240 ジャムを作ろう
ジャム――それはとても簡単に作れる物だけどやたらと時間が掛かる奥の深い食べ物だ。まず果物をひたすら煮込む。煮込んで煮込んで果物から水が滲み出しても更に煮込む。充分に水が出れば今度は煮詰めて味を濃縮させる。果物の風味と甘味を極限まで突き詰める――それがジャムだ。
レモンを絞って果汁を入れるのは加熱するととろみが出るからだ。そうやって何とも言えない口触りを実現する。単体でも良いけど種類を組み合わせる事でその味は千変万化。好みの一品を完成させるまでがジャム作りの道と言って良いだろう。そしてその道は更に甘くて美味しいジャムを目指すからゴールに到達出来ない。いや、ゴールがないのがジャム作りだ。
食事を終えてから待っていると買い出しに出ていた使用人や侍女の人達が帰って来た。私が頼んでいた果物を沢山持って。それがキッチンに運び込まれて早速私はエプロンと頭巾を纏った。下ごしらえに果物の皮を剥いたり火が通り易い様に小さく切っていく。だけどそこでキッチンの入り口からリオンとアランの声が聞こえてきた。
「……お兄ちゃん。お姉ちゃんは何してるの?」
「あれは……ジャムを作るつもりだね」
「じゃむ、ってなあに?」
「果物を煮込んで煮詰めた物だよ。パンに付けたり紅茶に入れるんだ」
「……それって美味しいの?」
「甘くて女の子は好きな人が多いね」
「へえ……だけどお兄ちゃんは手伝わないの? 前に見た時はオリバーがお料理してた筈だけど……じゃむってお料理だよね?」
「……他の料理は良いけどジャムは手伝うとリゼ、怒るんだよな……」
……おう、全部聞こえてるぞ。でも相手をしている暇がない。刻んだ果物を鍋に入れて煮込み始める。水は一切入れずに果物に含まれた水が出てくるまで煮る。薔薇の花びらみたいな物は水を入れなきゃダメだけど林檎やベリーは水気を多く含んでいる。下手に水を入れずに果物自身が持っている水を煮出した方が味が濃厚になる。焦げない様に後はひたすらかき混ぜ続けるだけだ。こうなると本当に後は単純な作業だけになる。
「……えー、どうして怒るんだよー?」
「……どうもリゼってジャムに凄いこだわりがあるみたいで……」
いいや違うね! だってリオン、焦げ難くなるからって水を足しちゃうんだもん! それは私の作りたいジャムじゃない! ジャムって言うのはその果物に含まれた水を使うからこそ濃厚な風味になるのであって別の水を入れると弱くなってしまう。効率重視は分かるけど手間を掛ければ一層美味しくなるのがジャムだ。シンプルだけどそれ故に奥が深い。そこで私が振り返ってにっこり微笑むとリオンの顔色が変わった。
「……あ、アラン! あっちに行ってよう!」
「えー? 僕、もうちょっと見てたいんだけど……」
「そうしないと後で滅茶苦茶叱られるよ! ジャムを作ってる時のリゼは物凄く怖いんだ! 下手に近付くと大変な事になる!」
「……えー……でも僕もじゃむ、食べてみたい……」
「大丈夫、作ってる時以外ならちゃんと食べさせてくれるよ!」
「……もー、分かったよー。仕方ないなあ……」
そう言ってアランはリオンに引っ張られてキッチンを離れていく。私はもう呆れるしかなかった。
失礼しちゃうわ。大体リオンが昔、ジャム作ってる時に『あ、水入れないと焦げちゃうよ?』とか言って私がダメだって言ったのに何言ってるのか分からないみたいな顔をしながら水を注ぎ込んだのが原因だ。他の料理ならいざ知らず、甘い物が少ないこのご時世にただ甘ければオッケーみたいに思われるのは腹が立つ。私は甘い物じゃなくて甘くて美味しい物を作って食べたいんだ。私の数少ない趣味に絶対口出しはさせない。まあでもそれがあったのって叔母様の家で暮らしていた頃なんだけどね?
