24 魔王の存在
食堂でのトラブル以降、シルヴァンは物凄く勉強に力を入れ始めた。リオンから言われた事が余程堪えたのか、本当に暇さえあれば勉強している。かと言ってリオンを敵視している訳でもなくて割と普通に声を掛けているみたいだ。だけど私には声を掛けてこない。とは言っても無視したり嫌ってる訳では無いらしい。なんだか予想と違っていて不思議な感じだった。
「――なんだかね。シルヴァン、随分真面目になったのよ」
「え、そうなの?」
図書館でアンジェリンにそう言われて私は顔を上げた。お姉ちゃんにも予想外だったらしい。だけどなんだか困りながらも楽しいみたいだ。やっぱり実の姉と弟なんだなって思う。
「最近はお父様と話している事も多くてね。叔父様――マリーちゃんのお父様とも色々話してるみたい。顔を合わせると嫌味を言ってたのに最近は私にも普通に話してくるのよね。これもリオンくんのお陰かな――そう言えば今日はリオンくんは?」
「あ、えっと……帯剣申請で教導室に行ってくるって言ってたよ。だけど私は図書館から出るなって言われちゃったけど」
「……そっか、英雄一族だから剣を身近に置いておきたいのかもね……それで――マリーちゃんは何を読んでるの?」
そう尋ねられて私は今見ていた本を彼女に向けた。仕掛け本と言われる物で要するに『飛び出す絵本』と言う奴だ。ここの図書館は貴族向けに関わらず色んな本が置いてある。流石に普通の絵本は置いてないけどこう言った特殊な絵本ならあった。
今私が読んでいるのは少し不思議な仕掛け絵本で森で暮らす魔王とお姫様が出会うお話だ。だけどこの魔王って人間と敵対したり戦争したりしてない。分かりやすく言うと日本で知られる歌の「もりのくまさん」に似てる。それで最後にはお姫様と一緒に幸せに過ごしました、で終わるハッピーエンドだ。
「……ああ、このお話……有名だけど魔王が実在した事は殆ど知られてないのよね。こういう絵本でしか残ってないから」
「え! 魔王ってこの世界にいたの⁉︎」
思わず声を上げてしまって慌てて口を押さえる。図書館では騒いじゃ叱られる。それで周囲をきょろきょろ見回しているとアンジェリンお姉ちゃんは笑って声を抑えて教えてくれた。
「そうなの。正史に残ってないんだけどね? だけど王家にはお話が残ってるのよ。あ、でも悪い人じゃなくて魔法の王って意味で魔王なの。王家と少し揉めた事もあるらしいけど」
「……そうなんだ……」
それは私も一切知らなかった事だった。そもそもこの世界にモンスターと呼ばれる存在は殆どいない。魔獣と呼ばれる動物がいる位でそれもここでは猛獣と同じ様な扱いだ。人間の生活範囲内では先ず見掛ける事が無い。
そしてそんな時、校内で予鈴が鳴った。ここでは授業開始の時間になる少し前に鐘が鳴る。授業に多少遅れても叱られたりしないし先生自身遅れてくる事もザラだ。全体的にのんびりとしているのは個人用の時計がないからだと思う。据え置き型の大きな物が主流で普通、貴族の家なら一つ設置する程度だ。
「……次は魔法の授業だったわね。それで授業に出られないからマリーちゃんはここにいるのね」
「うん。見たいんだけど近くにいるだけでダメらしいから」
私が答えるとアンジェリンお姉ちゃんは私の前髪を指で撫でて額に口付けした。そのまま図書室から出ていく。
「それじゃあね、マリーちゃん。また後で」
「うん、お姉ちゃんも頑張ってね」
私は額を押さえながら後ろ姿に声を掛けた。何ていうか私は小さい子扱いをされてる気がする。家にいるとお母様から良くされるけど学校で最近知った親戚のお姫様にまでされるだなんて思って無かった。
だけど図書館って案外良い場所かも知れない。図書室よりも規模が大きくて司書の先生が常に数人いるし雑談をしていると注意されるから誰も絡んでこない。逆に言うと大人の目があるから厄介ごとに巻き込まれる事も無い。リオンがここにいる様に言ったのはきっとそう言う事だ。
だけど――魔王かぁ。もういないみたいで良かった。だってただでさえ私は身体が弱くて死ぬ運命に抗うだけで精一杯なのにそんなバトル要素があれば死亡率が跳ね上がってしまう。
それにここは魔法がある。マリエルがここに入学出来る理由は魔法の才能があって貴族が後見人になるからだ。生まれを覆せる能力という事はここでは魔法が重要な意味を持つ。そして普通は平民が貴族になれたりしない。その鉄則を無視出来る位に魔法はこの世界で重要視されていると言う事だ。
だけど……何だか思ってたのと違うんだよね。魔王がいると聞いて最初に思ったのはマリエルがその討伐の重要人物だから魔法が大事なのかと思ったけど違うらしい。だってこの世界の魔法は日常的な利用が殆どだ。それに貴族令嬢が攻撃魔法を使うのは「はしたない事」で社会的に許されない。ありがちな話で貴族学校のお嬢様が戦闘に参加して魔法で戦う展開は本当の貴族社会では絶対認められない。だけど残念な事に私はマリエルが何故魔法の才能を持っているのか、魔法が使えるから何をするのか、と言う根幹設定について全く知らないんだよね。
そして仕掛け絵本をぼんやり眺めていると、席のすぐ後ろから「あっ」と言う声が聞こえて私は振り返った。