりしているのは悪役令嬢らしくなくても死ぬ運命だけは変わってない事だ。ベアトリスと対立してからは特に命の危機の頻度が跳ね上がっている。
でも……と言う事はベアトリスさえ乗り越えれば私は死なずに済むのかも知れない。この身体だって彼女を乗り越えれば治るかも知れない。この処立て続けに起きた事件は全部ベアトリスが関係している。つまり彼女が私の運命の鍵を握っている。なら取り敢えず彼女に勝たなきゃいけない。
「――あの、クロエ様」
「……何かしら?」
「私は……ベアトリスに、勝てますか?」
私が尋ねるとクロエ様は目を細くする。そしてしばらく沈黙だけが支配する中でクロエ様は息を吐き出して答えた。
「それは……分からないわね。何とも言えないわ?」
「……そうですか……」
その返答に物凄く落ち込む。例えクロエ様から色々教えて貰っても私が勝てる可能性は分からない。下手をすれば負けるかも知れない――そう言われた気がして気分が萎えていく。だけどクロエ様は沈む私に続ける
「ねえ、貴方は『勝つ』と言うのがどう言う意味か分かって言ってる?」
「……え……?」
「以前私が貴方を勝たせて上げると言ったのはね。あくまで貴族令嬢として勝つ、と言う意味よ? だけど貴方は性格が貴族令嬢としては圧倒的に向いてない。真面目で素直で、性格が優し過ぎるのよね」
「……はあ……」
「私が教えるのは貴族令嬢として同じ舞台で勝つと言う意味よ。でもね、ベティが貴方にした事は大体聞いているけど、それは貴族令嬢としては極自然で悪い事じゃ無いのよ。貴方は貴族令嬢を綺麗だと思い過ぎてる」
「……えと……」
「良い? 貴族令嬢として『勝つ』と言うのは陰謀を張り巡らせて相手を蹴落として、同じ貴族令嬢として他者を下すと言う事なの。戦で卑怯な事をしても『戦略』と言うのと同じよ。勝った方が偉くて正しい、負けた方が間違っている。勝つと言うのは同じ舞台で叩き伏せる事を言うのよ」
「…………」
「だけど貴方には無理だわ。クレリアの件もそうだけど貴方は真面目で優し過ぎる。貴族令嬢としてベティには絶対勝てない。これは貴方が劣っている意味じゃなくてね? だから――マリールイーゼ、貴方は貴族令嬢としてベティに立ち向かっては駄目なのよ。彼女が準備した舞台に上がれば絶対負ける。だって貴方は陰謀には致命的に向いてないもの」
「……え、あの……それはどう言う事ですか?」
「貴方が思う貴族令嬢の正しさは、大半の貴族令嬢達が正しいと思わないって事よ。見た目と同じで貴方は子供みたいに綺麗過ぎるの。貴族令嬢はもっと汚くてドロドロした物よ? こうして伯爵夫人にまでなって令嬢の見本みたいに言われる私が言うんだから間違いないわよ?」
「え……貴族令嬢が、汚い……?」
「そうよ。だって考えてもみなさい。他の女を蹴落として良家に嫁ぐ事が目標の女が綺麗な筈ないでしょ? 勿論貴方の正しさは周囲にとって心地良いから同調するでしょうけどね。だからベティが貴方にした事は戦略であって悪い事ではないの。もし貴方がそうじゃなければテレーズ様だって助けてないと思うわ? あの人は元々、自力で何とかしろと言う人よ?」
それは……本当に思ってもない事だった。結構汚い事を考えてる方だと思うのに私が綺麗過ぎる? だけどクロエ様の言う事は間違っていない気がする。だってテレーズ先生はそう言う人だ。沢山手助けしてくれたけどレディクラフトの信念で考えればクロエ様が言う通りで間違いない。
だけどそうなるとどう抗えば良いのか思いつかない。勝つんじゃなくて相手を退ける方法が考えつかない。一体どうすればいいの?
「……あの、じゃあ私はどうしたら良いんですか……?」
結局何も思いつかなくて私が尋ねると、クロエ様は――
「そんなの簡単でしょ? 戦って勝てないのなら逃げなさい」
「……え……に、逃げる?」
「そうよ。貴方、逃げるのは得意なんでしょ? なら勝負にならない様に全部避けなさい。貴方が勝負に乗る事がベティにとっての勝ちなのよ」
――そう言ってキョトンとする私を見て彼女は不敵な笑みを浮かべた。