そうしていると鍋の口まであった果物がしおしおになって底に水が溜まり始める。果物のジャムは沢山入れても量がかなり目減りする。だけどその分果物の味と甘味が濃縮される。私がレモンを絞った果汁を投入すると少しして甘い香りがキッチンの中に漂い始めた。
この甘い匂いが立ち込めるのもジャムが作られなくなった原因だ。特に熱した甘い香りを嫌がる人は多い。窓を全開にして換気をしても部屋中が甘い匂いになってしまう。案の定、甘い香りは窓を開けた程度じゃ抜けてくれない。だけどその匂いに釣られたのかキッチンに誰かがやってきた。
「……甘い匂いがする……」
「え、あれ? マリエ?」
入り口からひょこっと顔を覗かせたのはマリエだ。そしてその後からは追い掛けて来た姉のクレリアと侍女の人の声が聞こえてくる。
「――マリエ! ひとりでいっちゃ、ダメでしょ!」
「マリエ様、クレリア様、お二人だけで行かれては困ります!」
だけどマリエは私を見つめたままで二人を振り返ろうとしない。そして鍋をかき混ぜる私に近付くと不思議そうに首を傾げた。
「……何してるの?」
「ん? えっと……これはジャムを作ってるの」
「じゃむってなあに?」
「お食事の時も言ったけど、女の子が好きな甘い食べ物だよ。まあ食べ物っていうかパンに付けたりお茶に入れると甘くて美味しくなるの」
「それってわたしも食べられる?」
「うん、クレリアとマリエに食べて欲しくて作ってるからね」
そんな処で後ろからやってきたクレリアがマリエと手を繋ぐ。それでマリエは振り返ってはしゃいだみたいに声をあげた。
「クリー! じゃむっていうの、たべられるんだって!」
「え……マリー、じゃむってなあに?」
「甘くて美味しいんだって! 凄く楽しみね!」
そして二人の後ろにいた侍女さんが私の手元を見て話し掛けてくる。
「……何をお作りになるのかと思っていましたが、ジャムですか」
「え、はい。色んな果物のミックスジャムですね。蜂蜜も入れてないからローランが舐めても大丈夫の筈です」
「そうでしたか……でも蜂蜜を入れないなんて珍しいですね。昔は年配の女性がよく作っていましたが最近は余り作られません。特に貴族家庭では避けられていますから。ですから公爵家のお嬢様がお作りになるだなんて思っていませんでした。今では時代遅れと言われる事もありますからね」
そう言われて私は全然気付いてなかった事に驚いた。そうか、ジャムは作る時に匂いが凄い。だから貴族女性はその匂いが髪や服に付く事を余りよく思わない。以前私がクロエ様に差し上げた薔薇の肌水は整える役割もあるけど薔薇の香りの方が重視される。クロエ様があんなに自分でも作りたいと仰ったのは肌水としてより香水として関心があったからだ。匂いの強い香水よりも肌水は肌に良くて仄かに香るだけだから主張し過ぎない。
それに確かにジャムって田舎のお婆ちゃんが作っているイメージが強い食べ物だ。ずっと鍋の前にいなきゃいけないし若い人は余りやりたがらないかも知れない。アカデメイアの自室にあるキッチンはそれ程広く無いし窓もあって匂いの拡散も殆どしない。扉さえちゃんと閉めてあれば部屋の中がジャムの匂いで大変な事にもならないし簡易キッチンだからこそあの場所でジャムを作っても余り気にならなかったのかも知れない。
「ねえ、クリーも食べたいよね!」
「え、う、うん……私も食べたい、けど……」
「でもどうやって作るのかな! すごく美味しそうだよね!」
「うん……ねえ、どうやって作ってるの?」
それまで余り関心を示さなかったクレリアがマリエに言われた所為か、不意に私を見上げて尋ねる。前みたいに睨んだりしていない、素直で子供らしい表情だ。私も自分が好きな事にこんな小さい可愛い子達が関心を持ってくれて嬉しく無い筈がない。
「ええとね、ジャムって作るのは簡単なんだよ。好きな果物を入れて煮るだけなの。果物のお水が出て来たら今度はそのお水が蒸発――無くなるまで煮詰めるのね? そしたら火から降ろして冷えるまで待つだけなんだけど二人はどんな果物が好き?」
「えっとね、マリーは苺!」
「ずるいマリー、私も苺!」
「じゃあ良かった。今日のは苺が沢山、それに林檎も入れてあるから二人が好きな味かもね? それにちょっと酸っぱいけど苺の仲間のベリーも入ってるから。きっと夕食の時に食べられると思うよ」
「……この黄色い酸っぱいのも入れたの?」
「……私これ、あんまり好きじゃない……」
「うふふ、マリーは好き嫌いいっぱいあるもんね。私は平気!」
自慢げにクレリアが胸を張る。それで私は頭を撫でてやりながらにっこり笑った。
「へえ、流石お姉ちゃん。クレリアはしっかりしてるね」
「……そうなの! 私、お姉ちゃんなの!」
「その酸っぱいレモンを一緒に入れるとジャムがドロっとするの。出来上がれば酸っぱいのが無くなって美味しくなるんだよ。隠し味、っていう感じかな? 大人の味って言う方が近いのかもね?」
そこから何故かクレリアが物凄く好意的な態度になった。妹のマリエもそんな姉にくっついて物凄く楽しそうだ。こうして私は二人と一緒に楽しくジャムが完成するまでお話をし続けたのだった。